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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
97/176

95:グランギニョールに終幕を

 どざーん!と勢いよく水中に叩き込まれ、オーリは青灰色の目をまん丸くしながらボコボコボコとあぶくを洩らした。


 両頬をハムスターのように膨らませ、じたばたと必死で身動きする。

 水中で平泳ぎに挑戦するかの如く不格好にもがく姿は相当に間抜けなものだったが、ややあって何とか上下を修正することができた。


(あー、びっくりした)


 厄介な『根』の群れがうねる水上に、すぐ上がるのは気が進まない。

 器用に胡座をかいて腕を組み、ようやく一息ついた(勿論しっかり息は止めているが)彼女は渋い顔で水面を見上げる。


(クチバシは水上で『根』に捕まるのが見えたから、私を追ってはこられそうにない。いや、それより……『サイジェス』って、あの男だったのか)


 まこと、悪縁ほど切れぬとはまさにこのことか。

 逆立った短い頭髪に、顎に見える傷痕。ちらりと見えたあれは確かに、幾度とまみえ憎悪を受けた、あの野盗の姿だった。


 最早戦線離脱も当然なほどの痛手を受け、叶うならば二度と会いたくないと思っていたあの男が、事ここに至って最後の戦場で障壁として立ち塞がるなどと、一体どんな不埒な運命の悪戯か。

 尤も先程、恨み骨髄に徹しているはずのオーリの姿に何の反応も見せなかったあたり、その精神は既に遺跡機能に呑み込まれているのかも知れないが。


(幸い、こちらの損傷は軽微。戦闘の続行は可能だろうけど、さてどう出るか……)


 強か打ち付けられたはずの腹と胸を、彼女はそろそろと探ってみる。

 骨が砕けていてもおかしくないような攻撃を食らったにも拘わらず、そこには常と変わらないしっかりした骨肉の感触もあれば、水に溶け出る血の赤も見えない。


 ――恐らくこれの仕業だろう、と、オーリは懐から懐中時計を取り出した。


 それは、一人制御室に向かうと決まった際、ラトニが渡してきたものだ。

 先だって二人――とアリアナ――がジドゥリの巣に行った時、そこで見つけた木台の懐中時計。

 完全に停止していたはずのその針は、今、十時半を大きく回っていた。


(攻撃された瞬間、時計が熱くなったような気がしたんだけど、やっぱり錯覚じゃなかった。これは時間を測るためのものじゃなくて、防御の魔術具だったんだ。効果はダメージ吸収か、それとも中和か。恐らく針が十二時を回った時が、この時計が防御の機能を失う時)


 ラトニがその効果に気付いたのは、単独で移動していた時か、それともノヴァとの戦闘中か。

 どちらにせよこれが無ければ、今頃自分と相棒の双方が小さくない怪我を負っていたのだろうと察して、オーリは無言でこの魔術具に感謝した。


 ――とは言え、これを当てにしてばかりもいられない。無茶がきくのは精々あと一回か二回か、魔術具の効果が切れれば最後、最早守ってくれるものは何もない。

 時間を経るごとに、『根』の攻撃の強力さと正確性は上がっているように感じられた。もしや力を振るうことで、操作台の人間と遺跡との接続が強化されつつあるのだろうか。


(魔術師でもない『サイジェス』と、遺跡との意志伝達を仲立ちしてるのは黒石だ。黒石に触れさえすれば、干渉力は正式な所有者である私の方が上だってノヴァさんが言ってたな。

 とにかく、まずは接近すること。何とかして『サイジェス』と遺跡の接続を切らないと、こちらが制御権を握れない。ああくそ、やっぱり正面突破しか思いつかないなぁ……)


