Episode-33.喧嘩の場所は選びましょう
日が傾き始め、空を橙黄色に染まっていこうとも、夏は夏。
厳しい暑さは尚も残り続け、白色の肌を持つ者は褐色へ、褐色の肌を持つ者は濃褐色へ、と、一日最後の日の目に出る人々の肌をゆっくりと焼いていく。
知恵の進化では最先端を行く人間の皮膚を意図も容易く焦がし、痛覚を司る神経を剥き出た日焼けの痛みときたらーーーーその日の風呂場では間違いなく『地獄』を見ることになるだろう。
時に人は、そんな灼熱の御天道様の洗礼を"日サロ"、もとい"日焼けサロン"等という人工的なものまで用いて自らに課すのだから、
人間という生き物は果たして本当に賢い種族なのか、同種族の身ながら分からなくなることが無きにしもあらず。
ーーーー否。
そもそも、自分より他の生物のことなど分からなくてなんぼの物。
ましては頭脳が同等、又はそれ以上の同種族、"人間"の考えることは分からなくて当然であろう。
そう、当然、当たり前。だから気に負う必要なんて無い。
「………………」
「………………っ」
ーーーー自分を散歩に誘っておきながら、一言も喋らず隣を歩くだけの獣神の考えなど、解るわけが無いのだから。
達也の十八番の言葉となった『どうしてこうなった』が、頭の中に何重にも積み重なり。
本命の掛けたい言葉だけが無駄に右往左往し、口から出て行かない。
どうして避けていたのか、なんで口を利いてくれなくなったのか、自分の何処が悪かったのか。
聞きたいことは山程あるというのに、言おうとすれば理性のブレーキが掛かって反射的に口を閉じてしまう。会話の"か"の字にも辿り着けていない。
ーーーー全くもって、情けない。どうして人間の仕組みはこうも面倒臭く出来ているのか。
こうなってしまえば、もう直接的に切り出す事は不可能と断言できるだろう。
少なくとも、脳が"突拍子もない"ことだと認識している内は良い結果は望めない。
ならば、ここは全く関係ない、それでいて無難な話題から入り話を広げていくべきかーーーーーいや、夕食までと制限を付けてしまった手前、あんまり遅くなると、全員揃って食べることを義務付けている神城家のルールに獣神達が反発してしまうかもしれない。
待ち望み、待ち焦がれた手を伸ばせば届く距離、それなのに肝心の後もう一歩をこんなにも遠く感じてしまっているなんてーーーー
欲に負けないように感情を縛ってきた筈が、今度は欲を出せずに苦しんでいるなんて、何とも面白い皮肉。
我ながら、惚れ惚れとする。
「………い、いやぁ、それにしても久し振りだなぁ」
沈黙の空気を破った達也の声に、桜は小さく体を震わせた。
快活に、唐突に、不自然に放たれた言葉。それに一番驚いたのは、他でもない達也自身であった。
「い、いや、最近はずっとドタバタしてたからな。お前とこうして歩くのも、随分と前のことみたいに感じちまって………気付いたらこの二日、なんの張り合いもない時間の中で過ごしてた」
お陰で、課題も少しーーーーいや、それどころか全く、進んでいない。
そんな軽口は、黙って俯きながら聞いてくれている桜には差し出がましいものだろう。
付け焼き刃でも、笑いのセンスが壊滅的なものでも、ジョークは笑って聞いてほしいものなのだから。
「お前はお前で何かを抱えてるんだろうが、こっちだって………例外じゃない、つーか………」
思考だけが先走り、上手く言葉が出ない。二日ぶりの面と向かって話せる機会をみすみす見逃したくは無かったが、
話したいときこそ、空回り。ノープランで特攻したツケが思いの外早く戻ってくる。
「だから………話して欲しい、というよりはもっと俺を頼って欲しい。そうやって俯くお前は見たくない、もっと………その………」
彼女が唸るような言葉が見当たらないまま、焦れったさと、自らに感じた不甲斐なさか入り交じり、押し潰されそうになるーーーーー
そんな達也の手に、ふと小さな圧力が掛かった。
痛くも痒くもなく、それでいて温かい、小さな力。
強く握れば壊れてしまいそうな温もりの先にあったのは、これまた小さい、"少女"の手。
「………さ、桜、急にどうした?」
「………すいません、ご主人のお気持ちは嬉しいのですが。少しの間だけで良いので、何も言わずこうしていてくれませんか………?」
なんの前触れもなく達也の手を取った桜は、俯き、真っ赤に染まった顔を空いたもう片方の手でひた隠しながら懇願する。
無論、久方ぶりに感じる彼女の手の感覚を手放したくなかった達也は、その申し出を二つ返事で受け、真っ直ぐ前へと向き直る。
そして改めて、手に伝わる桜の温もりを感じ取った。
