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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
72/176

70:銀貨三十枚の誠意

 耳に入れられた言葉に、野盗は咄嗟に返すべき言葉に迷ったようだった。

 抵抗の止まった男に、アリアナはもう一度、同じ言葉を囁いてやる。

 ――男が属する国の言葉で。


『――碧の森にて、紡がれるもの如何に?』


 繰り返された問いかけに、男は更に数秒黙して答えを返す。女が発したのと同じ言葉で。


『……さやけき呼び声。扉の向こうを焦がれる鯨』

『されど歌紡ぐ鯨の声、捉うる者は何処に在りや?』

『未だ来たらず。かの声はただ解き手を待つのみ』


 更に数言続けて、アリアナはゆっくりと男から身を離した。

 戦意を薄めた男はだらりと手を垂らして、けれど警戒だけは跳ね上げてアリアナを振り向く。

 ――野盗たちにすら明かしていない彼の祖国の、今は知る者すら少ない詩の一編を告げた女を。


「何用で接触してきた? まさか連絡員というわけではあるまい」


 意識を切り替えて共通語で問いかければ、アリアナはにぃと笑った。


「あなたたちに用があったの――野盗たちの中に潜り込んでいると思われる、『所属の違う一団』に」


 謳うように告げられた言葉に、男は黙り込む。


「……俺が『そう』だと確信したのは何故だ?」

「さっきの一戦、その国の兵がよく使う型の癖があったわよ。余裕がある時は隠せても、実力を出すとなるとそうもいかない。野盗たち相手に粗野な言葉使いをしているのは、フヴィシュナ出身者が多い野盗たちの中で、母国の訛を誤魔化すためかしら?」


 他の痕跡は全て隠されていた。実際に刃を交えねば、確信には至らなかったかも知れない。

 流石にプロねと嘯くアリアナに、男は眉一つ動かさず、更に問う。


「あの子供らは、このことを知っているのか?」

「私は何も教えていないわ。その必要もないしね」

「何処に所属している」

「それは勿論、フヴィシュナに」

「合言葉はどうやって探り出した」

「それは企業秘密だね」

「ならば――」


 男が口を開くと同時に、アリアナの背後に殺気が生まれた。


「手っ取り早く、捕らえて口を割らせるとする」


 ――会話に乗ると見せかけたのは、仲間が異常を察する時間を稼ぐためか!


 倒れ込むように身を低めたアリアナの髪を数筋切り飛ばし、鋼の閃光が行き過ぎる。

 そのまま地面に両手をついたアリアナは、倒立状態で伸び上がるように背後へ蹴りを繰り出していた。


 ――疾ッ!


 手応えは無し。仰け反るように躱した背後の野盗――否、野盗姿の男の目が、アリアナのそれとかち合った。

 元よりアリアナとて、この男に仲間がいないなどとは思っていない。この場にこれ以上敵が増えるのは勘弁して欲しいのだが、と思いつつ、両者との距離を素早く見てとった。


 ぎりぎり鼻先を掠めたアリアナの爪先を前にして、男は後退しようとしない。

 そのまま躊躇なく手を振るい、晒された腱を狙ってくるのは、闇に目立たぬ艶消しナイフだ。

 数度まみえた野盗たちとは比べものにもならない、洗練された殺気。最早野盗を装う必要性を失い、全力の害意を込めた一撃は、絶妙な角度で曲げられたアリアナの踵で受け止められた。


(うわ、重っ)


