Episode-15.慈愛の兎は"この手"に疎い
この世界、地球に存在する休日、"GW"。
その日の終わり、狗太は獣神以外の者に初めて勝負を挑み、獣神以外の者に初めて敗北を期した。
勝負は一瞬、決着は相手のたった"一振り"で決まってしまった。自分が使った小細工でも妙技でもない、純粋な"一振り"によって。
だからこそ、狗太は分からなかった。
何故、自分が負けたのか………
自分に何が足りなかったのか………
「………はっはは、終わったことだってのに、なんでここまで引き摺ってんスかねぇ………」
溢れた言葉がこの部屋に跳ね返り、また自分に突き刺さる。
初めての景色、初めての感覚、初めての思いーーーー
どれもこれも新鮮で、面白いが、どれもこれも屈辱的で、狗太を苦しめるツールとしては充分すぎる程だった。
「狗太、ここにいたんだ」
苦しむ心を浄化するように響く、深く澄んだ優しい声。
それは狗太の背後から聞こえてくるものだったが、振り向かずとも彼には分かる。何年も共に過ごした彼女の声、聞き間違うことは万に一つも無いだろう。
「………美兎、なんでここにいるって分かったんスか?」
桜が建てた小さな"小屋"。その中の一つの椅子に、狗太はもたれ掛かるようにして座っていた。
何故負けた相手の仮拠点に訪れたのか、それは狗太自身も分かりかねている。
ただ、ここに来れば、あの敗北の理由が分かるような気がした。自分に無くて、"彼"にあったものが、分かるような気がしたのだ。
「匂い、だよ。狗太の匂いから痕跡を追って、場所と今の心境を割り出したーーーーってとこかな?」
「それなら、放っておくって選択肢もあったんじゃないっスか?」
「本当にそうして欲しいとは、思ってなさそうだったからね」
「………毎度毎度、何で分かるスかねぇ………」
「………分かるよ、狗太のことなら、何でも」
美兎はそう言って歩み寄り、狗太を後ろから優しく抱き締める。
女の子特有の甘い香りが、狗太の鼻孔をくすぐった。
「獣神………狗太や桜ちゃんは特にそう。そのプライドを器にして、何でもかんでも一人で抱え込んじゃう。悩みも、苦しみも、痛みも………でも、そういう時のために、ボクがいるんだよ?」
左手で狗太の体を強く抱き、空いた右手で頭を優しく撫でる。
彼に余すことなく慈愛を注ぐ美兎の姿は、さながら、我が子を愛でる母親のようであった。
「全部一人で、なんて寂しいよ………ボク達は『二人で一人』、一番最初の、"あの時"にそう言ったのは狗太でしょ?」
彼女の優しさに触れ、体が、心が満たされてーーーー
ーーーー今なら、誰にだって勝てそうな気がする。
そこまで考えて、顔に自然と笑みが浮かび始めた。
「………はっはは、俺達の敗因が、まさかまさかこんなことだったなんて………こりゃあ、一本取られたっスねぇ~」
美兎の左手に自身の右手を重ねて軽快に笑う狗太を見て、彼女はさも不機嫌そうに唇を尖らせる。
「………気付いて貰えたのは良かったけど、"こんなこと"って言い方はなんか嫌だよ………あれ、結構大胆な宣言だと思うんだけどなぁ」
「それはそれ、これはこれっスよ。だいたい、オレ達は人であり、人でないようなもんっスからねぇ~」
すっかり自分を取り戻した狗太、そんな彼を呆れたように、認めるように見詰め、にっこりと微笑んだ。
「………本当、狗太は口達者だね。口下手なボクからしたら羨ましいよ」
「それを踏まえての"二人で一人"っス。オレはこの口と銃で、美兎はその慎重さと武術で………お互いがお互いの隙を埋め合うことが出来るんスよ」
「だからこそ、ボク達は一緒にいなきゃ駄目なんだよ。だからもう勝手にいなくならないでね? 探すの、結構大変だったんだから」
「………善処するっス」
共に支え合い、共に高め合い、共に笑い合う、大事な関係。
それは他のどの獣神よりも深く広いものだった。
「………さて、今までより仲が深まったのは良しとして………これからの話っス。オレはこれから、嫌ではあるけど"とある所"に行こうと思ってるんスけど………勿論、美兎もついてきてくれるっスよね?」
