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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
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82:人生万事塞翁が馬

 この遺跡に関してよくよく調べ上げているというだけあって、オーリを引き連れて歩くノヴァの足取りには全く迷うところがなかった。

 当面大人しく従う他に道のないオーリは、先程起きた小さな地響きを気にしながらも、ちょこちょこと早足で付いて行く。


「地響きなんかより、さっきの話の続きを聞かせてくれ。態度のおかしい野盗二人が、お前が何の所用者だと言ってたって?」

「なんかって言うほど軽い問題じゃないような……。えーと何だっけ、ハル、ハク、ハム……白菜一丁、大王イカ……」

「夕飯の買い物でも頼まれてたのか?」

「違います。――あ、思い出した。『ハクサ・ディオード』、です。多分!」


 次の返事は、すぐには返らなかった。沈黙を保ったまま歩き続けるノヴァを、オーリは疑問符を浮かべながらちらちらと見やる。


「……ふぅん。【まつろわぬ影の眼(ハクサ・ディオード)】、ね」


 ややあって、オーリが言ったのよりもずっと滑らかな発音で呟いて、ノヴァは口の端を微かに釣り上げる。

 含んだ意味は分からなかったが、歪んだ弧を描いた唇に何となく背中がぞわっとして、オーリは水に濡れた猫のように毛を逆立てた。


「――とっ、ところでノヴァさん、面白い所って、具体的にはどんな場所なんですか? もしかして、出口に繋がる道だったりとか」

「何故オレがそんな親切なことをしなければならないんだ?」

「あっ、デスヨネー!」


 強引に変えた話題に対して心底不思議そうに見下ろされて、オーリは引きつった笑顔を返した。いや、別に期待なんかしてなかったけどね!


「仔猫、その【まつろわぬ影の眼(ハクサ・ディオード)】というものを、お前は正しく認識――していないな」

「質問から一瞬で確定に到達しましたね。ハクサ・ディオードって、黒い大きな石のついた幻術特化の魔術具のことじゃないんですか? 以前人に貰ったんですけど、私が所持してる貴重品なんてそれくらいしか心当たりがありませんし」