 一撃受けて分かったこととしては、この男は相当に力が強いらしい。

 アリアナが穿いているのが色々仕込んだブーツでなければ、どう受けようと靴ごと足を切り裂かれていただろう。


 上から押し込んでくる力に圧されるように一瞬だけ足をぐっと撓め、アリアナは思い切り両足を振り回した。

 背後にいた男の手を右足で弾き、左足がその頬を蹴り飛ばす。


 手を弾かれたと判断した瞬間に、男は一歩前進していた。

 強烈に蹴り付けられながらもアリアナの顔面を狙ってきた男の足は、腕の力だけで跳躍した彼女を捉え損ねて更にバランスを崩す。

 驚異的な跳躍力で男を飛び越えたアリアナが、着地するよりも先に回し蹴り。

 こめかみ目掛けて振り抜いたその蹴撃を、アリアナへと突っ込んできたもう一人の男――最初に接触した方が、仲間と入れ替わるようにして受け止めた。


 するり、と。

 男の手からナイフが落ちた。

 咄嗟に目で追ったアリアナの視界を、猛烈な勢いで何かが過ぎる。

 左の掌底。突き出されたそれがヂッと音を立てて、反射で逸らしたアリアナの頬を掠める。

 素手にあるまじき音を立てたのは、もしやその手に魔力でも纏っているからか。続けざまに撃ち込まれる掌底を、アリアナは逆に相手の懐に踏み込むことで捌いた。


 ぎりぎりまで腕を引き、アリアナの腹目掛けて男が繰り出した右の掌底は、槍の如き速度と圧を持って彼女を迎え撃った。

 その一撃を左手に構えたナイフの峰で受け流して、アリアナは更に一歩を踏み込む。

 閃光となって踊った右のナイフが男の首に先端を突き立てる直前で、男の左手がアリアナの手首を掴んでいた。


 ――数瞬の膠着。


 再度動いたのは、アリアナの方が先だった。

 掴まれた右手を軽く振れば、男はあっさりと手を離した。

 バックステップで距離を取り、彼女はゆっくりと両手を挙げる。


「――やめない? もっと建設的な話がしたいんだけど」

「フヴィシュナの手の者なら、こちらとは利害が一致しないはずだ。誰の命令でやって来たのかは知らないが、取引は既に決裂している」

「それがそうでもないのよねぇ」


 言葉を紡いで、アリアナはゆるりと目を細める。


「フヴィシュナの国益のために動いている人間と話が出来ないのは分かるわ。なら、目的が『フヴィシュナの国益』に反することだったら?

 ひとまず武器を収めて頂戴。私の名はアリアナ・イグラ・ニルギリ。私の雇い主の代理人として、あんたたちの属する国と――ロズティーグ王国と取引がしたいの」




※※※




「――オーリ、そろそろ下ろして良いよー」

「はーい」


 材料袋でスパーリングを始めて、三十分も経っていない頃合いか。

 タイミングを見計らってイルコードがストップを告げると、オーリは素直にラッシュを止めて、落ちてきた袋を掴み取った。

 けれどすぐに手を休めることはなく、それを更にぶんぶんと振り回し始める。


(あの子のやること見てると、あの袋に中身がみっちり詰まってることを忘れそうになるわね……)


 ぼんやり観察するイレーナの前で、オーリは充分に勢いが付いた後で手を離す。

 袋は遠心力のままに吹っ飛んでいく。


 ――跳躍。


 最高高度に達したその袋の上に、壁を蹴って跳んだオーリの姿が出現した。

 ぐるんと縦に一度回転し、少女は勢いのまま踵を袋に打ち下ろす。

 ただしそれを地面目掛けて蹴り落とすのではなく、袋を踵に引っ掛けて、回転させるように頭上へと移動。そしていよいよ最後のシメは――


「――ほいフィニッシュ!」


 着地しざまに決められたのは、縦長の袋の両端を手で抑え、肩に掛ける形を取った、偽・キン肉バスター。ズドォンッ!と響いた衝撃音に、イルコードや幼子たちはパチパチと拍手を送り、イレーナは「あんたストレスでも溜まってたの……?」とツッコんだ。


