65:あなたの愛を掴み獲り
最早隠密行動は不可能になったとは言え、やはり「泳がせる」方針には変更がないらしい。
本気を出せば一分もかからず野盗たちに追いつけるはずのアリアナは、彼らから一定の距離を空けて追跡を続けていた。
アリアナの隣に追いついて駆けながら、オーリは周囲の光景を観察する。
道のすぐ左側に見えるのは、下方へと向かう切り立った斜面。緩くカーブを描いて続くこの道は、恐らく少し荷物の多い商人なら迂回する、幾分危険なルートだろう。
――ただ、身の軽い冒険者が撒かれるほどの難所には思えない。
そう疑問に思った瞬間、肩越しに振り向いた野盗の一人がこちらへ向かって何かを投げた。
「――っ!!」
警戒に身構えかけたオーリの前に、アリアナの背中が飛び出した。直後に迸った閃光が、オーリの白く視界を染め上げる。
――閃光の封珠か!
アリアナに庇われたお陰でまともに目を灼かれることは避けられたが、深く被ったフードがなければもう少しダメージを受けていたに違いない。ラトニの微かな苦鳴が聞こえて、肩を掴む手の力が強くなった。
「リアちゃん、ラト君!」
「私は大丈夫です!」
「僕も、です。それより野盗の方は――」
閃光の封珠は強烈な光を発する代わりに、反比例して持続時間が著しく短い。
目をこすりながら唸るラトニに促されるように顔を跳ね上げれば、道の向こうから野盗たちの姿は忽然と消えていた。
――やはり目くらましか。
舌打ちしたオーリとアリアナが、しかし同時に無言で身を翻す。一片の躊躇もなく二人が身を踊らせたのは――深く深く下へと伸びる、切り立った斜面のその向こう!
「〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!!」
投身自殺並みの蛮行には、流石のラトニも驚いたか。唯一状況を飲み込めていなかった少年が声にならない悲鳴を上げる中、オーリは姿勢を斜めに保持し、僅かに一歩前に出した右足を踏ん張ってスピードを調整しながら、凄まじい勢いで斜面を滑り下りていく。
――ざざざざざざざざざざざっ!
あたかも真っ白な雪坂をスノーボードで滑走しているかのような体勢だが、その実子供二人分の体重を支えているのはオーリの細っこい足だけである。
うっかり足が滑りでもすれば揃って虚空へと投げ出されるような危ない状況下、瞬きすらも惜しんで目を凝らしながら、オーリは見る見るうちに近付いてきた大地を見据えて神経を張り詰めた。
――跳躍。
滞空は数秒にも満たなかった。
タイミングを計って斜面を蹴り、無事に着地したオーリの傍に、少し遅れてアリアナも降り立つ。
こちらは僅かな出っ張りを足掛かりに跳躍を繰り返しながら、リズミカルな動作で崖を下ってきたらしい。オーリとは対照的に軽々とした動作で斜面を突破した彼女は、子供たちに怪我がないことだけを見て取ると、再び道を駆け出した。
「あいつら、転移封珠でも持ってたんですかねー」
「そうかもね。そんな高価なもの、どこから手に入れたのかは知らないけど」
オーリとアリアナの間で交わされる短いやり取りを耳に入れて、ラトニはようやく二人の行動の意味を知る。
察するに野盗たちは、閃光封珠で追っ手の目を眩ませた隙に、何らかの魔術道具を使って斜面の下へと逃げたのだろう。
一秒前まで目の前にいたはずの集団が消えた後、咄嗟にあの街道からは死角となる下方に意識を向けられる者は多くないはずだ。また、たとえ野盗たちの行き先が分かったとしても、一瞬であの斜面を突破できる人間は更に少ない。
恐らく、オーリが気付いた理由は音だろう。斜面下に移動した野盗たちが逃げる際の、物音と話し声を聞きつけたのか。
「転移の魔具ならたとえ最下級の封珠でも高価だけど、短距離転移なら幾分値段は落ちるわ。尤も野盗程度が濫用できるほどの安値ではない上、転移魔術自体の危険性について、連中がどれだけ知ってるかなんて分からないけどね」
「もしかしたら、知らないのかも知れませんよ。たまたま手に入った転移の魔具を、単に便利だから使ってるだけとか」
――転移魔術とは、本来極めて危険なものである。
数ヶ月前、オーリが王都の魔術道具屋を訪れた際、最終的に転移封珠の入手を諦めると決めたのは、座標の特定に失敗した時のリスクを考慮したためだった。
今回の野盗たちのように、間に障害物のない短距離を視界の範囲内で移動するのなら、失敗する確率は確かに低くなる。
それでも、彼らがああも躊躇なく転移を使用したところを見れば、その理由はそれだけ転移の魔具を使い慣れているためか、リスクを正しく認識していないためか、はたまたその両方か――
「――居たっ!」
