64:うっかりミスもたまにはやらかす
俗に兵は拙速を尊ぶという言葉があるが、これが兵ならぬオーリの場合となると、往々にして「拙速」を為した彼女の行動原理は別段確固たる信義や合理的計算などではなく、単にうっかり思考に行動が先立った、要するに「動いてから我に返った」というやつなだけだったりする。
十七歳の精神年齢と異世界で積み重ねてきた知識、更にその生い立ち故に育まれた強かな計算高さを併せ持つ彼女は本来決して所謂「単細胞」ではないのだが、それでも突発的な事態に際して真っ先に反応するのが理性ではなく勘と感情であるというのは、やはりその虚空目掛けて伸びるぶっとい矢印が如く一本気な気性のせいでもあるのだろうか。
その辺ラトニに「猪」などと評される所以だが、今回もまさにその通り、爆音の余韻が消える間すら置かずに一瞬で己を背負い上げて街道を疾走し始めた相棒兼想い人へと、ラトニはぼそりと呟いた。
「――そう言えば、ああいう台詞をフラグって言うんでしたっけ」
「物覚えのいい相棒で嬉しいよ!」
どさくさ紛れに頬をすり寄せるのは、アリアナの手前、折角オーリが目の前にいても素のままの言動を取ることができずにいた反動か。
普段よりも体に回す腕に力を込めるラトニに、しかし手掛かり目掛けて突っ走るオーリは気付きもせず、少し遅れて傍らを行くアリアナだけが、何となく何かを察して生温かい目付きをしていた。
程なく木々の向こうに複数の動く影が見えて、オーリは急制動をかけた。
騒ぎ立てる声に様子見を決め、ひとまず手近な大木の幹に身を潜めようかと考えたオーリをちらりと見下ろして、アリアナが素早くその木を登っていく。
これくらい出来るよね?と言わんばかりの一瞥を受け、オーリはムッと唇を尖らせて木に足をかけた。一足先に到達したアリアナと同じ枝に、数秒遅れて足を着ける。
「……本当に身軽なんですね、アリアナさんって」
背中のラトニがオーリにだけ聞こえるようにぼそりと呟き、オーリは無言でアリアナの隣に控えた。
生い茂る葉を透かして見れば、地上で騒いでいるのは、あまりカタギには思えない、汚れた格好の男たちだった。
幸いにして相手は不運な商人や村人などではないらしく、狼に似た数匹の魔獣に対峙して、五人の男が武器を振るっている。
それだけならば単に柄の悪い冒険者が仕事をしているだけに見えなくもないが、うち一人の顔に見覚えがあったことで、オーリはその仮定を否定した。
「リアさん。あそこにいるの、確か初めてアリアナさんと会った日にあなたが叩きのめした奴ですよね」
同じことを考えたらしいラトニがそう言ってきて、オーリはこくりと頷いた。
「そうだね、全員野盗で間違いなさそう。どうします、アリアナさん?」
抑えた声でひっそりと問われて、アリアナは油断なく地上を窺いながら眉を寄せた。紫暗の双眸を微かに伏せて沈黙し、ややあって再び口を開く。
「……このまましばらく様子を見よう。あの魔獣は毛皮が素材として売れるから、多分この後は別の獲物を探したりせず、一度拠点に戻る可能性が高いよ。幸いこの辺は遮蔽物も多いし、隠れて尾行することもできると思うの」
「そう言えば、徒歩圏で行ける範囲内に拠点があるらしいって情報もありましたっけ。とっ捕まえて吐かせる選択肢はナシですか?」
「女子供じゃナメられて、余計に手間取るのが落ちですよ。……リアさんが彼らの爪を剥げるというなら話は別ですが……」
「拷問はちょっと無理かな! 考えるだけで痛いしな!」
「なんかラト君から『アリアナさんなら分かりませんが……』みたいなニュアンスを感じたんだけど! 私だってそういう趣味ないからね!?」