スベスベとしていて餅のように柔らかい小振りな彼女の手。
照れくささからか、温かさを通り越して熱く煮えたぎるその手は、荒れ狂う大河のような血の巡りを感じさせる。
そして何よりも驚いたのは、柔らかい手の内に存在する、何度も潰れて固くなった"血豆"の痕だった。
ただ握っただけでも分かる、明らかに硬質化した皮膚。
自身の相棒、"龍聖"を振り始めて数ヶ月。
その鍛練の中、初めて血豆を作った程度の充実感で満足していた自分が恥ずかしくなるような、堅く厚い圧力が、達也の手を力強く押し返す。
アニマを持つ獣神の体による自然治癒力を持ってして尚もこの手。きっと何千、何万回では足らない素振りを経て、ここまでに至っているのだろう。
「………っ、たく………」
今までに数回握った筈のこの小さな手に、計り知れない努力が刻まれていたなんて。
彼女の手を握った、又は握られた状況が死地ばかりだったとはいえ、何とも情けない話だ。
同時に、とても腹が立つ。
以前まで、隣で歩くこの偉大な師を『怠け者ならぬ、怠け猫』とからかっていた自分とーーーー
ーーーーその努力を『ひた隠してきた』、桜に。
「………ふんぬっ」
「ひゃわぁっ!」
繋いだ手のひらを流れるように外し、空いた手で放つ、少々柔らかめの"ヘッドロック"。弟子の突然の奇行に、師は可愛らしい悲鳴を上げた。
少し前の桜であれば、尻尾をピンと突き立て若干嬉しそうに怒鳴るのだが、今はただ小さく唸って腕から逃れようとするばかり。
手を使って腕を退けようともがき、重心を変える為に様々なステップを試みて足をバタつかせているが、どれも決定打にはならなかった。
それでも諦めず抜け出そうと暴れ回るため、逆に痺れを切らしてしまった達也が彼女の"額"に、鋭い一撃をお見舞いする。
「………せいっ」
「ぴゃぁっ!!」
ーーーーデコピン。
お仕置きと若干の苛立ちを込めた一撃が、パシッと気味の良い音を奏でて直撃する。
疑い様が無い、我ながら素晴らしいクリーンヒット。
それと同時に怒りを最高潮にさせた桜がついに覚醒し、眉をつり上げながら反撃を仕掛けてきた。
「ーーーーーな、何をするんですかっ!? 何がしたいんですかっ!? 何でヘッドロックとデコピンのコンボなんですかっ!?」
「嘘をつくお前に、会心ならぬ改心の一撃を喰らわせてやりたかった。ちなみに反省はしていないが、後悔もしてない」
「どっちもしないとは随分と斬新ですねぇ!? せめて反省だけはしておいてくださいよぉっ!」
「まぁまぁ、少し落ち着けって。ほら、ガム食べるか?」
「あ、はい、ありがとうございます………………って、これ猫達の苦手な"ミント"味じゃないですかぁ!!」
「はははっ、そうだっけか、悪い悪い」
「ちゃんと反省してくださいっ!! 後、そういう悪戯、ネギでは絶対にやらないで下さいね!? 最悪死んじゃいますからね!?」
「それは、やれという、フリか?」
「んな訳ないでしょうがぁっ!!」
すっかり自分を取り戻し、がなり立てつつ授けてやったガムをヘッドロックされたまま、此方の顔目掛けて巧みに投げ返してくる桜。
半端でない勢いで飛んでくるガムを空いた片手で受け止めつつ、暴れ狂う彼女を見詰める。
そうしているだけで、不思議と楽しくなっていく自分がいた。
心を満たす温かさが胸の許容を焼き焦がすほどに沸き上がる『嬉しさ』が、とても心地好くて仕方がない。
………いや、決して怒鳴られたから、とか、そんなドM的なことでは決してなく。
今まで徹底的に避けてきた自分に対して、これほどまでの距離が近い(?)対応を見せてくれたから、歯止めの効かない嬉しさが達也の体を暴れまわっているのだ。
ああ、気持ち良い、この何とも言えない心地好さ。
この感覚は、幼少期。
当時欲しかった"仮面ライダーの変身ベルト"の為に、父親にねだってねだってねだりまくって、ようやく買って貰えることになった時。
近所のデパートに鼻唄混じりの上機嫌で向かっていった時の感覚にすこぶる似ている。
欲しくて欲しくて堪らなかったモノが間近に迫った時のあの高揚は、いつ味わっても素晴らしいものーーーー
「………はぁ、もういいですよ………」
「なんだなんだ、もう降参か?」
「………そうですそうです、私をこんな雑な扱いにしてしまう悪いご主人とは、もう絶交ですから」
「ーーーーっぅ!?」
思いきり振りかぶって殴られたかのような、鈍い衝撃が突如として胸に走る。
一体全体、何が起きたのか。
殴られた? それとも、蹴られた? はたまた、馬鹿犬の悪戯に巻き込まれたのか?
