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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
62/176

60:拳で分かり合わない友情

 少女と巨鳥との戦いは、最終的に今回も少女の勝利で幕を下ろした。


 ボロボロの羽をばたつかせながら、微妙に脚をふらつかせたジドゥリは短く一声鳴く。

 あたかも悔しさと賞賛、そして僅かな充足を込めて地面に座り込んだまま血に染まった唾と共に「テメェの勝ちだ」と吐き捨てる昔気質(かたぎ)の不良のような声色に、オーリはフッと笑って、さながら激闘を制しボロボロの学ランをなびかせて佇みながらも不敵に口端を吊り上げて再戦の時を仄めかせる仁義厚い敵校生の如く、「今回は、な」と言い返した。


「……コロ」

「……ふっ」


 ジドゥリが一声鳴き、少女が睫を伏せて穏やかに笑う。

 くるりと身を翻したジドゥリに、引き止める言葉など必要なく――。


「あ、釣れた」


 何やら奇妙な友情が芽生えている一人と一羽の姿を横目で見つつ、とっくに他人の顔をしていたラトニは垂らしていた釣り糸を引き上げた。


 初めてかかった獲物は、ピチピチ跳ねる全長三センチミル程度の小魚。どうやら大きな魚が一口に餌を食うのではなく、小さな魚たちに寄ってたかって突つかれたせいで針が刺さらなかったようだ。

 しばし迷って、ラトニは歯に引っ掛かりそうな小魚を池に逃がしてやった。流石にこんな小魚一匹、腹の足しにもなるまい。

 どうやらこの池で魚は望めなさそうだと思いつつ、次に釣り竿から針と糸を回収していく。ただの棒切れに戻った竿を放り出せば、はい片付け完了。


 一方ラトニが釣り竿を解体するうちに、茶色に白斑のジドゥリは駆け去っていったようだった。

 ジドゥリの背中が見えなくなるまで見送っていたオーリは、更に三十秒を置いてラトニの方を振り返る。それからクイッと親指を動かし、あたかも長年凶悪犯と渡り合ってきたベテラン刑事の如き風格を持って宣言した。


「追うぞ」

「了解しました」

「ちょっと待ってぇぇぇぇぇ!」


 悲鳴のようなツッコミに、ラトニは思い出したように振り向いた。

 緑と茶色に覆われた街道の中、そこにいたのはドン引きした様子で整った顔を引き攣らせた――


「……アリアナさん、いたんですか」

「やっぱり忘れられてた!?」


 そう言えば、というような口調で呟いたラトニに、アリアナは悲痛な声を上げた。


 彼女を追っていたもう一羽のジドゥリの方は、流石に逃げてしまっているようだった。去るタイミングを外したのか単に気になって動けなかったのか、口端をひくつかせたアリアナは何とか状況を呑み込もうと努めている。

 何事かぶつぶつと呟きながら風向きを確認しているオーリが反応しようとしないので、仕方なくラトニがアリアナに向かって口火を切った。


「何でしょうか、アリアナさん。僕らはこれからあのジドゥリを追跡する予定なのですが」


 遠回しに邪魔すんなと仄めかされ、アリアナの眉がひくりと震える。


「いやいやいやいや、え? あの異様にハイレベルな戦いとかその後の遣り取りとか色々聞きたいことはあるけど、とりあえず追跡ってどういうこと? もうあのジドゥリ、恙無く消え去ってるんだけど!」

「匂いが残っているので大丈夫です」

「犬!?」


 きっぱりと言い切られて、アリアナは幾度目かになるツッコミを入れた。


「別に、純粋な体臭というわけではありません。先程の戦闘が終わる直前、リアさんはあのジドゥリにこっそり匂い粉を浴びせていました。あれは相当にきつい匂いが残りますし、羽から道に少しずつ落ちるので、リアさんの嗅覚ならしばらくは追えるんです」


 まあ、それでも屋外なら五分が限度だが。


 そんな台詞は胸に仕舞って、ラトニはオーリの元へと歩み寄る。

 慌てたアリアナが意味なく腕を振り回しながら二人を引き止めようと声を上げかけたが、その言葉はラトニを担ぎ上げたオーリの行動に遮られた。


「行くよ、ラト」

「ちょっと待って、リアちゃ――」

「鳥肉のもとへ」



 エッ?



