表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
73/176

71:胸に差した杏の一枝

 その朝のシェパは、曇天の空に覆われていた。


 ちらほらと漂うのは、降り出すには少し足りないが、早々にシェパから離れてくれるほど軽そうには見えない薄灰色の雲。空気は心なしか湿っていて、「今日は洗濯物干したらヤバいですよー」と言わんばかりだ。


(携帯電話が無いのって、こういう時に不便だなぁ……)


 いつものように起こしに来た傍付き侍女のアーシャに世話を焼かれつつ、オーリはもぞもぞとベッドから這い出した。


 ここ数日は、いつもより少しだけ早く目が覚める。翠月夜を迎える準備で、屋敷内が浮き足立っているからだろう。

 オーリが翠月夜を体験するのは今回が初めてだ。折角の貴重な一日に、雨に降られて風邪を引くのはかなり有り難くない展開なので、正直言って出かけるのは気が進まない。

 それでも無断でドタキャンは駄目だろうなぁ、と思って、オーリは溜め息をついた。


(アリアナさんに同行してるのは、私のメリットの方が大きい話だし。今日も行くって言っちゃった以上、約束破るのはアウトだよねぇ。会うのがラトニだけなら、雨天順延って勝手に判断してくれるんだけど)


 以前の蛇騒動で雨に降られて風邪を引き込み、アーシャや医療師に散々小言を食らった身としては、今回二の轍を踏むのは是非とも避けたい。

 以前は「土砂降りの中で剥き出しの回廊を渡った」で誤魔化したが、再び同じ言い訳は通じるまい。オーリが「手のかからない良い子」であるからこそ、屋敷の何処かにいる振りでプチ出奔を敢行する真似も出来ているというのに、頻繁にオーリの姿を探されるようになってしまっては元も子もないのだ。


(あと、アリアナさんの都合もあるし。『お偉いさんへの献上品』がいつ必要なのかは知らないけど、早く取り戻すに越したことないだろうからね)


 上司の命令でわざわざシェパまでやって来ているアリアナは、雨天だろうが構わず任務を全うしなければならない。すっぽかして来ないオーリたちを待たせるタイムロスを作り、アリアナの心証まで悪くするよりも、早めに向かって合流し、雲行きが怪しくなったら即座に断って帰った方が良いに決まっている。


(なんか、億劫だなぁ)


 悪天候のせいだろうか。窓の外を見上げる頭が妙に重くて、このまま部屋に留まっていたい思いに駆られる。

 どうしようもなく授業をサボりたい学生のような衝動に、強制引きこもり生活をしている今の自分が襲われるとは思わなかったけれど。


「――お嬢様、ボレロはこちらを」


 珍しく下降するばかりの気分に、体調は悪くないはずだがと内心首を傾げていると、幼い主を着替えさせる作業に勤しんでアーシャが声をかけてきた。


 白いブラウスの上に重ねられたのは、柔らかなモカブラウンのボレロだった。

 左の胸元に、丸い印章のようなものが縫い付けられている。これは飾りか、それともブランドのロゴ的な何かだろうか。


(見たことない服だな。つい昨日来た出入り商人から買ったもの? でも、昨日の見本にこのボレロは入ってなかったし、届けられるにしても早過ぎる)


 ふわふわした生地で、手触りは非常に良かったが、もう少し季節が進めば日常使いには暑くなり過ぎるだろう。

 ただでさえこの時期は、日一日と気温が高くなるから。


「お嬢様、着心地は如何ですか?」

「ふわふわしてて気持ち良いよ。でもこれ、春にはちょっと合わないんじゃない? 昨日の商人さんに注文したの?」


 オーリに与えられている衣装は確かに多いが、三日ごとに買い替えるほど浪費を繰り返しているわけでもない。

 服を新調するにしては微妙に型が時季遅れだし、恐らく三回も着ないうちに衣替えとなるだろう。加えてオーリの年齢ならば、再び季節が巡る頃には、もう丈が合わなくなっているに違いない。


