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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
64/176

62:遠いかの地の噂話

「要するにね、私はこの辺りで行方が分からなくなった商品を探すために派遣されてきたのよ」


 手を組むと決まった以上、ある程度の情報開示は必要である。探られたくない腹はあれど、それもお互い様ならば、過剰な警戒も要らないという話。


 三人揃って、ジドゥリの巣を後にして。

 見通しの良い街道をゆっくりと歩きながら、アリアナは心持ち低めた声で言葉を紡いだ。


「悪いことに、その商品の受け取り主って言うのが結構な権力者でね。予定を過ぎても着かないから、途中で野盗に盗まれた可能性が高いって、私が奪還に寄越されたわけ。だから今回のお仕事は、間諜って言うか捜索員ね」

「そういうことでしたか……。でもわざわざ本職の間諜を使うあたり、受け取り主は相当な貴族か、それに近い地位を持ってるみたいですね」

「ふふーん、それは秘密」


 意味ありげに含み笑って唇に人差し指を当て、彼女は言葉を濁してみせる。敢えて追及する気もなく、オーリとラトニはそっと視線を合わせた。


 その受取主というのは、一体アリアナの上司が機嫌を取りたがるほどの相手なのか、それとも奪還依頼を断れないほどのコネか権力を持っている人間なのか。

 尤も、例えばアリアナの求める品物が、本当は途轍もなく危険のものだったり、或いは馬鹿馬鹿しいほどつまらないものだったとしても、それを知らない限り、オーリたちにはどうでも良い。

 最低限、黒石を取り戻すまでの協力体制さえ取り付けられているのなら支障はないのだ。


 ――まあ、二人に真実が分からず、知る気もない以上、何を推測しようと、今は詮無い話である。

 へらっと頬を緩めて、アリアナは少しだけ上がっていた肩から力を抜いた。


「まあ、取引相手の詳細なんて、上司は一々教えちゃくれないんだけどね。私は余計な口を聞かず、言われたことを恙無くこなすだけよ」

「大人は大変ですねぇ」

「そうなのよ! 所詮私たちなんか下っ端で、都合良くあっちこっちにやられる使いっ走りだし。うちの双子の兄さんなんか、それでしょっちゅう――とと、話がずれた」


 口を押さえて肩を竦め、アリアナは苦笑してオーリたちを見やった。


「ともかく、私としては確実にモノを手に入れたいってのは本音だし、そのためにリアちゃんたちと取り引きがしたいっていうのも本当よ。途中で私の目的が達成されたとしても、少なくともリアちゃんの首飾りを取り戻すまでは契約破棄したりしないから、その辺は安心して頂戴」

「間諜なら騙し合いなど日常茶飯事……なんて言っていては、話が進まないのでしょうね」


 帽子の下に隠れた目を疑わしげに細めつつも、ラトニが冷静な声で呟いた。

 元より、二人に選べる選択肢は決して多くない。境遇を考えれば絶対的に制約が多いオーリと、彼女を介さず活動するにはリスクが高いラトニでは、そちらの事情には介入せぬと明言してくれる協力者は希少なのだ。


「分かってくれて嬉しいよ、リアちゃん、ラト君。――これからしばらく、宜しくね」

「ええ、アリアナさん。短い付き合いになるでしょうけど」


 儀礼のように差し出された手を握り返して、オーリがフードから覗く口元だけで笑った。

 細く見えたアリアナの手は存外しっかりとした握力でオーリの手を握り、そして離れた。




※※※




 その翌日。

 久し振りに屋敷を出入りの服飾商人が訪れたせいで、主にはしゃぎ騒ぐメイドたちに流されるようにして午前中一杯を商品の物色に費やした後。

 午後になってようやく屋敷を抜け出すことが出来たオーリは、合流したラトニと共に街の外へと出る前に、シェパに支部を構える冒険者ギルドへと立ち寄った。


「……リアさん、大丈夫ですか? なんかふらふらしてますけど」

「大丈夫大丈夫。いやあ、若い女の人の買い物に費やすエネルギーって凄いね。熱気で部屋が暖まりそうだったよ」

「お疲れ様です。何か良い物はありましたか?」

「春物の服を強請って何着か買ったよ。そうでないと終わらなさそうだったから」


 お嬢様は欲が薄いですわねぇ、と苦笑するアーシャの顔を思い出しながら、オーリは空笑いを零した。

 上位貴族の家に生まれて八年、彼女としては金銭感覚だけはなるべく無くしたくないと思っている。アーシャたちは値段など聞かせてくれないが、今日の買い物だって庶民が半年やそこらは暮らせるほどの額が吹き飛んでいるはずなのだから。


