表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
89/176

87:アイデンティティに今一度問う


 ふと気が付くと、だだっ広い野原の真ん中に立っていた。


 何処かの山の中だろうか。足下には丈の低い草がまばらに生えた茶色い大地があり、遠くの方には森らしきものがある。


 左を見ればきらきら光を弾く大きな湖が見えて、澄んだ水の匂いが此処まで漂ってくるような感覚を覚える。

 湖の上には、丁度先端が突き出すように高く切り立った崖が位置しており、その更に上に広がるのは、雲一つない真っ青な空。抜けるような青色と、燦々と輝く太陽に、良い天気だなとごく自然に思った。


 ――はて、自分は此処で何をしていたのだろう。


 至って奇妙な疑問を抱いて、『彼女』はことんと首を傾げた。


 自分がどうやって此処に来たのか、その前に何をしていたのか、さっぱり思い出すことが出来ない。

 全く見覚えのない光景に人間の一人もいないというのに、まるで他人事のように焦りを感じることがないのは、何処か非現実的なふわふわした思考のせいかも知れなかった。


 ぐるりと周囲を見回して、『彼女』は大きな目を瞬く。この場所において最も奇妙な物体たちを、ただ不思議そうに視界に収めた。


 ――それは、竹ひごで作られた四つ羽のかざぐるまだった。


 風を受けるのは、くるりと捻れた大きな赤い羽。

 光沢のないそれをよく見れば、どうやら紙製であるらしい。


 決して鮮やかではない、幾分褪せた色合いの紙だった。

 まるで手慣れない誰かが見様見真似で作ったような、ほんのりと歪な形。

 それでも風を受ける役目にはさしたる支障もないようで、数十本の粗末なかざぐるまたちは湖を中心とした野原のあちこちに突き刺さり、そよぐ風にからからと回っていた。


 ゆるりと身を翻し、『彼女』は歩き出す。

 きらきらした水面に目を引かれたためか、足は湖の方に向いていた。

 森の方に行こうとは思わなかった。

 ただ、綺麗な水に似た誰かの面影が、頭の中を過ぎった気がした。


 ――こんなに沢山のかざぐるま、誰が作ったんだろう。


 歩きながら、『彼女』は自然発生なんてするはずのないそれらを眺めて小首を傾げる。


 ――まるで花みたいだ。


 草と木ばかりの野原の真ん中で赤い色を咲かせるかざぐるまに、ぼんやりとそんなことを考えた。




※※※




 一切の手加減なく叩き付けた水の竜巻は、ノヴァが片手を振り上げると同時に飛沫となって消失した。

 ラトニの周囲に、次々と水の塊が浮かび上がる。表面の水を絶え間なく内部へと巻き込んでいくかのように高速で渦巻く水弾は、彼の意思に応じて一斉に撃ち出された。


 自分の感情が異常なほど攻撃的になっていることに、ラトニは気付いていた。オーリが倒れているのを見た瞬間には既に箍が緩んでいたと言え、それを置いても驚くほどに抑えが効かない。

 頭が熱い。魔力が膨れ上がる。たとえノヴァを殺せたとてどうにもならないと悟っていて尚、荒れ狂う怒りと焦燥をぶつけるように魔術を組み上げ続けた。


 見た目からは想像もつかない量の水を内包し、極限まで圧縮された水弾は、中心部に押し込んだ破壊力を解放せんと疾走する。

 ノヴァはやはり眉一つ動かさず、び、と指を一閃。自身を狙っていた複数の水弾と、頭上に突き出ていた屋根の残骸を狙っていた一つを、鍵言葉すらなく掻き消した。


「魔力は膨大。だが魔術構成が甘過ぎる。師も教書も持たなかったか。これまでずっと、魔力量に任せたごり押しでやって来たようだな」


 淡々と批評するノヴァに、ラトニはチッと舌打ちし、腕にオーリを抱え込んだまま後退する。頭上に広がる夜空を見て、悔しそうに顔を歪めた。

 穴から外に逃げようと思えば出来るだろう。そうしないのは、オーリの倒れた原因が分からないからだ。

 最初に彼女とはぐれた時、ラトニは野盗共の罠にかかって倒れる彼女の姿を見ている。一度は再会できたからこそ、二度目の今がもっと恐ろしいのだ。


「彼女に何をしたんです。あなたが彼女の意識を奪ったんでしょう」

「少々意識を深層に『沈めて』やっただけだ。仔猫が『折れなければ』、再び目覚めもするだろう。尤もオレ自身には、何の保証も出来んがな」


 さあさあと隣室から響く爽やかな水の音が、少しずつ少しずつ大きくなってくる。

 やがて大雨でも降っているかと思えるほどになった水音に、ノヴァはうっすらと口の端を釣り上げた。


 罵倒の一つも発さぬ子供は、ただ行動をもって激甚な憤怒と憎悪を向けてくる。

 それで良い。心底怒ってる時、それを叩きつけたい相手がいる時、余計な言葉は必要ない。口から吐いた分だけ、腹の中身は軽くなる。


 説得して大人しくさせようなんて気は端からなかった。でなければ、明らかに少女に執着していると見える少年に対し、わざわざ神経を逆撫でするような言い回しを選んだりはしない。


