Episode-3 孤高の緋桜、脅しけり
※気に入らなかった文を修正しました
入学式から帰宅後。お昼時であるのにも関わらず、達也は昼食も取らずに必死に脳を働かせている。
本来自宅で1、2を争う『安らぐべき場所』な筈のソファーにて、言語野は混濁、身体は動かすのが億劫になるほど緊張。
包み込む違和感を緩和するのに必死な彼の目の前には、今、正に問題となっている一人の少女が座っていた。
「んぅー! この『ココア』って飲み物凄く美味しいですっ、気に入りました!」
「………そりゃ良かったよ」
御客人には、取り敢えず飲み物を。
叔父の失踪と共に神城家の作法と化したお持て成し、曖昧な意識のまま差し出したココアの味に、黒髪を揺らしながら大満足といった笑顔を咲かせる御客人。
興奮が幾分か落ち着いたのは良かったものの、まだ大きな問題点が残されたままだった。
「これ、どこで手に入れたんですか?」
「………いや、普通にスーパー………だけど」
「なんと! スーパーにこんな美味しいものが売っていたのですか!? 新しい発見です!」
「………ココアを新しい発見って、どこ出身だよ………」
本腰を入れるタイミングを探りながら雑談を広げつつ、彼女の一気飲みが終わるのを待つ。
数秒後、飲み終えて口元にココア色の髭を拵えたその時を見計らい、満を持して本題に切り込んでいく。
「………確か………桜、って言ったよな?」
「はいっ、桜ですっ!」
敬礼しながら元気良く返事をする桜に、ずっと聞きたかった素朴な疑問を投げかけた。
「………何でお前は俺の家に居た?」
リビングの窓やキッチンの勝手口、庭に出るためのガラス戸等々、この家の侵入経路は気を張り巡らせなくとも容易に見付けることが出来る。
独り暮らしの一軒家は空き巣にとって願ってもないターゲット、それを踏まえ、家を出る際には欠かさずに戸締まりを行っている。無論、今日も例外ではない。
なのに、この少女は何食わぬ顔で神城家に侵入し、この家の家主である達也にボディプレスを食らわせるほどの余裕を見せ付けてきた。目的も何も分かったものではない、このまま何も聞かずに返す訳にはいかなかった。
達也の脳内で危険分子と見なされていることなど知り得ない桜は、キョトンとした表情で達也を見詰め返し、その表情のまま平然と、とんでもないことを打ち明けてきた。
「ーーーーー何言ってるんですか、先程までずっと一緒でしたよ?」
「………………へ?」
一体この少女は何を言っているのだろう。
嫌な音が響き始める、爆発しそうな思考回路を辛うじて静め、引きつった笑みを彼女に向ける。
「………ず、ずっと、一緒?」
「はい! 貴方が私に話しかけてきたので、これは良いチャンスかと思って」
「は、話しかけてきたって、今日が初対面な筈なんだが………」
狼狽しながらも何とか話を進めると、桜はぷくっ、と頬を膨らませ不機嫌そうに彼を睨み付けた。
「忘れるなんて、酷いですっ。私を家に入れないようにしたり、追いかけたりしたくせに!」
「………………」
ぷんぷんと膨れっ面を見せ、わざとらしく怒りを表現する彼女を数秒眺めた達也は、溜まりに溜まった思いの丈を脳内で余すことなくぶちまける。
ーーーーやっぱ、こいつが何言ってるか分からねぇっ!!