「すげーやオーリ、超キマってた!」

「それだけ強いなら、もう冒険者ギルドに登録できるんじゃないですか?」

「年齢が足りてなくても、特例で認められることってあったよねー」

「戦士枠?」

狂戦士(バーサーカー)じゃね?」

「あれはもう人間じゃなくて剛猿(ゴリラ)の域だって、警備隊のオッサンが言ってたよ」

「身軽さも猿並みだもんね!」

「将来が怖いな!」

「覚えておきな、ガキ共。ガキの無邪気な言葉は時にナイフより鋭く人の心を抉るんだってことをなァ」

「あぎゃあああああ!」


 冷血非道な宿敵チームに単独で包囲された百戦錬磨のヤンキーの如き荒んだ笑顔でガンをくれながら、オーリは己を剛猿(ゴリラ)呼ばわりしたクソガキの頭にアイアンクローをくれてやる。他の子供たちが「ヴィーロぉぉぉ!」と悲痛な声で叫びながらも一片の躊躇なく散開して逃げていった辺り、己の腕と足を何より頼りにするストリートチルドレンという人種は非常に割り切りの良い連中だ。


「うちのメンバーは皆危機管理能力が鍛えられてて、しっかりした子ばかりで安心だね。あ、ほら見てみなよイレーナ、良い感じに出来上がってる。これなら明日の仕上げも上手くいきそうだね」