「嗚呼――本当にお前たちは興味深いな」


 ばぢりと魔力の光を発して、空間から黒い杭のようなものが形成された。

 硬質なそれはラトニ目掛けて撃ち出され、ラトニが放った水の槍と真っ向からぶつかり合う。相殺かと思われたそれは刹那の間を置いて水槍を一直線に貫通し、咄嗟にラトニが張った水の防壁をぶち破って背後の壁を打ち崩した。


「っ……!」


 明らかに顔色を悪くさせたラトニが、殺気のこもった目でノヴァを睨み付ける。

 水の槍が一瞬でも持ちこたえなかったなら、少年が防壁を張る時間はなかった。

 そして、もしも防壁が間に合わなければ、あの黒杭は間違いなく二人に直撃していた。

 僅かに防壁の表面を滑ったせいで進路がずれたからこそ、掠めるだけで済んだのだ。


 即座に黒杭で散らされた水を操作し直そうとするが、何の反応も起きないことに臍を噛む。

 魔力干渉。単純に、自分に向けて放たれた魔術に対して使えるだけではないようだ、と分析する。


「次はどうするんだ?」


 楽しそうに問いかけるノヴァの周囲で、重なるようにばぢりという異音。

 更に数本の黒杭が姿を現し、鋭い切っ先をこちらに向けた。




※※※




 ぱしゃ、ぱしゃ、と控えめに水を掬っていたのは最初のうちだけだった。

 ブーツを脱いで足を浸け、『彼女』は遠慮なく水を蹴上げる。


 両手のひらに掬った透明な水は指の隙間から小さな滝のように流れ落ち、日光を反射して白く煌めいていた。

 空中に散る飛沫が砕いたダイヤモンドのような輝きを帯びているのを眺めながら、泥の欠片すら浮かばせぬ清水にゆっくりと目を瞬いた。


 体を濡らす飛沫の冷たさを感じながら、『彼女』はぼうっと空を見上げる。

 雲がない空には何の動きも見て取れず、美しいけれど変化がない。

 自分は何をすれば良いんだろう、と考えながら、ゆっくりと立ち上がった。


 ざぶん。


 腿が空気に触れるほどの浅瀬は、少し進むとすぐに深くなった。

 着込んだままの服が水の中でゆらゆらと揺れたが、不思議と手足に絡まないので気にならない。

 足がつかなくなっても、構わず泳いで真ん中を目指した。


 ぱしゃん。


 湖の面積はとても広い。真ん中には程遠い辺りで、少女は泳ぐのをやめた。

 水に浮いて仰向けになる。体の半分以上を水に浸し、目を瞑ってぷかぷか浮いていると、何だか木陰でハンモックに揺れているように穏やかな気分になった。


 ――眠いのですか。


 誰かに耳元で囁かれたような気がした。


 ――うん、眠いな。


 声に出さずにそう返す。


 ――眠ってしまっても良いですよ。


 優しい声だった。

 心なしか、水がほんのりと温もりを帯びたように思える。従ったなら、きっと幸せな夢が見られるだろう。


 ――それは嬉しいなぁ。


 唇が綻んで、『彼女』はのんびりと微笑した。




※※※




 撃ち出された黒杭が、ラトニの防壁と激突した。

 三十センチミル四方に一点集中させた水の盾は、黒杭と競り合ってバチバチと音を立てている。


 同時並行で、ラトニは空中に巨大な水の腕を形成。

 ノヴァを叩き潰そうと振り上げた時、顔のすぐ傍で花火ほどの強さの小爆発が弾け、反射で自身とオーリを庇って身を縮めた。


 ノヴァが無造作に投げ上げた何かが軽く突き刺さって、水の腕が内側から破裂した。直後に水の盾が黒杭と相殺され、弾けるような音を立てて消滅する。

 形を失った水が辺り一帯にびしゃびしゃと撒き散らされ、三人へと降り注いだ。

 豪雨となった水はノヴァに触れる端から靄となって消失。一時的に悪化した視界に苛立って、くっ、と喉を鳴らし、ラトニが乱暴に水を払った。


「繊細さが全く足りないな」


 飄然としたノヴァの態度は、攻撃する時にさえ気の荒い野良猫を猫じゃらしでからかうような空気を崩さない。

 何処からともなく取り出した小袋を口に咥えながら、彼は目を細めてラトニを睥睨した。先程投げた何かは、どうやらあれの蓋だったらしい。


 ぢゅう、と吸い込む音がする。

 回復剤みたいなものだろうか。もしも消耗しているなら、と考えて、ラトニは小さく首を横に振った。僅かでも己の勝機が薄れたと見れば、目の前の男はそれこそ遊びなど止めて全力でこちらを叩き潰しにかかってくるかも知れない。


「要するに、お前の魔術はまだまだ大雑把なんだ。魔術構成さえ明確に理解していれば、僅かな魔力で突き崩せる。そうしてオレに干渉された水は、最早お前の武器にはならない」