無論、美兎の答えは分かっている。ここで断るほど、美兎はマイペースでは無かった。
「当たり前だよ、親愛なる『きょうだい』の頼み、ついて行かない訳ないじゃない!」
「………………」
抱き締めていた手を解放し、自身の胸をとんっ、と叩く美兎。
………頼りになるにはなるのだが、やはり彼女が認識する"狗太"は、あくまでも『きょうだい』、他の獣神と何ら変わりがない括り。
今回も無駄だとは、無駄だとは思うけれど、胸に飛び込む"この"感情が現れた時用の、ルーチンワークを行う。
「美兎、俺のことはーーーー好きっスか?」
聞かれた本人はキョトンと首を傾げたかと思うと、やはり恥じらいのない、満天の笑顔で答えを返した。
「うんっ、当たり前じゃない、大切な家族なんだから!」
赤面すらせず、至って平静に言いのけた美兎。
そのまま上機嫌に足取り軽く入り口まで向かうと、無邪気な子供のような笑顔を満面に咲かせて見せた。
「行く場所は分かってる、行くなら早く行こうよ! 桜ちゃんがボク達を待ってるよ!」
対立時の緊迫した状態ではない"彼女"に会えるからか、体中に喜びを滲ませる。
余りにも気の抜けた笑顔に、狗太はため息を吐かずにはいられなかった。
「………いくら戦いが終わったからって、気を抜き過ぎじゃないっスかねぇ………オレ達一応『追放』って形になってるんスよ?」
「それが良いんじゃない、もう"あの人"の命令を受けないで、自分達の道を突き進める。むしろ独り立ちには遅いくらいだと思うけど?」
臆病なのに、好奇心旺盛。
無邪気に新しいものを求めるその姿は、昔から全く変わっていなかった。
「………はっはは、美兎のギャップには毎度毎度驚かされるっスよ。臆病なのか、勇敢なのか、どっちか分かんないっス」
「それはそれ、これはこれでしょ? 先に外出てるねっ」
鼻唄混じりに入口から出ていく美兎。
そんな彼女の楽しそうな後ろ姿を見送った後、狗太は曖昧な笑みを作り、ふっ、と息を漏らした。
「………『きょうだい』、っスか………」
ーーーー狗太のことなら、"何でも分かる"ーーーー
………嘘だ。彼女はまだ知らない、否、まだ"知らないまま"だった。
「………少なくとも、俺の"本心"にはーーーーまだ気づいてないっスから………」
口に出すと、彼女の壁の高さに改めて憂鬱となってしまいそうになる。
計り知れない程遠い希望を掴むため、こんなところで立ち止まってはいられない。
「桜がうらやま………じゃなくて、頑張らないとっスねぇ、こればっかりは………」
狗太は椅子から徐に立ち上がり、心身共に新たな一歩を踏み出した。
ーーーーーーーーーーーー
桜の花もすっかり消え去り、夏の始まりを告げる新緑の鮮やかな葉が、この住宅街を彩っていた。
その高級住宅街に建つ神城家。
少年と少女の二人だけが住むには大きすぎるこの家に忍び込み、中を探索していた狗太と美兎。
生みの親の"甥"の家というだけあり、興味津々と辺りを見て回る狗太と美兎。そんな中、とある光景が二人の目に飛び込んできた。
「………なんスか、これは」
「………道理で反応が無いわけだね………」
呆然と立ち尽くし、目の前のソファベッドを見下ろす二人。
そこにはお互いに寄り添って眠る、達哉と桜の微笑ましい姿があった。
達也の腕に無理矢理しがみついて眠る桜を見る限り、これは彼女の"強行突破"によって起こった光景なのだろう。
桜の性格上、あり得なくはない可能性だった。
「全く、オレらを倒したからって早速平和ボケっスか………まだまだ脅威は残ってるってのに、気楽なもんスねぇ………」
額を押さえて呆れる狗太の隣で、美兎はまたまた聖母のような優しい笑みを称えていた。
「でも、見てると微笑ましくなるね。まだ一ヶ月ちょっとなのに、もうこんなに仲良くなったんだ」
そう言いながら、ちょんちょんと桜の頬を突つく。
桜はくすぐったそうに身を捩ると、腕だけでは飽きたらず胴体にまで手を回し、彼の体全体を抱き枕にしてしまった。
「………むにゅぅ………ご主人、あと五分………あと十分、寝かせて下さぃ………」
「ふふっ、可愛いなぁ………やっぱり桜ちゃんは最強に可愛いよねぇ!
