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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
68/176

66:いとつむぎ

「そう言えば、飛ぶのって結構な力と筋肉が必要なんだって聞いたことがあったなぁ……」


 幾分湿気を含んだ風の中、心なしかいつもより空が青く見えるその場所で。

 樹上よりも山肌よりもずっとずっと高い位置で足をふらふらさせながら、オーリはぼそりとそう呟いた。


 彼女の言葉に応じるように、すぐ前に座ったラトニと、背後に座ったアリアナがこくこく頷く。


「身体の軽さも必要だそうですね。おおよそ大人二人分の体重乗っけていつもの調子で飛び立とうとすれば、そりゃ落ちますよ」

「ああ、分かる分かる。私の知り合いの鳥系獣人の女の子もね、ちょっと長期休暇で引きこもってゴロゴロしてたらニワトリ並みにしか飛べなくなってて、物凄くショック受けたって言ってたわー」

「わあ、獣人あるある」

「むっくむくに太った鳥とか、見てる分には可愛くても、身軽そうには見えませんよね」

「しかも付き合ってる犬系獣人に無言で涎垂らされたとかで、更にショック受けてたわー」

「あるあるその二」

「彼氏、後で死ぬほど謝ったでしょうね」

「ブランド物のコーヒーカップ一式セット貢いで土下座されたって言ってたわよ。あの子の種族ってキレると的確に肝臓を抉り込んでくるから、きっと彼氏も凄く怖かったのね」

「嫌な習性だなぁ……」


 ばっさばっさと必死で羽ばたく巨鳥の、鈍く深緑に輝く背中。

 縦一列に座って遥か地上を見下ろしながら、三人で呑気な(ある意味非常にコワい)世間話を交わす。


 眼下に広がる山野の中、小さな谷のように割れたその場所には、うぞりうぞりと時折蠢くトコブシモドキたちの群れ。

 つい十数分前には執拗に弾丸を繰り出してきたそれらは幸い上空の生き物には興味がないようで、こちらに攻撃してくる気配は窺えなかった。


 頬に触れては後方へ流れる、冷たい風を切る感触。背後に腰を据えたオーリの腕の中、帽子が飛ばないよう片手でしっかり押さえているラトニの髪が、さらさらと泳いで仄かな石鹸の香りを漂わせた。


 ――三人を乗せたジドゥリが一度飛翔に失敗した、あの後。

 張り切っていた分なんだかやたらと愕然とした表情をしたジドゥリは、それから次には地面を踏み切りながらバタバタと必死で翼を動かし始めた。


 幸いにして間もなく飛び立つことは出来たのだが、背中の重りは予想以上に負担になっているらしく、マッスル四郎という可哀想な名前を付けられたジドゥリは、今もなかなか必死の形相で高度を保っている。


 オーリたちとしては例のトコブシモドキたちがいる細道さえ飛び越えられればそれで良いので、雲に届くほどの高度を飛ぶ必要はない。

 なので、現在の高さはおおよそ五階建てのビルの屋上に届くか否か、というところだが――


(飛行機以外で空を飛ぶのは初めてだけど、これ予想以上に不安定だな……。床と屋根の偉大さが今更分かったよ)


 ちらりと視線を下に逃がして、オーリはそう考えた。


 足の下の大地は遠く、何より剥き出しの身体が縋る対象が、巨体とは言え鳥一羽というのが微妙に精神を削ってくる。

 飛行機という手段に馴染み、精神的にも図太いオーリでこれなのだから、気の弱い者や高所恐怖症なら泣いて嫌がるに違いない。


(もっと大きな鳥なら、安定感もあったのかなぁ。でもそうしたら今度は、掴まる場所に困りそうか)


 前後をラトニとアリアナに挟まれて、オーリはあまり動かないように注意しながらそっと前後の様子を窺った。

 ジドゥリの首にしがみついているラトニは大分緊張しているようで、心なしか背中が強張っている。乗り物酔いしてはいないようだが、帽子と前髪の下から覗く唇は少しだけ強く引き結ばれていた。


