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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
87/176

85:トリガーハッピー、スウィングハート

 ――がぎぃん!


 食いしばるように噛み締めた歯の間から、ひどく鈍い音がした。

 もしも刃が縦向きに飛び出していたら、オーリになす術はなかったに違いない。平たい側面を上にした刃は綺麗に揃った白い歯に文字通りがっちりと食い止められ、少女の細い喉を内側から突き破る行為を強制停止させられていた。


 一瞬でも力を抜けば押し切られる。そんな確信を覚えて顎に力を込めた瞬間、突き付けられた大筒と右腕の向こうで一秒たりとも途切れずぎらぎらと執念の輝きを放ち続ける双眸に、オーリは二度目の戦慄を覚えた。


「【(ディク)】――」


 サイジェスの口が鍵言葉を唱える。筒先から伸びる仕込み刃は引かれない。一歩でもこちらから引けば拮抗が崩れ、押し込まれた刃がオーリの喉を貫くだろう。けれど留まっても結果は似たようなもので、精々が喉から血を噴き出して死ぬか頭を吹き飛ばされて死ぬかの二択になるということでしかないわけで。


 全てが凍り付いたように思えた時、けれど現実にはしっかりと動いていたらしいオーリの身体に命令を下したのは、やはり緊急時には冷静な判断力や観察力なんかよりも時々ずっと頼りになる、野生の獣じみた剥き出しの生存本能だった。


 そうしてオーリは何の策も頭にないまま、無意識に両拳を握り締め。


 突き付けられたサイジェスの左腕目掛けて、両側から全力で殴り付けていた。



 ――ゴギュンッ!



 ぞっとするような異音が鳴り響いた。

 殺意の隙間に僅かな静寂。至近距離で両者の視線がかちりと合う。


「――――あ」


 一拍の間を置いて零れた声は、茫然とした男のものだった。


「――あ……あ、あ、あ、……あああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッ!!!?」


 最初のうち何が起こったか分からない様子だったサイジェスの口から洩れる声が絶叫に変わるまでに、さしたる時間は必要なかった。


 余程の激痛に襲われているのか、最早鍵言葉の残りを紡ぐことすら出来ないまま、サイジェスは歪に破壊された右腕を抱え、唾液を散らしながら濁った悲鳴を上げている。

 小さな拳で挟み折られた右腕は、骨が妙な形に変形して、ぽたりぽたりと血を滴らせていた。

 ひょっとしたら袖の下では折れた骨が肉を突き破っているのではないかとぼんやり思って、我に返ったオーリは一気に吐き気が込み上げてくるのを感じた。


「――く、クチバシ……!」


 今更のように、凶器と化した己の両拳を意識する。手の甲に残った感触に、感じたのは安堵や勝利感などではなく、ただひたすらにおぞましい嫌悪感だった。


 辛うじて小鳥を呼び、真っ青な顔を歪めながら身を翻す。

 きろりと感情のない目で滞空していたクチバシが、転移門へと駆け出した彼女に無言で続いた。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! クソ、ガキ、があああああ!!」