(私としては高価な服より、汚しても破いても構わないような安物の服の方がありがたいんだけど……)


 実際口にしたらきっと嫌みに聞こえるんだろうなあ、なんて、ちょっと物悲しく思いつつ。

 オーリは木製の扉を開けて、一気に広がった喧噪の中へと踏み込んでいった。


 今までにも二度ほど訪れたことのある冒険者ギルドは、各々の装備を身に付けた冒険者たちでごった返していた。

 これから遅めの昼食に向かう者も多いであろう時刻だが、カウンターの前にはまだまだ列が出来ている。

 依頼探しに達成報告、入手した獲物や品物の換金、種々の書類手続き、情報交換、備え付けのテーブルに屯しては意味なく周囲を威圧している者。

 カウンターで男性係員の話を真面目な顔で聞いている者がいれば、別のカウンターでは身を乗り出した冒険者が、困った顔をした女性係員を熱心に口説いている。


 更には獣人らしき者やエルフと思わしき長身の美形、直立歩行する蜥蜴のような容貌を持つ者たちも少なからず存在していて、きょろきょろと辺りを見回すオーリの目を引いた。


 王都ほどではないがそこそこの規模を持つシェパの街には、それに比例して彼ら亜人種(ただしこの単語は差別表現だと主張する者もいるが)の類も数多集まってくる。

 それでも絶対数の差故か街中では然程目立たない彼らの姿がここではそれなりの比率で見られるのだから、やはり(ヒト)種の街で暮らす亜人種は、一般職よりも冒険者のような特殊職業に就くことが多いのだろうか。


(わざわざ故郷の生活を捨てて他種族の支配する国までやって来るんだから、やっぱり変わり者なのかな。冒険者に憧れて飛び出してきた若者とか、こっちで生まれて成長した人とかもいるんだろうね)


 ――ともあれ、様々な用事を果たす人々に混じって時折胡散臭げな視線を受けたりしながら、二人は冒険者たちに蹴飛ばされないよう注意しつつ、まず掲示板の方へと歩み寄った。

 アリアナから与えられる情報だけに頼り切るつもりはない。ギルドの掲示板にはあちこちの組織や個人から出される依頼の内容が、報酬金額を含む数行の文章と共に張り出されている。

 そのうちの一枚――『西の街道筋に出没する野盗集団に関する情報求む』という張り紙を見て、二人は目配せを交わした。


「目に付く依頼者は商人と……あと冒険者ギルドに、商業ギルドからもですか。相当手を焼いているみたいですね」

「警備隊が表立って動けないからかな。イアンさんだったら、依頼元を偽装して情報を求めるくらいのことはしそうだけど」

「他に関係のありそうな依頼は?」

「『探し物』『落とし物』『行方不明者捜索』……あ、面白いのもある。『子供のペット捜索』『養鶏場のバイト』『美味しい水探し』『集まれ、動物好き! シェパの自然の中で私たちと一緒に、可愛い動物を見てリフレッシュ!』……これは飼育員でも探してるのかな」

「自然って言っても、この国わりと自然だらけなんですけどね。……『動物の生態に詳しい方、動物を育てた経験のある方歓迎』。フィールドワークかも知れませんよ」


 どうでも良いことをひそひそ喋っていると、不意に人の気配を感じて、オーリはさっとラトニの手を引いた。ラトニが一秒前までいた所に誰かの体が現れて、チッと舌打ちが聞こえる。