戸惑いから生まれ出た心の葛藤に対する達也の答えは全てーーーー"NO"、である。
今ここの住宅街路地を歩いているのは、達也と桜の他に見当たらず。狗太が狙撃したという線も、発砲音が無かった事と一軒家が連なる住宅街の立地条件からして考えにくい。
ましてや、体から血やら血を模したアニマの粒子が出ている訳でもないから、外傷なんて単純なものではないのだろう。
理由はーーーー恐らく。
桜が放った言葉、『二度と喋らない』絶好宣言がもたらした言葉の暴力。
そうだ、すっかり忘れていた。
あの時の、玩具の件の衝撃的だったオチ。
浮かれながら玩具売り場に到着した当時の自分を待っていた、待望の変身ベルト。
それが置かれていた商品説明プレートの上に乱雑に貼り付けられた『売り切れ』、の無慈悲な四文字を見て。
あまりのショックにその場で泣き崩れた"悲しみ"を、
再入荷した変身ベルトを買い直したその日までずっと引きずっていた"胸の痛み"を、今ハッキリと思い出す。
それと同時に、これから先の言葉の重要性も悟った。
手に入れたかったものが離れていく、その痛みは計り知れないもの。
考えなくては、また同じことの繰り返しだと、本能が珍しくも大声で叫んでいた。
「………おいおい、それはないだろ? 俺達は一緒に獣神達を倒さない通さないといけない身なんだから。協力は不可欠な筈だ」
「………ふむぅ、それは一理ありますね。なら致し方ありません、戦うときだけは協力しましょうか」
「っぅ………そ、そんなんじゃ付け焼き刃になるというか………ほらっ、完璧な連携が出来なくなるだろ? そういうのは日々の生活から積み重なっていくものであって………」
「………ご主人は一体、何が言いたいんですか」
桜はぷくっと頬を膨らませ、不信感を募らせた瞳で此方を睨み付けてくる。
今まで主導権を握り余裕そうにしていた達也が"絶好"の二文字を聞いた途端、言葉を詰まらせて冷や汗をかきながら迫ってくるのだから、その反応も無理はない。
自分でも分かるぐらいに"焦っている"。
されど、何に対して"焦っている"のか、分からない。
自分でも分からないことを、どうやって相手に伝えれば良いのだろうか。
「………何って、そりゃ………あれだ、あれ………」
「ーーーーっ、もうっ! あればっかりじゃ分からないからはっきりと言ってくださいっ、何が言いたいんですかっ!? 何が望みなんですかっ!?」
焦らされていると勘違いしたのか、顔を真っ赤にしながら怒鳴り付ける。
先程から感じていた親近感も一入ながら、流石に怒鳴られ続けるのも気分は良くない。
頭の片隅に巣食い始めた、黒い闇の感情を抑え込もうとするーーーーが、しかし。
「ぐっ、それは………俺にも分からない………」
「なんでですかっ!? 言えないんですかっ!? 協力は不可欠な筈の相手に隠し事ですかっ!?」
彼女が落ち着く様子はなくーーーードス黒い感情が、二割。
「………い、いや、本当に分からないんだ。自分でも、全く」
「はいぃ!? 自分でも分からないってどういうことですか! 一体何がどうなったらそうなるんですかっ!!」
額に若干の青筋が浮かび始めーーーー四割、五割弱。
「………ちょっと落ち着けって、そんなに怒鳴って言わなくても良いだろうが。ここは住宅街だぞ」
「まーたそうやって話を逸らそうとするっ! ホント懲りませんよねご主人はっ! 逃げようったって、今回ばかりはそう上手くいきませんからねっ!!」
「………い、言いがかりだっ、逸らそうとな」
「じゃあ早く言ってくださいよぉ! ほらっ、早く早くっ、ほーらっ!!」
ーーーー七割、八割、九割。
溜まる、溜まる、溜まっていく。
我慢のし過ぎは体に良くない、とはよく言ったもので、いい加減、握る拳にも、抑える心にも限界が近付いてきた。
これ以上溜め込んだら"爆発"してしまうかもしれない。
そう思った矢先、慈悲もなく、桜から『止めの一撃』がーーーー
「どうしたんですか、早く言ってくださいよぉ! "女の子に弱い"、ご主人様ぁ!!」
ーーーーブツッ、と。
頭の中で、何かが千切れるような、そんな音がした。
今までの自分を支えてきてくれた『何か』。