 サイジェスの怒号に応えるように、頭上で光が弾けた。彼の手によって仕掛けられていた魔術具が発動、真下を抜けようとしたオーリ目掛けて局所的な雷の雨が降り注ぐ。

 恐怖に竦みかけたオーリの前に、再びクチバシが躍り出た。

 叫声。現れた薄い水の傘が、オーリの上に影を作る。落ちてきた雷撃は水の傘に吸収され、傘から伸びる幾本もの細い脚を伝って地面へと流れた。


 止まるな、というように、クチバシがオーリを見やって鋭く鳴く。はっとしたように唇を引き結んで、オーリが緩んだ速度を上げた。


 ――逃がしてたまるものか。化け物みたいなクソガキも、ゾンビのようなペットの化け鳥も。


 事前に仕込んでおいたトラップは今ので最後だ。けれど時間稼ぎは出来た。


 サイジェスは折れた右腕を無理やり左手で支えて持ち上げ、前方の少女に狙いをつけた。

 ストラガたちに使用を禁止されていた、名前も知らない魔術具――白銀色の大筒は、基本的には風弾を撃ち出すだけの機能しか持たない。

 しかしこれはまた、大筒とセットになっていた特殊な球を外装に装填することで、炎や雷などの追加属性を風弾に付与することが出来る。


 球一つにつき一回しか使えないこの機能、震える指で球を装填する作業には幾分時間を要したが、逃げる一人と一匹の背中はまだ射程範囲内だ。

 取り付けたのは炎球、そして更に威力を上乗せするための増幅球を一つ。

 放てば少女どころかこの広場が半分消し飛ぶだろうが、たとえ冷静さを保っていたとしてもサイジェスは己を止めなかったに違いない。


「【(ディク)】――」


 裂けんばかりに眦を釣り上げ、彼は咆哮する。憎む少女に向けて、小鳥に向けて、幾度となく唱えてきた鍵言葉を。


「【()】――!!」


 そうしてその瞬間、まさにこの時まで静かに眠り続けていた罠がようやく発動する。


 ほんの数十分前に撃破された、『一羽目の』クチバシの置き土産。

 大筒に刻まれた魔術構成のうち、属性付与の球を装填する周辺の回路に、あの時ラトニは地雷を仕込んだ。


 魔術知識に欠けるラトニでは、あまり短時間に複雑な操作は実行出来ない。故に彼のやったことは単純な――そう、例えるなら小石を一つ置く程度の些細な行為。

 小鳥が消滅する間際、咄嗟に行った悪足掻きであったため、大筒機能の基礎部分を破壊することは出来なかった。けれど属性付与の機能を使えば最後、魔力回路の流れが妨害され、魔力が逆流を引き起こす。


 ――つまり、暴発するのである。


 振り向かずに駆けるオーリの背中を、凄まじい熱風と轟音が打ち付けた。

 それを最後に、彼女は全速力で転移門へと飛び込んでいった。




※※※




「お帰り」


 息も絶え絶えの姿で戻ってきたオーリに緊張感のない視線を送って、ノヴァは転移門を閉じる。それから爆炎渦巻く地獄絵図のようになった一枚のディスプレイを、さっさと別空間の景色に切り替えた。


 転がるように転移門を飛び出して、オーリは床に膝をつく。肩で息をする彼女の周りをクチバシが一周し、そのままノヴァの立つ操作台の方に飛んでいった。


 ずっとディスプレイを通して眺めていたのだろう、ノヴァはオーリの様子について何も質問する気はないようだった。

 もしもオーリが時間に間に合わず、転移門が閉じてしまっていたなら、ノヴァはあっさり見放して門を繋げ直すことさえしなかったかも知れない。そんなことを思ってしまうほど冷め切った態度に、オーリは改めて危ないところだったと再確認し、深々と息を吐き出した。


「……只今戻りました。あと、協力ありがとうございました、ノヴァさん。その子がクチバシです」

「仔猫に番犬とは異な組み合わせだな」


 紹介されたクチバシはと言えば操作台の手すりに止まってディスプレイを見上げるばかりで、ノヴァに興味を持つ様子もないようだ。

 視線もくれない小鳥に気を悪くするでもなくパネルを叩いていたノヴァは、ふと首を傾げて紺瑠璃の目を細めた。


「――ああ、まずいな」


 と。


 あまりにも平然とした調子で言うものだから、ようやく息を整えたオーリは特に危機感もないままにノヴァを見た。


 綺麗に背筋を伸ばして操作台に立つノヴァは、そろそろ課題レポートのテーマを決めなきゃいけないのを忘れてた、程度のトーンで言葉を続ける。


「制御室を奪われる。本気で遺跡を完全覚醒させる気かな」

「――――……え?」


 一拍、意味を呑み込む時間を置いて。

 オーリはぽかんと開けた口から、間抜けた声を上げていた。


「ええ、と。それ、何かまずいんですか?」

「まあ、かなりまずいだろうな。第一波で辺り一帯更地になることは確実だろうし」

「うえええええ!?」


 テーマを決めるには図書館に行かなきゃならないんだけど面倒だな、とでもいう程度のしれっとした顔で言い放たれて、オーリは思わず絶叫した。


 遺跡の覚醒って、まさかオーリの黒石を持っていった、例の奇妙な野盗二人の仕業だろうか。何やら含むところが多々ありそうだとは思っていたが、そんな危険な事態を引き起こそうなどとは流石に予想していなかった。