 そんなことを思いながら見上げると、アーシャは幼い主を見返して、微笑ましげに目元を緩めた。


「いいえ、昨日のものとは別ですよ。このボレロは今朝早く、あちらのぬいぐるみと一緒に届けられた品です。旦那様が特別に注文していたものが、ようやく出来上がってきたそうで」


 アーシャが指したものは、いつの間にやら棚の上に増えていたぬいぐるみだった。

 居並ぶぬいぐるみに比べて一際大きい、ふわふわしたモカブラウンの兎だ。ロップイヤーのような長い耳を垂らし、くるりと大きな青い目でオーリを見つめている。


「……あれ、お父様が?」

「ええ。お嬢様がこの手触りの生地を好むとお知りになったようでして、ならばぬいぐるみと揃いで服を仕立ててやろうと仰って」


 成程、ならば納得できる、とオーリは頷いた。

 服屋が勧めたのではなく父が唐突に思い至ったのならば、多少の時季違いくらい忘れていてもおかしくないだろう。


「旦那様がお嬢様の日常着を注文なさるのは初めてですから、気も急いていたのかも知れませんね。随分催促されたと、仕立屋が苦笑しておりました」


 喋りながら、アーシャはオーリの首にくるりと何かを一巻きする。くすぐったいと身を捩る前に、パチンと留める音がした。


 アーシャの差し出した鏡を覗き込めば、それは布製のチョーカーだった。

 これも服とセットになっているのだろう、ぬいぐるみとボレロと同色の、上品なデザインだ。兎の尻尾のような、小さな丸いファーが二つ揺れていた。


「……可愛いね」

「お気に召しましたか?」


 柔らかな布の感触は、肌に軽くて不快感がない。これなら他の服と合わせても良いだろうと考えながら、オーリは無意識に唇を緩めた。


 普段のオーリの衣装は、大抵オーリ自身や使用人たちが見繕い、それなりの数を一括購入する。

 一度だけ王都の夜会に出席した時のドレスを除けば、滅多に帰宅しない父、オルドゥル・フォン・ブランジュードが、予算を提示するだけでなく自ら購入してくれた衣装はこれが初めてだった。


「……可愛いね」


 ボレロを見下ろし、もう一度呟いてオーリは笑う。


 オルドゥルのセンスが悪くないことは知っていたが、これなら機嫌取りや子供ぶりっこでなく愛用できるだろう。

 ――オーリが両親に、「家を引き継ぐ貴重な血」としてでなく普通の子供のように気にかけてもらえる機会は、決して多くない。


「――あのさ、アーシャ、今日はお父様とお母様は帰ってくるの?」

「はい。翠月夜がいつ来るか分からないので、ご夫婦共今夜から屋敷にお戻りになるそうです」


 その返答に、オーリは首を傾げかける。イレーナたちは確かに今夜が翠月夜だと言っていたはずだが、と思って、慌てて動きを停止した。


 この世界は、前世世界ほど天気予報が発達していない。

 翠月夜は、ただでさえ数年に一度しか発生しない希少な現象だ。恐らくイレーナたちの予測は彼らの中の誰かが有する伝手か特殊技能が関係しており、公的には本来、正確な予測手段は確立されていないのだろう。


 アーシャたちに下手なことを言わなくて良かった、と思いつつ、窓の外の空を見る。


 ――素直に両親の顔を見たいと思ったのは久し振りだった。

 彼らは、夜になる前には帰ってくるだろうか。


「それとお嬢様、奥方様からも絵本が届いておりますよ」

「そっか。じゃあ、今日はそれを読んで過ごすことにするよ。どんなお話?」

「ええと、神話のようですわね。奥方様に、お嬢様が昔話に興味があるらしいと報告した者がいたようで」


 蛇事件の後、『蒼柩』について調べていた頃のことだろうか。あの時は確か『蒼柩』の単語は口に出さず、国に伝わる古い話を聞くという体で、一部の使用人にも話を聞きに行った。


