表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
75/176

73:逃走

 ざり、と足音を立てて、男は小部屋に踏み込んできた。

 逆立った短い頭髪と、顎の小さな傷が特徴と言えば特徴の、確実に野盗の一味だろう出で立ちだ。

 拘束されているオーリを見下すように顎を上げ、男は嘲笑うように鼻を鳴らす。その口端が引きつるように吊り上がった。


「――なんだ、平気そうじゃねェか」


 唸るように吐き捨てて、大股にオーリへと歩み寄る。

 振りかぶられた足を、オーリはただぽかんと目を見開いて追っていた。頑丈な靴と筋肉に覆われた足が、そのまま少女目掛けて叩き付けられる。


「――ッ!」


 男の蹴りが容赦なく腹にめり込んで、オーリは石壁に叩き付けられた。

 咄嗟に噛み殺した苦鳴は喉の奥で潰れ、壁と背中に挟まれた両腕が軋む。


 いくらオーリが頑丈とは言え、防御も取れないまま大の男の一撃を食らえば、そのダメージは骨にまで響く。

 何がしたいのかも明確にしないまま暴力を振るってきた男は、げほげほ咳き込むオーリへと右手を伸ばし、その首をがしりと鷲掴んだ。


「――あ゛ッ!」


 喉笛を圧迫されて、今度こそ掠れた声を上げる。後頭部を壁にぶつけられる衝撃に短く息を吐いて、彼女は苦痛に顔を歪めた。


 このままへし折れても構わないと思っているのか、男の手にはギリギリと力が込められていた。

 少女を見下ろすその顔に宿るのは、ぐつぐつと滾る凶悪な激情。抑え切れない、きっと抑えるつもりもない、汚泥のような憎悪と憤怒だ。


 ――どうにも尋問係の類いではなさそうだが、一体何をしに来たのか。


 生じた疑問に命じられるまま、オーリは荒い息の下で思考を巡らせた。今更ながら努めて出方を観察するため、冷静さを取り戻そうとするかのようにきつく閉じた瞼の下で、青灰色の目が小さく揺らぐ。


(挨拶代わりにまず攻撃とか、チンピラかこいつは……!)


 空気を求めて喘ぐ唇から、唾液が零れて男の手を濡らした。涙に曇る目をこじ開けてどうにか睨み上げたその男は、オーリと目を合わせて、憎悪を吐き出すように短く笑った。


 ほんの少し、首の圧迫が緩くなる。

 このまま窒息死させるつもりはないということか、はたまた言いたいことがあるなら言ってみろという意味か。

 ひぅ、と息を洩らしながら、オーリは震える唇を動かした。


「――何の用で来たんですか? 私まだ、あなたたちには何も聞かれても、答えてもいないはずなんですけど」


 未だ呼吸すらままならない状況で、思考力だけは必死で保ち、彼女は不明瞭な声で問いかける。

 そんな少女の虚勢を見通したように、男が顔を歪めた。苛立ちと愉悦の混じった、底なし沼のような目だった。


「……覚えてねェのか。やっぱりな」


 低く囁かれたその言葉に、オーリは眉間に皺を寄せた。


 野盗として遭遇したことは覚えている。襲われかけて蹴散らしたこともある。

 けれどそれを理由にするにしては、この男の当たり方は度が過ぎているように思えた。


 勿論、性格差というものはあるだろう。

 けれど、先程ここに来た三人目の野盗は、オーリにさしたる興味がないようだった。

 最初の二人は些か毛色が違うらしいが、それでもここまでの怒りをぶつけてきたのは、この男が初めてである。

 見張りでもない立場で、恐らく何処かでわざわざここの鍵を手に入れ、仲間に見咎められないように足音を忍ばせて。


 ――よしんば八つ当たりや仕返しにしても、果たしてこれほどまでにギラギラした目を向けてくるものなのだろうか。


「ああそうだろうよ、そうだろうな。テメェにとっちゃオレたちみたいなのは、野盗もごろつきも誘拐犯の一味も大して変わらねェ。いくらでも湧いて出るただの悪人に過ぎねェもんな。