「何ですかそれ怖い! この近くに人里がないとも限らないし、更地になったら生態系も崩れますよね!?」

「それはそれは盛大に崩れるだろうな」

「しかも第一波ってことは、それで終わりじゃないってことでしょう? だったら早く止め、」


 ――止めないと、と言いかけて。

 言い切れないままに、オーリは口を噤んだ。


 止めないと。

 ――どうやって?


 止めないと。

 ――誰が?


 自分自身に、それを成せる気はしなかった。何をすれば良いのか皆目見当もつかないし、どんな立場の人間がどんな目的で蛮行を働こうとしているのかも分からない。


 ノヴァにせっつくか? 救えと、無責任に。


 この事態を止めるため、自分に出来ることはないかと問うてみるか? これ以上首を突っ込んで良いのかも、自分で決めかねるままに。


「――短絡的に、止めろと縋らなかったことは評価する」


 パネルの上をノヴァの指が駆け巡る。たたん、と踊るように動く指は、音楽にでも乗っているかのように軽やかだった。


「お前とお前の連れだけ、此処から逃がしてやると言ったらどうする?」


 ディスプレイの光に、うっすらと顔を照らし出されて。

 ひっそり落とされたその言葉は、悪魔の囁きのようだった。


 連れがいるなんて言ってない、などという疑問も、今のオーリには思いつかない。

 ぱく、と口を開閉して、オーリは茫然とノヴァを見上げた。


 男の目が、こちらを見ている。沼の底に灯したような薄暗い光を宿す、感情を伺えない双眸が。


 ――値踏みされているかのようだ、と、頭の片隅でぼんやり思った。


「――は、――え……?」

「逃げたところで、仔猫、お前には何らの罪もない。お前にとっては何処とも知れない山と森と、顔も知らぬ人々の街が、少々地図から消えるだけだろう。誰もお前を責めない。お前は何も悪くない」


 幾つも浮かび上がるディスプレイには、遺跡の外を映しているものもある。

 山と、木と、闇と。

 少しだけ明るいから、外は月が出ているのだろうか。画面の外側に何があるのか、オーリには分からない。


「お前、早く帰らなければならないと言っていただろう。ならそうすれば良い。今ならオレが、お前の望みを叶えてやろう。

 帰れば良いじゃないか。止めないと、と言いかけたのは何故だ? 逃げないと、ではなく。偽善か? 義務感か? それとも、単なる反射か?」


 何のために止めようとするのか、その行動原理は何処にあるのか。

 次々と投げかけられるノヴァの言葉に追いかけられるように、オーリは自分の中を漁る。

 けれど必死で掬い上げる言葉はどれもバラバラで、それよりもじっと向けられている紺瑠璃の瞳の方が、ずっと自分の内面を見透かしているような気がして。


 逃げたい、と思う。

 けれど、逃げたくない、とも思う。


 答えられないオーリに、ノヴァは至って冷静に告げた。


「――今お前が行っても、死ぬだけだぞ」


 ――ただ無為に。虫けらのように何の意味も、価値も、遺せるものすらなく。

 呼吸をするように予言するノヴァに、オーリは言葉を返せなかった。


 俯いて、左手で胸元を掴む。

 口元まで持ち上げた右手から、がり、と音が鳴った。


 そんなオーリを眺めて、ノヴァがようやく手を止める。

 ゆるりと気怠げに首を傾けて、台詞の割にはどうでも良さそうに口を開いた。


「時に、疑問に思っていたんだが」

「……、……何ですか」

「さっき、お前は逃げ帰ってきたな。あの野盗の男から」

「……そうですけど」

「何故殺さなかった?」


 あまりにも淡々と問われた言葉に、オーリは静かに瞠目した。


 その問いはオーリにとって、ある意味絶対のタブーだった。

 一年も共にいるラトニが決して言おうとしなかった、そしてオーリが無意識のうちに避けていた、オーリの抱える矛盾の一角だった。


 ――自分なら迷わずそうしていたのに、と。


 言葉にせずともノヴァが伝えるその裏に、じんわりとオーリの背筋を寒気が這い上がり始める。

 これから言われる言葉を聞きたくなくて、唐突に思い切り耳を塞ぎたい衝動に駆られた。


「恨まれることは怖いか? 殺意を向けられることはおぞましいか?

