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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
77/176

75:誰も寝てはならぬ

 下へ下へと伸びていく梯子は、軋むことも揺れることもなく、存外頑丈にオーリの体重を受け止めてくれた。


 もしももっと老朽化が進んでいたなら、落下の危険性に囚われて、下に降りる踏ん切りは付かなかったかも知れない。

 まるでぽっかりと開けた怪物の口に誘い込まれるかのような不気味さに、オーリは己が身を預ける唯一の対象である梯子にしがみつくようにしながら、一段、また一段と足を下ろしていった。


 風の音すら聞こえない静かな空間で、かつん、かつん、と梯子を降りる小さな音だけが木霊する。

 光源のない真っ暗な闇の中、これが上下ではなく平面を移動する道だったなら、きっと途中で身が竦み、立ち往生してしまっていただろう。


 ――灯りが欲しい、と思った。


 今日も上着のポケットに一つだけ入れてきたはずの灯りの封珠は、野盗たちに上着ごと没収されている。

 視力は人並み以上に良いが、猫のように夜目が利くわけではないので、こうも真っ暗闇だと自分の手の先すら見えやしない。


 ――地獄の底に続いているのではないかと思えるほどの長さに、疲労から来るものではない汗が、つう、と頬を伝った時、ようやく梯子は終わりを告げたようだった。


 細い横棒がなくなって、慎重に泳がせた足が床に到達する。

 片手で梯子を掴んだまま摺り足で辺りを探り、足場が途中で途切れたりしていないことを確認して手を離した。


(四角い部屋……かな。あるのは壁の感触だけで、スイッチみたいなものは無し。魔術文字は……こんな真っ暗じゃ、あっても見つけられないか)


 方向を見失わないように注意しながら、一メートルミル四方程度の部屋の壁をコンコンと叩いて回る。一カ所だけ音が違う場所を押してみると、ぐるりと壁が回転して、オーリは部屋の外へと押し出された。


 ――そこは水路だった。

 綺麗に整備された剥き出しの大きな水路を静かに水が流れ、その両脇に細い通り道がある。

 水路は石造り、道も同じく石造り。オーリが出てきた出入り口は、その道の中途にぽつんと立っているようだった。


 天井には再び煌々と灯りを光らせる紋様が、一定距離ごとに刻み込まれている。

 底の見えない水面が、人工の光に照らされてゆらゆらと不気味な陰影を湛えていた。


「水……だけど、飲むのはまずいかな」


 しんとした静寂に僅か心が竦みかけ、それを誤魔化すように小さく独りごちれば、己の声が存外響いて慌ててぱちんと口を塞ぐ。

 鼻孔に纏わりつく水の匂いは野や山中の川と同じ澄んだもののように思えたが、如何せん何処から引いている水かは分からず、寄生虫がいないとも限らない。煮沸消毒すらできない現状では避ける他ないだろうと考えて、彼女は水分補給を諦めた。


(じっとしてても仕方ないね。行ってみようか)


 少し迷って、オーリは右側――下流へ向かう道を選択することにした。

 先程と同じように数本引き抜いた髪を小石に結びつけ、目印として設置する。


 右手に壁、左手が水路、水路を挟んで平行にまた通路。


 そんな形で歩き始めると、今度はすぐに岐路に行き当たった。

 真っ直ぐ前に伸びた通路の壁が一部途切れ、分岐した少し細い水路と通路が右方向へと延びている。前方にはこのまま通路が続いていて、どうやらこの道は単純な一本道ではないようだと眉を寄せた。


(……真っ直ぐ進もう)


 もしもこれからもこの調子で分岐が置かれているのなら、一々調べていては確実に迷ってしまう。

 細道の入り口から身を離し、彼女は再び歩き出そうとして、


「ぎゃふんっ」


 何かに爪先を引っ掛けて、壁に顔を打ち付けた。


 ――嫌がらせか……!


 ぷるぷる震えて鼻をさすりながら、石部分との境目、タイル一枚分程度だけ微妙に浮き上がった石床を睨み付ける。

 建て付けの悪い古代遺跡なんてロマンのない代物、聞いたことがない。石の道はあちこち罅割れていてつっかかりそうになるし、下手に未整備の道よりもここの方が歩きにくいようだった。


 この床は、上階と同じ材質ではないのだろうか。上の道は綺麗に整備されてたのに、こっちだけ荒れているのは違和感がある。

 更によく見れば、罅の向こうからは別の色が覗いているようだった。


(……これ、ひょっとして木? 石部分と二重になってるのかな)


 木の道に、石の道で蓋をする。構造としてはおかしなものだが、と思いながらオーリは身を起こした。


(上階と此処とで構造が違うのかなぁ? 道も、なんかバランス悪くて歩きにくいし。石造りの割にはガタが来てるの……?)