 なあ『天通鳥』――テメェがそんな面してるってこと、ようやく知れて嬉しいぜ……!」

「…………っ!!」


 獣のようにぎらつく眼差しで切り付けるように叫ばれて、オーリの背中をぞくっと寒気が走り抜けた。


 ――天通鳥。それはシェパの街で、奇妙な善行を積む素性不明の子供を呼ぶ名である。

 街ならともかく野盗の間にまで浸透しているとは思えないその名を、この男は迷わずオーリと結びつけた。それが意味する事態に、オーリの顔が見る見るうちに蒼白になる。


(こいつ、『天通鳥』を恨んでるのか)


 誘拐犯の一味。そんなもの、それこそシェパの路地裏にはごろごろしている。

 けれどその中で、殊更オーリの記憶に焼き付くものは一つだけ。

 まさか、この男は――


「テメェに蹴り飛ばされて出来た傷だぞ。あの、シェパの路地裏で」


 顎の傷を指先で撫で、男が告げる。ようやく巡ってきた復讐の時を、心の底から喜ぶように。


「街で仲間とごろつきやってた頃、テメェに仲間ごと潰されて。でかい仕事で稼いで国外に出るために入った一団は、逃げる間際に警備隊の襲撃を受けた。

 友達(ダチ)が攫われたなんて理由で勝手に首突っ込んできたテメェのせいで、こっちは散々引っ掻き回された挙げ句、最大の協力者まで失ったらしいな。あれさえなけりゃ、警備隊からだって逃げ切れた。スポンサーに切られて、街にいられなくなることもなかったんだ!」


 ――半年前の、集団誘拐事件の生き残りか!


 唾を散らして吼えた男の目を間近に見据えて、オーリの奥歯がぎりっと鳴った。


 ――それはオーリにとって、生まれてから初めて出くわした大きな事件であり、相棒共々絶体絶命の危機に直面した一件でもあった。


 子供を狙った誘拐事件の犯人一味を確保するため、黙って囮になったラトニを追いかけて一人アジトに突入したオーリは、その先で、その事件の極めて中枢に位置する奇妙な青年に遭遇し、交戦している。


 勝てたわけではなかった。オーリはただ、どう足掻いても勝てないだろう敵を味方の前に引きずり出し、締めを丸投げしただけだった。


 結果的に青年は逃げ去り、彼が協力していた誘拐犯一味は最大の切り札を失って、警備隊に捕縛された――とオーリは聞いているものの、残念ながら終盤意識のなかったオーリは、伝聞と推測でしかその辺りの事情を知らない。

 渦中にありながらもやはり「部外者」だったオーリとラトニには、交流のある警備隊総副隊長も、あまり情報を開示したがらなかったから。


「逃げ延びたのか……!」


 正直ふざけるなと叫びたい。自分で他者を踏みにじっておいて、やり返されたら逆ギレなんて許容できるものか。薄暗い牢の中に囚われていた子供たちの諦めたような顔を、意識を刈り取られたラトニの白い顔を、オーリは今でもはっきりと思い出せるのだ。


 けれど男は、そんなオーリの胸中など察するつもりもない。

 口元を凶悪に吊り上げて、オーリの首を絞める手に力を込めた。

 縛られているせいで爪を立てることさえできないオーリが苦痛に顔をしかめ、はく、と口を喘がせた。


 この状況で下手に暴れても、男を逆上させるだけだろう。

 先程部屋を去った、ストラガとか呼ばれていた野盗の言い分では、どうやらオーリからは何か聞き出さねばならないことがあるらしい。つまり、現状この男がオーリを殺すことは、男の仲間たちこそが許していない。


 最低限、命の保証があるのなら、多少の苦痛は耐えられる。

 さっさと気が済んで出て行ってくれないかと思いながら口を噤んでいたオーリの足に、唐突にグギリと嫌な痛みが走った。

 ぎょっと目を見開くと同時に、薄くて硬い感触が押し当てられる。

 反射的に視線を送った彼女の視界に入ったのは、男の靴に踏みつけられた己の足首と――その左手に握られた、鈍い光を放つ大振りのナイフ。


「『天通鳥』は猿みてェにすばしっこいって言うからな……腱の一つでも貰っときゃ、忌々しい足癖も出ねぇだろ」


 ――切る気だ!