 揃って視線だけ上げてみると、大柄な髭面の男が眉を顰めてこちらを見下ろしていた。

 不機嫌そうな顔を見る限り、どうやらわざと足を当てようとでもしていたか。数拍置いて、先程熱心に窓口嬢を口説いていた男だと思い出した。


「邪魔だ。ガキがこんなとこ来てんじゃねぇよ」


 苦い物でも食べたような声で吐き捨てられて、オーリは正確に彼の心理状態を悟った。


 ――あー、こりゃ振られたな。


 僅かな哀れみとザマアという感情を込めて見上げるオーリの手が、一方で無意識にラトニを背後に回す。

 何となく何を思われているのか理解したらしく、男のこめかみにピキッと青筋が浮いたが、その程度の威嚇なら図太い子供二人が怯えるほどには至らない。

 窓口嬢にデートを断られてひっそり心へこませつつもこんな物騒な場所にやって来ている無謀な子供たちを発見し、俺みたいなことをする危ない奴だっているんだから怪我をする前に早く帰れよ、とその仏頂面に警告と心配の意味を込めて見守るツンデレ親父である、という説も考えたが、どう見ても全身からトゲトゲしたオーラが醸し出されているので即座に否定した。ただの面倒な大人だこれは。


(どうしよう。絡まれる前に立ち去った方が良いかな)


 こんな目立つ所で、いつものごろつきよろしく冒険者を殴り飛ばすわけにもいかない。加えて荒事に慣れている現役の冒険者ともなれば、実力的にもオーリを上回っている可能性は大いにあるだろう。

 考えている間にも、目の前の冒険者は不機嫌を募らせていたらしい。言葉を返さない二人により一層眉間の皺を深め、再度舌打ちをする。


「とっとと退けや、足元でちょろちょろしてんじゃねぇ。こっちは掲示板に用があるんだよ。ガキと違ってヒマじゃねぇんだ」


 ならば見れば良いではないか、と思ったが、オーリは眉を動かすだけに反応を留めた。

 こちとら掲示板を見る邪魔になるほどの体格はしていないし、目の前の男が著しく視力に悩んでいるようにも見えない。

 やはり動機は八つ当たりに決定、と考えて、背後で大人しくしているラトニごと後ずさろうとしたオーリの耳に、しかしその時、朗らかな女の声が聞こえてきた。


「ちょっと避けてもらって良いかしら? あたしたちも掲示板に用があるんだけど」


 微妙に漂う不穏な空気など感じてもいないというように。

 平然とした調子でかけられたその声色に、一瞬置いて顔を歪めたのは男の方だった。


 どうやらその声に心当たりがあったらしい男は、如何にも苦々しい表情で背後を振り返る。

 その影からひょこりと顔を覗かせたオーリは、なんだか何処かで見た覚えのある亜麻色の髪が視界に入って目をぱちくりさせた。


「チッ……フランカか」


 ――フランカ。

 その単語に、オーリもようやく彼女の名前を思い出した。

 彼女は確か、蛇種魔獣たちの事件の時に出会った冒険者の一人だったはずだ。

 あと二人ほど仲間がいたはずだが、と思ってこっそり見回せば、見覚えのある青年の二人連れがのんびりこちらへ向かっているのが見えた。


「掲示板に用があるなら、声なんぞかけなくても良いだろうが。好きに見てけよ」

「それもそうだけど、取り込み中かと思ってね――って、何だ、ソニムだったの。元気でやってる?」


 一歩脇へ避けつつ無遠慮に舌打ちをする男に、彼女――亜麻色の髪を結わえ、大型の弓を背負ったその女は、男の視線と目を合わせる。それから初めて彼の顔に気付いたように、にっこりと微笑んでみせた。


「それで、キャリーにはデートを受けてもらえたの?」

「う、うるせェよ! テメェにゃ関係ねぇだろうが!」

「ふぅん、何だ、また駄目だったの。なら、こんな所でぐずぐずしてても望みなんてないわよ? ランクの高い仕事でもこなして、早いとこ見直してもらった方が良いんじゃないかしら」


 あの子モテるんだから、と。

 ふふんと鼻を鳴らして笑われ、ソニムと呼ばれた男は顔を真っ赤にさせた。

 何か言い返したいようで言い返せず、彼は目を泳がせながら掲示板の張り紙を一枚引っ掴み、足早にカウンターへと向かってしまう。

 肩を怒らせた背中を見送って、フランカはようやく子供たちの方へと向き直った。


「――誰かと思ったらやっぱり。奇遇ね、リアちゃんにラト君」

「こんにちは、フランカさん。助けてもらったみたいで、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 にへり、と唇を緩めて笑うオーリに、フランカも鷹揚に笑い返した。