 未だに良い打開策は浮かんでこないが、こちらは時間制限がある以上、あまり悠長にもしていられない。

 加えて息も苦しくなってきたので、オーリはそろそろ水上に出ようと動き出した。

 身を翻して上昇する間際、何となく下方に目をやって――


「――――――……っ!!!?」


 目を剥いた彼女の喉奥で、引きつるような声が洩れた。


 どこまで続いているのかも分からない、深い深いプールの真ん中に、直径三メートルミル程度の高い高い円柱。

 天辺に操作台が載っているのであろうその柱に、ぐるぐると太い樹の根が巻き付いて。

 幾重にも絡みつく根は、その一部に何かを巻き込んでいた。


 ――人間だ。

 ぴくりとも動かないそれに気付いて、一気に吐き気が込み上げてくる。


 眠るように目を閉じている者がいた。

 恐怖に目を見開いたまま凍りついている者がいた。

 片足が千切れかけている者がいた。

 両腕がない者がいた。

 大きく腹を抉られている者がいた。

 全身に小さな穴が空いている者がいた。

 首をおかしな角度に捻っている者がいた。


 恐らく、ここを根城にしていた野盗たちだろう。

 青年期から壮年期の男ばかりが、合計八人。その誰もが血の気のない顔で、そうしてどう見ても生きているとは思えない姿で、まるで自身すら蛍火樹の一部であるかのようにその身を半ば太い根に埋め、溶け込むように一体化していた。


 ぞくり、とオーリに震えが走る。

 八つの骸に背中を向け、彼女は全力で水面目掛けて水を蹴った。


 水中に叩き込まれた自分を、彼らと同じように『根』が捕らえなかった理由は分からない。

 ただ弔うことも出来ない骸の存在に奥歯を噛み締めて、オーリは一直線にその静かな墓場から逃げ出していった。


「――――ぶはぁっ!」


 久し振りの水上へと顔を出し、満ち溢れる空気に咳き込むようにして盛大に呼吸を繰り返す。

 同時に、周囲の状況をいち早く確認。垂れ下がっていた蔦を掴んで上方へと駆け上がり、そのまま『根』に捕まって暴れていたクチバシを回収して、手足を使ってバランスを取りながら駆け抜ける。


 直後、ごうっ!と音を立てて『根』が迫った。慌てて飛び越えたオーリの足下を抜けて壁を殴り付けたそれの後を埋めるように、バキバキと形成された木偶人形が群れになって立ち塞がる。

 それを認めて舌打ち一つ。回避は不可能と判断して、彼女は即座に思考を切り替えた。


「――『全力で飛ばすよ』クチバシ! しっかり付いて来い!」


 一声吼えて、オーリはぐんっと速度を上げた。

 木偶人形の間をすり抜け、操作台目掛けて突進。その足下から、槍のように勢い良く『根』が突き上げた。接触の瞬間に『根』の先端を蹴り上げ、身を捻って着地した壁を更に駆け登っていく。


 ガンガンガンガンガンッ!

 鎚でも叩き付けているかのような足音は、『根』の追撃から逃れて天井へ移動する。

 天井を這う『根』から逆さに生まれ始めた木偶人形目掛け、オーリは迷うことなく突っ込んだ。上半身まで生え出した木偶人形の両肩をがしりと両手でわし掴み、虚空に身を投げ出す勢いのまま力一杯捻り切る。


 完成を待たずに上半身だけがもげ落ちた木偶人形を抱え、オーリの体は呆気なく落下していった。

 着地点を探そうと巡らせた視線が、鞭のように暴れる『根』を捉える。一瞬の判断で、振り抜かれた軌道が直撃コースだと察知。

 少女の足が、一緒に落ちていた木偶人形を蹴り飛ばした。

 僅かにずれた落下の軌道を、過ぎ去った『根』が捉え損ねる。代わりに蹴りの衝撃で砕けた木偶人形を更に木っ端微塵に粉砕し、その勢いで別の位置に張り巡らされていた『根』に絡まって、引き剥がせずにぐいぐいと蠢き始めた。


(よっしゃ予想以上に動ける! ドーピングが切れる前に、このまま操作台へ突っ込めば……!)


