第一幕 居酒屋シュチエーション編
少し話を聞いてはくれないだろうか? 別に時間は取らせない。 これは俺がとある街の、とある繁華街で出会った珍妙な体験談だ。 その日、残業で遅くなった俺は気晴らしに夜の街に行くことにした。 一人で夜の街に行ったのだ。 まぁ、することと言えば概ねわかるかと思うが、要するに仕事の息抜きだ。 イキ、ヌキ……
とも言うかもしれない。 さっそく案内所に入った俺は、一風変わったサービスをしてくれる風俗がある事を案内所の男に教えてもらった。 少し普通の風俗に飽きていた俺はさっそくそこへ向かうことにした。 今思えばその判断が大きな間違いだったのだが、あの時の俺は自分自身の好奇心と性欲を抑えることが出来なかった。 俺はネオン街を掻い潜り、快楽へと誘う地下の階段を降りていった。 扉を開けると別世界…… 俺はついに噂の風俗店に来たのだ。
「いらっしゃいませ。クラブ下位部‘Nにようこそ!」
黒服の男たちに歓迎されると俺は、カウンターにいる店員に声をかけた。
「すいません、ここ初めてで…… ここのシステムは?」
その男は壁に貼ってあるメニューを指し、三種類のコースを提案した。
「コースは居酒屋シュチエーション、アブノーマルシュチエーション、ツンデレシュチエーションの三種類が御座います。 時間は全て60分で1万円。 延長15分毎に3千円の追加料金が発生いたします」
なるほど、シュチエーションプレイという訳か…… 料金的には他の風俗と大して変わらない。
一風変わった、というのはプレイの選択肢のことなのだろう。 仕事終わりで何も食べてこなかった俺は居酒屋シュチエーションを選ぶことにした。 まぁ大体の想像はつく。 おそらくパンシャブこと、ノーパンしゃぶしゃぶ的なことをやるのだろう。 食事も兼ねて丁度よかった。
「居酒屋でお願いします」
「かしこまりました。 当店は回文制となっております。 女の子は回文しか話しません。 ではお客様、回文プレイをお楽しみ下さい…」
回文制……? なんだか少し聞きなれないことを言われた気がしたが…… 回文とは、上から読んでも下から読んでも同じ文章になるという文のことだろうか?
いや、意味がわからない。 きっと聞き間違いだ。 多分〝会員制〟と言ったのを聞き間違えたのだろう。
「こちらへどうぞ」の声とともに待ち時間もなく、すんなりと俺は奥の部屋へと案内された。 俺はどんな可愛い女の子に相手をしてもらえるのだろうかと期待に胸とアレを膨らませていた。
だが、残念なことに居酒屋シュチエーションの「 魔のザンギの銀座の間」に入った俺を待ち受けていたのは可愛い女の子ではなく、一人の汚いオッサンだった。
「あのう、女の子は?」
「女の子の軟男……」
「は?」
「女の子の軟男!」
「いや、男でしょ? 見るからに汚いオッサン、略して汚ッサンでしょ?」
「女の子のナン男…… おんなのこのなんお!」
「2回言っても可愛くないし。 それ自称だろ? 自称女の子とか最悪だよ、詐欺だろ」
俺の心は既に打ち砕かれていた。 だってそうだろう? 出てきたのが女の子でない上に汚いオッサンだったのだ。 期待を大きく裏切られ、俺の胸もアレも萎えに萎えまくっている。 それはもう不況続きの日本経済並みに萎えまくっている。 しかもなんだか汚いのだ。 オッサン×汚い、だ。 これは負の上乗せに他ならない。 きっと性欲のデフレスパイラルとはこのことを言うのだろう。 だが、おかげ様で変に悶々とした興奮を抱かずに済んだ俺は冷静な思考を取り戻せていた。 そしてあることに気がついたのだ。 それはこの汚いオッサンは間違いなく〝回文〟を言っているという事だ。 ここから先は全ての会話文を回文で返してくる、この珍妙な生物の言葉にルビを振って話すとしよう。
「その…… 体中になんか、白いの塗ってない? ナニそれ……?」
「タイツに軟骨こんなについた♪」
「き、気持ち悪い……」
「ベタベタの食べ食べ♪」
イヤだ、嫌すぎる。 タイツ着たオッサンの足にむしゃぶりつくなんて想像しただけで吐き気がする。 しかも太ももに乗ってる大きな白い物体は何だろう? 俺の目線が太ももへと行くと、オッサンはそれに気が付いて指を差した。
「ふーとーもーもートーフ♪」
オエェェッ キモい! キモすぎる! 汚ッサンは体中に多種多様の白いものを塗ったくっていた。 食品からそれ以外のものまでゴチャゴチャに混ざっており、ものすごい気持ち悪さと悪臭を放ちながら満面の笑みを浮かべている。
こんな生き物がこの地球上に存在していいものか! 俺はたまらず口元を押さえた。 吐しゃ物を撒き散らす寸前だったが、それから大きく深呼吸をすると妙に頭が冴えてきた。
状況を少し整理しよう。 俺は風俗店に入った。 そこで会話の全てを回文(上から読んでも下から読んでも同じになる文)で返してくる気持ち悪い生物に遭遇した。 その生物の特徴はとにかく気持ち悪い、の一言に尽きる。 容姿は40代後半のオッサンであり、毛むくじゃらな体に得体の知れない白いものを塗りたくっている。 先程の会話の中で一つは軟骨、おそらく居酒屋に定番の鳥の軟骨であること。 そしてもう一つ、これも居酒屋のメニューによくある湯豆腐であることは判明した。 それ以外を突き止める気はまったく起こらなかったが、一つだけ気がついたことがある。 軟男という名前はナンコツ男の略称かもしれないということだ。 だとしたらどんな源氏名だ。 いや、源氏名以前にこれは妖怪だろ? 妖怪ねちょねちょおじさんだろ?
「ベトベトの飛べ飛べ!」
「キッタねぇ! なんか飛ばして来た! 最悪だよコイツ……」
「では~おくちぃ ビィチクを~歯で」
俺の乳首を狙う発言に貞操の危機を感じた俺は慌ててドアの方へと走った。 俺の体がベトついている。 ナニコレ? 白くてすっごいベトベトしてる…… あ、なんか臭い! アレでないことを祈るばかりだ。 妖怪ブッカケじいさんの猛攻を必死で避けながら、ようやくドアノブをつかむことに成功した。
「もう帰らせてもらう!」
ドアを開けて逃げだしながら、情けない捨てゼリフを放った俺に「んもー!いーもん!」と、妖怪回文おじさんからブリっ子する女のような声が返ってきた。
そして妖怪ぬちょりひょんは、そのトーンを一気に翻し、素のおっさんの声で黒服の店員を呼び寄せる。
「うぃー お客さんお会計ーっす!」
そこは回文じゃねぇのかよ、と俺は心の中でツッコミを入れた。 間もなく黒服の店員が現れ、俺はレジまで通された。 黒服の店員という名の妖怪使いは何食わぬ顔でレジを打ち、金額を提示する。
「お会計一万円になります」
高けぇ…… あんな不快な見世物を見せられて1万円は高すぎるだろ。 財布の一万円札を手に取った俺は無駄な時間と金を使ってしまったことに、深く後悔のため息を吐いた。 会計を終わらせた俺は、階段を昇ってネオン街から逃げるように家へと帰った――
どうやら帰る途中で俺は下らない回文を思いついてしまったようだ。 最後にこれだけ聞いて欲しい。
「諭吉消ゆ……」
おあとがよろしいようで