 以前会った時も親切な人物ではあったが、どうやらそれは常のことらしい。

 背中から出てきたラトニが小さくお辞儀をすると同時に、仲間の二人が彼女の傍へと到着した。


 正体を知った時から予想してはいたが、案の定フランカは絡まれている子供たちを助けるつもりで急いでやって来てくれたらしい。

 彼女の元まで追い付いた仲間の二人――長剣を携えた好青年と、腰に革袋や長剣を下げた青年が、オーリたちに視線を落として各々の感情を露わにした。


 前者のゼクタは、人懐っこそうな朗らかな笑顔で。後者のアルフーリェは、繊細な顔立ちに至極どうでも良さそうに無関心な表情を張り付けて。

 性格が対照的なパーティだと思いながら、オーリもへらりと笑い返し、ラトニは小さく会釈をした。


「やあ、リアちゃん、ラト君。元気そうだね」

「お久しぶりです。出会い頭にお世話になっちゃいましたけど」

「良いの良いの。あたしが勝手にやったことだし、子供はそんなこと気にしなくて良いのよ」

「それでも、ちょっと困ってたんで。ね、ラト」

「そうですね、逃げようとしていたところですし。ありがとうございました、フランカさん」

「あ、でも、当のフランカさんは大丈夫なんですか? あの人に恨まれたりとか」

「あはは、それなら平気よ。あいつ、あたしみたいな美人には弱いの。キャリーにだって、何だかんだ毎回やりこめられてるんだから」


 にっこりと見事な笑顔を作ってみせるフランカに、オーリは成程、と頷いた。

 傍のゼクタは苦笑しているが、確かにフランカは充分に美人と言って良い容姿をしている。その快活な性格や善良さも含めるなら、言い寄ってくる相手には事欠かないだろう。


「男が綺麗な女の人に弱いのは万国共通ですか。ならフランカさんは色々心配いらなさそうですね、羨ましい」

「あら照れちゃう。でもリアちゃんだって、将来は相当な美人になるわよ。尤もそうしたら、ラト君の方は気が気でなくなりそうだけど」


 からかうように切り返されて、ラトニの唇が一瞬きゅっと結ばれる。多分その眉間には皺が寄っているのだろうと察しつつ、オーリは「本当にそんな美人になれたら嬉しいんですけどねー」とのんびり同意した。


「そんなことよりさ、何で君らはこんなとこにいるわけ?」


 ――と、興味なさげな口調で、アルフーリェが口を挟んできた。

 ラトニと同じく他人に関心の薄いらしい彼は、しかしオーリたちの存在を完全に無視するほど心が狭くもないらしい。感情の窺えない眼差しで二人を見下ろし、淡々とした声で言葉を続けてくる。


「わざわざ絡む方が悪いってのは確かだけど、ここが君らみたいな子供にとって安全な場所じゃないのも事実のはずだよ。まだギルド登録できる年齢じゃないと思うけど、もしかして依頼にでも来たの?」

「え、そうなのか? リアちゃんたち、今までギルドで依頼したことはあるかい? 冒険者にはたちの悪いのもいるから、頼む相手はよく選んだ方が良いぞ」

「そうね、明日でシェパを出るんじゃなかったら、あたしたちで受けても良かったんだけど……」

「あ、違います違います、今日はちょっと情報収集に来ただけで」


 慌ててぱたぱた手を振って、オーリは彼らの言葉を否定した。


「私たち、最近街道に野盗が出るって話を聞いて。街外には知り合いが多いし、訪ねる機会もあるから、ちょっと調べてみようと思っただけなんです」

「あら、それは大変ね……」


 同情したように眉をひそめて、フランカが頬に手を当てた。


「実はあたしたちも、つい昨日まで野盗の討伐依頼を受けてたの。アジトの場所を見つけるだけでも報酬になるから追ってみたんだけど、道も悪いし追い切れなくて……」


 どうやらフランカは素直に手持ちの情報を分けてくれるつもりのようで、彼女の語る言葉を聞きながら、オーリはふむふむと相槌を打った。


 聞く限りにおけば、野盗たちは存外強かに立ち回っているようだった。追跡困難な道を多様し、また魔術道具らしきものを持っているせいで、冒険者たちはアジトに到着する前に撒かれてしまう。

