Episode-30.理不尽な暴力店長
遅くなってしまい、申し訳ありませんでした
上からは、全身を刺すようにさんさんと降り注ぐ、日の光が。
下からは、焼け付く住宅街のコンクリートから照り返す、熱気が。
道行く人々の体と心を挟み撃ち、流れ出る汗と共に容赦なくやる気と体力を抜き去っていく。
八月に入ってから初めての三十五度超えを観測し、気象状況で言うところの『猛暑日』である今日。
ニュースでは、空調管理を怠ったお年寄りや部の活動に励みすぎた学生達が搬送される様子を報道し、視聴者達に熱中症への対策を呼び掛けている、そんな中。
あまりの暑さに歩行者が減る街道を、長身の少年、神城達也が覚束ない足取りで歩いていた。
「………何だって、今日はこんなにあちぃんだ………」
"先日の大事件"と"今日の局所的"な暑さの相互作用が精神的にも身体的にも疲れを誘い、彼を憂鬱と怠惰の塊へと変化ーーーー否、退化させてしてしまったためか。
住宅街を行く人々から『ふらふらと歩くのっぽの不審者』と思われて。
青白い顔と腫れ物を見るような目をその一身に向けられようと、彼は何も感じず、何も傷付かず、ただただ歩いていくばかり。
よろめく達也には、それよりも怒りをぶつけるべき対象が、はっきりくっきりと見えていたーーーー
「………くそっ、あの暴力店長めぇ………いきなり電話かけてきやがったと思ったら、『今すぐ来い、さもなきゃシフト入ってる時にひたすら殴る』………だとぉ………?」
達也のバイト先のレストラン、"ゼーレ"の店長、御劔沙希。
前日の大事件、もとい、"獣神姉妹大戦争"を終えてまだ4日しか経っていない、今日この頃に。
本来ならば休暇であり、だらだら過ごす予定だった、今日この頃に。
"店"が予想以上に込み合ってるから人手が足りない、と、その時点で断るに断れない理由なのにも関わらず、暴力を盾にした強引すぎる手口で召集されてしまった。
一度、すっぱりと断ち切るようにして断ってしまったのがいけないとはいえ、何とも理不尽な暴力の応酬。
"力は誰かを傷つけるためではなく、誰かを守るためにある"、などという名言チックな言い回しも、図太い彼女の二十数年間の人生の前では、なんの効力も持たなかった。
「………黙ってれば淑やかにーーーー見えなくもなくなくないのに、これだから女ってのは分かんねぇ………」
幸い、身の回りに"残念な少女"が沢山居るお陰で、この程度のトラブルなど最早"慣れっこ"の部類に入ってはいるのだがーーーー今回は少しばかり、ケースが違う。
アルバイトたる、自分以外の"他者"への責任が伴ってしまう、初めての『職場』という環境。
しかも、達也が主に持つ少ない交友が同年代ばかりなのに対し、相手は自分より身分が上の『年上』。
御劔店長がどれだけむかっ腹を立たせる名人だろうと、悪戯を好むような迷人だろうと、敬い、持ち上げ、従わなければいけない。
ましてや、三年もの間、強引に絡んでくる幼馴染み達以外、不必要な"他人への関わり"を絶ち続けてきた達也にとって、年上への対処の仕方などは正に雲を掴むような話。
無知は罪、言い訳はただ空しいだけ、なのか。辿々しい抵抗も甲斐はなく、彼女のストレス解消の捌け口と、難しく厳しい労働の宿命を、まんまと課せられてしまった。
「はぁ………いっそこうなったらバックレて拳骨覚悟………いや、いっそバイト先を変えるとか」
『………聞いてはいたけど、暑いとホントにネガティブになるんだね………ちょっと可愛い、かも………』
人がネガティブな言葉を紡いでいる真っ最中。
聞こえてくる方向がつかめない、それどころか、脳内へ直接響いてくるような、機械のように無機質な声が聞こえてくる。
いつ聞いても慣れない彼女の会話術に、多少の驚きを孕んだため息を吐き出し、後ろ髪を弄りながら振り返った。