 背後のアリアナだけはいつもの調子に思えたが、それが真実彼女の精神が頑丈なためか、それとも単にオーリからは顔が見えないために分からないのかまでは判断がつかなかった。

 バランスが悪い中でもきちんと背筋を伸ばしているのは、騎馬の心得でもあるのか。彼女の職業柄、一般人ではしないような経験をすることもあるだろうし、或いは別の手段で空を飛ぶ機会でもあったのかも知れない。


 ――やがてトコブシモドキたちのいる区域を過ぎると、一気に緑が少なくなった。

 岩の灰色や土の色に、細い木が時折ぽつりぽつりと生えている。

 ざあ、と吹き寄せた風に木がしなるのを横目にしながら、オーリは肩越しにアリアナを振り返り、「そろそろ降りてもらいましょうか?」と提案した。


「細道は過ぎたけど、野盗たちの姿が見つからないのが気になるんですよねぇ。中継点がどうとか言ってましたし、近くに抜け道があるか、もしくは……」

「また転移魔術を使って、恙無くどこかに飛んだかってことね。じゃあ、ちょっと降りてもらえるかしら?」

「はーい。マッスル降りてー」


 ぺしぺし羽を叩いて告げると、ジドゥリは安堵したようにコロ、と鳴いて一気に高度を落とした。

 どうやら些か疲れてきたところだったらしい。人間を背に乗せた慣れないフライトに、オーリはさもあらんと苦笑する。


 ――疎らに草の生えた地表へと着地すると、アリアナが真っ先に飛び降りて辺りを見回した。そうして懐から菱形をした何かを取り出し、あちこちに向け始める。


「ほい、ラト」

「…………」


 次いでオーリが着地した後、ラトニに向かって手を伸ばしてみせる。

 物言いたげに唇を曲げたラトニだが、結局は素直にオーリの腕目掛けて飛び降りた。

 オーリは時々過保護だが、ラトニもそんな彼女にあまり抵抗しない。しっかりキャッチされたラトニはすぐに地面に降りて、ようやく緊張を緩めたように深々と溜め息をついた。


「ラト、平気? 酔ってない?」

「酔ってはいませんが、体が痛くはなりました。以前大蛇に乗った時も後で筋肉痛が起きましたが、空を飛ぶのはもっと疲れますね……」

「ラト、あんまり体力ないもんね。空飛ぶのも初めてだし」


 喋りながら二人でジドゥリの羽を撫でて労ってやると、ジドゥリはコロコロ喉を鳴らして表情を緩めた。


「悪いけど、帰りも送ってもらわなきゃならないんだよね。だから勝手に帰っちゃ駄目だよ」

「コロ」


 オーリが言いつけるとジドゥリは素直に喉を鳴らし、オーリの手へと頭をすり付けてくる。

 ジドゥリがふらふらと辺りの散策を始めたのを確認してから、二人はようやくアリアナの方を見て首を傾げた。


「ところでアリアナさん、さっきから何してるんですか? それ方位磁石?」

「んーん、これは魔力を察知する魔術具だよ。精度は低いんだけど、こうやって近くにいると――」


 喋っているうちに何か反応があったらしく、アリアナの顔がぱっと上がった。彼女が駆け寄った先にあるものを見て、オーリはぱちくりと目を瞬かせる。


 最初オーリは、地表から突き出ている白っぽい何かを、岩か何かだろうと考えた。

 けれど自分も近付いてみて、それが地中に埋まった縦長の何かの、恐らくは人の手で加工された物体の一部であると悟る。


「へえ……」


 手を触れないままぐるぐる周りを歩き、しばらく物体を観察してから、考え深げに目を細めたアリアナが小さく声を上げる。


「一応、手掛かり……ではありそうですね。アリアナさん、他に反応は?」