 ――オーリが両親から贈られるものは、大体決まっている。


 父オルドゥルからは、ぬいぐるみや絵本。

 母レクサーヌからは、やっぱり絵本。

 更に時折、父が知人から貰ったという貴重な食材(主に名前もよく分からない肉や果物だ)や、どこかの職人(パティシエ)が作ったらしきお菓子の箱が届くこともある。


 新しく棚に増えた絵本の美しい青い表紙を眺めながら、彼女はふと、自分が母からぬいぐるみを贈られたことがないことを思い出した。


(遠回しに、ぬいぐるみより教養を身につけなさいって言われてるのかな。でも母上様って、私の教育にはあんまり興味がない印象があったんだけど)


 オーリの部屋にあるぬいぐるみは、全て父の名か、両親の連名で贈られてきたものである。

 オルドゥルがぬいぐるみを贈ってきた後は間を置かず絵本を贈り付けてくる割に、レクサーヌが『個人的に』ぬいぐるみを贈ってきたことは一度もない。

 もしかして彼女はぬいぐるみが嫌いなのだろうかと考えかけて、詮無いことだとすぐに思考をやめた。


(――ラトニとアリアナさんには悪いけど、やっぱり早く出かけて、すぐに帰ってこよう)


 両親が帰宅する前に屋敷に帰り、二人に贈り物の礼を言わねばならない。

 今ならちょっとだけ、心から純粋な笑顔で彼らを見上げられそうだ。

 この服を着てぬいぐるみと絵本を手に礼を言えば、父はニコニコしながら、あの得体の知れない雰囲気を少しは収めてくれるだろうか。

 母はやはり、無感動な目でオーリを見下ろし、一つ頷きだけを返すのだろうか。


「――アーシャ、今日の朝ご飯は何? 私、あっさりしたものが食べたいんだけど」

「はい、承知しておりますよ。今朝はトマトの冷製スープと、コトンのベーコンを挟んだサンドイッチでございます。昨夜はあまり食欲がなかったようなので、料理人(コック)が食べやすいものが良いだろうと言っておりました。体調が優れないようなら、すぐ医療師をお呼び致しますが」

「ううん、具合は悪くないから平気だよ。ありがとう」

「恐縮です、お嬢様」


 こちらを案じるアーシャの視線をへらりと子供っぽい笑顔で流して、オーリは廊下を歩き始めた。


 ――嗚呼本当に。

 今日の外出は、珍しいほど気が進まないなぁ。




※※※




「――成程。その首のチョーカーはそういう訳でしたか」


 バッサバッサと翼を羽ばたかせる深緑色のジドゥリの背中に相乗りしながら、一部始終を聞いたラトニは納得した様子で頷いた。


「オーリさんが装飾品を付けてくるなんて珍しいですから、よっぽど気に入っている品なのかとは思ってましたけど。あなたの髪の色にも合ってるし、確かによく似合ってますよ、それ」

「へへ、ありがとー。ボレロは流石に着て来られなかったけど、チョーカーだけなら目立たないし、上着に隠れるもんね」


 嬉しそうに指でチョーカーを撫でて笑うオーリに、ラトニもほんのりと目元を緩めた。


 オーリが纏ういつものオリーブ色の上着の下、彼女がその細い首に控えめに巻いた珍しいお洒落はその柔らかな色も相俟って、華美でなく過度でなくラトニの目を穏やかに惹く。

 日頃は心の狭いラトニも、慕う少女の親からの珍しく真心籠もった(と思われる)贈り物にまで目くじら立てる気はないらしい。機嫌を悪くする様子もなく、彼は「良かったですね」と相槌を打った。