 こうしてアドバイスじみたことを喋る姿さえ、ラトニには余裕の表れにしか思えなかった。


 もしもラトニが普通の魔術師で、ここが街中だったなら、たとえ遊び半分だろうとノヴァを相手にした時点で詰みだっただろう。

 手近に大量の水があるフィールドで、いざとなれば分子からの水分合成という力業によってほぼ際限なく補給が出来るラトニだからこそ、ノヴァの攻撃も何とか凌げているのである。


 実際、先程からずっとノヴァへと仕掛け続けているはずの魔術は、未だに彼の余裕の笑みを崩すことすら出来ていない。

 水素と酸素から水を合成し、呼吸器を水で満たして陸上溺死させる、ラトニの得意技。

 街のごろつきや犯罪者相手に幾度となく使ってきたそれは、恐らく発動前に察知されて打ち消されているのだろう、何の手応えも返らなかった。


 分かってはいたが、身体に直接干渉しなければならない系統の魔術は一切諦めた方が良さそうだ。

 如何せん、精密操作技術に差があり過ぎて破ることが出来ない。硝子のコップを地面に叩き付けて壊すにしたって、剥き出しのコップをそのまま叩き付けるのと、防弾ガラス製のコップの内部に布を詰め込み、更に紙や綿で厳重に包んだものを叩き付けるのでは、起こる結果がまるで違うのだ。


(殺せない。殺せない。どうしたら良い。オーリさんが目覚めない。殺される? 守れないまま。彼女も一緒に。待たないと。殺さないと。彼女を目覚めさせるために、目の前の男を排除しないと)


 肉も野菜もバターも牛乳も、色んな材料を混ぜ合わせて混ぜ合わせ過ぎて、溶け切って原形も分からなくなったシチューみたいにコトコトグツグツ煮込まれて、思考と感情が定まらない。

 琥珀色の双眸がとっくに金色に染まっていることを、ラトニは自覚していた。

 頭を冷やさねばと何処かで思う一方、憎悪に背中を押された心は刻一刻と熱を増し、このまま突き進めと囃し立ててくる。


(オーリさん、オーリさん、オーリさん、オーリさん――)


 荒い呼吸と輝く瞳に尽きぬ殺意を滾らせて、彼はどんどんぐちゃぐちゃになっていく思考の手綱を必死で握る。自分の正気を繋ぎ止める糸のように、心の中で守るべき少女の名を呟き続けた。


(――早く起きてください、オーリさん。でないと……)


 隣室から水を呼び寄せて、再び大きな腕の形を、今度は二本作り上げる。水そのものが魔力を含むせいで操りにくいが、構わず大量の魔力を消費して強引に構成を組み上げた。


(……この遺跡全て、吹き飛ばしてしまうかも知れません)


 巨大な両腕は片方が直接ノヴァに向かい、もう片方は天井の残骸を殴り付けて飛礫と化した。

 風に吹かれるたびふるふると揺れ動く表面に、ノヴァが「ゼリーみたいだな」と呑気に独り言ちた。




※※※




 優しい言葉だった。

 暖かな手でそっと額を撫でられるような、優しい声だった。


 けれど『彼女』は、その声に――閉じていた目を開いて笑った。


 ――でも、私は遠慮するよ。


 返した言葉は、少しだけ困ったような、嬉しそうな響きを帯びていた。


 ばしゃん、と体を半回転させ、水の中に顔を突っ込ませる。

 冷たい感触に前半身を浸して、少し頭が冴えたような気がした。


 ――此処なら、悲しいことはありませんよ。


 ――そうみたいだね。


 ――守ってあげられます。


 ――魅力的だね。


 ――痛い思いをして、悩んで苦しまなくても良いんですよ。


 ――そっか。でも、


 ずっと此処で揺蕩っていたいと、思わないわけではない。

 此処は静かだし、退屈ではあるが代わりにひどく平穏でもある。

 自分が殊更にスリルを求める性格だとは考えていなかった。余計な記憶を漁るのはやめて、此処で見えない何かに守られているような、ふわふわした気持ちのまま眠りにつくのも悪くない。


 ――でも、何だか。

 頭の奥で、もう一つ声が響いているのだ。


 眠ってしまえと誘う声よりずっとずっと小さくて、ともすれば聞き逃してしまいそうに微かな声で、それは囁く。



 ――置いて行かないで。


 ――独りにしないで。


 ――――どうかどうか、早く目を覚まして――もう一度、僕のもとに。



 迷子になるのを怖がる子供が、服の裾をそっと摘まんで縋ってくるような、そんな声を。

 きっと自分は、放っておくことなんて出来ないのだろう。



 ――――チカッ、



 不意に水底で何かが煌めいた気がして、『彼女』は水中を見ていた目をぱちくりさせた。


 一度水から顔を上げ、周りを見回してから再度顔を浸ける。

 中心部よりは随分浅い地面、薄青い水の向こうに、きらりきらりと輝く何かが散らばっていた。


 ――何だろう、石か何かかな。


 少しだけ首を捻り、『彼女』は思い切ってとぷんと水に頭を沈めた。

 しっかりと口を結んで止めた呼吸は、不思議とちっとも苦しくなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