 ぞっと戦慄したその瞬間、オーリの腕を拘束していた縄が切れた。

 今の今まで必死にナイフを動かしていた右手が、本能に従って跳ね上がる。


 無力な少女を前に油断し切っていた男に、対応を起こす間はなかった。

 ばっ、と大量の赤が飛び散って、一気に呼吸が解放される。

 武器としてはあまりにも拙い粗末なナイフは、それでも男の右腕を深々と切り裂いていた。


「ぎあっ……!」


 手加減する余裕などあるものか。果たして大きな血管に傷が付いたらしく、勢い良く飛沫いた血はオーリの視界を盛大に汚し、同時に鉄錆に似た異臭を撒き散らした。


 男が手を振り払うと同時に視界の端を小さな何かが飛んだ気がしたが、気に留めてはいられなかった。弾かれたようにオーリを突き放した男から、彼女は飛び退くように距離を取る。


「げほっ……!」


 即座に流れ込んだ新鮮な空気に安堵する間もなく、激しい咳と吐き気が込み上げる。ビリビリ痛む喉を手で押さえ、オーリは奥歯を噛み締めた。腹の奥から胃液が逆流するのを感じたが、悠長に吐いている暇などあろうはずもない。


 ――次に捕まったら、間違いなく殺される。


 不吉この上ない確信に、オーリは即断で身を翻した。

 手の中のナイフは男を切りつけた拍子に刃がすっぽ抜け、今残っているのは柄だけだ。思い切り良くそれを投げ捨て、彼女はよろめく足を叱咤して小部屋から逃げ出した。


「――このクソガキぃぃぃぃぃぃぃぃッ!!!」


 激昂した男の声が、オーリの背中を追いかけてきた。

 向けられる激甚な憤怒と憎悪に真っ青になりながら、オーリは足音を殺す余裕もなく、小部屋の立ち並ぶ一角を飛び出していく。


 オーリがいた小部屋のそれより幾分薄い扉を抜ければ、そこには広々とした廊下が左右に伸びていた。天井にはやはり照明が光っているから、転んで怪我をする危険は低いだろう。

 どちらに行けば正解かと、考えている暇はなかった。オーリは咄嗟に左の道へと向き直る。背後から追っ手が迫ってくる音がガツガツ響いてきて、ひい、と怯んだ悲鳴が洩れた。


(まずい、足痛めてる……!)


 先程踏みつけられた時、足首を妙な方向に捻ったか。骨は無事だろうが鈍い痛みが継続しているし、恐らく肌は熱を持っている。

 更に、罠の張り巡らされた遺跡だと思えば自然と走る速度は下がり、尚のこと追っ手を撒くことが出来ない。長い一本道を駆け抜けながら、せめて分かれ道でもあればと祈った。


(ああくそ、とうとうラトニの予告が現実になったか……よりにもよってこんな時に……!)


 全く、悪い事態は重なるものである。

 街で見つけた誘拐犯も暴行犯も、邪魔するだけ邪魔して命は奪わないオーリのことを、ラトニは甘い甘いと再三苦情を呈していた。

 いつかこうなると薄々分かっていたはずなのに、実際に直面すると予想以上に動揺している己に、オーリは自嘲した。


 ――考えるのは後で良い。今は、何とか後ろの奴を撒かなければならない。


 しばらく走り続けているうちに、オーリはだんだん灯りが少なくなってきたことに気付いた。

 一本道だが、曲がり角には時々出くわす。角の向こうから別の野盗がやって来ないことを祈りつつ、彼女は幾つ目かの角を曲がって――


(げっ……)


