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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
63/176

61:誘うその手は吉兆か凶兆か

「まさか、あの現役冒険者にも劣らない裂帛の気合いが、餓えた肉食獣の闘争心と同種のものだとは思わないじゃない……」


 パチパチと香ばしい香りを放つ串焼き肉の傍に座り込んで、アリアナは心底やるせなさそうに肩を落とした。


 アリアナだって動物を狩ることは勿論あるし、それを食べることに異論はない。

 だが、熱い戦いの末に芽生えた種族を超えた友情っぽいものが丸々幻影だったと知り、あまつ何はばかることなくそれをやらかしたのが未だ十にもならないような幼子だと思えば、どうにも尊い犠牲になったジドゥリにしょっぱい同情を覚えてしまうわけであって。

 て言うかぶっちゃけ、あの寸劇は何だったんだって話なのであって。


「じゃあアリアナさん、食べないんですか?」

「いや食べるけど」


 巣穴に転がるがらくたを漁りながらのオーリの問いに考える間もなく即答してしまい、アリアナは無言で頭を抱えた。自分という奴は!


(……だって、今まさに新鮮なお肉が目の前で芳香を上げてるんだもの……)


 しっかり血抜きされ、大振りに切り分けられた鳥肉は、最早焼き鳥と言うより、串に刺さった小さなチキンステーキと言っても過言ではない。

 赤みがかったピンク色の肉を覆う白は、あたかも繊細なレースを羽織った優雅な貴婦人の如き、薄い脂肪の白。ドレスに散りばめた小粒のダイヤを想わせるのは、きらきらと輝く塩の粒か。

 熟成期間を置いていない分些か固くはあるだろうが、見る限りはきらきらと炎を照り返して実に艶やかだ。

 所々見える白い筋は丹念に取り除かれ、過ぎた歯応えを残さないようしっかりと処理されている。容赦なく鼻孔を刺激するのは、野菜や魚では到底出せない、重厚にして濃厚な肉そのものの深い香り。

 炙られる傍から汗を掻くが如く透明な肉汁が滲み出し、燃え盛る焚き火に滴り落ちるたび、じゅう、と焦らすように小さな音がした。


 ――どう考えても美味しそうです本当にありがとうございました。


 たとえ嫣然と笑みを浮かべた豊満な美女にボディラインを露わにしたドレスで誘惑されても、ここまで葛藤は感じるまいと思えるほどの魅惑の光景である。

 人の業とは斯くも断ち難し。己の罪深さから弱肉強食の摂理、ついでに獣の種類による熟成期間の差について脳内考察が及び始めたアリアナの様子はまるっと無視して、ラトニが串を一本取り上げた。


「…………」


 ふん、と匂いを嗅ぎ、程良く焦げ目のついた焼き鳥に齧り付く。

 一口分を噛み締めれば、程良く塩を利かせた肉から閉じ込められていた肉汁が一気に溢れ出た。

 肉の内部に閉じ込められ、凝縮された旨味の芳醇なエキス。孤児院では滅多に味わえない塊肉を、ラトニは無言で咀嚼し、ゆるりと頬を緩めた。


 やはり肉質は少しばかり固いようだが、むっちりした食感の中にもほんのりと甘い香りがする上物だ。咥内を焼く熱と旨味の塊をはふはふ言いながら飲み下し、ラトニは満足した猫のようにうっすらと目を細めた。


「――リアさん、焼けたようですよ。アリアナさんもどうぞ」

「あ、ありがとう、ラト君……」

「イヤッホォォォウ! 待ちわびた肉! しっかり身の締まった上質な野鳥肉(ジビエ)!」


 涎を垂らしそうな勢いですっ飛んできたオーリはラトニの隣に滑り込み、即座に串の一本を手に取った。遠慮なく大口を開けて齧り付き、「うーまーいーぞー!」と咆哮する。


「あんな大きな鳥を捌くのは力作業のはずだけど、リアちゃんたち二人でよく恙無く出来たわねぇ……。塩もしっかり振ってあるし」

「塩は常備品でもぐもぐ! 魚を捕ったりすることもあるんでふがふが! 焚き火料理は得意でむぐむぐ!」

「飲み込んでから喋ろうか。ん、これハーブの香り……? ……ああ、もしかして串?」

「んむぐ、正解でーす。この木、若い枝を火に翳すと良い香りがするんですよね」


 出身階級が割れないためか単に素なのか、オーリは基本的に屋敷の外ではテーブルマナーなど投げ捨てる。

 脂の乗り始めたジドゥリ肉は、噛み締めるたび仄かな甘みがにじみ出てきて非常に美味だ。ニッコニッコと満面の笑顔で串焼きを吸い込んでいくオーリは、胃と舌が満たされて実に幸せそうだった。


