杉野1
俺は適当な用事をでっち上げて、部署に残った。俺にメールを送ったと思われる沢木もいったん帰るふりをして、村田と杉野とともに部署を後にした。フロアにはまだ社員たちが残っている。こんな状況で果たして話せるだろうか。
だが今日のこの機会を逃せば、この先ずっと昨日の言葉の真意を聞くことはできない。これは絶好のチャンスなのだ。
そう自分に言い聞かせ、先ほどシャットダウンしたパソコンを再び起動させる。残業すると言った手前、ただデスクに居るだけというのも怪しい。社内メールを開くと、受信ボックスに杉野からのメールが来ていた。先ほどの販促パネルをデータで送ってきていたようだ。改めて販促パネルを眺めると、杉野の仕事に対する丁寧さがよく分かる。寸法や色の指定まで相当なこだわりが見て取れるのだ。
「石田さん。」
背後から蚊の鳴くような声がかろうじて聞こえた。振り返ると杉野が立っていた。
「あれ?忘れ物?」
沢木が来るものと思っている俺は、考えなしに言葉が出た。
「あの…さっきのメール、私です。」
しまった。これでは杉野のメールアドレスを登録していなかった事がバレバレではないか。もちろん杉野だけではないのだけれども、かなり印象が悪い。
「ごめん、あの時の全員のアドレスまだ登録してなくて…。」
「いいんです。私には何となくその気持ち分かります。」
一体どの気持ちだろう。気が動転して杉野が言っている意味が理解できない。とにかく落ち着くべきだ。この子は俺に話があってあのようなメールを送ってきたのだ。話の内容を聞く方向に持って行くのが賢明である。
「それより話って何かな?何か困ったことでもあったのかな。」
今の状況であれば、それよりという言葉は杉野だけが発する権利を有しているはずであるが、状況打開のため強引に使わせて頂いた。
「あの…見て頂きたいパネルがもうひとつあって…。」
嘘だなと思った。残っている社員がほぼ全員がこちらの様子を窺っている。杉野はその空気を察したのだ。周りを気にする能力に関して言えば、俺と同等のものを持っているようだ。
「わかった。じゃあ会議室でその原案を見せてもらえる?」
「はい。」
場所を変えるという考えが一致したことで、杉野はほっとしたようだ。どうやら聞かれたくない話らしい。
会議室のドアが閉まり、テーブルに先ほどのパネルの原案を広げると、杉野は早速切り出した。
「村田さんの事なんですけど…。」
「ああ、そう言えば昨日はありがとう。大変だったでしょう。」
杉野はぶるんぶるんと首を振ると、真剣な眼差しでこちらを見つめた。
「村田さん、最近元気が無くて、ちょっと心配で。」
俺は耳を疑った。村田と書いて能天気と読むものだとばっかり思っていたが、どうやら彼にも元気がある日とない日があるらしい。
「そうかな。そうは見えないけどね。いつも明るいし、ムードメーカーというか…。」
「原因は分かっているんです。」
まるで俺の話を聞いていないようである。ただ杉野の目は真剣でまっすぐだ。
「原因って?」
「それは…」
杉野はしばらく考えこんだ後、顔を上げこちらをまっすぐ見据えた。
「石田さんと沢木さんです。」