 ちらりと後ろを確認して、オーリはぐっと拳を握り締めた。


 精神世界から帰還してからというもの、いつも以上に力を振るえる。

 これが翠月夜、ひいては魔術の仕込まれたチョーカーの作用だということを、オーリはノヴァに確認していた。


 ――チョーカー、厳密にはその毛玉飾りに仕込まれた魔術は、所有者の体に際限なく魔力を取り込む効果を持つものである。

 魔力に満ち溢れた『異相世界』の『翠月夜』において、下手をすれば取り込んだ魔力を処理できず魔力回路がパンク、下手をすれば死ぬ可能性もあったが、幸いにして精神世界で自らの存在と魔力回路を組み立て直したオーリは、この急激な魔力吸収に適応したのだ。


 しかし、それだけではない。こうも圧倒的な力でオーリの身体を動かしている要因は、もう一つ存在する。


「――――っ!」


 空を裂く鋭い音に、オーリが表情を険しく変える。唸りを上げた『根』が、跳躍しようとしたオーリの足を巻き取った。

 動きの止まったオーリへと、数本の『根』が次々に襲いかかる。まるで巨大な大蛇に巻き付かれたように、少女の姿は完全に『根』に覆われて見えなくなった。


 堅く縒り合わされた『根』が、尚もきつく収縮する。

 中心に閉じ込めた少女の全身を容赦なく締め上げながら、きっかり三秒の静寂を挟み――


 ぱぁんっ!


 直後、猛烈な勢いでそれが弾けた。


 見事に引きちぎられた『根』の飛散は、局所的に発生した小竜巻を想わせた。

 その中心部に存在していたのは、全身の力でもって己を捕らえる『根』を振り払ったオーリの姿。


「邪魔っ! するっ! なあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 オーリの怒声に応えるかのように、彼女の心臓が熱くなる。

 魔力回路の活性化。ばちばちと燐光すら散る勢いで燃え上がった魔力回路が、膨大な魔力を全身に走らせて輝いた。


 ――嵐のような勢いで突き進むオーリの動きを支えているもの。

 それこそが、オーリが物心ついた頃から付き合っており、同時にオーリの身体能力がこうも強化されているそもそもの原因である、出所不明の『恒久発動型魔術』だった。


 オーリの意思に関係なく常時発動し続けているこの魔術は、体内の魔力を勝手に処理し、肉体強化へと回すことで、自動的にオーリの身体能力を引き上げている。

 尚且つ今回、あまりにも増幅された魔力と再構成したばかりの魔力回路は、平常現れるそれの効果を遥かに上回り、著しい強さでオーリの身体を強化しているのだ。


(捻ったはずの足首も、いつの間にか治ってる。まさにドーピング)


 そんなことを思いながらも、いつそれを振るう体に限界が来るか分からない以上、全力を出せる時間は決して長くないと考えて良い。

 懐中時計の防御機能と身体能力でゴリ押しできるうちに操作台に辿り着かねば、オーリの状況は一気に不利になるだろう。


(やばい、『サイジェス』の籠もる繭の周りに結界が出来つつある。もしも動力室で蛍火樹本体を守っていた結界と同じものだとしたら、完成させたら最後、こちら側からは手を出せない!)


『根』で形成された繭をゆっくりと覆っていく青い結界に、オーリは苛立たしげに歯軋りした。

 今はまだ薄いようだが、結界は下の方から徐々に硬質化しつつある。確か動力室で見たそれは、力業で破れるほど脆いものには思えなかったはずだ。


 妨害するか。どうやって。まともな飛び道具など持っていない。ブーツに仕込んだギミックは品切れだし、封珠一つも持っていない。既に意識のない『サイジェス』を、言葉で止めることだって――