相変わらずのお見事な音の密着感には、心底恐れ入ってしまう。巷で人気の"VR"にも負けず劣らずのハイクオリティだ。
「………ウル、家で待ってろって言ったよなーーーーって、おい」
『………な、なぁに?』
振り向いた達也の視線を浴びて、アホ毛が目立つポーカーフェイスな獣神少女、ウルが戸惑うようにたじろぐ。
上には、ビーチで着るようなビキニ調の白トップスを、キャミソールやらTシャツ等で隠す気配すら見せずに着付け。下には、太股すらも十分に隠れないショートパンツをこれ見よがしに穿きこなす。
白い肌が八割方、達也の視線と同じぐらい鋭いお天道様の光に晒される"水着"宜しい格好で、微塵の恥じらいもないウルが、そこに佇んでいた。
「なぁに、じゃねぇよ。お前、なんつう格好で外に出て来てんだ」
『………ぇ、えと………』
もじもじと指を合わせる仕草で、ようやくその頬を赤く染めるウル。
常人、特に女性には考えられない服装をしておきながら、恥じらうタイミングがどうにも可笑しかった。
ーーーー海水浴帰りのイケイケギャルか、破廉恥な。
『………忘れ物、届けるためだったから。時短のために、部屋着のまま出掛けただけ、だよ………?』
「お前の部屋着が露出度高いのは、この二日で分かったつもりでいる。けど、外行きの服くらいはもう少し抑えてもいいんじゃねぇか?」
『………布の面積が低い方が、脱ぎ着が面倒じゃなくて………楽だし、好みなの。それに、何も可笑しいことはない………誰かに見られて困るような体、してないから………』
「確かにな、『梟』の獣神にしては意外と引き締まってるし、出るところはそれなりにーーーーって、なんつー事言わせんだ!」
後先考えずポロリと溢れた達也の本音を、己の肉体への賛称と取ったのか、相変わらずの無表情で勝ち誇ったように胸を張るウル。
何ともシュールな表情のまま張られるその胸は、決してマミのように巨大という訳ではないが、"形"だけは申し分無く優れていて男心を擽りーーーー何とも言えない、言いたくない。
今着ているトップスが下着的なのも相まり、達也のウルへの評価が"微乳"から『美乳』へと、微妙な高評価へのランクアップを遂げていた。
『………えっへん。達也からの言葉を胸に、私の体はより良くなっていくのだー………』
「く、くそっ、調子に乗りやがって………それで俺に勝ったつもりか!」
『………いや、チョロすぎて、あんまり手応えを感じなかったのが、本音………』
「ぐぅっ、ほ、本音が胸に滲みる………ん?」
他愛もない一方的なお喋りの途中。
辺りに着信音らしきメロディが、なんの前触れもなく響き渡る。クラシックカバーの聞き慣れた電子メロディを聞く限り、どうやら自分の携帯が鳴っているらしい。
しかし、どうしたことか。ポケットを上から押さえてみても、肩に背負うリュックをまさぐってみても、携帯の姿形どころか影すらも見付からない。
「………どこに入れたんだよ、出発前の俺………」
探している間も常に焦燥感を奏で続ける着信音。
感情を失った筈の達也も、思わず苛立ちを込めた舌打ちをするまでに追い詰められたーーーーその時。
『………ほいっ………』
「………………ぁ? あ、あぁ」
彼の目の前に、色白い小さな両手が差し出されるように突き出してくる。
この日差しの中でも焼ける気配を見せない、白雪を思わせるすべすべの肌。最早改まって驚くまでもなく、それはウルの両手以外の何物でもなかったのだが。
その先にある問題こそが、彼女の手にちょこんと乗っている四角い"電子機器"の中に、全て、現代テクノロジーと一緒にところ狭しと詰まっていた。
「………なるほど、忘れ物ってのはそいつだったのか」
彼女の掌の上で細かく振動している四角い電子機器ーーーーもとい、"スマートフォン"の存在を視認し、達也はホッと安堵の息を漏らす。
