Episode-20.地獄の幕は開く. ー前ー
元々は一話の予定だったものが、長さの都合上、急遽二話へ
よって話の繋ぎ目が少し乱暴ですが、ご了承ください
かさかさと鳴る、寂寥感を含んだ落ち葉の音を響かせながら歩いていく。
相も変わらず背の高い、高齢樹から漏れる夏の強い日差し。達也はうんざりと溜め息をついた。
「………しっかし、あっついなぁ………こんな日はエアコンが効いた部屋でのんびりと課題を………」
「ご主人、その台詞は何度も聞きましたよ。暑さで壊れかけの脳がとうとう壊れてしまいましたか? 鬱陶しいので止めてください」
そう言って、桜は食べていた"クッキー"をさも不機嫌そうに口に放り込む。
彼女曰く、憂鬱な時には甘いもの、らしい。
「………なんか最近ずっとイライラしてんな。嫌なことでもあったか?」
「あむっ………すみません、猫は暑いのも寒いのも苦手なんです。特に夏場はずっとイライラしてます」
「それでその毒舌か、今日のは特に酷かったな………って、壊れかけの頭ってどういうことだよ」
「と、とにかく、先を急ぎましょうか」
すたすたと逃げるように道なき道を行く彼女。と、彼女に負けじと問い詰めながら早足で追っていく達也。
この荒れ狂った獣道を転ぶ気配すら見せず早歩くその姿はまさしく、人間とは一味違う獣神のポテンシャルを物語っていた。
「壊れかけ? 壊れかけとは一体どういう意味で言ったんだ? おい、答えろ、答えるんだ桜」
「そ、そんなこと言いましたかねぇ、ちょっと記憶に無いです」
「都合の悪いことは記憶から全消去か、都合の良い奴めっ!」
「んもぅ、しつこいですよご主人! しつこい男は嫌われますよぉっ!!」
「今それ全く関係ねぇだろ………」
はしゃぎはしゃぎ、高い草の葉を掻き分けながら追い掛けっこを始める二人。
走りづらい道のせいか、始めて間もない段階で既に息を切らしだす桜。夏が苦手とはいえ、獣神の彼女にしては幾らなんでも早過ぎる。
体調でも、悪いのだろうか。
「はぁっ、はぁっ、あ、暑い………」
「暑いって………木陰でそんな心配ないだろうに。でも、辛いなら無理すんなよ。転ぶぞ?」
「こ、この程度の道で転ぶほど甘くはないですっ、それに追い掛けてきてるのはご主人じゃないですかっ!」
「………お前が暴言吐くからだっての!」
「これから行くところを分かってるんですかっ!? 遊んでいる場合じゃ無いんですよっ!?」
勿論、分かっていない筈がなかった。
あの地獄のGWを乗り越えて、言うなれば生死に関わる修羅場を潜り抜けた。
獣神の末っ子であの強さ、それを思うと、今回の夏休みはーーー
文字通り痛いほど、痛むほど、分かっていた。
「ふぅっ、ち、沈黙したままっ、真顔で追い掛けてこないで下さいっ、犯罪臭が凄いですよっ!」
唐突な突っ込み。考えながらの"ツケ"が回ったようだった。
「………じゃあこうしよう、お前は足を止める。俺はお前を捕まえてお仕置きをする。これでどうだ?」
「私にとって良いことが全くありませんけど!?」
「当然だ、罪は重い」
「そ、そこまでの大罪を犯した覚えはないですよぉっ!!」
どちらも譲る気は更々なく、予定よりも遥かに早いペースで"目的地"に進んできていた。しかし、とうとう達也の息も切れ、額から汗が垂れ始める。
業を煮やした達也が意地を緩めようと言葉を考えたその一時、足元に向けていた視線をふと、改めて前に向き直した時だった。
桜の小さな体がーーー"宙"に、舞っていた。
大空へ飛び立つ鳥のように、優雅に、躍動感を秘め、宙を泳ぐかのように舞っていた。
ただ。
それは桜自身が望んだことではなく、けれども達也のせいでもなく、かといって二人以外の第三者の手が絡んだせいでもなかった。
桜の足元、正確には桜が"元"居た足元を良く見れば、地面と同化し見づらくなった"木の根"が顔を出していた。つまり、このフライ・アウェイはこれにつまづいて起きた現象。これなら会話に夢中になりすぎた彼女にも非がある、言い訳は出来るだろう。