「ならやっぱり素直に泳がせておきましょう。……人の手を指先から少しずつ砕いていく作業なんて、僕やりたくないです」
「だからこっち見ながら言うのやめてくれない!? 考えることが怖いよこの子! 間諜は拷問吏じゃないからね!?」
わちゃわちゃ言い争う三人の視線の先で、野盗たちは戦闘を終えたらしい。その場で魔獣を解体して毛皮を剥ぎ、肉や内臓を採取して再び移動の準備を始める彼らに、アリアナがゆっくりと屈伸をした。
「リアちゃん、このまま木の上を走れる?」
「余裕ですね。ラト、時々手を離すかも知れないから、落ちないように捕まっててよ」
「分かりました」
しっかりしがみつき直すラトニを一度揺すり上げ、オーリは先に枝を蹴ったアリアナに続いた。
すいすいと枝を渡っていくアリアナの背中を見ながら、オーリは極力音を立てないように樹上を駆ける。
時折子供たちを振り返りながら先導するアリアナの動きは、オーリに比べて随分と滑らかなものだった。
少々無理な動作でも腕力と敏捷さに物を言わせるオーリと違って、彼女のそれには猫科の動物じみたしなやかさがある。着地と同時にたわめた膝が絶妙な技術で衝撃を吸収するのを見ながら、オーリは内心感嘆の息を吐いた。
(凄いな、アリアナさんの通った後、ほとんど音がしない。間諜とかやってるとは聞いてたけど、一体どういう訓練受けてたんだろう)
枝を踏むオーリの足が立てた、ざっ、という小さな音は、風に揺れる枝葉の音にかき消された。
野盗の移動速度に合わせていることを差し引いても、アリアナにはまだまだ余裕がありそうだ。
恐らく、直線距離での単純な移動速度ならオーリも同程度。けれど隠密性ならば、アリアナの方が遥かに上、というところか。
(風の強い街道で良かった。葉ずれの音が物音をごまかしてくれるから良いけど、そうでなければ早速足手まといになってたかも)
出来るだけ音を殺すようにはしているが、如何せん訓練を受けたこともない身では、見様見真似にも限度がある。
アリアナがなるべく頑丈そうな枝を選んで通っているから、今はその先導に従うのが得策だろう。そう考えて、オーリは先行する野盗の一団を見やった。
追っ手がいるとは気付いていない野盗たちは、時折警戒に周囲を見回す程度で、獲物を手に談笑しながら歩いている。
野盗討伐依頼を受けた冒険者なども今は通らないようで、このまま首尾良く行けば良いがとオーリは思った。
「――魔獣が見つかったのは良かったな。丁度薬が切れる頃だったから運が良かったよ」
「あー、また頼みに行かなきゃならねェのか……探し出すだけでも一手間なんだしよ、もっと大量に作っといてくれねぇもんかな」
「まあ、良いじゃねーか。俺らみたいなの相手にあんなもん平然と作ってくれるし、街にも行かなくて済むんだから、ありがたい話だろ」
「ケッ、シェパの警備隊なんざ日和見主義の寄せ集めだろ。こんだけオレらがやらかしてんのに、未だにまともな対処すらしてねェじゃねーの」
「そうだそうだ。あそこはこのまま当分動かねぇんだろ?」
「そりゃそうだが、冒険者ギルドや商業ギルドの方は別だろ。商人も通らなくなってるし、実際そろそろやりにくくなってきた」
風に乗って微かに聞こえてくる野盗たちの言葉を聞きながら、ラトニが呆れたように眉を寄せた。
「……イアンさんが嘆きそうですね。野盗にまでナメられてます」
「本人には聞かせない方が良さそうだねぇ……上層部は何を考えてるんだか」
オーリも苦笑いして、苦労性の総副隊長に同情した。