 視界の先に続く一本道に人はおらず、しかしその暗さは更に増していた。


 照明の数が減っているのか、はたまた単なる機能不備か。このまま進めばいずれ歩くことも難儀なほど暗くなってくるのではないかと上を見上げた時、足元でカチリと音がした。


 ――もしも辺りが暗くなければ。

 或いは減っていく照明を案じて上方に意識を取られていなければ。

 走っていなければ、足の痛みと追っ手を気にしていなければ。

 そうしたら気付けた可能性の高い、単純な罠だった。


 けれど実際には、オーリの足は僅かな出っ張りを踏み抜いて。

 危険を察した次の瞬間に、床が黄色い光を放つ。


 自分を囲い込むように丸い魔術陣が石床に浮かび上がったのを見て、オーリは全力で顔を引きつらせた。




※※※




 曲がり角の向こうから溢れた黄色い魔術光に、男――サイジェスは眉をきつく寄せた。


 クソ生意気な二つ名を持つクソガキは、噂通り異常に足の速い小娘だった。既に全力で追いかけているのに、一向に差が縮まる気配がない。


(やっぱり、手足の一本くらい奪っとくべきだったんだ)


 同じく捕らえた女の後でこちらも尋問せねばならないからと、小娘を殺すことも禁じられ、恨みと報復を声高に主張していたサイジェスは、小娘に近付くことすら出来なくなった。


 歯噛みしていたところに、見張りをしていた仲間がたまたま席を外したと聞き付け、鍵まで手に入ったことは僥倖だと思ったのだ。

 サイジェスは衝動のまま、鍵を握り締めて小娘を閉じ込めている小部屋に出向き――右腕を切り裂かれて逃げられた。


(あのクソガキ、あんな刃物なんて何処に隠し持ってやがったんだ……!)


 痛みにはそこそこ耐性があるし、最低限の止血もしたが、かつて同じ少女に付けられた顎の傷のことを思えば、腕の痛みさえ増す気がする。

 凍死しようが構わないからきちんと身包み剥がしておかなかった仲間たちを呪いつつ、サイジェスはたった数秒前に少女が通過した曲がり角を勢い良く曲がった。


「チッ……!」


 そこでじんわりと光を失いつつある魔術陣を目にして、忌々しげに舌打ちをする。


 長く続く一本道には、動くものの影は見えない。

 素早く身を屈め、石床に耳を付けてみるが、逃げる子供の足音は全く聞こえなかった。


「転移の(トラップ)かよ……」


 ギリッと奥歯を軋ませ、怒りと焦りに任せて壁を殴りつける。天井からパラパラと細かな破片が落ちて、乱暴な仕草でそれを振り払った。

 苛立ちの理由は、少女に逃げられた悔しさだけではない。仲間たちにも、指示を破って勝手に小娘を襲った挙げ句逃げられたとなれば、流石に言い逃れがきかないだろう。

 一瞬、素知らぬ振りをして戻ろうかとも思ったが、残念ながらあの部屋には自分の血痕が残っている。仲間たちに何と告げるべきかと頭を悩ませながら、サイジェスは踵を返した。


 ――サイジェスは綺麗事が嫌いだ。周囲の庇護を受けぬくぬく生きてきた、現実を理解していない子供の理想論が嫌いだ。

 あの少女が関わるたびに借りは膨らむ一方で、サイジェスの腹奥で煮込まれる憎悪は濃度と粘度を増していく。

 子供の気紛れと安い正義感で幾度となく己の道を潰されたサイジェスにとって、最早あの少女は疫病神そのものだった。


(――にしても、さっきのアレはつくづく忌々しい……アレがなきゃ、ギリギリでガキを掴めてたってのに)


 少女が廊下に飛び出す直前のことだ。短くなびく濃茶色の後ろ髪に手を伸ばしたあの時、ピッと左目を掠めるように行き過ぎた小さな何か――恐らく羽虫か何かだろうが――に怯んで、サイジェスは数秒動きを止めてしまった。