 瞬間、オーリの脳裏で一つの策が閃いた。

 詳しく突き詰める間もなく、彼女はそれを実行するために操作台目指して疾走する。打ち付ける『根』を踏み越えて、最短距離で中心部に突進。

 しなった『根』を蹴り飛ばした足が、矢のように飛来した木偶人形の手に切り裂かれた。懐中時計が熱を帯びる。血はしぶかない。無視して前に踏み出す。操作台まであと数メートルミル。


 オーリの真正面から、丸太のように太い『根』が突き出されてきた。最低限の動きで攻撃を躱したが、やはり避け切れずに脇腹を抉られる。

 衝撃。けれど痛みはない。ばちんっ!と音がして、懐から懐中時計が弾け飛んだ。


 弧を描いて落ちゆく懐中時計の針は、十二時を完全に過ぎていた。

 防御のすべを失って、けれどその瞬間、オーリは円柱の上空に踏み込んでいた。


 細い腕が『根』を掴む。全身の力を使って捻り切る。


 投擲。猛烈な速度で放たれた大質量が、『繭』の一部を結界ごと削り取った。


 つい十数分前の姿を再現するかのような攻勢。

 あの時と同じように、『繭』の奥に取り込まれた男の顔が半分ほど覗く。

 逆立った短い頭髪と、顎の傷。固く閉ざされた目が、僅かな間を置いて急激に再生し始めた『根』に覆われていく。



「サイジェス・ワイマートォォォォォォォォォ!!!」



 ――その顔に。


 オーリは叫ぶ。


 腹の底から力を込めて、男の意識を叩き起こすように。



「『天通鳥は』!!!『ここにいるぞ』――――!!!!!」



 瞬間。


 閉ざされていたサイジェスの目が、がっ!と極限まで見開かれた。藪睨みの双眸が、上空にいるオーリの存在を真っ向から映し出す。

 意思の光を取り戻した男の顔が、瞬く間に鬼の形相へと引き歪んだ。完全な無に塗り潰されていたはずの表情が、恐ろしいほどの勢いで憤怒と憎悪と殺意に染め上げられていく。



「――天通鳥ィィィィィィィィィィィッ!!!!!」



 覚醒したサイジェスの絶叫が、オーリの全身を叩き付けた。

 眦を釣り上げ、青筋を立て、張り裂けんばかりに怨嗟を咆哮する男が、たぎる狂気のまま少女の姿を追わんと腰を浮かせる。


 自分がいつからここに座していたのかすら覚えていないサイジェスにとって、今や再生しかけた『繭』も結界も、憎悪する少女と己との間を隔てようとする邪魔な壁でしかない。


 黒石が――【まつろわぬ影の眼(ハクサ・ディオード)】が輝く。サイジェスによる無意識の命令に、意思無き魔術具は速やかに従った。

 サイジェスの行動を阻害する壁――形成されていた『繭』と結界を完全に解除。同時にその攻撃的な意思のまま、周囲に存在する稼働可能な全ての『根』の切っ先を、上空にいる少女に向ける。


 ――そしてそれこそが、正しくオーリの狙いだった。

 オーリに意識を奪われたサイジェスが、ほんの一瞬遺跡からの支配を解き、無防備な身を晒すその瞬間が。


 ――ガドドドドドドドドドドゴォンッ!!!


 立て続けに、凄まじい打撃音が轟いた。

 拳が、蹴りが、頭突きが、型も格好も無くひたすら本能のままに荒れ狂う。

 自分を目掛けて襲いかかってくる『根』の全てを、オーリは残った力全てを注ぎ込むようにして強行突破していく。


「――るあぁあああああああああああっっっ!!!」


 全身を弾丸と化して突っ込んできたオーリに、サイジェスの目が驚愕に見開かれた。

 散弾のように飛び散る『根』の破片が、次々と少女の皮膚を掠めて鮮血を飛沫かせる。風に吹き散らされた赤が羽根のように踊り、小さな身体に纏わりついて真紅に輝いた。


 強烈な衝撃波すら伴って、オーリは一直線にサイジェスの懐へと飛び込んでいった。


 魔力光。熱が弾ける。


 最後に男の目が映したのは、まるで傷だらけの獣のような――けれど炎の如き輝きを宿した青灰色の瞳で咆哮し、拳を振り上げる少女の姿だった。


 ガドゴォンッ!!