オーリが短く声を上げて、三人の視線が前方に野盗たちの背中を捉えた。
察したのは声か足音か、気付いてこちらを振り向いた野盗たちがぎょっとした顔をする。
「っちょ、待てオイ! なんで追いついてんだ!?」
「だからさっさとヤッとけって言っただろうが! 女はともかくガキの片方は野生動物みたいな奴なんだよ!」
「いやいやふざけんなよ、あんな急斜面、野生動物だって転げ落ちるぞ!」
「うるっせぇぞ、ンなこたぁどうでも良いだろ! 急がねぇともうすぐ中継点が――」
何やら怒鳴り合いながら、野盗たちが速度を上げる。
木がぽつぽつと生えた獣道から、枝分かれした小石だらけの道に突っ込み、その向こうに見える岩壁に挟まれた一本道を目指して。
何処まで進むつもりだと眉を顰めながら、オーリはラトニを背負い直した。
「……罠でしょうかね」
「確実に」
ぼそりと小声で言い合って、オーリとラトニは警戒を強める。
行く手に迫ってくる壁に挟まれた細道は、一本道な分追っ手を撒くには向いていないだろう。
オーリたちが斥候である可能性を考えれば、彼らとて拠点の場所は絶対に知られたくないはずだ。ならばあそこに誘い込んで潰す気か。
「――リアさん、最悪僕が手を出します。その時はフォローをお願いしますね」
「却下、アリアナさんがいる」
「目や髪の色が変わらない程度の下級魔術なら、『魔術の才能に満ち溢れた貴重な子供』で済みます。連れて行かれることまではないはずですよ」
「それでも万一ってことがあるよ。キミに危険な橋を渡らせるくらいなら、私はこのまま回れ右して黒石の首飾りは諦める」
「……留意しておきます」
「そこは手を出さないって確約しなよ……」
「それこそ『万一』があるといけないので。――あと、ジドゥリがどこまでも付いて来てます」
「無視しなさい!」
今凄くシリアスな空気だったんだけど!
バタバタ翼をばたつかせて走ってくるジドゥリから全力で目を逸らし、オーリは心の底からそう叫んだ。しかしあのジドゥリしつこいな!
「リアちゃん、ラト君、私の前に出ないでよ! 伏兵でも配置してるのかも知れない」
斜め後ろでこそこそやり取りをしている子供たちの様子を知ってか知らずか、アリアナが注意を促してきた。けれどアリアナが指示を出してきた丁度その時、再び野盗の一人が動く。
細道に踏み込んだと同時に大きく腕を振りかぶり、野盗がオーリたちの方へと何かを投擲する。
ただし今度は直接こちらを狙うのではなく、その上空目掛けてではあったが。
ぱぁんと弾ける音がして、粉のような何かが舞った。
そのまま一散に、最早誰一人振り向かずに逃げていく野盗たちに何やら嫌な予感がして、細道に数歩踏み込んだ足を止めかけたオーリの足元を、ヒュゴッと音を立てて何かが抉り抜いた。
「…………えっ?」
咄嗟に何が起こったのか理解し切れず、惚けた声を上げたオーリの傍から、アリアナが引きつった悲鳴と共に飛び退く。一瞬前までアリアナの頭があった位置を、再び飛来した何かが貫いた。
『……………………………』
――しばしの沈黙。
ぎ、ぎ、ぎ、と上げた三対の視線が、岩壁の上に張り付いたナニカを捉えた。
そのナニカは、一見ただの突起に見えた。
まるでそれそのものが小さな岩のような殻と、その下の岩壁の間から、軟体の身体が僅かに覗いていることを見て取ったのは数秒後。
じりじりと蠢く、大人の頭ほどもありそうなサイズのそれが、貝――敢えて挙げるならトコブシに似た、けれど貝よりずっと活動的な生物であるようだと。
そう気付いたその時には既に遅く、三人の上方はトコブシモドキの群れで埋め尽くされていた。
「あー……見た目は貝だけど、意外と移動は早いんだ……」
空笑いを浮かべたアリアナが、現実逃避のように呟いて。
その瞬間、貝殻のような甲殻と、その中でうねうね動く軟体の身体しか見えないトコブシモドキが、存在しない目を揃ってギロリとオーリたちに向けてきたような錯覚を覚えた。
――変形。
軟体の身体の一部が殻の外に突き出される。瞬時に先端を尖らせたそれは、オーリたち目掛けて液体状の何かを発射してきた。
どろりとしたそれは風を切りながら凄まじい早さで硬化し、飛び退いたオーリの背後の壁を打ち砕く。
「――っ逃げるよリアちゃんラト君っ!」
「はいぃっ!!」
我に返って焦りを混じえたアリアナの叫びに、オーリも慌てて踵を返した。
たとえラトニを背負っていないとしても、これは流石にそのまま突っ込む気にはならない。元来た方へと細道を逃げていくオーリたちの背後から、それを皮切りに魔獣たちが次々と弾を打ち出してくる。
ガガガガガガガガガガガガガガガッ!!!
