79:こっちにおいで、可愛い仔
遺跡や魔術に関して大した知識など持たないオーリであっても、恐らくは何百という年月を眠り続けてきたであろうこの遺跡を覚醒させ、再び正常に機能させることがどれほど困難であるかくらいは、幾分分かるつもりでいる。
取り扱い説明書など存在しない遺跡を、独自に探索し、解明し、魔力を通す。言葉にするなら簡単だが、それには確実に卓越した――否、そのような言葉では収まらない、尋常ならざる魔力量と知識量を必要とするはずだ。
優秀な協力者が複数いるなら話は別だが、今回は恐らくいない――つまり、ノヴァの単独行為と見て良いだろう。
ノヴァ曰く、彼は今「一人旅」の最中。尚且つ置かれていた荷物を見る限り、多人数が共に行動しているようには思えなかった。
(大規模な構造物を複数人数で連携して操作しようと思うなら、相方との生活拠点を離すことにはデメリットしかない。つまりこの遺跡は今現在、ノヴァさんが一手に握っているってこと。……なんかもう、私には想像もできないレベルの話だけど)
オーリの知る中で最も才能と魔力に優れているラトニですら、ノヴァと同じことなど――少なくとも現時点では――絶対に出来ないだろうと言い切れる。
だって、必要とされるのは魔力だけではない。たとえ遺跡全てではなく日常必要とする最低限の箇所だけを機能させるとしても、その「必要最低限」を取捨選択することにすら膨大な知識が要求されるのだ。
勿論、この巨大な遺跡全てを一人の魔力で賄うなど、常人どころか人間のなせる業ではない。
恐らくは、遺跡そのものがある程度自家発電の機能を備えているか。それでも万が一制御を誤れば、遺跡は容易く干渉者に牙を剥く。
魔力でゴリ押し? 冗談じゃない、自ら目覚めさせた遺跡に接続した魔力回路から一瞬にして魔力を吸い上げられ、オーバーヒートを起こした魔力回路が身体ごと破裂して死ぬか、魔力がカラカラになって干からびて死ぬかが精々だ。
――だからこそ。
遺跡の壁を床を天井を、見渡す限り青い魔力の光で埋め尽くしてみせたノヴァの行動は、未だ遺跡から脱出するルートさえ判明させていないオーリに対して、この上なく有効なパフォーマンスであった。
彼が何処まで遺跡を操れるのかが分からない以上、この遺跡内に安全地帯など決して存在しないのだと、オーリはあの一瞬で思い知らされたのだから。
「おいおい、固くなるなと言っただろう? 心配するな、オレはそれほど攻撃的な人間じゃない」
にこやかに告げるノヴァに、オーリは何とか引きつった笑顔を返した。
確かに攻撃的ではないだろうが、あのあからさまなラスボス顔を見る限り、恐らく倫理観も大して持っていないに違いない。
多分、理知と理性は人一倍有していながら、好んでその枷を外しているタイプ。自覚と知性のある愉快犯は、時としてそこらの凶悪犯を遥かにぶっちぎって恐ろしいのだ。
(多分この人は、自分の行動が引き起こすだろうあらゆる悪影響を計算して、その上でそれらを全て無視――どころか、全開の笑顔で楽しめる人だ。王都で会ったエルゼさんとかとはまた違った、『敵に回すと怖い相手』)
正直、人間を通り越して災害に遭遇した気分である。
いっそ一片の興味も向けられなければ、路傍の石ころの如く無視してもらえただろう。こんな非常時でなければ、精神面においてはそちらの方が優しかったに違いない。
「……どうしてノヴァさんみたいな人が、こんな所で呑気に一人旅なんてしてるんですか……。ろくに荷物も持ち歩けないでフィールドワークするより、それなりの機関に雇われて腰落ち着けて研究した方が、情報でも人脈でもよっぽど手に入るでしょうに」
疲れたように呻くオーリへと、ノヴァの手が無造作に伸びてくる。
ビクッと肩を震わせた彼女の耳元を通り過ぎ、細い指が濃茶の頭髪を撫でた。
存外優しい手つきだったが、気分としては捕食者にふんふん匂いを確認されている小動物だ。