「うちで一番しっかりしてるの、ある意味あんただと思うわよ」


 現在進行形で脳細胞を虐殺されている仲間の悲鳴などそっちのけにニコニコと材料袋を確認しているイルコードに、イレーナは溜め息をついた。




※※※




 己たちの祖国の名前を、事も無げに口にされ。

 二人の男の纏う空気に、ぴりりと緊張感が走るのが分かった。


「代理人、だと? 待て、その姓、聞いたことがある」


 二番目に出てきた方――赤銅色の髪を持つ男が眉を寄せた。

 言葉の続きを促すように、一人目――カーキ色の布を首に巻いた男がちらりと仲間に視線を向ける。


「何処かで見たことが?」

「いや、この女じゃなくて血縁の方だ。

 ――アリアス・イグラ・ニルギリ。

 フヴィシュナの『人形王弟』の懐刀で、フヴィシュナの抱える特殊機関に所属していると聞くが、確か双子の妹がいるとか。言われてみれば、性別の差以外は確かに瓜二つだな」


 アリアナの双眸が僅かに歪む。

 女の瞳が不快の色を過ぎらせたのを素早く見て取って、首布の男が目を眇めた。


「兄妹か……あまり仲は良くないようだが」

「らしいな。折り合いが良くないと聞いている程度で、詳しいことは俺にも分からない」

「構わん。今はそれだけ分かれば充分だ」


 そう言って、首布の男がアリアナに向き直る。

 どうやら話を聞く程度の価値はあると判断したらしく、身振りで示されて赤銅色の男が半歩引いた。


 ロズティーグの工作員が何人フヴィシュナに来ているのかは分からないが、まとめ役をやっているのはこの首布の男らしい。そう判断して、アリアナもようやく警戒を緩めた。


 そうして、彼女はゆっくりと口を開く。

 彼女の唯一たる主から預けられた、策謀の一欠片を紡ぐために。




※※※




 材料袋から出した生地に、子供たちの手が伸びていく。

 楽しそうにニコニコしながら率先して作業しているのはイルコードで、がらくたの上に腰を下ろし、膝に頬杖ついて眺めているのはオーリとイレーナだ。


 小さな手でせっせと生地を千切っては形作っていく子供たちを眺めながら、オーリは何となく口を開いた。


「これ見てたら思い出したんだけどね」

「何よ」

「ここじゃない国に、葉っぱを象ったお菓子があってさ」

「へえ」

茶店(カフェ)で働いてた娘さんがお客にお茶を出した時、そのお客が『紅葉のような可愛い手。焼いて食べたら美味しかろう』って言ったのが切っ掛けで創作されたんだって」

「そいつどうしてそんなえぐいコメントしたの?」


 イレーナは半眼でツッコんだ。


「結果生まれたのは、百年以上に渡って土産物の代名詞になるような銘菓なんだけどね。あの子たちがちっちゃい手で捏ね捏ねしてると、なんか思い出しちゃって」

「言われた娘はさぞ怯えたでしょうよ」


 ちなみに銘菓の正体は、かの有名な紅葉の饅頭である。

 明治時代に某初代総理大臣が宮島を訪れた際、本当にあったヤラカシタ話だ。真面目に働く娘の手をどうしてかの総理が焼いて食そうなどと思いついたのか分からないが、多分激務のせいでストレスでも溜まってたんじゃないかなぁ、とオーリは思っている。


「――喰われないように気をつけなさいよ」


 ぼそり、と落とされた呟きに、オーリはイルコードたちを眺めていた目をイレーナの方に向けた。


 膝に肘を立て、手のひらに頬を乗せてオーリを見ているイレーナは、存外真面目な顔をしていた。

 顔に疑問符を浮かべている友人に、彼女は低い声で言葉を続ける。


「北のリーダーが言ってたのよ。あんたとあんたの相棒が、余所者らしき女と行動を共にしてるのを見かけたって」

「……流石に耳が早いね。街の中では接触してなかったはずだけど」

「北方の出入り口は、元々獣や魔獣が出没しやすい場所だから。あいつは他のエリアの連中に比べて、街の外にも気を張ってるのよ」


 街中に散っているストリートチルドレンは、その性質上、自らを守るための情報を得る手腕にも長けている。

 そうして仲間たちが集めた情報を繋ぎ合わせ、活用するのは、グループを纏めるリーダー格の役目だ。

 オーリはイレーナが縄張りとする区域以外を拠点とするリーダー格には会ったことがないが、イレーナも認めるくらいには彼らの手腕も高いらしい。

 機会があったら是非会ってみたいが、当分その余裕はないだろうな、とオーリは思った。


 有事の際は手を貸し合い、それなりの交流もしているようだが、各リーダーたちは別に仲良しこよしをしているわけではない。

 事実、イレーナは彼女が「北の」と呼ぶ人物に、さして好意はないようだった。

 オーリがストリートチルドレンに属さないことや、イレーナたちのグループに深く関わっていること、イレーナたちに受け入れられるようになるまでにもそれなりの時間を要したこと、時間的な余裕。諸々の事情を鑑みて、今早急に別グループへの接触に手間を割かねばならない理由は思い当たらなかった。


「あの人――アリアナさんは、シェパの街で何かしてたの?」


 オーリの問いに、イレーナは黄金の糸のような睫を瞬かせ、記憶を探るように双眸を細めた。


「あたしは見てないけど、北のが何回か見かけてるみたいよ。完全に日が沈んでから、日付が変わって二、三時間くらいの時間帯が多いみたい。場所は確か――」


 幾つかの単語を並べて、イレーナは口を閉じた。その言葉を記憶して、オーリは思考を巡らせる。


(――貴族街や国の研究機関がある辺りが多いのか。訪問……にしては時間が遅いな)


 アリアナが出入りしている区域には、あまり評判の良くない貴族(尤もこの街で普通に評判の良い貴族など、オーリは数えるほどしか聞いたことがないが)も多く住んでいる。

 そう言えば、アリアナは間諜が本職だと言っていた。依頼主に命じられた『何か』を手に入れてくるだけでなく、街の中でも何らかの任務を受けているのだろうか。


(……んー、気にならないわけじゃないけど……)