上層部からの許可がなかなか降りず、野盗討伐に乗り出せないとイアンが愚痴っているのを聞いたのは、つい最近のことである。尤も、知り合いの子供がこんな所で野盗を追いかけているなんてことがバレたら間違いなくイアンの胃がクリティカルヒットを食らうので、己もまた彼の心労の原因の一端を担っていることはあんまり自覚していない。
「――でもさ、ラト。あの野盗集団……」
「ええ。――シェパからの逃亡を目論むのも、どうやら時間の問題みたいです」
聞き耳を立てている限りでは、どうやら野盗たちの中にもこの辺りに留まることに懐疑的になっている者がちらほらいそうだ。
稼ぎがない場所に留まれないのは、一般人も野盗も同じこと。彼らがシェパを去るだけならばオーリにとっては不都合もないが、そのまま黒石の首飾りを持って行かれるとなれば話は別である。
話がややこしくなる前に片を付けたいと思いつつ、オーリは木々の向こうを透かし見て目を細めた。
「どうしましょうか、アリアナさん。もうじき木が途切れるみたいですけど」
低い声で囁くと、アリアナは少し考える素振りを見せた後で答えてきた。
「そうだね……じゃあ、追える所まではこのまま追おう。障害物が少ない場所に出たらもっと距離を置いて、場合によっては方向だけ確認した後、一旦追跡を中止する。付近で張ってれば、また『仕事』に出向く野盗が戻ってくるだろうからね」
「捕まえるのはやっぱりナシってことですか。了解です」
頷いて、オーリが幾度目かになる跳躍に移ろうとした、けれどその瞬間。
「――ビ――――――――――――!!!!!」
最大音量の警報を想わせるようなけたたましい絶叫が、物理的な衝撃すら伴ってオーリの耳と思考をぶち抜いた。
「――……ッ!!?」
ぐゎんと頭が揺れるような衝撃に、咄嗟に耳を押さえようとして放しかけたラトニの体を、慌てて両手で支え直す。
一方背中のラトニの方は、こちらはぎょっとした拍子に反射で両手を耳に回しながらも、耐える間もなく鼓膜に甚大なダメージを受けた後だったようで、顔を歪めて唇を噛み締めていた。
――どこから聞こえて――!
未だ止まらぬ大音量に、オーリは耳を塞ぐことも出来ないまま奥歯を噛み鳴らして視線を動かし、それが自分のすぐ傍から発生していることに気付いた。
オーリの視線から、僅か十数センチミル下方。
小さな窪みのような虚がぽかりと黒く口を開け、そこからピーコックグリーンの羽を持つ鳥が顔を出して、真っ赤な喉奥を露わに絶叫を上げていたのだ。
「――んなっ……!」
狭い枝の上で驚いて身を引き、慌てて別の枝に飛び移るも、鳥はオーリをしっかり睨み付けたまま、ビービーとつんざくような鳴き声を上げ続けている。
「リアちゃん!? どうしたの!?」
「すすすすみませんアリアナさん……っ!」
異様な音を聞きつけた野盗たちが地上で騒ぎ出す姿を横目で見ながら、アリアナが慌てて手近な枝へと身を伏せる。予想外の事態に真っ青になりながら、こちらも地上からの視線を避けて木の陰に隠れたオーリは、何とか状況を把握しようと思考を巡らせた。
(あそこもしかして、あの鳥の巣か……!?)
何事だの魔獣の襲撃かだの叫ぶ野盗たちの声を耳に入れつつ、オーリは盛大に顔を引きつらせた。
恐らくオーリは先程枝を移ろうとした時、無意識にあの虚――あの鳥の巣に手を掛けてしまったのだろう。
あの巣は丁度オーリの手が取っ手に出来そうな高さにあるし、そのために敵襲だと考えた鳥が飛び出して威嚇してきた、ということか。
鳥はオーリに攻撃する素振りを見せない。単に巣から離れれば気が済むのなら、距離を空ければ鳴き止むはずだが――
(……延々と大きな音を立てることなんて、野生動物にとってはデメリットしかないっていうのに、何であの鳥、未だに黙る気配がないの……?)