「んで、今日の外出のことなんだけどさ……」

「ええ、分かってます。構いませんよ、今日はアリアナさんに挨拶したら、僕らはすぐに切り上げて帰りましょう。また風邪を引くのは、僕も遠慮したいですし」

「そっか、ありがとう。私の都合に付き合わせてるのに、色々ごめんね。今夜の翠月夜さえ終われば、また父上様たちも出かけると思うから」

「構わないと言っているでしょう。……あなたの我が儘を聞くのは、嫌いじゃありませんし」


 ぽふん、と後頭部を背後のオーリの胸に預けて、ラトニは小さく付け加える。


 ラトニはオーリに対しては、手も早いし歯に衣も着せない。

 つまり、彼はオーリの前ではとても素直だということで、言葉を飾ることも心を偽ることもないということで。


 ――ならばオーリは、差し出される言葉をそのまま受け取れば良い。

 彼女は口元を緩めて、くふくふ笑い声を洩らす。

 それから、「なら、明日からはまた付き合ってね」と素直に告げた。



 ――昨日も通ったばかりのルートを辿り、やがてアリアナとの合流地点であり、転移の目印である柱の一部が埋まっている場所に着くと、そこには既にアリアナが待機していた。


「あ、アリアナさんだ。アリアナさーん! お待たせしましたー!」

「今来たばっかだから気にしないでー」


 笑顔で手を振ってくるアリアナの姿に、オーリは手を振り返し、ジドゥリに降りるよう指示を出す。

 着陸の指示を受けたジドゥリは相変わらずアリアナのことが嫌いらしく、彼女からやや離れた位置に着地した。

 一歩歩み寄ろうとして即座に威嚇され、アリアナは苦笑して両手を挙げる。


「今日も気難しいわねぇ……ちょっとくらい慣れてくれても良いのに」

「うぅん、なんで懐かないんだろ? アリアナさん、別に何も悪いことなんてしてないのに」


 ジドゥリの背中を撫でて労りながら、オーリが首を傾げる。

 彼女は初めて会った時もジドゥリに追いかけられていたし、やはり相性が悪いのだろうか。犬好きだけど何故か犬には嫌われる、なんて人間は珍しくもない。


「あはは、どうにも昔から、一部の動物には嫌われるのよ。もう正直諦めかけてるから、リアちゃんも気にしないで」

「そうですか? じゃあ、マッスル四郎はあんまり近付けないようにだけ注意しましょうか」

「そうして頂戴、ジドゥリの嘴って割と痛いのよ……それはそうとリアちゃん、ラト君、今日は遅くまで外に出てられるの?」


 アリアナにそう問われ、オーリとラトニは顔を見合わせた。

 ややあってオーリが人差し指で頬を掻きつつ、決まり悪そうに口を開く。


「……あー、実はその、私たち、今日はこのまま帰ろうかと思ってまして」

「……え?」


 ぱちりと一度瞬きする間を置いて、アリアナが間抜けな声を上げる。

 子供たちの顔を交互に見て、彼女はゆっくりと首を傾げた。


「……どうしたの、急に。もしかしてご両親に無断外出がバレちゃった?」

「リアさんのご両親が、今日は家に居るそうなんです。明日からはまた出て来られるので、今日は家で大人しくしているつもりだそうですよ」


 ラトニが無表情で口を挟んで、アリアナが「成程」と頷く。

 納得したかと思ったが、しかしアリアナはふと困ったように眉を寄せ、唸り声を洩らしてみせた。如何にも「どうしよう」と言いたげな仕草に、オーリはきょとんと首を傾げる。


「どうしたんですか、アリアナさん? もしかして、明日は都合が悪いですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどね……うーん、帰らなきゃいけないなら、これ言わない方が良いかなぁ……」