 一方アリアナも食欲は旺盛なようで、こちらも可愛らしい容姿に似合わず、存外大胆に肉を食いちぎっている。手を汚さない食べ方をしているので、やはり仕事柄野外には慣れているのだろうか。


 一番食べるのが遅いように見えるラトニは、小刻みに口を動かしながら静かに確実に肉を大量消費している様子だ。時折焚き火の面倒を見ながらしっかり自分の取り分も確保している辺り、多分彼は鍋奉行の才能がある。


「リアさん、もう少し噛んで食べたらどうですか? この串はもう少しで焼けますよ」

「はよ! はよ!」

「膝をバンバンしないでください。こっちは焼けましたから、ほら、口開けて」

「ぐむぐむ、ありがとー。この枝お土産に持って行ったら、師匠は喜ぶかな。あ、これ味見してよ」

「無駄にはならないでしょうよ。……美味しいです」

「じゃあ次はこれ焼こうか、ナッツの香りのする枝の串。なんかキミが好きそうだと思って」

「はい。あ、パセリの香りのはこれで最後です。……あーん」

「あー」

「ちょっと君たちの関係がいまいち把握できないわー」


 口に咥えた串をピコピコと動かしながら、アリアナが心なしかじっとりした目でツッコんだ。


 平常は桃色の空気など欠片も感じさせないオーリとラトニだが、如何せん、その息の合いっぷりは只事ではない。

 流れるように「あーん」をやったり、相手の好みをしっかり把握していたり、時々ラトニがオーリの唇から垂れかける肉汁を指で拭いたり(そして普通にその指を舐めた)する辺り、恋仲と言うには色気がないが、友人と言うには距離が近過ぎるような気がしてならない。


「えー、そんなに変ですかね?」

「実の姉弟や幼馴染だとしたって、そんなに堂々といちゃつきやしないわよ。私も兄がいるけど、ここまでべったりしたこと、子供の頃にもなかったもの」

「お兄さんいるんですね。仲良い? 職場同じ?」

「いや、仲は全然悪い方だから、職場違ってありがたい……って違う違う、リアちゃんたちの熟年夫婦みたいな空気にツッコミ入れたいのよ私は」


 独り身の心に若干沁みるものを感じつつ、アリアナは「ほーん?」と首を傾げるオーリに溜息をついた。

 素知らぬ顔で水筒を取り出し、「リアさん、水分も取ってください」と提言するラトニの方は、会話に参加するつもりはなさそうだ。


(ラト君は確信犯でやってる可能性が高いけど、リアちゃんは多分、単に距離感が麻痺してるだけだな。互いに向けてる強い好意と言い信頼と言い、兄弟や恋人には見えないけど、物凄く仲の良い幼馴染ってとこか?)


 そう考えると同時に、自分たちを観察する視線に気付いたらしいラトニが無感情な目でこちらを見てきて、アリアナはぎくっとした。


「……何かありましたか、アリアナさん?」

「あ、いや、別に」


 オーリに向ける時とは打って変わって、礼儀正しいが温度のない声で問いかけられ、誤魔化すように苦笑いする。


 ――多分この子は、隣にいる少女のこと以外をあまり好きじゃない。


 その推測は存外的を射ているように思えて、アリアナは再び目を逸らしたラトニを、もう一度こっそり観察し直してみた。

 アリアナの仕事柄、無表情の染み付いている同僚は幾人か持っている。彼らほどとは言わないが、ラトニの表情もなかなか読みにくいものだ。


「アリアナさん、そっちの串はもう焼けてますよ。勿体ないので食べないんなら私にくださいありがとうございます頂きます」

「ごめん食べるすぐ食べるから手を引っ込めてリアちゃんごめん」


 オーリの言葉に即答して、アリアナは少し焦げかけた串を数本纏めて手に取った。しかし本当によく食べるな、この子たち。


(リアちゃんは懐っこいけど身体能力がやたら高いし、ラト君はそんなリアちゃんにべったりだし)