 そうして、次の瞬間。


 ありったけの力を込めた小さな拳が、一切の躊躇なくサイジェスの顔面を殴り抜いていた。


「――クチバシっ!」


 小石のように軽々と吹き飛ばされ、男の体が崩れ落ちる。倒れたサイジェスになど最早目もくれず、オーリは操作台に残された黒石に飛び付いた。

 その傍らにクチバシが舞い降りる。しっかりと存在を保った小鳥は、自身に与えられた最大の役目を果たしにかかった。


 高らかに軽やかに、小鳥が鳴く。

 その体が青い光に解け、オーリが伸ばした右手を包み込んだ。

 黒石に触れた右手から、急激に魔力を吸い上げられる感覚がする。ぐわんと殴られたように脳が揺れたが、己の左手に文字通り食らい付いて意識を保った。


「サイジェスがいなくなった今、問答無用で優先されるのは所有者である私の命令だ! 従え【まつろわぬ影の眼(ハクサ・ディオード)】、遺跡を操れ! この遺跡を、もう一度眠りにつかせる!!」




※※※




「――来たっ!」


 術人形の呼び声を――そして制御室からの干渉が一気に激減したのを察知して、ラトニは即座に動き出した。

 ちびちび啜っていたメープルシロップの小袋を放り出し、タッチパネルに全身で取り付く。


「水の供給の急激な減少を確認、蛍火樹の根が先端から枯れ始めた。気張れよ番犬、ここからが正念場だ」

「分かっています!」


 流石に新しいメープルシロップを開ける暇はなく、空いた小袋を投げ捨てたノヴァが獰猛に笑った。

 急速に機能を切り替えられつつある遺跡の軋みが、地響きとなって二人を襲う。愉悦と好奇心に輝くノヴァの顔が、ディスプレイの光にくっきりと照らし出された。


 ここから先は時間との勝負だ。大小二人分の手が、タッチパネルを駆け巡る。二人の周囲に浮かぶ幾つもの球体が、見る見るうちにほどけて光の帯と化していった。

 張り巡らされた帯は更にばらばらと分解され、細かな文字の集合体を作っていく。生まれる端から弾けたそれらが、次々と部屋の壁に吸収され、壁や天井一面に青い複雑な光の紋様を描き上げていく。


 ぎしり、と奥歯を軋ませて、ラトニは早くも震え始めた指を叱咤した。

 脂汗がひどい。室内が光に満ちるに従って吸い上げられていく魔力に、自分の中の何かが急激に渇いていく感覚がする。


 それでも弱音は吐けない。魔術の扱いに遥かに長け、けれど魔力量は圧倒的にラトニより少ないノヴァが、ラトニよりずっと負担を引き受けていることを知っている。


「現時点で生きた人間が存在する全ての場所に転移門を開く。仔猫と、アリアナとか言う奴が戻ってくるまで、遺跡の機能がギリギリ起きたままになるよう保たせろ。完全に眠らせたら、オレたちも脱出できなくなる」