 足元に注意しながら、再び道を進み始める。

 しばらく歩いていくと、やがて道がカクリと曲がっている光景が見えた。


 曲がり角――と言って良いのだろうか。細い分岐路も相変わらず見てとれるが、幅の広い本道はほぼ直角に方向を変え、その先はまた一本道が続いている。

 道を照らす照明も変わらず。傍らを流れる水路も、やはり道に沿って流れている。


(ずっとこのまま一本道なのかな。なら、道に迷う心配だけはなさそう)


 探検し甲斐はないが、今はそれがありがたい。

 生き物の気配はなく、床に耳を押し当ててみても、誰かが移動するような音は聞こえない。

 オーリは一度背後を振り返ってから、再び道を進み出した。




※※※




 ――どれだけ進んだ頃だろうか。

 あれからもう何度同じような曲がり角に行き当たり、そのたび方向を変えてきたか分からない。

 十回は越えていないはずだ、と思いながら、オーリは鈍い痛みを主張し続ける足を宥め賺した。


 常に隣に存在する大きな水路を血管だと思えば、さしずめ幾重にも分岐する細い水路は張り巡らされた毛細血管か。

 無機質な景色に変化が起こる様子も見えず、けれど気のせいだろうか、何だか少しずつ少しずつ、直進する距離が短くなっているような気がした。


(錯覚かな。でもその憶測が正しいなら、この道は遺跡の中心部に続いてる可能性がある)


 恐らくこの道は、角張った螺旋を描くような形で造られている。

 己が向かう先、さらさらと流れる水の音がほんの少しずつ大きくなってきたのを確信して、オーリは僅かに歩調を早めた。


 ――この水がどう循環しているのか、ずっと気になっていた。恐らくこの先に、その答えがあるのだ。


(何処かで水路が途切れてるみたい。溜め池みたいな場所……じゃないな。滝に似てるけど、それより遥かに緩やかだ。大量の水が、もっとずっと深い位置まで、壁を伝って落ちてるのか)


 もしもその水が外の堀に繋がっていれば、辿って行けば出口を見つけられるかも知れない――まあ、あまり期待はできないが。


(多分、現在地は大分地下だろうしね。ここから地上まで、人の通れる道が造られてるとも思えない)


 ラトニがいればなぁ、と唇をへの字に曲げる。

 水系魔術に特化したラトニならば、水一つからでもオーリよりも多くの情報を読み取れるかも知れない。ラトニの使える魔術などほとんど把握してはいないが、少なくとも力押し一辺倒(しかも今は怪我のせいでそれも怪しい)のオーリよりは、取れる手段もあるだろう。


 ――尤も本当にラトニと合流できたとして、まずは怪我について追及されるのが先だろうが。


(ラトニ、怒るだろうなぁ……)