――背筋を撫でた嫌な予感に、つう、と頬を冷や汗が伝う。
外敵を前にしながらも、ひたすら絶叫するだけで巣から出てこようとしない鳥の姿に不穏なものを感じた瞬間、ラトニが勢い良くオーリを引き倒した。
「――リアさん!」
焦りに満ちた短い叫びと、軽い衝撃。ラトニ諸共枝に倒れ込んだオーリの頭上を、緑色の疾風が通り過ぎた。
「……………………っっっ!!?」
躱していなければ胴体を貫通されていたかも知れないと思わせるその速度に、オーリの顔が盛大に引きつった。
瞬きの間にオーリたちとの距離を空けたその緑――巣にいるもう一羽の鳥と同じ羽色を持つ鳥は、ぴたりと滞空してじっとオーリたちを見下ろしてくる。
キョロリと丸い双眸の下、妙に金属質な嘴がギラリと光った気がして、オーリはごくりと唾を飲み込んだ。
(つがいの鳥か……ならあの巣の中には、卵か雛でもいたりして)
ならばあの二羽の容赦ない対応にも頷ける、と空笑いを零す。
雌がけたたましい鳴き声で敵の気を引き、無音で現れたつがいの雄が超速の突進で風穴を空ける。見事なコンビネーションプレイと言っても過言ではないそのやり口は――
「――なんちゅー凶悪な夫婦だよ! これだから繁殖期の野生動物は怖いんだー!」
ヤケクソ混じりに悲鳴を上げると同時に、いっそ柔らかとさえ言えるほどのあえかな羽ばたき一つ、残して雄鳥が消失した。
刹那に頬を撫で上げる、微かな風と激甚な寒気。抱え込んだラトニの頭を突き放し、全力で上に逸らしたオーリの顎を掠めて、ピーコックグリーンの矢と化した鳥が迅雷の速度で通過した。
――速い――!
焦りと戦慄に固まる唇が、まるで硬直するかのように引きつった笑みを張り付ける。
たとえ魔獣でなかろうと、ひとたび本気で怒らせた野生動物がどれほど恐ろしいかなど、万国共通、世界共通。ましてやこの世界の野生動物は、進化の延長かはたまた魔力の影響か、オーリの前世世界に比べて基本スペックがバカ高い。
それに加えて――
「――リアさん、」
「……やりたくない」
低く囁いてきたラトニに、オーリは苦りきった声で早口に返した。
――ラトニの言いたいことは分かる。如何に超速の鳥とて直線的な攻撃しかしてこないのなら、迎撃に限ってなら恐らくオーリの反射神経が上回る。
けれど自分から巣に手を突っ込んでおいて、雛か卵を抱えている可能性の高い親鳥に傷を負わせるというのは――
「――おい、あそこに誰かいるぞ!」
「ギルドか、警備隊の犬かよ!?」
「待て、あのガキと女は……!」
その時、不意に大きくなった野盗たちの怒声に、アリアナが舌打ちを洩らした。
如何に枝が茂ろうとも、これだけ騒げば居場所が見つかるのも当然だ。忌々しげに張り上げかけた野太い声の野盗の一人は、樹上にいるオーリとアリアナにしっかり視線を固定していて。
「――バレたかっ!」
アリアナが忌々しげに野盗たちを見据えて飛び出したのと、野盗たちが身を翻したのは同時だった。こちらを――主にオーリを睨み付けて抗議する男を引きずるように、野盗たちは一目散に駆けていく。
「おい、待て! あのガキには恨みがあるんだよ!」
「駄目だ、冒険者を連れてるかも知れねぇだろうが!」
言い争う彼らの声を耳に入れながら、最早完全に尾行を台無しにしたと悟ったオーリもまた、アリアナの後を追って木を飛び降りた。
存在がバレてしまった以上、息を潜めて隠れる必要もない。幾度目かになる雄鳥の突撃を躱した隙に、オーリは大人しく頭を抱えてこちらを窺っていたラトニを抱えて枝を蹴る。
最後にちらりと振り向いた巣の中、雌鳥の隣にひょこひょこ覗いた綿毛のような小さな頭たちに、胸中でごめんよと頭を下げて。
大きく巣から離れてしまえば、雄鳥も地上まで追ってはこないようだった。
アリアナの姿は既にオーリたちから遠く離れ、更に向こうにいる野盗たちを真っ直ぐに追いかけている。
――しくじった。このままアジトまで案内させる予定だったのに、完全に私のミスだ。
いつしか雌鳥の鳴き声も止んでいる中、オーリは自己嫌悪に奥歯をギリギリ噛み鳴らす。
そんな彼女へと、ラトニが冷静な声で告げた。
「気にしなくて良い、とは敢えて言いませんよ。――頑張って挽回しましょう」
勿論そのつもりだ。
「あと、ジドゥリが物凄く慌てながらバタバタ付いて来てます」
無視しなさい!