「えっちょっ気になるんですけど。何か進展あったなら教えてくださいよ!」


 迷うように何度も首を傾げるアリアナに、オーリは思わず袖を引いて催促した。

 そうして、しばしオーリを見下ろして思考していたアリアナは、やがてすっと表情を真面目なものに変えてこう告げる。


「――実はね、あの遺跡の調査中に、野盗たちの倉庫らしきものが見つかったのよ」


 ――ぴくりと。

 オーリの目が見開かれた。

 明らかな反応を見せた相棒に、ラトニの眉間にも皺が寄る。


「多分だけど、獲物を保管しておく場所だと思うわ。如何せん中がごちゃごちゃしてるから、私一人で確認するのは無理だけど……」

「……その中に、私の首飾りがあるかも知れないってことですね?」

「あの、倉庫の位置は何処なんですか? トラップや見張りの有無は?」

「位置は、然程奥まった場所じゃないわ。見張りはなし。昨日のうちに主要な罠を解除しておいたから、恙無く潜り込むのに支障はないと思うけど」

「……見張りがいないならリスクは低いね。元々『追っ手に見つからないこと』を重視した拠点だからかな……」


 顎に指を当ててブツブツ言い出したオーリを、ラトニは黙って横目で見やった。


 行動的な少女には珍しく気が進んでいないようだと思っていた顔は、求めていた情報を鼻先にぶら下げられ、既に目の色を変えていた。

 それでも、両親の帰宅に間に合うように帰らなければならないという思いが、アリアナの提案に乗りたい感情にストップをかけているらしい。

 一つ溜め息をついて、ラトニはうんうん唸っているオーリの背中をバシンと叩いた。


「ぐだぐだ考えてる暇があるなら、とっとと行って帰ってきましょう。三人いれば、倉庫の中を調べる手間はそれだけ省けます」

「えええ、でもさ、ラト……」

「そんなに情けなく眉を下げて反論しても、説得力なんてありませんよ。

 確かめに行きたいんでしょう? 明日野盗たちがいなくなっている可能性もあるんです、二時間程度で戻ってジドゥリに送ってもらえば、充分昼には間に合いますよ」


 落ち着いた口調で後押しされて、オーリはしばし口をもごもごさせる。

 突入のリスクと門限、首飾りを天秤にかけ、更に数分迷った後で、ラトニの顔色を窺うようにしながら、それでもこくんと頷いた。


「……うん。ごめん、調べに行きたい。付き合ってくれる?」

「最初から素直にそう頼めば良いんです」

「だって、いざとなるとやっぱりリスクが無視できないって言うか……。あー、予定がころころ変わって本当ごめん」

「リスクも考えずに突っ込んでいく輩よりよっぽどマシですよ。門限だって、そもそもそんなものがあるのはあなただけなんですから、僕は何時間かかろうと構わないんです」

「あと、やっぱり野盗のアジトに突入することになった……」

「首飾りが野盗の手に渡ったと分かった時から、予想出来てたことですね」


 目指す倉庫が遺跡のど真ん中だというなら流石のオーリもやめただろうが、比較的浅い位置で、一度アリアナが偵察したというのならリスクは低い。

 ぺし、と頭を叩かれて、オーリはようやくへらりと困った、けれど少しだけ嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「……ラトは時々、物凄く私を甘やかすよね」

「あなたに与えるものが飴ばかりになって困っています」

「いや割と容赦なく鞭もくれるけど」


 真顔のラトニに真顔で返してから、オーリは改めてアリアナに向き直った。


 なんだか随分待たせてしまったように思うが、アリアナは妙に生暖かい笑顔(警備隊のイアンや薬師のジョルジオが時々するのと同じ顔だ)を浮かべて、二人を待ってくれていた。

 結論が出たと判断して、彼女が急かすように身を翻す。


「行くことにしたのね? なら、さっさと行って恙無く戻ってきましょう。倉庫だけならすぐに辿り着けるわ」

「はい、お願いします。あ、トラップは本当に心配しなくて良いんですか?」

「ええ、解除したら怪しまれそうなのは残してあるけど、位置は調べてあるからちゃんと回避できるわ。遺跡の外側を回り込んで行くから、私が通った後をついて歩いてね」

「はーい」

「宜しくお願いします」


 揃って良い子の返事をして、二人はぽたぽたとアリアナの後を付いて行った。


 転移装置である柱は、昨日と変わらず土と埃に汚れて地面から突き出していた。

 もしも遺跡の在処がバレたと知られれば、野盗たちはこの柱を真っ先に撤去するだろう。そんなことを考えながら柱に触れ、オーリは寄ってきたジドゥリを遠ざけるために手を振ってみせた。