 謎の多い子供って、どこか突き抜けたとこあるよなぁ。そんなことを思ったアリアナは溜め息一つで二人の空気に介入することを諦めて、肉を咀嚼する作業に戻ることにした。


 それから程なく、用意されていたジドゥリ肉は綺麗に無くなった。

 巨大なジドゥリ肉はすぐに食べる分だけを切り分けて、残りは大雑把に処理をしただけで巣穴の隅に置いてある。

 持ち切れない肉は、勿体ないが巣の外に放り出しておくしかないだろうと思いながら、オーリは満足した腹をぽふぽふと撫でた。


「――ところでさ、」


 と、脂で汚れた唇をハンカチで拭きつつ、アリアナがぽつりと切り出した。


「大分タイミングを外したような気がしないでもないんだけど、そもそも君たち、どうしてあのジドゥリを追って来たの? 最初から食べる目的だったわけじゃないでしょ?」

「ええ、まあ。四日前に遭遇したジドゥリを探してたんですよ」

「え、でもこの巣の持ち主はこの前会ったジドゥリじゃないよね?」


 きょとんとした顔で返されて、再びがらくた物色に戻ろうとしていたオーリはぐるりとアリアナの顔を見た。こちらは焚き火を消す作業にかかっていたラトニも、驚いたように彼女の方を見ている。


「……、……何で?」


 オーリは数回目を瞬かせた後、少し間抜けた声で問いかける。当たり前のことを言う顔で、アリアナはけろりと言葉を続けた。


「見れば分かるじゃない。茶色い羽に散ってた白い斑の数が、以前会った奴は右の羽のが左の羽より一個多かったけど、今日のは左の羽のが二個多かったよ。今日の奴は顎にも黒い毛が混じってたし、目元のカーブが緩かった。

 匂いも、そう、昨日のジドゥリからはほんのりロカの香りがしたっけ。近くにロカの木があって、葉っぱを巣に使ってるんじゃないかな。この付近にロカはないから、多分近辺にはいないよ。

 でも特徴や体格は大分似てるから、もしかしたら同じ親から生まれたのかもね。骨格もそっくりだったし」

『……………………』


 怒涛の勢いでまくし立てられる推測は、全てに根拠があって説得力がある。ロカの木の匂いなんて、オーリは気付きもしなかった。

 求めるジドゥリの詳細情報を紡ぎ上げてみせたアリアナに、マジでか、と言いたげにオーリたちが目を丸くする。唖然とする子供たちに満足したように、アリアナはふふんと得意げに鼻を鳴らしてみせた。


 前回と言い今回と言い、ジドゥリはアリアナを追い回したりオーリと戦っていたりで、じっくり観察する時間など一度も無かったはずである。

 事実オーリは「茶色に白斑」という最も分かりやすい特徴しか覚えていないし、それはラトニだって同じことだろう。

 まさかこの人、その気になれば街道中のジドゥリの特徴を記憶することも可能なのではないだろうか。そんなことを思って、オーリは初めて彼女にうっすら尊敬の眼差しを向けた。


「ふっふん、尊敬した? 言ったでしょ、私ってばこれでも優秀な諜報、間違えた、聴講生なんだからね。カッコイイ? カッコイイ?」

「あ、いや、尊敬はするけど、別にカッコ良くは……。なんか、目敏すぎてむしろリアクションに困るみたいな……後ろ髪を五ミリ切っただけで『髪型変えたの?』って彼氏に指摘されて、彼女としては逆に引くみたいな……」

「!?」


 素直に敬意を表す気が一気に薄れて、オーリはさらりと釘を一本ブッ刺しておいた。助かったことは事実だが、調子に乗られても困る。


 ねー、とラトニに首を傾げてみせれば、ラトニは無言でこくりと頷いた。

 妙にリアルな辛口コメントに、アリアナが青い顔でぶつぶつ呟き始める。「そんな、細かいことによく気付く恋人が良いんじゃなかったの? まさか、まさか振られたのはそれが原因で!?」……心当たりがあるらしい。