唐突に現れた獣神達によって最近はお休みだったその『何か』がーーーー
「ーーーー誰が女に弱いじゃコラァっ!!」
ーーーー完全に、ぶちギレた。
「黙って聞いてりゃぐちぐちと! 誰がいつどこで女に弱いところを見せたっつーんだ!!」
柄にもなく顔を真っ赤にさせながら、我を忘れていきり立つ。
今まで強気な態度に出ていた桜も、初めて見る剣幕に押し込まれそうになるが、早くも調子を取り戻して反撃を押っ始めた。
「………何を寝惚けたことを言ってるんですかっ! 女たらしのご主人のことですからそんなもの、沢山ありますよ!!」
「じゃあ言ってみろよ! その沢山とやらの証拠を俺に見せてみろよ!!」
「例えば…………ほ、ほらっ、あれです、あれ!!」
「おいおいおい! "あれ"だけじゃ分からないって最初に言ったのはお前だろ!? 言い出しっぺがちゃんと答えられないのか!?」
「ぐぅっ、え、えーと………………マミ姉達と戦っていた時に、危険な状況だったのにも関わらず、マミ姉に見惚れていた事とか!」
「み、見惚れてたんじゃねぇ!! あん時はただアイツの生き様に感動していたというか………」
「………狗太兄達と出会った時だって、ご主人は美兎姉と戦おうとしなかったじゃないですか! あれは女の子が苦手だったからじゃないんですか!?」
「あん時はお前が『二手に別れよう』って言ったんじゃねぇか! そもそも戦う相手だってあの馬鹿犬が限定してきただろ!!」
「ご主人が"女の子苦手オーラ"を出してるから、狗太兄に同情されたんじゃないんですか!?」
「なんだそのオーラ!? そんなもんあったとしても、俺は絶対に出してねぇからな! 絶対だからな!!」
「無意識に出てるんですよ!! 楓さん曰く『女の子の涙に弱い』ご主人は無意識に滲み出ちゃうんですよ!!」
「がぁっ! ………あ、あんの腹黒め、言いふらしやがったなぁ!!」
「あー! 楓さんのこと腹黒って言ったー!! 後で絶対言い付けますからね、この口悪ご主人!!」
「自分のことは棚に上げるつもりか! この性悪猫め!!」
辺りが住宅街だということを忘れ、互いにヒートアップする二人。
最早この散歩の『意味』は頭から綺麗に抜け落ち、ただ感情を吐き出し合う事だけに重きを置いていた。
「だいたい、ご主人は女の子と接し過ぎなんです! 両隣に美人の幼馴染みがいるとか、超絶美少女と同居なんて、本来は絶対にあり得ないことなんですからね!? その状況をどれだけの男の人が望んでいることか!!」
「その知識はどっから持ってきた!? てか知らねぇよそんなん! 全部流れと勢いがそうさせたんだよ! 俺はなんも悪くない!!」
「そんな甘いこと言ってるから、この前のお買い物の時みたいに見知らぬ女子学生に逆ナンパされるんですよ! もっとご自分の"魅力"というものを知ってくださいこの天然女たらし!!」
「誰が女たらしだよこの野郎!! 自分の容姿の魅力なんか知ったことじゃねぇよ! てかお前もそん時見知らぬ男子学生に声かけられてたじゃねぇか! お前もお前で少しは気を使ったらどうなんだ!?」
「いいえ! それなりに凛々しいご主人が!!」
「いいや! それなりに顔立ちが良い桜が!!」
謗言なのか、はたまた賛辞なのか。いまいち判別のつかない言葉の応酬が、両者の間で繰り広げられる。
余りの大喧嘩つぷりに、街道に面するベランダから何事だと様子を伺う者や、わざわざ玄関まで出てきて喧嘩をニヤニヤと眺める者まで現れる。
それでも尚喧嘩を止めようとしない男女を、遠い十字路の影からひっそりと見詰める、三つの影。
怪しく視線を送るその瞳に、うっすらと煌めく"涙の粒"が浮かぶ、大、中、小の影はーーーーー
「ーーーーーく、くくっ。や、やっぱり尾行して正解だったなぁ………ぶふっ!」
「………そ、それなりに、て! それなりに、て! くははっ!!」
『………ま、マミ姉、狗太………くふっ………そ、そんなに笑っちゃ可哀想だって………』
ーーーーー実に不純な理由で涙を流しながら、マミ、ウル、狗太が尾行していたことなんて。
もっと言えば、余りにも怪しすぎた三人組が警察から職務質問されそうになっていたことなんて。
今の達也と桜には、知る由もなかった。