「――それにしてもアリアナさん、ちゃんと休んでます?」


 武器を持った野盗がうろうろしている遺跡を一人で調査して、一晩でトラップや倉庫の在処を探り出して。

 ただでさえ街から遠いこの場所で、彼女はきちんと睡眠が取れているのだろうか。

 ふと疑問に思ってそう問いかければ、アリアナはあっさりと頷いた。


「大丈夫よ、必要な休息は取ってるから。任務が入れば多少の無理は当然だし――それに、王都に待たせてる人もいるもの。早く終わらせて、結果を持って帰らないと」


 ――待たせている人。

 上司か依頼人かと思ったが、何となく違うのではないかという勘が過ぎる。

 オーリから目を逸らし、ふいと空を見上げたアリアナの目の奥に不可思議な色がちらついたような気がして、オーリはぱちりと目を瞬かせた。


 数秒思考を巡らせて、彼女は徐に人差し指をピッと立て、


「待ってる人って、コレですか?」

「……あー、ひょっとして、立てる指は親指じゃないかな」

「……コレですか?」

「うん、素直に立て直さなくて良いからね」


 ちなみにこの仕草(ジェスチャー)は、親指を立てると「彼氏」、小指を立てると「彼女」を意味する。

 苦笑いしたアリアナは「言っとくけど恋人じゃないわよ」と付け加え、オーリに転移の発動を促した。


「はーい。ラトニ、キミは一応手ぇ繋いでおこう」

「はい」


 転移酔いしやすいラトニが、身構えるようにきゅっとオーリの左手を握る。

 オーリは右手で柱に触れ、ラトニとアリアナが効果圏内にいることを確認して、転移の鍵言葉(コマンドワード)を紡ぐために口を開いた。


「んじゃ行きますよー。【道を(ヴィーア・ノーヴァ)】――」

「あ、ちょっとマッスルシロー君、君はもうちょっと離れて……きゃ――――!?」

「――【開け《アヴェリーズ》】うぅぅぅぅ何やってんですかあんたあァァァァァ!?」


 近くをうろうろしていたジドゥリを追い払うようにアリアナが振った手に、ジドゥリが半ば反射で「ウルセエ」と言わんばかりにかじり付く。

 アリアナが甲高い悲鳴を上げたのと、それを目撃したオーリの語尾が跳ね上がるのはほぼ同時だった。


 状況を理解したラトニが、ぎょっとしたように目を見開く。

 三人と一羽の姿が、纏めてその場から掻き消えた。




※※※




 昨日と同じく遺跡へと続く石造りの橋の上に出現したオーリとラトニは、物言いたげな雰囲気でアリアナを見上げた。

 そんな彼らの傍には深緑色のジドゥリがいる。うっかり転移に巻き込まれてしまった彼は、やって来てしまった見知らぬ場所におろおろと周囲を見回していた。


「アリアナさん……」

「…………」

「あ、あははははははははははは」


 転移のショックで解放された手をふらふらさせつつ、アリアナが空笑いを上げる。


「ま、まあジドゥリなら野盗に見つかっても怪しまれないし! ほらほらリアちゃん倉庫はこっちよ、遺跡の外側を通るの!」

「こんな所でドジっ子スキル再発するとは思わなかった……」


 じっとりした目で呻きつつ、オーリは早足で先へ行くアリアナに従った。

 溜め息をついたラトニが数歩後ろを付いてくる気配がして、更に後ろをジドゥリが歩いてくる音がする。どうやらジドゥリも、得体の知れない場所で一匹になるのは嫌らしかった。