追いかけてくる轟音は機関銃の乱射にも似て、しかし弾丸のサイズは機関銃より遥かに大きくて凶悪だ。
――とんでもないモノけしかけてくれやがって、と。
さっさと逃げ切ってしまった野盗たちに怒りと恨めしさを募らせながら、オーリは時折後ろを振り返るアリアナの隣をひたすら逃げ続けた。
――そうして、地面を削りながら追撃してくる弾の雨は、細道からある程度離れてようやく止んだ。
しぶとく追いかけてくる弾丸の回避に疲れ切り、肩で息をするオーリの背中を、こっそり魔術で防御する準備を整えていたラトニが控えめに撫でてくれる。
あの弾丸は直線状にしか飛んでこないが、代わりに飛距離と破壊力は洒落にならなかった。もしももう少し細道の奥まで誘い込まれた後だったら、逃げ切れずに大怪我を負っていた可能性が高い。
「……野盗たち、見失ってしまいましたね」
ぽつりと少年が呟けば、オーリとアリアナががっくりと大きく肩を落とした。
「ふ、ふふふ……無駄骨か……ここまで追いかけておいて……無駄骨……」
「ホラー小説みたいな雰囲気醸し出してないで落ち着いてください、リアさん。あなたやアリアナさんの足でも、突っ切るのは無理そうなんですか?」
「んー……。そうだね、やっぱり無理だと思う」
ちらりと見やった細道からまだピリピリと警戒したような気配が洩れているのを確認し、オーリはフードの上からぐしゃぐしゃと頭を掻き回した。
野盗たちが投げたのは、差し詰めあのトコブシモドキたちを活性化させるような薬だろう。
薬が散った場所へとトコブシモドキたちが一気に集まり、手近な人間たちへと即座に攻撃。その割に当の野盗たちが攻撃を受けていなかったところを見れば、トコブシモドキが意識を引かれる何らかの優先順位があるのか、或いは事前にトコブシモドキの意識を逸らす薬でも浴びてあったかのかも知れない。
「どうしますか、アリアナさん。僕らとしては、あまり街外に留まるわけにもいかないんですが」
「そうね、薬の効果がいつ切れるのか分からないし、このまま待つのは現実的じゃないしね……。私たちがここまで追ってきたことを知ってる以上、連中だってわざわざ戻ってくる気はないだろうし」
「拠点から出るルートが複数あるのならそっちを使うでしょうが、もしも無ければ数を揃えて、僕らの口封じにやってくる可能性もありますね。僕らの口からこの道がギルドに伝わることは、連中としても避けたいでしょう」
「ううう、すみません。私がポカミスやらかさなかったら、今頃は本拠が見つかってたかも知れないのに……」
「あー、いや、それはその……。もし順調に隠密続けてても、そのうちあのジドゥリからバレてたような気がせんでもないし」
「!」
あっ確かに、というような顔になったオーリを横目に、ラトニは相変わらず物陰から熱烈な視線でこちらを――否、オーリを見つめてくるジドゥリへと意識を向けた。
あのジドゥリ、本当にどこまで付いて来るつもりだろう。そんなことを思って、彼は軽く溜め息をつく。
「でも、あのジドゥリもいい加減しぶといですね。樹上を走っても撒かれないし、例の急斜面で諦めるかと思ったら、意外と余裕で駆け下りてましたよ」
「ジドゥリは絶壁をくり抜いて巣を作ることもあるから、斜面には強いのよ。リアちゃん、よっぽど懐かれてるのねぇ……本当にボス認定されてたりして」
「え、ジドゥリって単独行動じゃないんですか?」
「まれに群れ行動する奴もいるわよ。ただしその場合、雌は最上位の雄が独占するけど」
「狼の生態に似てますね。リアさん、そのうち雌ジドゥリを貢がれたりして。良かったですね、ハーレム作れますよ」
「面白がってるの分かってるんだからね!? あと性別と種族に致命的な問題があるのを忘れないで欲しいです!」