 初めは、単に実力が足りないか、或いは残党の復讐を恐れてでもいるのかと考えた。だが、違う。お前はただ、それでも尚殺せないほど、ひたすらに臆病なだけなんだな。


 ――もう既に、此処まで来てしまっているにも拘わらず」


 がり。

 指が軋む。爪が欠ける。

 最早立ち竦むしか出来ないオーリに、ノヴァは容赦なく彼女の心の隙間を突いていく。


「理解が出来ない。

 そうも矛盾を抱えながら、どうしてお前は此処まで『やって来てしまった』?

 泡沫のような善心に縋り、前非の憂虞に揺れながら、どうしてお前は今なおそれを続けていこうと考えるんだ?」


 ――がらり、と。


 自分の中で、何かが崩れる音がした。



「――――そんなにも弱い癖に」



 極限まで目を見開き、彼女は息すら止めて凍りついた。




※※※




 扁平な黒緑の身体を掌底が吹き飛ばしたと同時、骨を連ねたような尾が鋭くしなってこちらの頬を切り裂いた。

 横合いから弾丸のように飛び出してきた別の魔獣がストラガの左腕を掠め、勢いのまま肘打ちで沈めるも、ゴムのような手応えに全く効いた気がしない。


 床に手をついたウェーザが脚を一閃。一匹の魔獣を蹴り飛ばし、身を翻して大振りのナイフを投擲した。ぎらりと輝くナイフが一気に二匹を貫いて、そのまま緑光のプールに叩き込む。

 その頭上から、新たな『実』が落ちてきた。

 床に到達するのも待たずに割れたそれから、また新たな黒緑の魔獣が生まれてくる。びっしり牙の生えた巨大な口を開けて食いかかってきた魔獣の脳天に、ストラガの投げたナイフが突き立った。


「埒が明かん……!」


 忌々しげに吐き捨てるウェーザには、全くもって同感だ。

 緑白色の魔獣が水に沈んでいくにつれて、黒緑の魔獣は反比例的に数を増やし、逃がさないと言わんばかりにストラガとウェーザを襲ってくる。


(撤退命令の指定時刻が近い。せめてこのまま時間を稼げれば)