言語は日本語の筈なのに、どうしても理解出来ないこの状況。若干の怒りと焦りを感じつつも、達也は冷静に頭を働かせるーーーーが、それよりも圧倒的に速く働く達也の『武器』が、虫の知らせを感じさせていた。
「むぅ、まだ信じてもらえませんか………ならばっ!」
やにわに短いスカートの中をまさぐり、そこから一本のベルトを取り出す。その途端、スカートの中からもう一本、ベルトのような"長細いもの"が飛び出してきた。
黒色の毛に覆われた"細長いもの"は、まるで蛇のように、意思を持った生き物のように、ゆらゆらと揺れている。
初めて見る筈のそれに、達也は鋭い既視感を感じていた。最近、それどころか、数十分前にもこれを見ていたようなーーーー
「え………は………?」
「ふふん、まだまだです………よっと!」
そう言って、頭に着けていた猫耳ニット帽をさっと勢いよく、外す。
そこから現れたものはーーーー
「………ね、猫耳………」
髪色と全く同じ黒色の、ふさふさで愛らしい"猫の耳"。
それを見た瞬間、達也の中の既視感が形となって脳裏に浮かんでくる。
腰にはゆるゆらと黒い何かが蠢いて。
既に猫耳があるというのに猫耳のニット帽を被っていて。
既に対面しているものーーーーと、言えば。
達也のその予感が正しければ、桜はとてつもない『力』を有していることになってしまう。
「………もしかして、お前って………?」
震える声など気にせずに、意を決してこの質問を投げ掛ける。
達也の言わんとしていることを察したのか、桜は満面の笑みを浮かべながら先を取り次いだ。
「はい!あの『黒猫』、あれが私、桜なのです!」
刹那、達也の体に強い衝撃が駆け巡る。
自身に都合が悪いことにのみ、鋭く冴え渡ってしまう『勘』。助けられてきた面も多々あるが、今回ばかりは恨まざるを得なかった。
『変身』
動物等から人間、または人間から動物等に変化し、姿を意のままに変えることのできる力。現実離れの今やゲームやネット等のフィクションの世界では欠かせない程、人気を博している力でもある。
そんな質量保存の法則を完全に無視したこの現象が現実世界で、よりによってこの眼前で起きている。
声も出せず、ただただ目を見開き驚く達也を、桜は悪戯っ子の様に目を細め、にやにやと見詰めだした。
「あれだけ見せたのに、まだ信じ切れない、と………ふふふ、大丈夫です! そうくると思って、まだ証拠を残してました!」
桜はニット帽を再びかぶり直し、ゆっくりとソファーの上に立ち上がる。
何事だと不審がる達也の前で、目を閉じながら手を胸の前で組み、それっきり動かなくなってしまった。
沈黙に包まれたリビングでじっと待つこと10秒、ボンッという爆発音と共に、桜は輝く"桜色の粒子"に包まれる。もくもくと上がる煙の中から現れたのは、見覚えのある一匹の黒猫だった。
黒のブレザーと猫耳つきの白色ニット帽、綺麗な緋色に染まる愛くるしい小さな目、その姿は正しく………さっきの黒猫だった
「………ま、マジなんだな………」
茫然とした様に呟く達也を見た黒猫は、満足気に「みゃあ」と一鳴き。もう一度煙を発生させて、元の少女の姿に戻り、にっこりと優しい微笑みを浮かべた。
「信じてもらえたみたいですね」
「………ああ、充分過ぎるほどにな………」
「ホントですか? 一つの疑いもなく?」
「ああ、信じたともさ………認めたくはないけどな」
「そうですか、それなら良かったです!」
「全然良くないんですけれども!?」
痛くなり始めた頭を押さえながら、意気消沈といったように溜め息を吐いた。
ファンタジー等々の"フィクション"の知識に乏しい彼にとって、この現実は些か辛いものがある。耐性がない分、彼の脳回路は甚大な損傷を受けていた。
「………さて、そろそろ本題に移りましょうか」
今まで笑顔を絶やさなかった桜の表情が一変する。
真剣な眼差しで達也を見捉えるその姿は、これから話す事の重大さを物語っていた。
「単刀直入に言います、神城達也様。この世界、地球に住むこれ以上にない危機を背負った全人類を救うため、私にそのお力を貸してくれませんか?」