「マタタビ代わりにそんな稀少品をくれてやるとは、世の中には気前の良い人間もいるもんだ」


 溜め息を吐かんばかりの様子で、彼は呆れたように呟いた。


 オーリが足を傷めていることを知りながら歩調すら緩めないノヴァの性格は、割り切りが良過ぎていっそ清々しい。

 階段を登ったり下ったり、隠し扉を通ったり。

 いい加減オーリの方向感覚は滅茶苦茶で、ノヴァとはぐれたら自分は元の場所にも戻れないだろうなと考えてから、迷子なのは最初からだと思い出して肩を落とした。


 勝手に悄気ているオーリの様子は特に気にすることもなく、ノヴァが頑丈そうな扉に向かって人差し指を縦に一閃する。

 それから何をするでもなく扉を開ければ、先にはまた通路が続いていた。


「さっきから何度かそんな感じのことやってますけど、何の意味があるんですか?」


 指を動かす、ノックをする、ノッカーを回す。まじないのような彼の行動が不可思議で首を傾げると、ノヴァはあっさりと答えてくれた。


「道と道を繋ぐ鍵のようなものだな。正しい開け方をしないと、扉が全く別の場所に繋がってしまう。気を付けないと、扉一枚潜った瞬間に退路を見失うぞ」

「あらゆるものが私を陥れようとしているように思えてきた」

「信じよ、されば道は開かれん」

「大人はみんな嘘つきだ……っ!」


 一歩間違えば遭難必至の状況下、真っ直ぐな目で適当ぶっこくノヴァなんて、抜けた睫毛が目に入って地味に苦しめば良い。

 悲哀と理不尽に満ちた現代社会への呪詛を心の中で吐き散らしつつ、オーリは落ちていた小石を蹴飛ばした。

 ひゅごがシャッ、という音がして、人型をした石像の片手が粉々に砕けた。


「…………」

「…………」


 ノヴァが黙ってそちらに視線を送って、砕けた小石と石像を見て、それからまた淡々とオーリを見た。


剛猿(ゴリラ)と言われたことはないか」

「よく分かりましたね畜生!」


 意図せず怪力がバレたオーリは膝を突かんばかりになって叫んだ。世界は悲しみに満ちている。


 ――それから幾つの扉を潜った時か。

 動物の頭のような形をしたドアノッカーに手をかけて、ふとノヴァがオーリを振り向いた。


「そう言えば、仔猫。お前、ここの水を口にしたか?」


 脈絡のない質問に、オーリがきょとんと目を瞬く。


「水路の水ってことなら、私は飲んでませんよ。遺跡で口にした水は、リゾットを食べる時にノヴァさんに分けてもらったものだけです」

「ふん、なら問題ないな。オレの使う水は全て遺跡の外から汲み出したものだ」


 喉が乾いても、水路を流れる水を飲もうという気にはなれなかった。

 澄んでは見えても生水だからという意識が強かったからだが、傷めてひりつく喉で目の前の水に食らいつけないのは生殺しに近いものがあったので、もうしばらく水分の補給が出来なければ、我慢し切れず水に顔面を叩き込んでいたかも知れない。


 オーリの返答にノヴァは満足そうに頷いて、ノッカーを持つ手に力を込める。

 何故そんなことを聞くのかという疑問は、目に入った部屋の様相に押しのけられた。


(――これはまた、それっぽい)


 ノヴァに続いて踏み込んだ部屋を見回して、オーリはぱちりと目を瞬いた。


 苔むした石像や柱が並ぶのは、別に珍しい光景ではない。

 目立つのは、正面の壁に大きく描かれた絵。煌々と輝き、オーリたちを威圧する、丸い魔術陣だった。


 奇妙なことに、その魔術陣からは渾々と水が溢れ出していた。小さな滝のように湧き出す澄んだ水は床の窪みを通って両端の水路へと落ちてゆき、そこから更に部屋の外へと運ばれていく。


 しばらく前に野盗たちが喋っていたことを思い出して、オーリはごくりと唾を飲み込んだ。


「……あの、この向こう、まさか貯水槽の中とかじゃないですよね?」

「そうだと言ったらどうする?」


 にんまり笑って見下ろしてくるノヴァを見上げ、オーリは思考する。

 ノヴァが自分を殺そうとする可能性。このまま自分が前進したなら、彼は溺死を約束された罠のど真ん中に自分を放り出して、馬鹿な子供だと笑うだろうか。


 十秒ほども沈黙してから、オーリは魔術陣に向き直った。


「……このまま魔術陣に向かって進めば良いんですか?」

「ああ、開けっぱなしの扉を潜るのと同じようにすれば良い。何だ、進むのか?」


 確認する彼女にノヴァが目を細める。

 試すような、脅すような彼の言葉に、オーリはぎゅっと拳を握り締めた。


 彼ならば裏切らない、なんて思えるほど、オーリはノヴァと親しくない。

 ノヴァの腹の内なんて、読み切れるほど賢くない。


 けれど、一つ。これだけは分かる。


「――ここで私を殺して、あなた何か面白いことでもあるんですか?」


 身も蓋もない台詞を言い逃げして、オーリは真っ直ぐ魔術陣へと飛び込んだ。

 ふはっ、と吹き出すような笑音が、ほんの一瞬背中を叩いた。


 ここまで気紛れにオーリを導いてきたノヴァという男の性格が限りなく愉快犯のそれであるとさえ悟っていれば、『今この瞬間彼がオーリを陥れるか否か』という問いには割合あっさり答えが出る。


 要するに、彼がオーリにまだ観察価値があると思っている限り、故意に彼女を殺すことはない。見殺しにすることはあるかも知れないが、その手で直接の死地に放り込むことはしないのだ。


 殺して一瞬の絶望を楽しむよりも、そこそこ興味深い観察対象を好き勝手に泳がせて、時々ちょっかいをかけながら長く眺めて。

 そう、たとえペットボトルに詰め込んだアリの巣程度にしか思われていなかろうと、価値を見出されているのといないのとでは雲泥の差なのである。……アレ、なんか悲しくなってきた。


 ――何はともあれ。


 内心ひやひやしてはいたものの、どうやら今回の賭けには無事に勝ったらしく、オーリが潜った魔術陣の先にあったのは、貯水槽でも落とし穴でも魔獣の巣でもなく、水の匂いに満ちた巨大な空間だった。


 さあさあと爽やかな音が、四方八方から心地良く耳を打つ。随分とマイナスイオンに溢れた部屋だと思いながら、オーリは周囲を見回した。


 円形の部屋の大きさは、周りを走って一周するだけでも一苦労するだろう。平均的な民家が何十軒入るかも分からない。

 見上げているうちに首が痛くなりそうなほど高い天井や壁は石造りで、霧のような水のカーテンで覆われている。光の加減で七色に輝いて見えるそれは、広間全体を染め上げてひどく神秘的だった。