 余計な事情に首を突っ込まないのは、オーリたちとアリアナの間にある暗黙の了解だと思っている。

 正直、アリアナが上からどんな命令を受けていようと、探り出すとなると途端にオーリの手に余るのだ。

 自分は失くした首飾りさえ戻ってくるのならそれで良い。そう思い直して、オーリは小さく息を吐いた。


「ありがと、イレーナ。一応覚えとくよ」

「どう致しまして。気をつけなさいよ、万一その女がおかしな貴族と繋がってたりしたら、裏で何が起こってるか分からないわ」


 イレーナは、根本的に貴族というものを信用していない。余計なことに巻き込まれてからでは遅いのだと言いたげな彼女に、オーリは宥めるように笑った。


「うん。でもまあ、あの人がお偉いさんと関わりがあるってことは、割と最初から知ってたことだし」

「その女が、何の目的でここに来たか知ってるの?」

「お偉いさんへの献上品を探しに来たんだってさ。私も丁度失くし物しちゃったところで、アリアナさんに手伝ってもらって取り返しに行くことになったの」

「……ふぅん。そうなんだ」


 ――幾つか情報を混ぜ込んだことに、イレーナはすぐに気付いたようだった。彼女は眉をぴくりと震わせ、小さく唇を吊り上げる。


 仮にも手を組ませてもらっている以上、オーリの都合でアリアナの情報をさらけ出すことは出来ないが、イレーナが『勝手に推測する』分には不可抗力だ。

 多分イレーナの方でもオーリに明かしていない情報があるだろうし、後は彼女が自分でそれを組み合わせて何とかするだろう。


 ――たとえ貴族間で起きたごたごたでも、その影響は場合によっては下層階級をも直撃する。

 貴族街に出入りし、目的も分からない「得体の知れない余所者」を警戒しているイレーナのために、これくらいしてやっても良いはずだ、とオーリは思う。

 アリアナの事情も勿論斟酌するけれど、やっぱり彼女以上には、イレーナの方を贔屓したいのだ。


「……まあ、良いわ。ともかく、これからも行動を共にするつもりなら、あんたはその女……アリアナとやらに充分警戒して頂戴。

 お貴族様のえげつない権謀術数に関わってるような人間がその気になれば、あんたみたいな猪娘、気付く間もなく鍋で煮込まれてペロリよ。あたしたちだって、大事な薬師(ファルマシスタ)を失くしたくはないからね」


 イレーナの手が、オーリの手のひらを拾い上げる。

 手遊びのようににぎにぎと遊びつつ、形の良い唇を尖らせたイレーナの声が確かに心配そうな色を含んでいるのを聞き取って、オーリは素直に頷いた。


 アリアナに関する情報源だから、という理由もあるだろうが、そこにはオーリ個人に対する情もきちんと存在しているのだろう。

 それくらいの信頼関係は、築けていると自覚している。


「分かってるよ。どの道今回限りの関係のつもりだし、ヤバいと思ったらすぐ逃げようって、ラトニにも言ってある」

「なら良いけど。今回限りでも、一応は信用できると思ったんでしょうし」


『互いの事情に深入りし過ぎない』のは、オーリとイレーナの間での暗黙の了解でもある。

 溜め息をついてオーリの手を離したイレーナに、オーリは「うん」と頷いた。




※※※




「――確かにそれなら、筋は通るな」


 アリアナの話を聞き終えて、首布の男が言った言葉に、赤銅色の男が眉を寄せた。


「信用するのか?」

「この女がキュートス候の手の者だというのが事実なら、こちらには確かに利がある。こちらでは限られた上層部でしか知られていない動きも掴んでいた。ただのブラフだということはないだろう。

 ――少なくとも、この女が手土産にした情報の一つは、この後倉庫を調べればすぐに真偽が分かる」

「…………」


 赤銅色の男が、小さく唾を呑んでアリアナを見やる。

 上層部が――否、彼らの祖国が一つでも多くの手札を欲しがっていることを、彼もまたよく知っていた。


「……なら、この女自身は信用できるのか? 本当にこの女の言に乗るなら、この女は確実に自分の兄と――アリアス・イグラ・ニルギリと敵対することになる」

「気になるのか?」

「腹の見えない男だった。あの男はニルギリ家の後継候補で、本人も切れ者だと噂がある。『人形王弟』の懐で何を企んでいるのか分からんが、限りなく中核に近い位置にいることは確かだぞ。この女でさえ、アリアス・イグラ・ニルギリの一手でないとは言い切れないだろう」