 氷精を想わせる幼い美貌が無感動な瞳を見る見る怒りに染め上げる姿を思い描き、がっくりと落ちた肩は無意識だった。


 もとより鋭いラトニは、ことにオーリの異常に関しては非常に目敏くなる。

 野盗の一人に締め上げられたオーリの喉は未だひりつくし、捻った後ろくな手当てもせずに歩き続けた足も、きっと症状を悪化させているだろう。

 恐らく赤くなっている喉を撫でれば再び咳が込み上げてきて、手をつけられない水路の水へと恨めしげな視線が向かった。


 ――あの野盗――元誘拐犯のことをラトニが知ったなら、少年はどんな反応をするだろうか。


 思い出す。

 路地裏の揉め事にオーリが首を突っ込むたび、呆れたように、困ったように彼女を見つめるラトニの顔を。

 安い正義感に突き動かされる幼稚な子供への積もり積もった憎悪を吐き出し、底無し沼のような怨嗟の目でオーリを睥睨した野盗の顔を。


 街で見つけた誘拐犯も暴行犯も、邪魔するだけ邪魔して命は奪わないオーリのことを、ラトニはこれまでずっと、甘い甘いと再三苦情を呈していた。


 ――報復されても知りませんよ、と。


 呆れと警告を嘆息に込め、告げてきたラトニの言葉を、オーリは理解しても受け入れられなかったし、ラトニもそんなオーリの胸中を正確に悟っていたのだと思う。


 彼は、オーリが殺す覚悟を持っていないと知っていた。

 殺す覚悟がない癖に、踏みにじられる誰かから目を逸らす覚悟もないことを知っていた。


 見てないフリができないから、見捨てることができなかった。

 叩きのめした「悪人」のその後なんて何にも気にしていないフリをして、倒した相手にへらりと笑って背を向けた。


 オーリにとって今追ってきている男は、初めて自分に回ってきた、支払うべき過去のツケだった。初めてまともにその身に受ける、悪意と復讐心の象徴だった。


(まあ、こんなことが一年も起こらなかっただけ、私は運が良かったんだろうけど)


 せめて恨む対象が自分だけなのは良かった、と考える。あの様子では、どうやらラトニの方はどうでも良さそうな感じだったから。


 ――と、その時。

 オーリは前方に、これまでとは違った光景が見えてきたことに気付いた。


 曲がり角ではなく、突き当たり。けれどその壁の真ん中には、大きなアーチ状の扉がぽつりと一つ据え付けられていた。


 意識を切り替えて、扉の観察を開始する。

 水路の両脇にある石造りの通路は、そのまま壁に行き当たって途切れている。

 代わりに二つの道を繋ぐ形で、水路の上に平坦な長方形の橋が掛かっていた。


 木と鉄で出来た扉は、簡素な橋の丁度中間に立っていた。

 扉の下には丁度水路と同じ幅の隙間があり、水はそこから向こうへと吸い込まれているようだ。

 この低さでは、隙間から向こうを覗くのは無理だろう。


 扉に鍵穴はない。代わりに閂が一つ掛かっていた。


 少し迷って、オーリは恐る恐る扉に手を伸ばした。

 罠を警戒しながら閂に手を伸ばすと、重い鉄の棒をゆっくりと持ち上げていく。


 体重をかけて押した扉が、錆びた音を立てて口を開け始めた。




※※※




 ――だぁんっ!!


 重い音を立てて壁に叩き付けられ、サイジェスは食いしばった奥歯の間から呻き声を洩らした。


 目の前に立つ野盗仲間の一人を藪睨みの目で見上げ、彼は殴られた頬に眉を顰める。どうやら口の中を切ったらしい、時間が経てば腫れ上がることだろう。


 べっ、と血液混じりの唾を吐き出せば、目の前の仲間が眉間の皺を深くした。

 頭目のいないこの一団で、現状最も発言力を持つ男。居合わせた数人の仲間を背にして立つその男の首に揺れるカーキ色の首布を、見るとはなしに視界に入れる。


「――テメェは小娘には近付くなっつっただろうが」


 狼が威嚇するような低い声で、男――ストラガが唸った。

 ビリ、と怒気が突き刺さるが、サイジェスは怯まない。逆に太々しくストラガを見上げ、鼻を鳴らしてみせた。


「言っただろ。見張りがいなかったから気になって見てみたら、ガキが縄を解いてやがったから部屋に踏み込んだって。逃がしちまったのは悪かったが、そもそも勝手に持ち場を離れたのも、しっかりガキの身包み剥いでおかなかったのも、テメェやウェーザのミスだろうがよ」

「縄が解けようが、扉さえ開けなきゃ逃げられなかったんだよ! テメェが指示を守って余計なことしなきゃ、ウェーザが見張りに戻って終わる話だったんだ!」


 少女の見張りの役目を負っているはずだったウェーザは、現在ここにはいない。逃げた少女を捕らえるために、遺跡内を探しに行ったようだった。

 苛立たしげに吼えるストラガを、慌てたように他の仲間たちが押さえにかかる。


「まあまあ、その辺にしとけよストラガ! ロッズが罠に嵌まったからって、お前らを呼び出したオレも悪かったんだ」

「シェパへの転移は止めたんだろ? 何処にあるかも分かんねぇこの遺跡から、逃げて遠くに行けるとは思えねぇしな」

「ジドゥリに乗って逃げた奴だって、ガキ一匹だけなんだろ? 精々助けも呼べないまま無駄に山をうろついて、遭難するのが落ちだろ」

「追っ手のことを聞くっつったって、あんなガキがギルド員だってこともないだろうしよ。どうせ大した情報なんて持ってやしねェよ」


 口々に言い募る彼らは、もとより少女に対して然程の価値を見出していない面々だ。

 少女自身に個人的な恨みのあるサイジェスや、捕らえた少女を妙に厳重に囲おうとしていたストラガとは違い、彼らにとって少女は「たまたま手に入った獲物の一つ」でしかない。