 唯一確かなのは、馬を使わなくても行ける距離にアジトがあるということくらいか。それ以外は色々なことが不確かで、結局大した収入にはならなかったとゼクタが疲れたように笑った。


「俺たちは商人の護衛でシェパに来たって言ったろ? その商人が、そろそろ雪も溶けたから帰るって言うし、俺たちは帰りの護衛も受けてるしで、諦めて任務辞退することにしたんだ」

「時間切れになったというわけですか。お疲れ様です」

「またシェパに来ることがあったら会えると良いですねぇ。お話、ありがとうございました」

「どういたしまして。ああ、でも次は久々に王都に行きたいわね、本格的に情勢が不穏になってこないうちに観光がしたいの」

「情勢? 不穏なんですか?」

「今はまだ水面下だけどね」


 記憶を遡るように少しだけ視線を上向けながら、フランカが唇をへの字にした。


「リアちゃんたちは知ってるかしら、次の王位の後継争いで王弟と公爵家が対立してるって話」


 何気なく落とされた名称に、ほんの少し褪せかけていたその顔がくるりとオーリの記憶に蘇ってきた。

 一瞬ぱちりと目を瞬いてから、オーリは努めて声色を変えないよう、ゆっくりと控えめに頷いた。


「あー、知ってます。確か、ファルムルカ子爵のことですよね? ファルムルカ公爵家の嫡男の……名前は確か、」


 ――エイルゼシア・ロウ・ファルムルカ。

 その名前は声にせず、ただ思考の中だけで呟いて。


 それはほんの四月ほど前に、王都で出会った青年を示す名前だった。

 鮮やかな紫銀の髪と夏空のような青の瞳を幻術の下に隠し、一介の冒険者「エルゼ・マックルーア」と名乗って、彼はオーリと細い縁の糸を繋いだ。


 彼がオーリ如きに心配されるような器ではないとは分かっていつつも、その人物が国の頂点で権力争い真っ只中にいるともなれば、流石に些かの不安を覚える。

 王都での出来事を残らず話してあるラトニも、オーリの雰囲気の変化には気付いたらしい。波打ちかけた精神を宥めるように、きゅ、と繋がれた手のひらを、オーリは黙って握り返した。


 一方フランカの方は、二人の様子には特に気付かなかったようだった。幾分身を乗り出すようにしながら、こくこくと首肯してみせる。


「そうそう。候補に上がってるファルムルカ子爵は物凄く優秀な人物らしいけど、やっぱり旗色が良いとはいかないみたいね」

「対立相手の王弟殿下がよっぽど優秀なんですか?」

「どうかしら。殿下の方は元々露出が少ない上、側室腹で魔力無しの噂まである方だけど、でも何より実兄である国王陛下が溺愛してるらしいの。そこが子爵殿にとっては一番のネックでしょうね……現国王の庇護があるってだけで、追従する権力者なんて掃いて捨てるほどいるんだから」