 たまたま運が悪かったとは言え、実に腹立たしい。あれさえなければサイジェスの手は、確実に少女の髪の一房を鷲掴んでいたというのに。


(売り飛ばすなんて甘いことはしねぇぞ。次に捕まえたら両手両足へし折って、尋問とやらが済んだらオレがこの手でなぶり殺してやる)


 未だ違和感があるような左目を乱暴に擦りながら、消化できなかった苛立ちを吐き出すように床を蹴る。

 どす黒い狂気の輝きを双眸に宿しながら、サイジェスはゆっくりと来た道を戻っていった。


 ――頑丈な石造りの壁が、人の手で殴りつけたくらいで破片が落ちるほど震動するはずがないことには、最後まで気付かないまま。




※※※




 その場から、男の足音が遠ざかって。

 更に数分時間を置き、完全に人がいなくなったと確信してから、オーリはようやく緊張を解除して、潜めていた息を盛大に吐き出した。


「――――こっ……わかったあぁぁぁぁぁぁぁぁ……っ!」


 全身の力を集めていた両手両足からやっとのことで力を抜いて、しがみついていた壁から飛び降りる。


 華麗に着地、とは言えず大分ふらついてしまったが、今回ばかりは無理もない。

 何せ彼女は捻った足首を抱え、ほとんど取っ掛かりもない壁の上部の暗がりにしがみつき、殺気も露わに自分を探す男の真上に、至近距離でずっと気配を殺して潜んでいたのだから。


(危なかった! 危なかった! 上を向かれたらその時点で終わりだった! もうちょっと明るかったら絶対バレてた!)


 魔術陣が輝いた時には自分の命運もここまでかと思ったが、何故か何の効果も発動しなかった時には千載一遇のチャンスだと悟った。

 悪鬼の形相で壁を殴りつける男の姿に手が震え、指の隙間から細かな破片が零れてしまった時には、あまりの緊張に生きた心地がしなかった。


 真っ青になった顔でぜえぜえ肩を上下させながら、彼女はバクバク脈を打つ胸に手を当てる。

 自分に対して殺したいほどの怨恨を抱えて追ってくる相手からひたすら逃げる状況なんて、ある意味シリアルキラーと対峙する以上に恐ろしい体験だった。


(出来れば二度と会いたくないけど、そういうわけにもいかないんだろうなぁ……)


 腹の底から深々と溜め息をついて、オーリは暗さを増していく石の廊下に向き直った。


 ――逃げ続けるうちに、随分と奥に入り込んでしまったようだ。未だ出口の在処は見当もつかず、窓の類いも見つからない。


(自分のいる場所も分からない中で歩き回るなんて本当なら論外なんだけど、来た道を戻れば確実に捕まるね。ただでさえ一本道なんだから、次に捕捉されたら逃げられない。……このまま道なりに進むしかないか)


 ぐしゃぐしゃと頭を掻き回し、オーリは暗闇の向こうを睨み付けた。

 フードを被っていない状態というのは正直ひどく落ち着かないが、今更顔を隠したとしても無駄だろう。少し身軽になったと思うことにして、現在地把握と脱出に集中しよう。


 けれど、未だひりひりと痛む喉に顔を顰めて手を当てて、その時オーリはようやく気付いた。


(……飾りの毛玉が一つなくなってる)


 兎の尻尾のような小さな毛玉が二つ揺れていたチョーカーは、今は一つの毛玉の感触しかなくなっていた。

 恐らくナイフであの男の手を切り裂いた時、振り払われた拍子に飛んでしまったのだろう。珍しく気に入っていた装飾具を早々に壊されて、オーリの唇が悔しそうに引き結ばれる。


 ――折角、父上様がくれたのに。


 そんなことを思って眉を下げるも、今更後悔したとてどうなるものでもない。

 一度だけ後ろを振り向いて未練を振り払ったオーリは、しゃがんで服の布を細く切り裂き、黙々と足首に巻き付けた。

 それから努めて足音を忍ばせ、ゆっくりと道を歩き始めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