「ない、と思うけど……一応、もう少し調べてみようか。私は引き続き魔力反応を調べるから、リアちゃんとラト君は、何か適当に目に付く物があったら教えてくれる?」

「はーい」

「分かりました」


 アリアナの言葉に大人しく応じて、オーリとラトニは辺りを歩き回り始める。

 けれどしばらく調べたところでそれきり人工物らしきものは見つからず、ただ遮蔽物の少ない山肌だけが二人の視界に広がるばかりで。


 ――結局最初の場所に戻って、三人は発見したものを掘り起こしてみることにした。


 地面は固くはなさそうだが、素手で掘れるほど柔くもない。

 シャベル代わりにできそうな木切れも見つからず、オーリたちはアリアナが貸してくれたやたらと厚手のナイフを使って地面に穴をあけていく。


 ――三人がかりでざくざくと土を掘り起こした後、現れたのは一抱えほどもある円筒形の物体だった。

 長さはおよそ一メートルミル程度、汚れのせいで装飾の類は見分けられない。

 色は、昔は付いていたのかも知れないが、今は分からない。土や埃で白っぽく汚れ、元の色彩は全てその下に隠れていた。


「――柱、みたいですね」


 額に滲んだ汗を拭いつつ、ラトニがぽつりとそう呟いた。その推測に、アリアナが真面目な表情で頷く。


「大分汚れてるけど、表面の傷は少ないね。大きな欠けや罅がない。刻んであるのは何かの模様かしら? よく分からないけど」

「途中から折れた柱の一部分が、こんな野外に埋まっているというのは不自然ですよね。リアさん、確か、この辺りに建築物があったような形跡は……」

「なかったし、私も聞いたことがないね。他の建造物の欠片が埋まってないところを見ると、どこか別の場所で折れた柱が運び込まれたんじゃないかな?」

「丁度大人なら持ち運びできるサイズということも気になりますね」

「この土の付き方、年単位で埋まってたものじゃなさそうね。長くて半年、短ければ一ヶ月そこらってとこかしら」


 片やアリアナは本職であり、片やオーリとラトニはと言えば、こちらも素人とは言えそこそこ察しは良い方だ。アリアナの言葉の意味を理解して、子供たちは眉間に皺を寄せた。


「……この辺りの土の固さから考えても、頻繁に人の足で踏み固められていると推測できます。野盗たちと無関係である可能性は低いですね」

「でも人の手が触れてるにしては、地表に出てる部分は随分満遍なく汚れてない? この柱そのものはただの目印で、この周囲に別の何かが設置されてるってことかな」

「僕としてはやっぱり、野盗たちが使っていたという転移魔術のことが気になります」

「私もだよ。……柱の中かこの近くに、魔術具本体が埋め込まれてたりして」


 最後に付け加えられたオーリの意見に、アリアナとラトニは無言で顔を見合わせ、ややあって揃ってナイフを握り直した。

 ざくざく柱の周囲を掘り始める二人の傍ら、一方でオーリは柱をコツコツと叩き、仕掛けや空洞が見つからないか確認し始める。


(細かい溝みたいなものが沢山ある……洗えば模様が浮き出てくるのかな。綺麗な飾り彫りが施された柱だとすれば、元は価値のある建物を飾っていたと思うんだけど)


 指をなぞらせ、軽くぼろ布で擦って汚れを落としてみると、ざらりとした感触を手のひらに感じた。

 無機質に彫り刻まれた模様が、つらつらとオーリの視界を通り過ぎていく。

 角張った記号のようなものや、流麗なライン。文とも絵とも取れない、ただ様々な線を複雑に組み合わせたような紋様の中に人工的な切れ目でもないかと探す彼女の目が、ある場所でふと、不思議そうに瞬いた。


(……あれ?)