「…………へえ」


 現国王の年齢は、確か今年で五十かそこら。五十絡みの中年男が歳の近い男兄弟を猫可愛がりする図を思い浮かべてしまい、オーリは何となく微妙な顔をした。

 まあ、兄弟間の野心を警戒して軋轢が生じるなんて、王族や貴族ではよくある話だ。兄弟仲が悪いよりは良いのだろうなと思いながら、一人でうんうん納得する。


「……リアちゃん、何考えてるか大体分かるけど、王弟殿下ってまだ若いわよ? 何てったって同年輩なんだから」

「あ、そうなんですか? じゃあ二十代前後ってとこですかね」

「いや、俺たちやファルムルカ子爵とじゃなくて、リアちゃんたちと」


 えっ。


 ゼクタの言葉に一瞬、五十代の国王の隣に並ぶ八歳の子供の姿を思い浮かべて、オーリはかちりと表情を固まらせた。

 いや、兄弟って言うか、どう見ても祖父と孫にしか見えないと思うんだけど。

 何だかうっかり不敬な言葉が飛び出してきそうな気がして、オーリはしばし黙って言葉を探して、


「――あー……。先王陛下、頑張ったんですね……」


 考え直した割には、やっぱり不敬だったような気がせんでもない。

 似たようなことを考えたらしいフランカが目を逸らし、微妙な引きつり笑いを顔に浮かべた。


「ああ、うん……長男と四十歳以上差があるもんね……。まあ、権力者にはよくあることって言えばそうだけど」

「うちの王族って、元々子供が出来にくい体質らしいよ。だから亡き先王は子が少なかったし、今代も未だ子供がいない」


 つまらなさそうにアルフーリェが言って、「だから尚更陛下が、年の離れた弟を可愛がるんだろ」と付け加えた。


「あー、そりゃ実子がいないなら、その分弟は可愛いだろうな。我が子と弟が後継争い起こす、なんて心配もないわけだし」

「滅多に外に出さないのも、陛下の過保護が理由だとも言われてるよね」

「あ、そう言えばあんたたち、その王弟殿下に最近想い人が出来たらしいって噂知ってる? 殿下は十歳にもならないけど、ひょっとしたら早々に婚約とかいう話になるのかしら」

「フランカって、そういう話好きだよな……」

「ゼクタ、女はいくつになっても大体そういう生き物らしいよ。ひいひいひいばあさまが言ってた」


 謎に満ちた王弟その他の話題で盛り上がり始めたフランカたちの傍ら、オーリは頭半分で、成程ね、と思考した。


(それだけ歳が離れてればそうそうお家騒動になんてならないし、道理で王様も安心して可愛がれるわけだ。ならエルゼさんの相手は、実質的には王弟本人じゃなくて、弟を次代に据えたい国王と、その陣営に付いた貴族たちの方ってこと?)


 国王が純粋に幼い弟を引き立てたいと思っていたとしても、その味方をする貴族たちの中には、次代の王を傀儡として政治を牛耳りたいと思っている輩が必ず一定数含まれている。欲に取り付かれた権力者なんて、敵味方問わず実に厄介なものなのだ。


(うちの父上様はどっちの陣営を支持してるのかな。まあ、誰が王位を継ぐにしろ、国が荒れるような展開になるのだけは勘弁して欲しいけど……)


 国王は既に若くはないし、いつ譲位或いは死去してもおかしくないだろう。

 そして譲位を思い立った時、国王が最も気にかけるのは、未だ幼い唯一の直系血族。「魔力無し」云々については初耳だが、もしそれが言葉通りの意味なら、決して自分を超えることの出来ない幼い弟は、密かに凡人と囁かれる国王の庇護意識と優越感をさぞかし擽るに違いない。


(もしも王様が家族より国のための選択を出来る人なら、心配しなくて良い話なんだろうけど……)


 多分、あんまり期待できないからエルゼさんが名乗り上げたんだろうなあ、と渋い顔で考える。


「リアさん、あなたが王都で会ったというエルゼさんは、権力欲や野心が強そうな印象ではなかったんですよね?」


 似たようなことを考えていたらしく、ラトニが小さく囁きかけてきた。オーリは「勿論」と頷いて、己の唇に人差し指を当てる。


「色々コワい人ではあったけど、基本的には真面目な人だったよ。王位を欲しがる理由までは知らないけど、単に上昇志向ってわけじゃないような気がするな」

「つまり周りに流されたわけでもなく、本人は至ってやる気満々ということですね。……大人しく無事を祈っておいた方が良いと思います」

「うっ、やっぱりそれしか選択肢がない感じ……?」


 引きつった顔で困った笑いをこぼし、オーリは肩を落とした。

 確かに、ここでオーリが何を思おうと、エルゼのために何かしてやれるものでもない。ちらりとフランカたちに視線をやって、そろそろ話を締めるように促すべきかと考えた。


(フランカさんたちも出立の準備で忙しいだろうし、アリアナさんも待ってるかも知れないし。なんかあっちはただの世間話と化してるから、止めた方が良さそうだね)


 小さな溜め息を一つついて。

 いつの間にやら、何故か仲間内で魔獣の恋愛事情や如何にという話題に移行しているフランカたちへと声をかけるため、オーリは息を吸い込んだ。



 オーリが王都で出会った少年=王弟だとは誰も知らないので、後継争いに関してオーリとラトニの関心対象はとりあえずエルゼだけ。


 フランカたちは明日にはシェパを出るので、「掲示板に用がある」というフランカの言葉はオーリたちを助けるための方便です。

 彼女らみたいに善良で好意的な人間に対しては、ラトニの態度もちょっと柔らかくなるらしい。



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