 視界の端で、最後の緑白色が水没した。直後ストラガの聴覚が、それまでとは違う音を捉える。


 ――パキン。


 何か硬いものに、罅が入るような音がした。

 同時に、異質な音へと僅かに意識を奪われたストラガの足を、魔獣の牙が抉った。

 幸い、防刃繊維を織り込んだ足布のお陰で出血することはなかったが、軋んだ足に顔を歪める。力一杯魔獣を蹴り上げ、頭を鷲掴んで首を掻き切った。


 動かなくなった魔獣の死体を投げ捨てて、ストラガは素早く音の出所を探る。

 パキパキと鳴り続ける音は、広間の中心部から聞こえていた。


 ――何だ、あれは――


 一目見て、ストラガはその異様さに息を呑んだ。


 ――緑光の水を湛えるプール、その真ん中の円柱に載ったオブジェが、パキパキと音を立てて複雑に変形していた。


 否、オブジェが、ではない。

 オブジェ全体に入った罅が削れるかの如く大きくなり、そこから生える大量の根の隙間を縫うように、細長い何かが伸び始めているのだ。


 急激に周囲へと繁茂しつつあるそれの形は、一枚の葉も付いていない枝を想わせる。

 しかし、薄い青の光沢を帯びたそれは水晶を想わせる硬質な質感を持ち、俗に言う「植物」とはかけ離れていることを証明していた。


 パキパキ、パキパキ、パキパキ。

 巨大なプールさえ越えて、『それ』は無数の『枝』を張り巡らせていく。『それ』が目指していたものにストラガが気付いた時には、『それ』はもう次の行動に移っていた。


 ――ずちゅり。


 あちこちに転がっていた黒緑色の骸へと、『枝』が突き刺さる。ぶるり、と小さく揺れた魔獣の骸が、砂の塊が崩れるように消滅した。


 一体何が起こったのか、ストラガが無意識に瞬きをした、刹那。



 ――ガギンッ!!



 次の瞬間目の前に現れた細身の背中と、刃物同士が打ち合わされた時のような金属音に、ストラガははっと思考を取り戻した。


 こちらに背を向けて立つのは、長い鳶色の髪を一つ結びにした女。

 その女――アリアナが、ストラガ目掛けて槍のように繰り出された『枝』の一振りを、手にした艶消しのナイフで切り払ったのだと悟ったのは、足元に切断された『枝』の先端が落ちてからだった。


「な――」


 瞠目したストラガを無視して、アリアナの姿が掻き消える。見失った女の姿はウェーザの背後に出現し、再び硬質な音を立てて幾本かの『枝』を断ち切った。


「貴様――生きていたのか!」


 伸びてきた『枝』を蹴り一閃でへし折って、ウェーザが唸るように叫ぶ。

 アリアナはしれりとした顔で口角を釣り上げ、艶消しナイフを唇に当ててみせた。


「嫌だなぁウェーザ、まるで敵に言うみたいな台詞」

「何処から現れ――いや、それより何なんだこの魔獣共は、この大量の枝のようなものは!」

「私が操ってるわけじゃないんだから、私に当たったってしょうがないわよ。例の台座を操作したのはストラガで、私は触れもしていなかったんだから」


 平然と答える彼女に、ウェーザが歯軋りしながら魔獣の首を刎ねる。

 まるで二人を助けるような行動をしているアリアナに違和感を覚える。不意に、彼女が表情を真面目なものに変えてストラガを見た。


「尤も、予想はつくけどね。ストラガ、左手に着けてる魔術具(ウズ)を停止させなさい!」

「これをか!?」


 ストラガの左手首には、ここまでの道案内兼鍵として使用した黒石と、六角盤の魔術具が装着されている。魔獣を吹き飛ばしながら問い返す彼に、アリアナは頷いた。


「此処は遺跡の中枢、必然的に大量の魔力が集まってるはずよ。そこに強力な魔術具を持ち込まれて、長年休止状態に置かれていた遺跡機能が暴走を起こした可能性が高い。停止させるだけで良いわ、とにかく一度遺跡を落ち着かせないと、この暴走がいつまで続くか分からない!」


 叫ぶように説得されて、ストラガは舌打ちした。

 確かに、それは考え得る。自分たちは間もなく遺跡を離れるから良くても、近く派遣される後任が到着する時まで暴走が続いていては調査に拘わるだろう。


 ウェーザはこちらを見もせず、攻撃を捌くことに集中している。決断はこちらに任せるということだろうと考えて、ストラガはアリアナの言いなりになる不快さにもう一度舌打ちをしながら左手に手を伸ばした。


 この魔術具を停止させるには、使い手自身が正しい操作で停止命令を出さなければならない。どちらが欠けても防御機能が発動して指が吹き飛ぶため、ストラガは慎重に作業を進めた。