 近付いてよく観察すれば、壁には複雑な溝が彫り込まれている。天井から流れ落ちる水が溝を通り、床を走る細い水路や、先程通ってきた魔術陣の向こうへと移動しているようだった。


 そして、何よりもオーリの目を引いたのは――


「美しいだろう」


 背後からノヴァの声が聞こえて、オーリはようやく彼の存在を思い出した。


 アシンメトリーを印象とする男は、オーリには目もくれず、じっと部屋の中心を凝視している。

 その瞳には恍惚にも似た熱が宿っているように見えて、オーリは初めてこの男をまともに人間だと思えたような気がした。


「はい。――なんだか怖いけど、確かに綺麗です」


 素直に答えて、オーリもまた大人しくそれを見据える。


 広い広い空間の中央。

 その広間の全てがそれのためにあると言わんばかりの存在感を放っているのは、たっぷりと水を湛えた大きな池と、そこから聳える巨大な樹だった。


 細い幹が幾千と絡み合い、捩れ合って極大な一本の幹を形成しているように見えるその樹には、奇妙なことに葉が一枚もついていない。

 代わりのようにあちこちへと伸びる無数の根は、水の中から這い上がり、床下や天井にまで潜り込んで、見えない何処かへと続いていた。


 大量の水を含むこの空間では、普通の植物は腐り落ちてしまうだろう。

 見たことも聞いたこともない特徴を持つ大樹を、オーリは目を細めて観察した。


(ん? これ、幹かと思ったら……もしかして気根ってやつ?)


 一般に植物の根は地中で発達するが、地上にある茎や幹から空気中に出る、所謂気根と呼ばれるものも存在する。

 例えば蔓性の茎を他に固着させる付着根、先端が地中に入り体を支える支柱根、密生して幹を厚く包む保護根。


 目の前にある樹は気根が下方に向かって成長し、幹と一体化して複雑な形状を作り上げているようだった。

 深い色をした幹の奥、僅かな隙間からちらりと何かが見えた気がして、オーリは無意識に歩み寄り、


「触れるのは無理だぞ」


 やる気のなさそうなノヴァの警告に立ち止まった。


「…………」


 足元の小石を、オーリは軽く樹の方へと蹴ってみる。

 カラカラと石畳を滑っていった小石が、樹から数メートル――丁度池と床との境目辺りに触れた時、樹が碧く輝いた。



 ――キィー――………ン――



 幹を丸ごと包み込む、角張った碧いドームのような結界だ。

 それに小石が接触したかと思うと、その部分から波紋が広がるように硬質な輝きを乗せていく。


 澄んだ音の余韻を最後に再び沈黙した結界と、それに守られた大樹を、オーリは息を詰めて見つめていた。


「……ノヴァさん。あの結界、解除とかは出来ないんですか?」

「出来るものならとうにやってるさ。あれは膨大な数の魔術式を並列し、圧縮して暗号化を施しているから、下手に弄るとリバウンドを食らってこちらが吹き飛ぶんだ」

「成程。道理でノヴァさんが自重するわけだ」


 納得したオーリは辺りを見回し、「で、此処が遺跡の中枢部ってわけですか」と呟いた。


「その通りだ。魔力濃度から推測したか?」

「や、そっちはあんまり分かんないんですけど、どうやら此処、今までで一番大量の水があるみたいですから。血管みたいに水路が這い回ってる遺跡の中で、水が集まってる場所ほど重要な施設だと考えるのは当然でしょう」

「ふむ、単純な論理だが正解だ。此処は動力室、言うなれば遺跡の心臓部に当たる」


 喋りながら、ノヴァが大樹の方へと歩み寄る。

 怪訝に思ってそちらを見たオーリは、壁際で動くものを認めて眉を上げた。


 絡み合った根の向こうからひょこりと顔を出したのは、赤みがかった体毛と扁平な体を持つ小型の生き物。

 ノヴァがディフェンダーと呼んでいた、彼の使役する魔獣がそこにいた。


 ディフェンダーがするりと這い出し、大樹に向かってのそのそ進む。

 小さな蹴爪が池の水に触れても、結界は反応しなかった。

 そのまま水中へと潜ってしまったディフェンダーには目もくれず、ノヴァは結界数歩前に佇む。屈んで指先で何度か床を叩き、ぼそぼそと短く唱えると同時に、池の水が大きく波打った。