 何だかヘンな単語がボソリと聞こえたような気がして、ラトニは無言でオーリの顔を見た。

 フードに隠れた少女の一対の瞳は、ジドゥリの駆け去った方向を見つめながら熱っぽく潤んでいる。戦闘の疲れではない荒い息をハァハァと吐いているオーリの頬は、熟した果物を想わせるようにほんのりと赤い。


 ラトニでさえ初めて見る、恋する乙女の如き少女の眼差しに、ラトニの眦がぴきりと固まった。


「り、リアさ――」


 直後に襲いかかってきた風圧に、ラトニは思わず口を噤んだ。「ええええええ!?」というアリアナの叫びを置き去りに、見事なスタートダッシュを決めたオーリは猛烈な勢いで街道を突っ走っていく。


 ジドゥリの残した匂いを追わねばならないからか、いつもの人間離れした速度は辛うじて出していないようだが、百メートル走を走り出したばかりの陸上選手程度の速さは出ているだろう。

 自分を「ラト」と呼んでいたところを見ればどうやら最低限の冷静さは保っているようだと考えながら、ラトニはひとまず制止を諦め、嘆息してオーリの腕に身を預けることにした。


(こういうポジションが多いから、オーリさんが変な夢を見たりするんですかねぇ……)


 ――そうして、どれほど移動した頃だったか。

 街道を外れ、ほとんど整備されていない道に踏み込んだオーリは、一度足を止めて鼻を蠢かせ、再び何処かへと走り始める。彼女が速度を上げたのを感じて、目的の巣が近いようだ、とラトニは思った。


(……木と岩が多くなってきましたね。人が頻繁に通っている様子もないし、こちらの方角に村の類は無いようだ)


 やがて見えてきたのは行き止まり。所々に岩の突き出た山肌の上方、そこにくり抜かれたような穴があるのを見つけて、ラトニは安堵の息を吐いた。

 ――ジドゥリの巣だ。


(高いですね……。やはりあのジドゥリ、随分強い個体だったようです)


 産卵用の巣穴は通常雄のジドゥリが作るものであり、その巣は強靱な脚力にものを言わせた高い場所に据えられる。

 飛行能力も併せ持つジドゥリだが、やはりその重量からか基本は脚に頼ることが多い。従って巣の位置が高ければ高いほど脚力が強い、イコール雄の実力を示すことになるため、強い雄は危険な掘削作業も厭わず、こぞって高い場所に巣を作るのだ。