そんなことを考え終わった頃には、桜の体は既に地に落ち、数メートル転がり終わっていた後。立ち上がりもせず屈辱を隠すように横たわっていた。
「………ほら言った。転ぶぞ、って。素直に止まっときゃ良かったな」
「………い、今更言っても後の祭りですよぉ………」
転びぶつけた跡が痛いのか、震える声でか弱く抗議する。
手を差し伸べ、泥だらけの桜を助け起こす。彼女の黒いブレザーに茶色い泥がついてしまった。存外、チョコレートを溢して服に付けてしまったように、見えなくもない。
猫チョコ。
「大変、美味しそうです」
「………ひっ!」
食人鬼ならぬ"食獣鬼"の登場と勘違いした桜が、自分の体を抱き締めながら後退る。そして、
「私は食べても美味しくないですよぉ!!」
と、お決まりの一言。
ついつい、チョコレートを溢した彼女の前で言葉まで溢してしまった。ツケその二、である。
「わりぃ、桜が突然服チョコレート付けるから、つい」
「これは泥ですっ!………ああ、一着しかないお気に入りなのに………」
体を叩き、泥と一緒に肩も深く落とす桜。気合いを入れるための勝負服、と自分で言っていただけあって、その落胆ぶりは尋常なものではない。耳は力無く垂れ、尻尾は綺麗な垂直を顕わしていた。
「………ぐすっ、ご主人のせいで、桜が汚されてしまいました………」
「その言い方は誤解を生むからやめろ。てかお前が勝手にコケたんだろ
が」
「ご主人が追い掛けてくるからですよぅ! 私ただ悪口言っただけなのにぃ!!」
「悪口言ったって、自覚はあるんだな」
「ぅ、うぅ~………」
とうとう、えぐえぐと、しゃくり上げて泣きだしてしまった。今日もまたこの少女、情緒が不安定である。
しかし理由がどうであれ、女に泣かれてしまうと罪悪感を感じてしまうのが男の性。それが少女であれば尚のこと、ましては達也の相手は桜であった。
「………っ、いちいち泣くなって………ほらっ、あんだけ派手に転んだのに、ニット帽は無事じゃねぇか」
桜を落ち着かせるための最良の手段、"頭を撫でる"ための口実を作ろうともう一つのお気に入り、ニット帽について触れていく。
どう頑張っても露出してしまう彼女の猫耳を隠す、最適のニット帽。耳と尻尾だけを消す変身が成功したら、このお気に入りは身から外してしまうのだろうか。
「ぶ、無事でしたっ、か………身を呈して守った甲斐がありました………」
「お前にとっては、ブレザーよりニット帽か………」
確かに、執拗に頭を守って転がっていたようなーーーー
ブレザーは助からないと踏んでの行動。
やはりこの"猫娘"、頭は切れるようである。
「"猫娘"については、まぁ触れないでおいて………確かにブレザーは助からない、というのもありました。けど、これは私にとって特別な、大切なものだから………」
涙を拭って息を整え終わった桜が、反動を気にしながら静かに語り出す。顔はまだ、さんらんぼのように赤みを帯びていた。
「へぇ、特別な理由、か………………お前さっき俺の心読まなかったかっ!?」
「これは、佳祐さんから貰った物なんです」
さらっと人の心を読み、さらっと人の心を無視する。したたかにも程が過ぎている彼女、侮ることは、出来ない。
「ある日、『桜が人の姿でも伸び伸びと暮らせるように』って笑いながら、佳祐さんこれを差し出したんです。目の下に隈を作って、利き手の中指に編み物ダコまで作ってーーーー私にこれをくれたんですよ。本当に、叔父と甥、揃いも揃って良い人過ぎますね」
「………ははっ、佳祐叔父さんらしいな。あの人のことだから、仕事の合間とかも上手く使って編んだんだろうなぁ。あのズボラにしちゃあ完成度が高すぎるっての」
そのニット帽の上から、先程の謝罪も含めて暖かく撫で付ける。