可愛いは正義でもあり、罪でもあるってことを具体例として表しているかのような………そんな可愛さを感じちゃうよねぇっ!」
「………なんて答えたら良いか分かんねぇっス」
確かに桜は可愛いが、ここまで熱く語られると返答に困る。
"桜LOVE"な美兎に桜の相手を任せてしまったからか、以前よりも熱が入っているような気がした。
「よし、決めた!ボク達、ここに住まわせてもらおう!」
「っぅ!?………がはっ、ごほっ!!」
彼女の突拍子もない発言に、唾液が気道に入り込んでしまった。
苦しく何度も咳き込んだ後、荒く呼吸を整えて精一杯に反論の船をこぎ始めた。
「な、なんでそうなるんスか!?オレはただ、二対二の再戦を申し込もうと………」
「なんでまた愛しの桜ちゃんと戦わなきゃいけないの!? っていうか、もう戦う必要のない相手にリベンジしようとするなんて、往生際が悪すぎるよ!」
「だってあんな負け方納得いかないっス! 丁度攻略方も見つかったんだし、こればっかりは譲れないっス!!」
「うるさいうるさいっ、ボクの大事な桜ちゃんは絶対に誰にも傷付けさせないからっ! 勝手に一人でやっててよ!!」
「一人で戦い!? 言葉の意味が成り立たないし、斬新すぎるでしょその考え!」
「全くもう! どこまで重度な戦闘バカなの、狗太はっ!!」
「重度のシスコンに言われたくないっスよぉっ!!」
互いに愛するものがせめぎ合い、一歩も引かず譲らない。
水掛け論が空回り、"争う場所を考えられなくなり"、声にこもる熱が収まり切らなくなったーーーーその時だった。
「………テメェら、人ん家で何してやがる………」
不機嫌に不機嫌を重ね、あらゆる負の感情をごちゃ混ぜにしたような、酷く低く、重い声が部屋中を支配する。
人を殺せそうな程の声の重圧に、二人はぶるりと体を震わせた。
振り向いてしまったら、とてつもなく不機嫌な、とんでもない『悪魔』を目撃することになるのだろう。そう思うと、後ろ振り向くことが非常に躊躇われてしまった。
「は、はっははー、いやー、都会の広大さに迷いに迷って、ついつい見知らぬ所に迷い込んでしまったっスねぇ………そ、そろそろおいとまさせて貰うとしましょうかね………」
「そ、そうだね………は、はははー………」
身の危険を野性の第六感で感じ取り、そさくさとリビングから逃げ出そうとする二人の頭を、悪魔はがっしりと鷲掴んだ。
「………さぁてと、不法侵入した躾のなってない二匹には………」
体の自由を凄まじい力でもぎ取ったその悪魔………達也、心底不機嫌そうに、忌々しく呟いた。
「………お仕置きだ」
「「ぎ、ぎぃにゃああああああああああぁっ!!」」
鳴り響く狗太と美兎の悲鳴を聞き、眠い目を擦りながら起き上がった桜。
現在進行形で行われる拷問のような"お仕置き"を目の当たりにし、なんとも冷静に一言。
「………あー、ご主人、寝起きは良くない方ですからねぇ。他人に起こされると尚更………」
寝惚け眼の桜の一言は二人の心に深く染み通り、今後の教訓となったという。
次回予告
訴訟も辞さない不法侵入を被った達也、狗太と美兎へのお仕置きもそこそこに、礼儀を知らない獣神達に問い詰めていく………
次回も閲覧宜しくお願い致します