ぷるぷる小刻みに長い髭を震わせて硬直する野鼠のような少女に、ノヴァはぼそりと「怯えたモモリネズミみたいだな」と呟いた。褒められているような気はしない。
「そうだな……オレ自身、組織に属するのが好きでない、というのはあるな」
するりと髪を滑ったノヴァの手が、オーリの首に触れる。
一瞬、そのまま締め上げられるかと疑った指は、真新しいチョーカーの上から細い首に絡み付いた。
一撫で。
滑らかに動いた親指が、微かな力を込めて喉笛を押した。
「…………っ、」
ぐっ、と息を詰めたオーリに、紺瑠璃の双眸がゆるりと細まる。
チョーカーに一つだけ付いた飾りの毛玉を興味深そうに撫で、その手を後頭部へと回した。
よくよく手入れの行き届いた髪をかいくぐり、ノヴァの手が後ろ首に触れる。
「だが、何故旅をしているかと聞かれるのなら、答えは単純だ」
――――パキンッ。
トン、と優しく。
ノヴァが後ろ首を指で叩いた瞬間、小さな小さな乾いた音が響いた気がして、オーリはぱっと背後を振り向いた。
少女から離れたノヴァの手には何も持たれておらず、床を見ても何かが落ちている気配はない。
空耳だろうか。そう思って首を傾げるオーリに、ノヴァは何事もなかったかのように、笑みを含んだ言葉を続けた。
「知りたいんだ――この世界について、可能な限りを」
「…………?」
その台詞に単純な探求心だけではない何かを見た気がして、オーリはぱちくりと目を瞬いた。
紺瑠璃の瞳が奥底に含んだ何かが、ほんの一呼吸の間、ゆらりと浮かび上がったように思えた。
「……あの、それって、」
「とは言えそんなことを主張しても、立場がお偉方の不興を買って国を追われたはぐれ魔術師じゃ、苦笑を買うのが精々なんだがな」
にこやかに、道化て続けたノヴァの言葉に。
意図して空気を塗り替えられたことを察して、オーリは口に出しかけていた質問を呑み込んだ。
――どうやらさっきのは、「試験」の一環ではなかったらしい。
ふと覗かせた彼の素の欠片を、オーリはただ大人しく無視することにした。
「えー、はぐれ魔術師って言っても、ノヴァさん相当能力高いでしょう。一体何やって、『手放してもらえる』までになったんですか?」
「ははは、何だ、気になるのか? 心配しなくても、今のところ追っ手なんかはかかっていないはずだ」
「やだますます気になる。こそっと教えてくださいよう。安心してください、私の口は固茹で玉子のように固いので!」
「あんまり固くなさそうな例えだな。つまりあれだ、貴族と言っても、感情任せに損得投げ捨てるような無能なんていくらでもいるってことさ」
「わあ、階級社会って怖いですね」
その一言で大体の裏事情を把握して、オーリは納得の声を上げた。
どんなに正当な理由があったとしても、上位層の人間が否と言えばそれで結論が下されてしまう。そんなことが社会常識として通っている現実と比べれば、前世の学力主義がどれだけ健全かよく分かろうというものだ。
試験の点数に汲々とするシステムにはオーリも前世で心底げんなりしたものだが、あれは少なくとも、一定の基準においては全ての者が限りなく平等な評価を受けることが出来るという利点があった。
生まれた時点で全てを決められ、それを変えるために努力することすら許されない、なんてことにはならないのだから。
(尤もノヴァさんには、大した障害にもならなかったみたいだけど)
ノヴァほどの技能を得るまでに至るならば、独力ではまず無理だ。そこそこ高名な学び舎か研究機関、師匠などに付いていた可能性が高い。
有名所に所属するほど人の目は集めやすくなるし、「手放した結果敵に回られるくらいなら、いっそ今のうちに抹殺しておこう」などと考える権力者もいるだろう。
放逐された、なんて名目で『逃げ出す』ことも相応に難しくなるはずだが――どうやら名前も知らないそのお偉いさんとやらは、見事にノヴァに手玉に取られたらしい。
「何を他人事のように。仔猫、お前こそその支配階級に座している側だろうに」