(致命的な問題があるからこそ、笑い話に出来るんですけどね)
オーリがどれだけ強く魅力的な美形を貢がれても、それが雌ジドゥリである限り、出来上がるのはハーレムではなくジドゥリ牧場だ。集まってくるのが人間の雄だったら、とりあえずラトニの瞳孔が開く。
その辺の本音はさらりと隠して、ラトニは話を元に戻した。
「ともかく、早く追い返さないと街まで付いて来てしまいますよ。門をくぐる時点でモメると思うんですけど良いんですか?」
「うっ、それは本当に困る」
ジドゥリにストーカーされながら屋敷に帰る自分の姿を想像して、オーリは顔を引きつらせた。
小鳥や小動物ならともかく、こんな巨鳥を出歩きを隠しているオーリや孤児院暮らしのラトニが連れて帰るわけにもいかないし、そもそもジドゥリは気軽に街中で飼えるような生態などしていない。
雑食のジドゥリは放置すれば庭や作物を食い荒らすだろうし、強靱な脚力であちこちを踏み荒らされても困る。何よりあの巨体で飛行能力まで有するとなれば、ちょっとやそっとの囲いなど簡単に飛び越えて――
『……………………』
オーリとラトニが、ぴたりと同時に動きを止めた。
ぽくぽくぽく、チーン。
僅かな時間が経過して、二人はゆっくりと顔を見合わせる。
――飛行能力?
※※※
「――よーし行くぞ、マッスル四郎!」
「コロコロコーッ!」
「そのむごたらしいのはジドゥリの名前ですか?」
冷め切ったツッコミをさらりと流し、拳を振り上げるオーリの下で、子供二人を背中に乗せた深緑色の巨鳥は気合いのこもった鳴き声を上げた。
オーリが捕獲のために突進していった時でさえ逃げる素振りも見せなかった辺り、このジドゥリはどうやら本格的に彼女をボスと認識しているらしい。
無垢な町娘を誘拐しようとするチンピラの如く悪どい顔をして「ヘッヘッヘッ大人しく言うこと聞きゃあ悪いようにはしねぇよ」と羽根を鷲掴んだオーリに対してジドゥリは嬉しそうにコロコロ喉を鳴らし、悪ノリしたオーリの方が逆に気まずい気分になった。ちなみにアリアナはドン引きした顔で距離を取り、ラトニはひたすら冷めた目をしていた。
一人だけジドゥリの傍を離れ、少し低い目線からこちらを見上げているアリアナに、オーリは首を傾げて手を差し出す。
「ほら、アリアナさんも早く乗ってくださいよ。あと一人くらいなら行けそうですから」
「うーん、ありがたいんだけど、なんかジドゥリがあからさまに嫌々オーラ出してて……」
イヤそうな目でアリアナを睨みながら、ガッガッガッ、と爪で地面を引っ掻いているジドゥリに、アリアナは苦笑いをしてみせた。
威嚇満載のジドゥリの頭を、オーリはぺちりと軽く叩く。途端にしゅんとなったジドゥリが、オーリとアリアナを困った仕草で交互に見た。
「こら落ち着きなよ、マッスル四郎。アリアナさんもお仕事があるんだから、私たちだけで行くわけにいかないの」
「ボスに叱られるとすぐ大人しくなるんですね……本当に犬科っぽい」
「健気だなあ……。じゃあ悪いけど、ちょっとお邪魔しますね」
ジドゥリが大人しくなった隙に、アリアナがこそこそとよじ登ってくる。
ジドゥリは一瞬ぶわりと羽を膨らませたが、抗議行動に移るのは何とか我慢したようだった。如何せん、今暴れられるとオーリたちも落ちてしまう。
全員が腰を落ち着けたのを確認して、オーリがジドゥリの首筋をぱしりと叩いた。
「よっし、準備完了! 飛べ、マッスル四郎!!」
「コローッ!!」
少女の命令に、ジドゥリは高らかに応じて鳴き声を上げる。
深緑色に鈍く輝く翼をばさりと広げ、巨鳥は力強く羽ばたいて大地を蹴った――!
一秒で落ちた。