(と言うか、今また諜報員って言いかけたし)


 何となくじっとりした目をしながら、オーリは焚き火の始末を終えたラトニと共にがらくた漁りを続行する。

 コルク蓋の付いた褐色瓶を放り出し、ラトニがビーズの一杯詰まった小袋を手に取った辺りで、本題を思い出したらしいアリアナがはっとした顔でオーリを見やった。


「ああ、違う、振られた原因なんて考えてる場合じゃないんだ! あのねリアちゃんたち、君たちは知らないかも知れないけど、ここから少し離れた所で、昨日も野盗が出たのよ。二、三人で行動してた村人が襲われたって」

「野盗に会ったらちゃんと逃げるつもりでしたよ。ただの野盗相手なら、私の足なら逃げ切れますし」

「ジドゥリだって、本当は凄く危険なの! 私は二回も追いかけられてるんだから!」

「それを二回共助けたのが私なんですけど」

「リアちゃんは良くても、ラト君は弱いんでしょう! 他の獣も魔獣も出るし!」

「ジドゥリは活動開始時期が早い動物ですが、他の大型獣はもう少し後になるでしょうし、当面は問題ないと思いますよ」

「出くわしても私が背負えば、足の遅い獣相手なら逃げ切れるしねー」

「ぐぬぬ、ああ言えばこう言う……! そんなこと言ってて、凄く強い敵に会っちゃったらどうするのよ!」

「全力で逃げる!」

「非常用の装備は多少持っていますし、彼女はこれでも警戒心が強いです」


 スパスパ切り返されて、アリアナが地団駄踏んだ。ええい、なんて小生意気なお子様共だ……!


「あああもどかしい! 心配してるんだから少しは聞き入れてよ! 口の達者な子供なんて大嫌いだ!」

「心配には心から感謝しますが、子供には子供の事情があるんですよ。無邪気な子供は、大人の作った枠から踏み出して一回り大きくなるんです」

「君たちは常識の枠から盛大にはみ出してるよ! どこの世界に野盗やジドゥリ相手に真っ向やり合える無邪気な子供がいるの!」


 力一杯ツッコんだ後、アリアナは呆れたように深々と溜め息をついた。それから声のトーンを落とし、幾分か気を落ち着かせた様子で問いかける。


「……そもそも、リアちゃんたちはどうしてそんなに例のジドゥリにこだわってるのさ? まさか捕まえてバーベキュー大会開きたいわけでもないでしょうに」

「えーと……」


 困った顔をして、オーリがラトニをちらりと見る。ラトニは「任せる」と言うように、小さく肩を竦めてみせた。

 少しだけ迷ってから、オーリは唇を尖らせて言い出した。


「実は、あのジドゥリに大事なものを取られちゃって。思い入れがあるものだし、ちょっと貴重な魔術具だから、どうしても取り返したいんですよ」

「あー、成程。だから巣を探したかったのか……。ちなみに特徴は?」

「ええと、これくらいの大きさの黒い石が付いてる首飾りです。宝石ではないんですけど、ちょっと銀色っぽい色も混じってて綺麗なの」

「ふうん……その歳で魔術具持ってるって珍しいわね。リアちゃんって実は良い家のお嬢さんなの?」

「ああいえ、あれは貰い物なんですよ。王都で知り合った人に譲られたんです」


 平たいガラス板のようなもの、銅製の壁飾り、何に使うかもよく分からない菱形の物体。

 例のジドゥリがこの巣のジドゥリに負けて収集品をぶんどられていた、などという可能性も(極めて低いが)あることだし、念のために物色を続行してはいたが、やはり出てくるのはオーリに関係ないがらくたばかりだ。