 ――だから彼らは気付かない。

 少女が逃げたと知った瞬間、僅かに色を変えたウェーザの目に。

 サイジェスを見下ろすストラガの眼差しが、奇妙な焦りと苛立ちを滲ませていることに。


「……もう良い。

 サイジェス、テメェは他の仕事に戻れ。言っとくが、万一小娘を見つけても、過剰な傷は作るんじゃねぇぞ」


 ――けれど、だからこそ。

 寄ってたかって宥められれば、ストラガはそれ以上、少女に固執する態度は見せられなかった。

 苦々しげに舌打ちしながらも折れた姿に、仲間たちは安堵の息を洩らし、一方でサイジェスの顔は険しさを増す。


「あー、ビビった……。ストラガが切れるって珍しいなー」

「サイジェスも、あんま勝手なことすんなよ」

「おい、誰か昼メシの準備手伝え。食糧庫行かねぇと」

「まず水汲んでくるのが先だろーが」

「また水路まで歩くのかよ、だりぃな」


 それでもう、蹴りはついたと思ったのだろう。やいやい言いながら解散する仲間たちを追うように、ストラガもサイジェスに背を向ける。


「なあ」


 その背中に向かって、サイジェスは言葉を投げかけた。


「もう一人の方の尋問はどうなったよ。あの女から聞き出した情報を、オレぁまだ何も聞いてねぇんだが」


 鳶色の長い髪を赤い髪留めで纏めた、しなやかな体躯の女。少女と一緒に捕らえた、一般人には見えない女だ。

 先に尋問すると言って連れて行った割には、その結果を伝えられることも無ければ、用済みの女がこちらに回されるわけでもない。

 じぃっと目を光らせて問うサイジェスに、ストラガは不機嫌そうに言い返した。


「――監禁してある。ギルドの回し者じゃなさそうだから、テメェらはまだ近付くな。――『余計なことをするなよ』、『サイジェス』」


 肩越しに向けられた視線には、底光りするような色が宿っていた。

 殺気すら籠もった声でそう言い置いて、ストラガは今度こそ立ち去っていった。


(……何企んでやがる)


 その場から人がいなくなるまで待ってから、サイジェスはゆっくりと立ち上がった。


 ――思い起こせば、今日ここに至るまで、サイジェスの人生は二転三転してきた。

 食い詰め冒険者から、シェパの街のごろつきへ。

 それから連続誘拐犯の一団に所属するも、仲間たちが捕縛された後はシェパから逃げ出し、今いるこの野盗の一団に潜り込んだ。


 当時の頭目が冒険者時代の仲間だった縁でそこそこ頼りにされていたサイジェスだったが、数月後、その頭目が山中で魔獣に食い殺された辺りで幾度目かの転機を迎える。

 トップを失った一団を率いた人物の名は、ストラガ。同郷だというウェーザ共々、一番の新入りであったはずの男だった。


 冬が終わる前にシェパを離れ、国外に移動しようとしていた前頭目の意に反し、ストラガは留まって街道を通る旅人や商隊を狙い続け、拠点となる不可思議な遺跡まで見つけてきた。

 前頭目が国を出るために用意していた伝手は、時間をかければ使えなくなる。サイジェスがそう訴えても、度重なる成功に浮かれる仲間たちは全く聞く耳を持たなかった。


 野盗の仕事も遺跡の探索も、仲間たちはストラガに指示されるままに従い、何の疑問も抱いていない。

 ストラガを信用していないサイジェスだけが、ストラガと、そしてウェーザに疑心を覚えている。


 新入りという立場に似つかわしくない手際で一団を掌握したストラガ相手に感じた違和感は、今回の少女の件で更に強くなった。

 何を考えているのか分からない。けれど、それが決してサイジェスたちのためでないことだけは分かる。


(ガキの次は女か。あの野郎、連中を使って何する気でいるんだ)