ちゃんと持ってきたつもりでいても、結局何処かに置いてきてしまっているのが、携帯電話及びその他小型製品の悲しい性。
今回ばかりはウルに助けられたが、準備は出来ても確認はずぼらな自分のこと。気を付けないと、本気で消失事件に発展しかねない。
『………ホッとするのもいいけど、早く取らないと………切れちゃうかもしれないよ………?』
「………そうだな。ありがとう、ウル」
忘れた携帯電話を素直に受け取り、せめてものお礼にと、アホ毛が飛び出る彼女の頭を優しく撫で付ける。
初めて対面した時に、撫でてやってからお気に入りだという達也の手の感触を存分に味わい、無表情の顔を柔らかく綻ばせ、
『………達也………やっぱり、優しくてーーーー好き。届けにきて………良かった………』
「ーーーーッ!」
何とも嬉しい言葉を、まるで天使のような笑顔で言い放つ。
普段からポーカーフェイスに努める彼女の笑顔は、見計らったかのように鋭く緩急が効いていて。
最近の恋愛要素の一つ、"ギャップ萌え"なるものを簡単に引き出し、達也の顔にほんのりと紅潮をもたらした。
「い、いきなりなんだよ………」
人に慕われるというのは、いつ味わってもむず痒いものであり。
一番慕っている人は、と問われたら、真っ先に達也の名を上げるであろう、桜。
そんな彼女と対峙する時とは一味、二味も違う、ウルがもたらす余韻は凄まじい。
風に靡くウルのアホ毛のように達也の心が、揺れる、揺れるーーーー
「………くっ!」
全てを捨てて、心地よさに浸ってしまいたい衝動が体を駆け巡るが、辛うじて彼女に背中を向け、スマートフォンのスクリーンを叩くようにして通話ボタンを押す。
こんなところを察しの早いウルに見られたら、たちまちからかわれ、また桜やマミに言い触らされてしまう。
それだけを避けたいその一心で、達也はスマホに耳を宛がった。
「も、もしもーーーー」
「ちょっと神城ぉ!? アンタ今どこほっつき歩いてんの!?」
話し始めた瞬間、矢継ぎ早に繰り出された叫声が達也の耳をつんざく。
反射的に離したスピーカーの先には、恐らく、とんでもない怒りの形相を浮かべた神………否、"鬼"が待ち受けているのだろう。
そう考えたらーーーー今すぐにでも来た道を引き返し、家に篭ってエアコンガンガンの廃人ライフを思う存分満喫したくなってしまう。
「………ちょっと忘れ物して、一度家に取りに帰ってました。今向かっている途中なんで、もう少し待ってください」
「電話したの三十分前だよねぇ!? バス通いだってのは知ってるけど、忘れ物したにしたって片道十五分ぐらいで着くじゃんか! この猫の手も借りたい非常時に、なにのんびりしてんのさぁ!?」
痛い所を突かれ、思わず押し黙ってしまう達也。
口調はいつもの店長なのだが、声色は完全に『ぶちギレ』のそれ。電話だということを忘れて叫ぶ彼女の声を聞けば、誰でも彼女の心労と怒りを悟ることが出来るだろう。
今更早く行ったとしても拳骨二発ーーーー否、三発は確定。休日の身で呼ばれたのにも関わらず、なんとも理不尽な扱いだが、それが御劔店長が暴力店長たる由縁。こればっかりは諦めるより他はない。
ならばどうするか。当然、残っている手札を切るしかない。
最後に残った手札ーーーー下手をすれば自らを窮地に追い込む、されどこの場面に一番有効な切り札を。
「………すいません、お詫びに、道端で拾った"猫の手"を持ってくんで。それで一つ、手打ちにしてくれませんか?」
「………猫の、手?」
達也が拳骨を受けなくて済む、たった一つの方法。
人手が足りないというのなら、直ぐにでも思い付くたった一つの方法。
携帯を固く握りしめ、熱く視線を送る先にいた、今だ嬉しそうに顔を緩ませている"少女"こそがーーーー
ーーーーこの窮地から抜け出す、『鍵』となる。