 ――何だか、どこかで見たことがある、ような。


 一度はするりと流しかけ。

 けれど意識の端に引っかかるものを覚えた気がして、オーリは通り過ぎた目線を後退させた。


(何処だ。何処で引っかかった。これじゃない、ここでもない――これか)


 しばし彷徨わせていた視線をぴたりと固定し、オーリは小さく眉を寄せる。

 一見周囲と変わらないように思えるその一塊の模様は、一度認識してしまえば奇妙に浮き上がっているようにさえ見えて。


 何処かで見たことがある。だがそれは、何処で。


(家庭教師、じゃない。文字に関して、私はまだ一般的な共通語以外は習っていないもの。

 芸術の授業……でもないな。今やってるのは専ら絵画と音楽で、こんな紋様や彫刻品は出てこなかったはずだ。

 じゃあ屋敷の図書室? ……これも違う。だってあの部屋に、私に読めない文字で書かれた本は何百冊とあった。意味も分からず捲っただけの内容を、一々覚えていられるわけがない)


 浮かび上がる仮定を次々と否定しながら、オーリは記憶を辿っていく。

 紋様。これはやはり、ただの模様ではなく文字なのか?

 直線。曲線。渦を巻いたような形状や、アルファベットを極端に崩したような形のものも。


 花の匂いがする。闇の真ん中に煌々と灯された人工の明かりが、細い手によって地面に描かれた、一塊の文字を照らし出す。

 耳の奥で、誰かの声が囁いた気がした。羽のように柔らかで落ち着いて、けれどどこか掴みどころのない、綺麗に澄んだ幼い子供の――




『――よく覚えておくんだよ、オーリ。設置されている転移の術式を殺す一番簡単な方法は――』




 ――どくんっ、と。


 刹那蘇った姿と共に、オーリは強く脈打つ己の心臓の音を聞いた。


 まるで固く閉じていた箱の蓋が、見えない誰かの手で一気に開かれたように。

 怒涛の勢いで押し寄せた記憶と感情に、少女の青灰色の双眸が僅かに大きくなった。


 ――かつてオーリは、王都で一つの事件に首を突っ込んだ。


 結論だけ言うなら、最終的に彼女はその事件の犯人と対峙し、事件解決の糸口すら掴むことが出来たのだが――もしもその途中で出会い、手を貸してくれたとある人物がいなければ、恐らくそれを成すことは出来なかっただろうというのは、返す返すも彼女が感じているところだ。


 その不可思議な協力者こそが、深淵の夜が凝ったような髪と目の、儚げな美貌を持つ子供。――レンと名乗った、美しい漆黒の少年だった。


 恐らく高位の貴族であろう、ということだけを、オーリは彼について推測している。

 彼女とほとんど歳も変わらないだろう年頃のレンと、オーリは本名も身分も告げ合わなかった。

 ただほんのひととき言葉を交わし、そして何の気紛れか、少年はオーリに貴重な助言と手助けをくれて去っていった。



『この文字だ。犯人は時計塔の何処かに、必ずこの文字を設置してある。これさえ削れば、転移は発動しないよ』



 幼いながらも玲瓏たる美貌で微笑んで、歌うように紡がれたあの夜の少年の言葉を、オーリは人差し指で汚れた柱をなぞりながら思い出す。


 あの時の事件の犯人の転移魔術を封じるため、見つけて削れと教えられた魔術文字。

 目の前にある一塊の模様と同じ形をしていた、その言葉は確か――




「……【道を開けヴィーア・ノーヴァ・アヴェリーズ】……?」




 ――ぽそり、と。


 唇に乗せたその刹那、空間がぐねんと歪んだ気がした。


「……いっ――!?」


 否、錯覚ではない。

 蜃気楼のように歪んだ空気に驚き、咄嗟に柱から離そうとしたオーリの右手が、音もなくひずみに引き込まれた。


「リアさん!?」


 ぎょっとしたラトニが地面を掘っていたナイフを放り出し、反射でオーリの左手を掴む。更にアリアナの悲鳴が聞こえて、オーリは空間の歪みが柱の破片を中心に、半径一メートルミル程度まで及んでいることを悟った。


 ――声すら呑み込まれた三人を、見届ける者は誰もおらず。


 オーリたちの姿は、静かにその場所から消失した。



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