プレゼント
わが社を刷新する第一歩の作業。高橋は確かにそう言った。それが担当者俺一人であると聞かされ、愕然とした。
高橋の話を聞きながらも、具体的に今後どういう作業が必要であるのか、どんな課題が生まれるのかを頭の中で考えていた。漠然とではあるが、作業量を想定し工程も浮かんでいたのだが、これを一人でやるとなると、とてもじゃないが追いつかない。
話し終えたあと、高橋は俺を隣の部屋に案内してくれた。これからはここが俺の“詰所”となる。元々高橋取締役専用の資料室として使っていた部屋だろう。部屋の真ん中にぽつんと置かれたデスクに腰かけ、先ほど手渡された資料に目を通すことにした。
そこには先ほど高橋が熱弁したことの重要性から、今後のわが社の展望に至るまで記されていた。これほどまでに引き寄せられる資料に出会ったのは初めてだった。グラフなど一切なく、数表も重要なところだけ登場するのみで、ほとんどが文字ばかりだ。ただその一文一文に熱意があり、訴えかけてくるものがある。
正直、俺は高橋の事を社長夫人として威張り散らす女として認知していた節がある。あらゆる企画がことごとく通らないのは、この高橋が気に食わないものを全て拒んでいるからだという者もいた。
だが実際は違う事を、この資料を通して理解した。彼女をうならせる事はそうたやすいことではない。高橋は誰よりもこの会社の事を考えている。
「やってやる。」
俺の心にはいつぞやの号泣会議の時と同じような感情が芽生えていた。高橋のために、そして会社の為に、そして何より自分の為にこの仕事を完成させるのだ。
午後9時。与えられたパソコンを駆使して、これからの作業スケジュールや作業内容、問題点をまとめ上げた。高橋が言うとおり、この本部に来てからというもの、残業などほとんどしたことが無かった。与えられた仕事が終われば、誰とも関わらずにひっそりと帰る事が出来た。ただ今は違う。きっかけは高橋が作ってくれたが、その先は自分で仕事を進めていかなければならない。時間は限られているのだ。
完成した資料をもって高橋の部屋に出向く。あれから一歩も外に出ず、パソコンと向き合っていた為、足が浮くような感覚に襲われた。
「失礼します。」
部屋に入ると高橋が深々と椅子に腰かけている姿が目に入った。
「あら、早かったわね。」
「いえ、お待たせしてすみません。」
俺はそう言うと、作成した資料を高橋に手渡した。
高橋は資料を受け取ると、即座に目を通し始めた。長時間かけて作成した資料だけに自信はあったが、待っている間の緊張感は凄まじかった。
高橋は最後のページを読み終え、資料をデスクに置いた。
「データ移行作業の所だけど、これあなた一人でやるつもり?」
やはり高橋は見逃さなかった。各部署のデータをデータベースに移す作業は手入力作業が必要となる。これに2週間ほど割くようにスケジューリングしていたのだ。この作業を一人でやるには、正直2週間では足りないだろうと想定していた。
高橋は俺の様子を窺うと、一呼吸してから口を開いた。
「この作業は臨時で他の社員を回すように手配しましょう。各部署で各々のデータ移行はやらせます。そうすれば、期間も短縮できるでしょう。」
高橋はにやりと笑った。
「合格よ。私の目に狂いはなかった。今後、他部署に協力が必要な作業があれば、私の名前を使いなさい。事がスムーズに運ぶはずよ。」
「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると心強いです。」
「それと…」
高橋は立ち上がりこちらに歩み寄った。結構な距離まで近づいてくると、ポケットから何かを取り出した。
「あなたに私からプレゼント。これからは私の部下としてふさわしい恰好をしなさい。」
そう言って俺の手を掴むと、小さな箱を握らせた。
「これからもよろしくね。お疲れ様。」
高橋は硬直する俺の脇をするりと抜け、部屋を後にした。