 上半分が折れたペンを背後に放り出し、彼女は疲れたように嘆息した。


「……とは言え、アリアナさんの言葉が事実なら、ここはハズレで間違いないんでしょうけどね。ああ、また探し直しかぁ……」


 憂鬱そうに眉を顰め、オーリの肩ががくりと落ちる。

 ふぅむ、と唸って、アリアナがふと、何事か考える素振りを見せた。


「……ねえリアちゃん、さっき、村人が数人野盗に襲われたって言ったじゃない」

「はあ。言いましたね」

「彼らは武器を持ってたから何とか全員村に帰れたそうだけど、他の荷物は全部取られたって。何でもその人たちね――猟師をやってるそうなのよ」


 落ち着いた声で続けられた言葉に、オーリは一拍思考を止めた。

 それからゆるゆると言われた内容を理解していくうち、眉間に険しく皺が寄り始める。


「……、……まさか……」

「そ。私は本人たちから話を聞いたけど、『惜しいことをした』って言ってたわ。――『狩ったジドゥリの巣で、大きな黒い石の付いた高そうな首飾りを見つけてたのに』って」


 ――その瞬間、オーリの顔からざあっと血の気が引いた。

 ジドゥリの巣の中に置かれていた、大きな黒い石の首飾り。丁度その条件に当てはまる品物を、オーリはよく知っている。


 ――まずい。黒石の首飾りが完全に行方知れずになることを最悪とするなら、これはその次に悪い事態と言える。


(こっそり忍び込んで取り返す……のは無理だ。だって、黒石の所在が分かったところで、そもそも私は野盗の拠点の在処なんて知らないもの。たとえ警備隊や冒険者が野盗を退治したとしても、その収集品は一旦全て国に没収される。所有者証明が出来れば返してもらえるだろうけど、私にはそれが出来ないから、名乗り出ることも出来ない。

 いっそ、イアンさんに手を回してもらえるように頼むか――いや、それは本当に最終手段だ。バレて少しでもイアンさんの立場が危うくなるようなことは避けたいし、いくらイアンさんでもモノがモノだから、流石に身分証明くらいは求められるかも知れない)


 あの黒石はオーリにしか使えないという特徴こそあれど、家紋や名前が入っているわけでもないし、オーリに至っては自身の身元すら明らかに出来ないのだ。

 見る者が見れば、あれが貴重な魔術具(ウズ)だということが分かってしまう。何処から手に入れた、などと聞かれてもオーリには答えられない。その質問に正確に答えるには、去年王都で起きた出来事を全て詳らかにしなくてはならないのだから。


(諦める、のが賢明だよね。危険過ぎる上、取り得る手段がどれも不確か過ぎる。でも、あれは、あの黒石は、……それに、ラトニはどうする。私一人の無謀に、ラトニを巻き込む? 野盗の巣窟で、どんな危険があるかも知れないのに?)


 ぐるぐると混乱する思考の中、じわりと焦りを募らせるオーリの右手を、隣から伸びた手がぱしりと掴んだ。はっと横を見れば、ラトニが無表情でオーリを窘めるように見つめていた。