一点の曇りの無い、真っ直ぐな瞳を向けてくる。冗談を言っているようには見えないその姿に、達也は思わずたじろいでしまう。
もし、自分ではない他の誰かがこんなことを問われたら、どんな反応を見せるのだろうか。
世界を救うまたとない好機に胸を踊らせるのか、自分には不可能だと回避の道を辿るのか。
少なくとも、達也は後者であった。
「何故全人類が危機をせおっていると分かる、何か証拠でもあんのか?」
達也がそう問うと、彼女は悔恨に溢れた瞳を隠すように閉じる。
「………証拠は、ありません。ですが、確信ならあります。このままいけばこの日本、いえ、この世界に住む全人類は、絶滅の道を辿ります」
「確信で信じろと?」
「言うなれば、私の確信が………証拠です」
「そうか………なら、悪いけど、他を当たってくれ」
この頭で冷静に考え、感情を圧し殺して出した答え。
それは桜の想いを見放すことに等しい。しかし、今の自分にはそれを信じている余裕はなかった。
銷魂の念に駆られている桜と、諦めようとしない自分の良心を納得させるため、せめてもの慈悲だと考えながら語りかける。
「提示できてる証拠も確証も無ければ、突拍子もない。大体、全人類が滅びるような大事を、俺が解決できるとも思わない。こればっかりは、俺にはどうすることも出来ねぇよ」
これで良い、達也は痛む良心を現実的な理性で抑えつけながら、立ち上がる。
………だいたい、全人類が滅ぶようなこと、"ただの人間"には解決しようがないのだ。それこそ桜のような超生命体や、強化された人並外れた者等が適任であろう。彼女が存在するということは、そういった輩がいないとは限らないのだからーーーー
顔を伏せて悲しみに暮れる桜をできるだけ見ないようにしながら、空いた二つのコップを持ち上げた。
「………お前の正体は他言しねぇ。親、心配させる前に早く帰れ」
桜に一声かけるが、顔を上げようとはしなかった。こうなっては仕方ない、達也はコップを片付けるために桜に背を向け、台所に向かって歩を進めた。
ーーーー刹那、
「………神城佳祐」
達也の歩みが止まる。
耳に良く馴染んだその響きは、達也が探し求めている『あの』人物の名だった。
「………な、何で、何でその名を………」
声の主、桜はゆっくりと立ち上がり、鋭く冴えた瞳で真っ直ぐ達也を見詰める。
その瞳は正しく、手段を選ばず獲物を狩る、『獣』のそれであった。
「三年前、突如として姿を消した貴方の叔父、神城佳祐。私は彼の行方を知っています」
「っ!?」
達也の表情が、驚愕に歪む。
「………脅すつもりは無かったのですが、何しろ人類の生死が懸かっているんです………手段を選んではいれません」
性に合わないのか、桜は顔をしかめ不機嫌さを表情に出す。しかし、達哉にとってこの脅しは最大級のチャンスでしかなかった。
今まで必死に探してきた手掛かりが、掴めそうな程近くにある。この好機をやすやす手放す程、彼は臆病ではなかった。
「この情報と引き換えです。それでも飲まないのならば、実力行使を………」
「俺は、佳祐叔父さんを見つけるためなら何でもする。三年前に、そう決めた」
物騒なことを言い出した桜を食い気味に抑え、自分自信を諭しながらゆっくりと穏やかに、想いを吐き出していく。
「そして、やっと見つけた。恐らく最初で最後の大きな手掛かり………逃げるわけにはいかねぇ」
桜はただ達也の言葉に耳を傾け、じっと、見詰めている。
平凡な日常を捨てる覚悟を決めた達也は、不適に微笑み、自らの右手を桜に差し出した。
「………契約成立だ、佳祐叔父さんを救うためならしょうがねぇ、序でに世界も救ってやるよ」
自信満々に言い切るその姿を見た桜は、優しく人々を照らす太陽のように眩しい笑顔を浮かべると、差し出された大きな右手を、その小さな右手で迎えた。
「これから宜しくお願いします、『ご主人』!!」
次回予告
桜と共に戦うことを決めた達也、そんな彼の生活の一部分を公開!学校で出会った新たな友と、彼に立ちはだかる大きな壁!?