「アリアス、アリアスってしつこく引き合いに出すのは止めてくれないかしら」


 不快そうに声を低めて、アリアナが冷ややかに口を挟んだ。


「私がアリアスの策謀にハイハイ従うとでも? 属する機関は同じでも、仕える相手は違う。家の中同士で対立する程度、珍しくもないことだわ」

「それでも、お前の実兄だろう。土壇場で情を挟まないとも限らない」

「こんな職業に就いてる人間が、本気で言っているとは思えないわね。唯々諾々と生家に従い、王弟の飼い猫にまでなった兄と一緒にしないで欲しいんだけど。私はニルギリ家が大嫌いだし、フヴィシュナ王国にだって情はないの」


 反論する赤銅色の男に、アリアナはさしたる感慨もなさそうに言い立てる。未だ納得のいかなさそうな顔の男を掣肘したのは、首布の男の方だった。


「その辺にしておけ。……確かに、王弟派について情報が入るのは悪くない。あそこの王弟は『人形』だ、主君を傀儡にして誰が実権を握っているのか、こちらには未だに分かっていないんだ。ファルムルカ子爵との対立が激化する前に、一つでも情報を集めておきたい。我らが祖国のためにも」


 仲間の抗議を切り捨てて、首布の男が結論付けた。

 赤銅色の男が口を閉じ、小さく奥歯を噛み締める。


「……裏切ったら覚悟しておけ。何処に逃げようが追いかけて、俺が殺しに行ってやる」


 己を睨み付けて吐き捨てられたアリアナは、つまらなさそうな目で男を一瞥し、「覚えておくわ」と返した。


「――それで先程の提案、本気なのだろうな?」

「ええ、勿論」


 首布の男の確認に、アリアナはこくりと頷いた。

 赤い唇が弧を描き、ゆるりと愉悦を浮かばせる。まるで仮面を付け替えたようなそれは、一国の裏に凝る闇に浸り続けた、諜報員の顔だった。


「『手土産』は一つじゃ意味がない。私を信用してもらうためにも、この行動は必要だわ」






「――まあ、色々読めないところもあるけどね。でも、何だかんだで面倒見の良さそうな人だし、ラトニに対しても気遣ってくれてるみたいだし――」



 イレーナを見返して、オーリは告げる。へらりと呑気な、気を抜いた笑顔で。



「私の寝返りが事実だという証拠として――」



 二人の男を見返して、アリアナは囁く。深淵の策意が潜む微笑で。



 一人の女と一人の少女が、奇しくも同じ時間、異なる場所で、互いの存在を口ずさむ。




「――――私、あの人のこと結構好きだよ」




「――――明日、私が行動を共にしている少女を、あなた方に引き渡そう」




「お偉いさんへの献上品を探しに来た」「私『も』失くし物をした」という台詞から、


・「献上品はこれから購入するのではなく、既に用意されていたものがこの付近で紛失された」ことを示唆。


・「代えを探すのではなくわざわざ取り戻しに来る」、つまり「代替が利かない品物」なので、「場合によってはもっと上の奴が出てくるかもよ」。



 また「オーリの失くした物を取り返すのをアリアナに手伝ってもらう」という台詞から、


・「仕事中のアリアナが手を貸してくれる」→「つまり二人の目的の品物は同一の場所に存在する」


・「『取り返す』と表現した」→「つまりそれを奪った、少なくとも現時点で手元に置いている誰かが存在する」


・「得体の知れない大人の手を、オーリがわざわざ借りている」→「獣や低級魔獣程度の相手ではない」


 などのことが推測できる感じです。

 まあ無いより良いかなー程度の内容なのは、一応アリアナへの義理立て。その辺もイレーナ嬢なら即座に察する。



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