「はいっ!」


 ノヴァの声は涼しげで、だからこそ今は頼もしい。

 滝のように滴り落ちる汗をぐいと拭って、ラトニは力強くそう応えた。




※※※




 急速に水気を失って枯れゆく『根』と共に、緑光の水に満たされたプールも見る見る嵩を減らしつつあった。

 既に十メートルミルは下がってしまった水面へと、崩れた天井の瓦礫がぼちゃんぼちゃんと落ちていく。


 いつ円柱にまで被害が出るかとおろおろしていたオーリは、操作台の座する円柱の端、ばちりと音を立てて開いた転移門に気付いて、ようやく安堵に肩を落とした。

 これが開いたということは、もう制御室に人手はいらないということだ。

 取り戻した黒石の首飾りをしっかり首にかけ、ぐらつく頭を押さえながらそちらへ走ろうとしたオーリの背中を、強かに何かが打ち付けた。


 反応する間もなく、激痛と共に体が宙に投げられる。

 見開いた目の先に、ぼろぼろと枯れ落ちていく『根』の一本と、倒れ伏したまま操作台に片手を触れさせた男の姿が見えた。


 ――サイジェス。


 唇だけで、少女は茫然とその名を呟く。


 それはもう、とっくに動けないはずの人間だった。

 無理やり遺跡機能に接続され、消耗した挙げ句に真正面からオーリの一撃を食らった男には、最早身動きすることすら出来ないはずだった。


 ――それほどに、突き動かされたか。


 オーリの唇が皮肉に歪む。

 この男はどこまでも、自分の存在を許せなかったのだと刻みつけられて。


 遺跡からも黒石からも切り離されて、積もり積もったダメージが一気に襲いかかったのだろう。

 見る影もなく痩けた男は、それでも藪睨みの双眸だけをぎらぎらと輝かせ、食い入るようにオーリを見据えていた。


 落ちゆくオーリの姿を焼き付け、サイジェスが嗤う。幾度殺したとて足りぬ狂った執念の昇華先を、ようやく手に入れたというように。


 ――そうして、最後の最後に一手オーリを上回った男は、次の瞬間落ちてきた瓦礫に潰され、二度と見ることが出来なくなった。


 ここまでか。


 今度こそ男の末路を見届けて、オーリは悔しげに歯を食いしばる。

 体がまともに動かない。視界が白く眩んで、指先が力なく痙攣した。

 下にあるのは緑光のプール――今も水位を下げつつある、落ちれば最早這い上がれないだろう場所だ。


「――くそったれ」


 死ぬその瞬間まで満足げな嗤い顔を向け続けてきた、憎たらしい男の姿を思い浮かべ。

 敗北感と共に吐き捨てて、オーリの意識は闇に溶けた。




※※※




 崩れ落ちる『根』の切れ端や瓦礫を飛び移って、『それ』は軽やかに跳躍した。

 既に五階建ての高さほども距離の離れた緑光の水面目掛け、迷うことなく飛び降りる。


 それは真っ黒な毛皮にしなやかな体躯を持つ、大きな猫に似た獣だった。

 体格は、大人一人が軽々乗れるくらいだろうか。ピンと立った耳は猫のそれより幾分長く、宝石のような美しい紫暗の瞳をしていた。


 意識を失った少女を掬い上げるように背中に乗せ、黒い獣は水面ぎりぎりの位置で方向転換する。

 たんたんたん、と壁や瓦礫を蹴って上昇し、円柱の上に到達。

 戻ってきたそこでまともに形を残していたのは、奇妙なオブジェのような姿をした操作台だけだった。

 開いていたはずの転移門が瓦礫に潰されていることに気付いたと同時、天井から特大の瓦礫が降ってきた。


 大きな影が、微動だにしない獣と少女を覆い隠す。

 重い重い音を立てて、瓦礫はそのまま床へと激突した。




※※※




 全てのディスプレイは既に砂嵐に塗り上げられ、じりじりしながら転移門を横目にオーリの帰還を待っていたラトニは、唐突に天井から降ってきた人影にぎょっとした。


 それが長らく行方の知れなかったアリアナであることを悟って素早く帽子を深く被り、次にそのアリアナが小脇に抱えている相棒の存在に目を見開く。


「オ――リアさん!」


 クチバシを補助に付けたとは言え、魔術のド素人に遺跡の操作は相当な重労働だったのだろう。

 咄嗟に名前を呼びかけて言い直し、ラトニはぐったりしたオーリの元に駆け寄った。


 ラトニの帽子には軽い認識阻害の魔術がかかっているから、アリアナに少年の髪と目の色は分からない。彼女は異常に気付くでもなくラトニにオーリを渡してくれ、代わりにノヴァの方に視線を向けた。