 カチン、と突起の一つを押すと、空中に白いタッチパネルが浮き上がる。上司から教わった暗号を打ち込み、更に口を近付けて合言葉を吹き込んだ。


 ふ、と六角盤が光を失い、設置していた黒石がころりと外れた。

 同時に、ストラガの左腕――丁度左手首の少し手前に、菱形をした白銀色の石のようなものが浮き上がってくる。

 直接肌に埋め込まれたそれを一撫でしてから、ストラガは「止めたぞ」とアリアナに告げようとして、



「はいお疲れ」



 音もなく切り飛ばされた己の両腕に、ストラガは、刹那思考を奪われた。


「――……は?」


 ウェーザの口から、間抜けな声が零れて落ちた。


 直後、ずぶ、と濡れた音を立てて、ストラガの背中から何かが突き立てられる。

 胸から突き出た、赤を纏った何かが見える。『枝』ではない。もっと黒くて、密やかな。


 熱。次いで激痛。


 視界が斜めに傾いで、彼はようやく自分が倒れ込もうとしていることを知った。

 平常と何ら変わらない笑顔を浮かべるアリアナを見ながら、ストラガは真っ赤な血液を撒き散らして地に伏した。


「――貴、様ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


 激昂したウェーザがありったけのナイフを虚空に投げた。隠し持っていた幾十というナイフが赤く輝き、アリアナに刃先を向けてずらりと宙に浮く。


 しかし、ナイフの群れが放たれるより、アリアナが動く方が早かった。

 アリアナの足元から伸びた黒い影のようなものが地面を這い、ウェーザの足を絡め取る。全ての意識をアリアナに奪われ、バランスを崩したウェーザの肩に、上から降ってきた黒緑の魔獣が食らいついた。

 ――降り注いだ『枝』が、ウェーザの全身を貫いた。


 がらがらと音を立てて、操作を失ったナイフが一本残らず落ちた。

 大きく目を見開いたウェーザが、無音の断末魔を上げる。

 痙攣しながら倒れたウェーザの体から、ずるりと『枝』が抜けていった。

 肩に食いついて離れない魔獣に構わず、更に数匹の魔獣が寄っていき、それぞれがしっかりとウェーザの足を咥えた。


 ストラガの足が、何かに掴まれる。

 身動きも出来ないまま視線を送れば、ウェーザの足を払ったのと同じ黒い何かが、ストラガにも巻き付いていた。


「――この――」


 ぐ、と強く引っ張られ、ストラガの口角が歪む。

 ニコニコと笑い続けるアリアナに向けたそれは、憎悪と嘲笑と敗北感を等分に含んだ歪な笑みだった。


「――クソ女め」


 血を吐くような言葉を残して、ストラガは緑光のプール目掛けて投げ飛ばされた。

 ウェーザが黒緑の魔獣に引きずられ、諸共水に沈んでいく光景を最後に、ストラガの意識もまた水底へと呑み込まれた。




※※※




 水面に上がってくる気泡が完全に途切れたのを確認して、アリアナは自らが切り飛ばしたものを拾い上げた。


 肘から上を失った、ストラガの両腕。

 左腕に付いていた六角盤の魔術具と黒石を回収した彼女は、血の気を失った肉がぶちぶちと音を立てるのも構わず、白銀色の石をむしり取る。

 それから無傷の右手を開かせ、六角盤の魔術具を持たせた。

 ポケットから小さな四角い板を取り出し、ストラガの右手に握り込ませる。


 しばらく間を置いてから、彼女は声に出さずにカウントを始めた。

 三、二、一と呟いた彼女の前で、二つの物体を握り締めた右腕が、ばぢんと音を立てて消失した。


(ん、時間ぴったり)


 六角盤を媒介にして指定された時間に発動する転移魔術は、今頃ストラガの右腕を『二つの遺品』と共に彼らの上司の元へと送り届けているだろう。


 数多の命を呑み込んだプールの水が激しく波打ち、強弱に輝き始めている。

 黒と白銀色の石を懐に収め、彼女は凄まじい勢いで広間中に腕を伸ばし始めた硬質な『枝』を愉快げに眺めた。


「全ての薪がくべられて、ようやく炉は動き出す。最後の贄が位置についたら、崩壊までは秒読みだ。さあて、可愛いあの子とその片割れは、一体どう動くかな」


 唄うように独り言ちるアリアナの背後、いつの間にか再び開放されていた出口の一つから、ゆっくりと人影が現れる。


 ずるり、ずるりと足を引きずるように現れたぼろぼろの男――煤けた白銀色の大筒を手に虚ろな目で進んできたサイジェスへ、彼女は朗らかに笑ってみせた。



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