 ぐしゃぐしゃと髪をかき混ぜる。

 虚空を睨んだ双眸が、薄暗い光を宿して輝いた。

 少女の手で切り傷を作られた腕が、ピリ、と痛んだ気がした。




※※※




 扉の向こうは、再び石の通路が続いていた。


 不便なことと言えば、天井に刻まれた発光する紋様がなくなっていることだろうか。

 然程遠くない前方に光が見えているから良いが、もう少し出口が遠ければ、きっと進むのに難儀しただろう。


 水路は床下を走っているのか、上下左右を石に閉ざされたこの空間に水の気配はない。

 代わりに、手首ほどの太さの何かがあちこちに張り巡らされていることに気付いて、オーリはそっと手を伸ばした。


(やっぱり。暗くて見えにくいけど、これ、木の根か)


 樹皮独特の手触りと僅かな弾力が、オーリの指を押し返す。

 床、壁、天井。まるでついさっき潜った扉が繁茂を押し留めていたかのように、こちら側の光景は木の根に埋め尽くされていた。


 異様と言えば異様だが、危険を感じるほどでもない。

 暗い通路をそのまま進んでいけば、特に罠などもなく出口に辿り着いた。

 入り口と違って、こちらに扉は付いていない。ぽっかりと口を開けた出口を、オーリは眩しさに目を庇いながら潜り抜け――



「――――……!!?」



 驚愕に大きく見開いた少女の双眸が、目の前の光景を映して揺れた。


 ――だだっ広い空間のど真ん中に、巨大な穴が空いていた。


 前世で通っていた高校の校庭サイズ、どころの話ではない。東京ドームでも入ろうかというほどの広さの円形の床は、その八割以上を丸い大穴が占めていた。


 高く高く伸びる天井や壁に緑色の光を放つ紋様が刻まれているが、びっしりと木の根に覆われていることやあまりの広さに光量が足りず、辺りは幾分薄暗い。

 今出てきたばかりのアーチ状の出口を振り返れば、その下部からはやはり水路が引かれているようだ。

 丸く周囲を囲む壁にはオーリが出てきたのと同じような出口が幾つか口を開けていて、その全てから繋がれた水路の水は、例外なく真っ直ぐに大穴へと向かっていた。


(水はここに落ちてたのか。こりゃ人間は使えそうにないな)


 慎重に穴へと歩み寄って覗き込んでみるが、底も見えない真っ暗な大穴に滔々と水が流れ込んでいくばかりだ。

 たとえ専用の装備があったって、これを降りていく気には到底なれない。背筋をぞっと冷たいものが走るのを感じながら、いよいよ行き詰まったかと空笑いを零した。


 ――そしてもう一つ。

 何より気になるのは、その大穴の更に中央。

 遥か下から真っ直ぐにそびえる、一本の長い長い円柱だった。


(柱の最上部の高さは、丁度こっちの床と同じくらいか。幅は半径三メートルミルないくらい、かな……?)


 そこそこ太さはあるのだろうが、あれだけ長い柱がぽつんと立っていると不安定に見えて仕方がない。

 柱の天辺には、奇妙な形のオブジェらしきものが設置されていた。ただしそこにも根が纏わりついているせいで、細かな造形は分からないが。


 ――否。纏わりついていると言うより、あれは――


(オブジェから、『根が生えている』のか……!?)


 懸命に目を凝らしていたオーリは、気付いた異常な光景に険しく表情を歪めた。


 古くなって壊れたのか、オブジェの下部には罅が入っており、どうやら根はそこから外部に溢れ出しているようだった。

 最初は細かった根は見る見るうちに太さを増し、柱を伝わって下に降りたり、そのまま幾十もの吊り橋のようにこちら側へと腕を伸ばし、壁や天井へと伸び上がっていた。


 流石にこれを渡って柱の方へと行く気にはなれないな、と思いながら、オーリは探索を始めようとして――



 ――ぼたり。



 重い何かが落ちた音に、咄嗟にそちらを振り返る。

 見ればそこには、一拍前には確かに無かったはずの、群青色の丸い何かが存在していた。


 一瞬思考が停止して、それからオーリはその物体が何かの木の実であるらしいことに気付いた。

 上に生っていたものが落ちてきたのだろう。そう思って、彼女は木の実の方へ一歩踏み出して――


 ――ふるり、と微かに木の実が揺れた気がした。


 それと同時にオーリの口を、背後から伸びてきた大きな手が塞いだ。


 ひゅっと息を呑んだオーリの体が宙に浮く。直後、脇腹に走った小さな衝撃がその身を揺らした。


 青灰色の瞳が凍り付く。


 ぐじゃりと嫌な音がして、簡素な服に濡れた感触が生じた。


 無為に虚空を蹴った細い足を伝って、濃い赤色が石床に滴った。



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