パキョンッ、とメープルシロップの小袋を開けつつ事も無げに言い放たれた一言に、感心していたオーリの表情はビシリと固まった。
幾分の沈黙を挟んだ後、徐々に少女の口の端が吊り上がっていく。
別に余裕の笑みではない。引きつった筋肉が起こした反射現象だ。
「……あー……やっぱり気付いてました?」
「フヴィシュナの貴族層は、子供の魔術教育に熱心だからな」
ぢゅごー、とメープルシロップ・改を吸い込みながら意味ありげに笑うノヴァに、オーリは空笑いを洩らした。
青色を含む瞳――つまりは最も分かりやすい魔力持ちの証があったにしろ、世間話の中で「いずれ魔術を習うのだろう」ときっぱりノヴァに言い切られたその時には、オーリの家が富裕層にあることを悟られていると、彼女の方でも気付いていた。
加えて、一般人では知るはずもない大図書館の内情や、魔術文字の知識を色々と知っていることなどから、更に生まれが支配階級か、それに限りなく近い立場であると推測できる。
少しくらいは鎌掛けもあったのだろうが――まあ、がっつり反応してしまったので今更だ。
「心配するな。貴族は好かんが、子供相手に威嚇するほど大人げなくもない。まあ、一回でも階級をひけらかすような素振りを見せたら分からんかったが」
「あはははは、このひとこわい」
さらりと軽く付け加えられた言葉は確実に本音だろう。ぐしゃあっ、と握り潰された空の小袋が、一瞬にして発火して消えた。
…………やだ、灰も残ってない。
「あああああ、そう言えばノヴァさん、神国の大図書館も追い出されたんですか!? 長期滞在しなかったのも揉め事の延長!?」
「いや、そっちは別件だ」
焦って話題を変えたオーリに、ノヴァはあっさり否定した。
「オレとしても大図書館にはもっといたかったんだが、あそこは気の合わん奴がいるからな。その点シェパは貴族の数も少ないし、『良いお友達』も出来たから良い」
「一応何家か、いるにはいますよ。貴族とは関わりたくないのに野盗とは仲が良いってのもどうかと思うけど……」
ぼそりと付け加えたオーリに、ノヴァがきょとんと首を傾げた。
「うん? 別にあいつらと仲良くなった覚えはないぞ」
「……お友達だって言ってたじゃない」
「勿論『お友達』だ。連中がオレの役に立つものを持ち、オレが『使える』と判断する限りはな」
「アッこの人清々しいくらい自己中だわ」
一片の躊躇もない下衆な発言に真顔でそう呻いた直後、オーリの目付きがふと変わった。
――――ぺたり。
二人分の声が止み、生まれた静寂のその隙間。
耳の奥へと張り付くような、小さな小さな音が聞こえた。
「――ほう」
即座に反応して立ち上がり、音の方向を振り向いたオーリに、ノヴァが面白そうに笑う。
けれどオーリには、笑う余裕はないようだった。
(……何か、来る)
ぺたりぺたりと響くのは、遺跡を歩いている時に聞いたのと同じ音だった。
あの時オーリは、不気味な足音に対する得体の知れない恐怖に追い立てられ、正体を確認せずに逃げている。
今近付いてくるものに対してはあの時ほどの恐怖は感じないが、それでも項の毛が逆立つような感覚がして、覚えず目付きが険しくなった。
――ノヴァさんは?
変わらぬ体勢でそこに座し続けるノヴァには視線を向けず、彼女はただ意識のみで男の動向を追いかける。
恐らくオーリよりも先にその存在に気付いていたであろう彼が警戒を見せず、逆にオーリの反応を観察しているということは、今こちらへと向かってくる存在はノヴァがよく知るものである可能性が大きい。
ならば命に関わるほど危険なものではないだろう、とは推測できるが、じりじりと漂ってくる奇妙な空気と、形を掴ませぬノヴァの思考が、オーリに油断を許さない。
青灰色の目で遺跡の奥を睨み付け、彼女はじわりとその戦意を尖らせて――
――ぺた、り。
暗闇から、小さな体躯の影が現れる。
のろのろと明かりの下へやってきたそれの予想外の外見に、オーリは思わず目を瞬いた。
(……え。何これ魔獣?)