 神殿の形をした遺跡の入り口を避け、外壁に沿って歩いていくと、広い庭のような場所に出た。

 ここも全て石畳で、あちこちに黒っぽい小石のようなものが転がっている。

 所々罅の入った石畳は気を付けないと転びそうだったが、アリアナは小石の多い中心部を軽い動作で渡っていった。


 ――トラップがあるかも知れないから、行くならアリアナの通った後を。


 そう言われたことを思い出して、多少気は怖じけたが、オーリは庭の中心部を真っ直ぐ突っ切っていく。

 けれど、その石に覆われた広い庭の、丁度中間辺りを通過したその時。


 ――ずしゃ、と。


 見つめる視線の先で何が起こったのか、一瞬オーリは分からなかった。


 足取り軽く前方を進んでいたアリアナが、糸の切れた人形のように倒れ伏していた。

 声一つ上げずに崩折れたアリアナが微動だにせず横たわっている光景を理解して、オーリは反射的に駆け寄りかけ――


「――なっ――!?」


 刹那に力を失った足が膝を折り、石畳に投げ出されるように倒れ込んだ。


 オーリとラトニ両方の口から、驚愕を含んだ悲鳴が上がる。

 立ち上がれない。上半身を必死で持ち上げ、力を込めた体が麻痺したようにぶるぶる震えるばかりなのを悟って、オーリは奥歯を噛み締めた。


(――油断した! トラップか!)


 アリアナが発見し損ねた罠か、それとも昨日以降新たに設置された罠か。もしも後者であれば、野盗たちはアリアナの侵入を知っていて尚泳がせていた可能性が高い。

 どちらにしろこれは、アリアナが偵察したという事実に気を抜いて警戒を怠った己のミスだ。ここは得体の知れない遺跡で、装備も実力も分からない野盗がうろうろしている。そんな基本的なこと、絶対に忘れてはいけなかったというのに。


「――リアさんっ!?」


 アリアナが倒れた時よりもずっと悲痛な声を上げ、ラトニが駆け寄ってくる。その足音に乱れがないのを確認したと同時に、オーリは全身の力を腕に込め、無理やり体を反転させていた。


 険しく尖らせ己を振り向いたオーリの双眸から何かを察したのか、ラトニの顔からザッと血の気が引く。

 その身へと乱暴に手を押し出し、オーリは問答無用でラトニを突き飛ばした。


 辛うじて手加減する余力はあった。うっかり全力を出せばラトニが投擲武器と化してしまうかも知れないと思ったが、この体調なら元よりそこまでの力は出なかったかも知れないと、ぐらつく意識で思い直す。


 その方向を強制的に逸らされる寸前、最後の一瞬に視線を合わせたラトニの瞳が、零れんばかりに大きく見開かれたのが分かった。


「コローッ!?」


 オーリ(ボス)が倒れたことに驚いたのか、ラトニの後を追うように駆けてきたジドゥリの胸に、ラトニの背中が勢い良くぶつかる。すぐに身を起こそうともがいたラトニの行動を待たず、おろおろするジドゥリに向かってオーリは吼えた。



「――――逃げろっ!!!」



 絶対の意志を孕んだ『ボス』の命令に、野生動物であるジドゥリは即座に従った。

 愕然と口を開きかけたラトニの上着を嘴に咥え、その強靱な三本脚で地面を蹴る。


「待て、戻れ!! 下ろしなさいこの鳥――嫌だ、リアさん!! 僕はもう、二度とあなたを――……っ!!!」


 我を失ったように暴れるラトニの叫び声が見る見るうちに離れていき、遺跡を取り囲む山の方へと、点となって消えていく。


「……あー、くそ……。死ぬかも、これ……」


 ――そうして、複数の足音が遺跡の方からバタバタ近付いてくる音を聞きながら。


 オーリの意識は、真っ暗な闇へぶつんと落ちた。



※杏の花言葉

「臆病な愛」「乙女のはにかみ」「疑い」「疑惑」








「――僕はもう二度と、あなたを置いて逃げたくないのです」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