 あの魔獣が、水中で何かしたのだろうか。思考を深める暇もなく、ノヴァの足元がぼこりと動く。

 ぎしぎしと錆びた音を立てて持ち上がったのは、人が二、三人は立てるだろうか、半円形の柵に区切られたフィールドだった。床より三十センチミルほど高くなったその壇上に、ノヴァは平然と立っている。


(なんか、裁判で被告人が立つとこみたい)


 若干失礼なことを考えつつ、オーリはノヴァの元に行く。制止されないのを確認してから、自身も慎重に壇上に上がった。


 ウィン、と音がして、ノヴァの手元に光るパネルが出現した。

 キーボードのようなものか。たたた、とノヴァの指が踊り、四角く切り取られた幾つもの映像が虚空に直接投影される。


「此処、動力室なんじゃありませんでした? 制御室も兼ねてるんですか?」

「いや、制御室は別にある。此処も多少の命令系統は有しているが、遺跡機能に対する干渉力自体は大したものじゃない。まあ、簡単な操作に周辺の監視、短距離転移(ショートワープ)くらいか」

「へえ」


 ノヴァの説明を聞きながら興味津々に見上げてみれば、どうやらディスプレイが映し出しているのは、遺跡の内部や周辺一帯の景色であるようだった。

 リアルタイムで映されているのだろう、山や空が薄暗い影に覆われかけていることに焦りを感じる。


 外は日が沈みかけているようだ。刻一刻とタイムアップが近付いている不安を押し殺すように、遺跡内部の映像へと意識を向けた。

 この遺跡の中にいるのはオーリだけではない。未だラトニとアリアナと合流できていない以上、たとえ可能だったとしても、自分一人で脱出してシェパに帰ることは出来なかった。


(……ん?)


 せめてラトニの姿でも見つからないかと目を凝らしているうちに、オーリはその映像が不自然に揺れていることに気付いた。

 監視カメラのようなものを使っているなら、映っている景色は静止映像が多いはずだ。

 けれど実際には、映像は小刻みに揺れている。例えるなら、ビデオカメラを持った人間が、歩き回りながら辺りを映しているかのように。


 ――あの魔獣たち、か。


 閃くように答えに辿り着いて、オーリの眉間に皺が寄る。


 ディフェンダー。遺跡内の何処にでも行けるあの魔獣の眼がカメラの役割を果たしているのだとすれば、まるで移動しているかのように景色が流れていくことにも説明がつく。

 自分の推測が正しいなら、どうやらあの魔獣は予想以上に遺跡機能に深く食い込んでいるらしい。ラトニやアリアナが魔獣に妙なちょっかいをかけられていないと良いが、と思いながら次々と切り替わる映像を眺めていたオーリが、ぴくりと反応して身を乗り出した。


「――ノヴァさん、左から二番目のディスプレイ、一つ前の場所に戻してください! それからもうちょっと視点(カメラ)を引いて!」


 矢継ぎ早に告げられた指示に、ノヴァが素早く操作を進める。すぐさま切り替わった映像を、オーリは食い入るように凝視した。


 遺跡内の、一体どの区域なのか。

 そこには瓦礫の山が出来ていた。時々からりと破片が崩れ落ちる、まるでゴミ捨て場にも似たその場所に、小さく小さく、動く影がちらりと映った。


「あそこ! 右奥の小山の傍!」


 一点を指差して、オーリは叫んだ。

 その場にいる魔獣が駆け出したのか、急速に目的の地点がアップになってくる。接近する魔獣の存在に気付いたらしく、がしゃんっ、と小山の方で音がした。


 魔獣が小山の向こうへと滑り込む。ぐいぐいと瓦礫の中から何かを引っ張り出そうとしていた『その生物』が、こちらを見て威嚇するように短く鳴いた。

 水色の羽に、手乗りサイズの小さな身体。きょろりとした大きな瞳が、警戒を含んで不穏に揺らいだ。



「――――クチバシいぃぃぃぃぃぃ!!?」



 あまりと言えばあまりに予想外の再会に、オーリは絶叫した。

 瓦礫の中から転がり出てきた、薄汚れた茶色い毛玉のようなものが、小鳥の足元にころりと落ちた。



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