ぺたりと身を伏せたように平たい小型の魔獣は、何やら扁平足と、赤みがかった短い体毛を持つ生き物だった。
もたもたとこちらに歩いてくる姿は眺めていると愛嬌があり、小さな目は意外とつぶらで、警戒心を抱かせない。
正直、初めて遭遇しかけた時の心理状態もあってとことん不気味な方向に想像が突っ走っていたのだが、外見だけなら充分愛玩動物で通るだろう。
ぽかんとしているオーリにくつくつと笑いながら、ノヴァは手を伸ばして、真っ直ぐ自分へと向かってきた魔獣の背中を撫でた。
「驚いたか? こいつらはオレの使い魔みたいなもんだ。
――ディフェンダー、と呼んでいる」
「『警備員』……?」
じっと魔獣に視線を注いだまま、オーリはゆっくりと腰を下ろし直す。
ぽす、と背中を叩いたノヴァの手から逃れ、魔獣がのそのそとオーリの元へやってきた。
思わず動きを止めたオーリの周りをぐるぐる這い回り、それから膝に乗っかってくる。固まる少女の膝の上で丸くなり、「ふすー」と鼻息を吐いて力を抜いた。
……おい何だこれ、可愛いな。
まるで甘えたな家猫のような魔獣の態度に、オーリの目尻がにへりと垂れ下がる。
基本、オーリは動物好きだ。人懐っこい小動物なら尚更好ましい。
こんな可愛いのが他にもいるのだろうか、と思った思考を読んだように、ノヴァが口を開いた。
「ちなみに、緑白の毛をした奴には近付くなよ。蹴爪から出る体液が付着すると、消えないマーキングを受けて遺跡に取り込まれる」
スパァンッ、と掬い上げるように投げられた小さな魔獣は、ひっくり返されたお好み焼きを想わせる勢いで虚空をくるくる回転した後、ぴたりと器用に石柱に張り付いた。
文字通り、トカゲかヤモリの如く地面と垂直に『着地』した魔獣は、別段乱暴な扱いに不服を申し立てることもなく再びのそのそと足を進め、そのまま天井に見える罅らしき隙間に潜り込んで消えてしまった。
「…………」
口を噤んでそれを見送り、ぞわっ、と鳥肌を立てているオーリに、ノヴァが肩を竦めて溜め息をつく。
「緑白の、と言ったのに」
「反射行動です!」
力一杯絶叫した。
「やだあああ、怖い! 色んな意味で怖い! 蹴爪あったよ、さっきの奴、確かに蹴爪あった! まさかあんた、元々遺跡のシステムに組み込まれてた魔獣を、独自に改造して使役してるんですか!?」
「そうだぞ。この遺跡はオレが先住者だからな、色々と知っているんだ」
「先住者ってレベルじゃないよ! 最早支配する勢いじゃないですかあああ!」
イロイロ掌握してるんだろうなあ、とは思っていたが、予想以上にやらかしていたようだ。
駄々をこねる幼児の如く一頻りじたばたと暴れた後、がっくりと深く肩を落として、オーリは眉間を親指で押さえた。割り切れない感情を吐き出すように、両目をきつく瞑ってぼそぼそと呻く。
「……そりゃあね。魔術師か、それに類する知識の持ち主が野盗側にいるってことには、最初から気付いてたけど……」
――まずは、転移の発動を封じられた柱のこと。
それから、仲間が罠にかかったにも関わらず、野盗たちが一向に焦る素振りを見せなかったこと。
オーリが監禁されていた時、野盗は隠し部屋に閉じ込められた仲間に関して、全く危惧する素振りを見せなかった。
罠にかかったと分かっているのに全く仲間を心配していないこと、遺跡で罠を発動させていながら被害者本人すら何の危機感も感じていないこと。
(野盗その一が閉じ込められた部屋には、排水口があるって話してた。つまり、まともに機能すれば密室で排水口から水攻めを食らうと推測できる、非常にえげつない仕様の罠だ。にも拘わらず、連中はそれが『発動しないと確信している』かのようだった)
更には、逃亡の際にオーリが踏んだ魔術陣。
ただの不発かと思っていたが、あれはやはり罠だったのだろう。
本来なら転移か落とし穴か、はたまた矢でも飛んできたか。そんなものが、ただ輝いただけに留まった理由は恐らく――
(単純な老朽化か、或いは――遺跡に住まう野盗たちのために、意図的に殺傷力を削がれていたか)
そこまでつらつらと考えてから、オーリは目を開けてノヴァを見上げる。
それから目一杯の悲嘆を込めた声色で、言葉の続きを吐き出した。