 ――また、爪を噛みかけていたらしい。

 いつもの癖が出かけていたことを自覚して、オーリは決まり悪そうに目を逸らした。オーリを捕まえる小さな手に、ぐ、と力がこもった。


「余計なことは考えなくて良いんですよ」


 すっかり自分の思考に入り込んでいた相方を真っ直ぐ見返し、ラトニは冷静な声でそう言った。


「付き合うと言ったでしょう。僕を『置いて行く』選択肢さえ取らないのなら、どんな危険な場所に誘われようと構いません。

 あなたが言ったんですよ――『羽目を外し過ぎても、冷静な相棒がいるから大丈夫』と。

 あなたはあなたのしたいようにすれば良い。どうしようもなく危ないと思ったら、僕はあなたを殴り倒してでも引きずって逃げるつもりですから」

「……わあ、男前」


 それは以前、シェパ警備隊の総副隊長の前で、オーリが冗談混じりに言った台詞だ。

 気負いも恐れも全く纏わないその声色に、オーリは数拍置いて気が抜けたようにゆるゆると苦笑した。


 ――ラトニは、いつも通り一緒にいる。

 ならば、本当に危なくなったら止めてくれるだろう。それまでは存分に突っ走れと、お墨付きをもらったようなものだ。


 焦りと緊張が程良く抜ける。

 ふは、と唇を緩めて、オーリはラトニの方へと双眸を細めてみせた。


「――深入りはしない。私も、キミも。ヤバいと思ったら、様子見なんてせず、すぐにその都度申告すること――で良い?」

「はい」

「了解。――で、状況は理解したんですけど――要するにあなたは何が言いたいんですか。わざわざこのシェパに、野盗を探すためにやって来た諜報員のアリアナさんは」


 ――諜報員、と口にする。

 巻き込まれたくないと自ら線を引いていた、境界の向こうに踏み込んで。


 挑むように言い放ったオーリの瞳に、アリアナの目が一瞬警戒の色を宿した。けれどすぐにその色は消え去って、形の良い唇に微笑が浮かぶ。


「……あら。どうしてそう思ったの? 私、仕事の内容について話したことは一度も無かったはずだけど」

「『諜報に来たと主張する人物が』、『野盗が出没する街道を女一人で歩き回り』、『野盗に襲われた村人の元へわざわざ話を聞きに行き』、『自力で野盗を追うことを考えるような無謀な子供を、張り倒してでも止めようとしない』。

 それは、あなた自身が何らかの理由で野盗たちを追っているからと――その仕事における何かに関して、私たちを使うことを考慮しているからですよね。あなたは私たちが、複数の野盗相手に無傷で逃げ延びられることを知っている。もしも野盗と聞いて少しでも怯えるようだったら、諦めて街に帰れと説得するつもりでしたか?」


 元よりアリアナの口から色々と語られ、既に情報は出揃っているのだ。冷静になっていつものペースを取り戻せば、これくらいの分析は慣れたものだった。言葉を紡いでいくオーリに、アリアナの笑みが深くなっていく。


「大体正解。そこに、どうせ危ないことするなら私が監督させてもらった方が良い、っていうのも含めておいて。……正直私一人だと、ことあるごとに野生動物だの魔獣だのに追い回されて、仕事が恙無く進まないのよね」

「うわ、ジドゥリだけじゃなかったんだ……」


 若干気の毒そうな顔をしながら、オーリはちらりとラトニを見る。彼がオーリとアリアナを見比べ、小さく首肯したのを確認して、彼女はアリアナを見上げて唇を引き結んだ。


「――詳しい話を聞かせてください。でもその前に、そろそろ場所を移動しましょう。血の匂いで獣が寄って来そうですから」

「分かったわ。あ、でもその前に。この巣の持ち主はもういないわけだし、ついでに何かめぼしいものでも探して行った方が良くない?」


 にこりと笑って提案したアリアナが、がらくたの山に手を突っ込み、何かを引き出した。

 見ればそれは、木台の懐中時計のようだった。ぽいと投げ渡されて、ラトニが危なげなくキャッチする。


「例えばそれとかね。今更持ち主なんか見つからないし、どうせここが猟師や冒険者に見つかれば、高そうなものは全部持って行かれちゃうわ。ラト君だってそう思うでしょう?」

「それはそうですが……。アリアナさん、この時計、針が止まっていますよ」


 困惑したように言うラトニに、オーリは懐中時計を覗き込む。

 針が五時四十分で止まっている時計は、螺子も付いていないせいで直し方の見当も付かなかった。職人に頼むとすれば当然金がかかるだろうが、オーリもラトニも相場など知るわけがない。


「そうみたいね。でも、一応身に付けてたら良いわ。魔力で動くアイテムだったりするかも知れないし、それなら身に付けてるうちに勝手に魔力が貯まって動き出すかも知れないもの」


 さらりと言われて、ラトニは無言で時計を見下ろした。


 この時計が魔術具であるか否かなど分からないが、もしもずっと動かないようなら、単なる故障と見做して外せば良い。無事に動き出すようなら、仕事柄細かい時間を計る必要のあるジョルジオに渡したって良いだろう。

 そう考えて、ラトニは大人しくポケットに時計を仕舞った。幸い、持っていて邪魔になるようなサイズでもない。


「懐中時計なんて貴重品ですね。直れば良いんですけど」

「後で師匠に相談してみようか、直せる知り合いがいるかも知れないし。私はジドゥリの解体を片付けちゃうから、ラトはもう少し物色してきてよ」


 最新式の温度計が落ちてないかなぁ、と呟くオーリに了承を示してみせ、ラトニは巣穴の奥へと足を向けた。アリアナの視線が一瞬だけラトニのポケットに向き、すぐに何事もなかったかのように逸らされた。


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