「挨拶は後にしましょう。遺跡は完全に眠りにつくのかしら? このまま崩壊してしまう可能性は? 蛍火樹は無事?」

「崩壊は進むが朽ちはしない。遺跡と蛍火樹が眠りにつけば、遺跡の自動修復機能が起動し、水中からも新しい根が伸び始める。現在咲きかけの蕾は枯れるが、時間と共にまた水が嵩を増して、新たな蕾が作られる」


 矢継ぎ早の質問に、ノヴァは淀みなく答えた。アリアナが頷いて、ならばと肝心な問いに移る。


「なら、脱出手段は? 転移門は開ける?」

「今そうしようとしたんだが……開かん」


 深刻なことをさらりと言われて、べちべちとオーリの頬を叩いていたラトニが驚いたように振り向いた。

 この部屋はまだ崩れていないが、震動は収まる気配がない。このまま留まれば、遺跡に閉じ込められるか、瓦礫に潰されてしまうだろう。


「ノヴァさん、何故ですか?」

「予想以上に遺跡の劣化が激しかったようだ。無理に急かして動かしたから、機能の一部がショートしている。元の世界と道が繋がらない」


 焦る様子もなく淡々と言うノヴァに、ラトニの顔がほんのり引きつる。

 慌てて往復ビンタをかましながら「リアさんリアさん、起きてください!」と叫ぶラトニを無視して、ノヴァが魔獣を手招きした。

 赤みがかった毛皮の、扁平な魔獣。ノヴァの使役獣となり、ずっと部屋の隅に控えていた魔獣が、のそのそとノヴァの元に寄っていく。


「うう、あれ……? なんでキミがここにいるの、とうとうあの世に行ったかと思ったのに」

「馬鹿言ってないで起きてください! 異相世界に閉じ込められる危機ですよ!」

「えっ、なにそれ怖い。あと、なんかほっぺたがめっちゃ痛いんだけど」

「僕に比べれば大した顔でもないんですから、ちょっとフグに似たくらい我慢しなさい! 後で纏めて治してあげますから!」

「あれ、なんかひどい暴言を食らったような気がするよ? えっ、キミ実はそんなこと思ってたの? 人の美醜になんか興味ありませんみたいな顔して、実はずっとそんなこと思ってたの? ねえ」

「あのリアちゃんラト君、夫婦漫才は脱出した後にしてくれない?」


 緊張感に欠ける会話を繰り広げる子供たちを尻目に、ノヴァが魔獣の額に触れ、何事か小さく呟いた。

 魔獣が発光し、その体を糸のようにくるくるとほどいていく。ほどけた体がぐるりと大きな円を作り、シャボン液のように輝く膜を張ったのを見て、オーリとラトニが目をぱちくりさせた。


「ノヴァさんノヴァさん、それもしかして!」

「ああ、転移門だ。魔獣は番人であり、同時に緊急脱出装置でもある」


 事も無げにそう告げて、ノヴァが三人を振り返る。アシンメトリーの衣装がひらりと靡き、親指で転移門を指した。


「これでそのまま元のシェパまで脱出する。一度潜ったらもう戻れないが、忘れ物はないな?」

「あ、はい……」


 反射的に頷きかけて、オーリがぴたりと停止した。

 不思議に思ったラトニが覗き込むと、彼女は数秒置いてぎしぎしとラトニの方を見て、引きつった顔でぎこちなく問うてくる。


「……あの、マッスル四郎は?」

「あ」


 コロー、と悲痛なジドゥリの声が聞こえた気がした。



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