「――まさか、それがこんなチートだなんて。あまつさえ、こんなか弱い怯える子供をおちょくって引っ掻き回して遊ぶのが好きな筋金入りの愉快犯だなんて思わなかった……!!」
「はっはっは、人聞きが悪いなあ。オレはそんな非道いことをした覚えなんて一度もないぞ」
「嘘つけえぇぇぇぇ!!」
あっけらかんと笑声を上げるノヴァの言葉なんて信じられるものか。
だってノヴァは最初から、そう、きっとオーリの顔を見る前から、危う過ぎるオーリの立ち位置に気付いていたのだ。気付いていながら、針鼠みたいに毛を逆立てるオーリを試し、本格的に『遊び道具』に相応しいか、猫がボールを転がすようにして確認していたのだから。
「確信したのは、『何をして野盗たちに目を付けられたのか』と聞かれた時ですよ。だって、野盗が子供を攫って来たら、まずは人身売買目的の誘拐を疑うのが普通じゃないですか? あなたはシェパへの転移の妨害の依頼から、おびき寄せて捕まえたい相手がいると知っていた。
たまたま偶然深部に入り込んできた私を見つけた、なんてことじゃない。あなたは初めから、私に目を付けてたんでしょう。恐らくは私に接触したことすら、あなたの計算の内だった。転がり込んできた珍しい玩具の情報に興味を持ったなら、あなたは手を伸ばすことを躊躇う性格じゃないから」
ノヴァの双眸が深みを増す。今やどろどろと渦巻く歓喜を湛えはじめた紺瑠璃が、緊張を堪えて歯を食いしばるオーリをゆらゆらと映し出していた。
「遺跡内を自由に動ける魔獣を操れるノヴァさんなら、ある程度他人の行動を監視することや、誘導することも可能でしょう。
――ねえ、ノヴァさん。私の見張りがいなくなるように野盗の一人を罠にかけたの、ひょっとしてあなたの仕業だったりしませんか?」
――――――嗚呼。
吊り上がる。ノヴァの口角が。さながら歪んだ三日月のように。
言葉にならない肯定を確信して、オーリの奥歯がぎり、と鳴った。
ノヴァが野盗たちと完全な共生関係、或いは野盗の支配下にないことだけは幸いだった。
眠っていた遺跡の機能を目覚めさせたのは、やはりノヴァだったのだろう。
壁や天井に刻まれた紋様を光らせる照明、鍵言葉に反応する出入り口。
選択的に機能させているなら罠の位置とてある程度把握しているはずなのに、野盗はそうではなかった。それはつまり、優位を持つのがノヴァの方であることを意味している。
――さて、オーリの対応が目に適ったならば、次はノヴァはどう出るか。
下手をすれば野盗に対峙するよりも身の振り方に不安を覚える相手だ。
激しく脈打つ心臓に緊張を滲ませて構えるオーリに、ノヴァは出来の良い生徒を褒めるように目を細めた。
そうして、ゆるり。
オーリがどれほど警戒して身構えてもどっかりと腰を据えた体勢を崩さなかったノヴァが、今初めて立ち上がる。
「全く信用がないようだから、敢えてもう一度言おうか。オレは最初から、『か弱い怯える子供をなぶる』つもりなど一切ないし、そうした覚えもありはしない」
オーリを見下ろす男の顔は、幼子のような好意を滲ませていて。
けれどそれを裏打ちするのが、混じりけのない彼自身の好奇心と、それを満足させるためにあらゆる良識を捨て去ることの出来る歪んだ価値観だと分かっていたから、笑い返すわけにもいかずに彼女は背筋を震わせた。
「だってそうだろう? オレはお前のことを、『か弱い子供』だなんて見下したことは一度もない。そうだな、その証明として、きちんと解答に辿り着いた賢い仔猫に面白いものを見せてやろう」
身を翻したノヴァの背中に、オーリは眉をきゅっと寄せる。
――追うべきか、追わざるべきか。
ほんの数瞬の迷いは、けれど結論など最初から決まっている。
数秒置いて小走りに付いてきた少女を見つめ、ノヴァは満足そうに含み笑った。
「ああ、それから一つ、訂正を」
穏やかな声は柔らかくオーリの耳を打ち、しかしその底に新たな何かの色を含む。
どろり、とまた一つ。
ノヴァの瞳が、確かな愉悦を孕んで淀んだ。
「オレが『目覚めさせた』という表現は適切ではない。この遺跡は今もまだ、『目覚めつつある真っ最中』なんだよ」
歌うように紡いだその言葉の意味を、今のオーリには理解できないけれど。