途端、垂れた耳と尻尾が元気良く上を向いた。
「ですよねっ、私の愛らしさが際立つというか、何ともおしゃれな逸品です!」
センチメンタルな空気を、撫でられた気の昂りによって即座に台無しにする猫。猫は空気が読める、などという話を良く耳にするが、この時に限ってはそう思えなかった。
「ほいほい、憎らしい程の愛らしさですよっと」
「なっ!? そんな適当に流さないで下さいよ!! まさか私の魅力が伝わっていないとでも言うんですかぁ!?」
「お前は時々キャラがぶれるな。恥ずかしがるのか、調子に乗るのかはっきりしてくれ」
「むぅ、そうやって話を逸らそうとしてぇ………私にイタズラしたくてしょうがないくせにぃ」
「この森はマタタビが自生してるのか、それとも転んで頭を打ってたのか? どっちにしろ頭が壊れたのはお前の方だろ」
「人気の無い所に連れ込んでおいてよく言いましゅねぇ………ちなみに、事前に用意しておいたマタタビをしょうりょー、頂いてましたぁ………」
「………あのクッキーか………」
そんなことはどうでも良いんです、と頬を赤らめながら近づいてくる桜。
彼女の早い息切れも、彼女の情緒が定まらなかったのも、彼女の顔が赤いのも、今ーーー高揚している彼女が妖艶で可愛らしく見えてしまうのもーーー、全てはマタタビ入りクッキーの、せい。
「あ………ごひゅじんってば、お顔が赤ぁ~い………もしかしてぇ、私に、惚れちゃいました、かぁ………?」
アルコール、否、マタタビが回ってしまったらしい。呂律は崩れ、目は焦点が定まらず、足取りは千鳥足で覚束ない。完全に酔っぱらいが出来上がってしまっていた。
明らかに成人していないその少女の姿で酔っぱらわれると、なんとも不思議な違和感だけがその場に残ってしまう。
「………お、おい、それって本当に少量か………? ってか、これから獣神と戦うってのに、酔ってどうすんだよっ!?」
「むにゅう………ごひゅじん、ちゅめたいれふよぉ………もぅしゅべて投げ出して、私と二人きりで暮らしまひょうっ!」
とんでもない放棄宣言を掲げたのち、力強く達也を抱き締める。制御を効かせず思い切り抱き締めているらしく、達也の背骨がミリミリと悲鳴をあげていた。
「っ、痛っ………っおい、いい加減に………」
「………いい加減にしゅれば、良いんれふか? いい加減にしゅれば、ごひゅじんは桜と………良いことしてくれるんれふか?」
そう言って抱き締める強さを弱める桜。
「い、良いことって………別にしやしねぇよ………」
「………しないんれふか?」
「そんなことしてる場合じゃないだろ。ほらっ、正気を戻せ」
「………そんなに、私に魅力がないれふか………?」
顔を上げ、達也を見上げる。今にも溢れそうな涙目での上目遣い。
「………手を出したく無いほど、私に魅力が無いれふか………?」
「………いや、魅力は………」
十分、それどころか十二分に、ある。
そんなことをうっかり言ってしまえば、静まりかけた桜がまた調子に乗ってしまう。言いかけた口をつぐみ、そっぽを向いての対処を試みる。
「なら、いいれひょうっ………私と一緒に、気持ちよくぅ………」
「さ、さっきから何を言ってるんだ、お前はっ! 落ち着けって!」
「………うぅ、いつ、か、絶対に………そ、の気に………」
桜の腕の力が弱まり、彼女の体が重くなる。
抱き止めて見れば、気絶したように眠る彼女の姿。どうやら、"寝上戸"だったらしい、以外にも。
「………てっきり、笑い上戸辺りだと………」
あの場合は甘え上戸、誘惑上戸とやらの新しい名称が付きそうな気がする。彼女にマタタビは与えない方が得策、なのかも知れなかった。
「とりあえず、ちょっと休憩してから行くか………」
次回予告
マタタビの酔いによる、ラッキーハプニングもそこそこに、道中を進んでいく。
そこに待ち受けていた者、それこそが、彼らを血塗れの地獄へ誘う"刺客"だった