 そんな汗と涙の結晶である巣穴でこれから発生するであろう事態を正確に予測しながら、ラトニはオーリの首にしがみついた。

 直後に、だぁん、と地面を踏み切ってオーリが跳躍。突き出た岩々を足場にしながら、彼女は軽やかに山肌を駆け上っていく。


 巣穴に到着すると同時に、二人の来訪者に気付いた巣の持ち主の気配が揺らいだ。

 内装の整理をしていたらしいジドゥリが「ココッ!?」とこちらを向き直る。

 つい先程出くわしたばかりの、茶色に白斑のジドゥリだ。鳥違いでないことだけを確認し、ラトニはそっとオーリの腕から滑り下りた。


 オーリの斜め後ろに移動しながら、ラトニはちらり、と少女を見上げる。

 ――瞬間、思わず後退りしそうになって、彼は何とか踏みとどまった。

 予想以上の光景に視線だけは外せないまま、ラトニは己の記憶にオーリの表情が焼き付けられるのを感じて唾を飲み込んだ。


「――みぃぃつけたぁ……!」


 ジドゥリに向かって囁きかける少女の声は、未だかつて聞いたことのない、滴るような甘さに満ちていた。


 どこまでもどこまでも歓喜に染め上げられた、吐く息すら甘い悦楽の笑顔。緩く弧を描いた彼女の双眸は、今や温められた蜂蜜のようにとろりととろけている。

 恋する乙女――どころではない。澄んだ瞳にうっとりとした笑みを刻み、はぁ――と喘ぐように吐息を零した唇は、焦らしに焦らされた期待と恍惚に歪んでいた。


 ただ一つ、特に挙げるとするならば、その表情の基盤を形作る気色の正体。それは恐らく、壮絶な色気――ではなく、尋常ならざる食欲の渦だ。


 オーリの目に映る感情の色を察したかのように、心なしか青ざめたような顔で、じりっ、とジドゥリが後退った。


「コ、コロオォォォ……ッ!?」


 軽やかな鳴き声さえも震わせる戦慄。じり、じり、と後退り、嘘だろう、と言いたげにジドゥリが首を横に振る。

 相手が武器を持った冒険者であろうと果敢に仕掛けていくジドゥリが、ただ一人の少女を相手に情と目こぼしを訴えていた。

 愕然と。茫然と。

 脚を爪を交え認め合ったあの時間は、幻だったのかというように。


「――嗚呼、そう悲しげに見つめてくれるな……。どれほど残酷な事実でも、これもまた自然界の悲しい摂理……」


 一方こちらは逆に、じり、と前へと進み出ながら、オーリは低い声でそう告げる。

 あたかも、競いながらも尊敬し合った長年のライバルとの意に添わぬ対立と決着を、心から悼んでいるかのようなその台詞。

 とは言え彼女の声が相変わらずとろりと蟠る熱と甘さに満ちている所を見れば、精々か弱い一般人を愉悦と共に追い詰める極悪人にしか見えないわけだが。


 裏口などあるわけもない薄暗い巣の内装を観察し終えて、ラトニはそっとジドゥリに黙祷を捧げた。


 ジドゥリを適度に弱らせて、巣へと帰らせるまでが当初の策略。今や巣穴は発見され、その収集品は目の前にある。

 オーリがジドゥリを見逃す理由は――最早、無い。


 きゅいい、とオーリの唇が吊り上がる。

 溢れるような色気、もとい食い気を含んだ獰猛にして妖艶な笑顔。

 真紅の楼閣の頂点に座する遊女もかくやと思わせるような表情で、彼女は喜悦と興奮に身を震わせ、鳥の如く軽やかな声で咆哮した。


「さあ、再戦(セカンドバトル)と行こうか……! 今度は本気で! 命を賭けてなァァァァァァァ!!」

「コロオォォォォォォ!?」


 あれは、あの激闘は、まさか本気ではなかったというのか。接戦だと思わせていたことすら、策略の一環でしかなかったというのか……!

 裏切られた、と言いたげな目で絶叫したジドゥリから、ラトニはそっと目を逸らし、これから起こるであろう悲劇に心を痛めた。そして一秒後にはどうでも良くなって、次はさっさと決着がつくのだろうな、と思いつつ観戦の姿勢へと移行した。


 発生したと思われた昔気質の不良じみた友情は、どうやらラトニの錯覚だったらしい。

 血塗れの鉈を持ってキャンプ場を徘徊する連続殺人犯の目でジドゥリに飛びかかったオーリの腹の虫が、ぐるごぉぉぉ!と凶暴に鳴いた。




※※※




 新たな来訪者が巣穴の入り口からにょきりと頭を出したのは、それから三十分ほどが経った頃のことだった。


「あ、ここにいたのね、リアちゃん、ラト君」

「あれ、アリアナさん」


 ごろごろと転がるがらくたを漁る手を休め、オーリは入り口を振り向いてぱちりと目を瞬かせる。

 穴の縁に手をかけて現れたアリアナは、傷一つ増えていないオーリと視線を合わせて安心したように眉を垂れさせた。


「街道なんて野盗や獣が沢山住み着いてるっていうのに、いきなり駆け出すから驚いたじゃない。良かったわよ、無事で見つかって。どうしてこんな所にまで走って来たの? 野盗が出るってこと、あなたたちも知ってるでしょう」


 存外身軽に身体を持ち上げ、アリアナが巣の中に着地する。

 やんちゃな子供を窘める大人そのままに言うアリアナに、どうやら心配させていたらしいと察したオーリは苦笑した。恐らくは人間からの強奪品か、屑水晶らしきイルカ型の置物を放り出しつつ、彼女は決まり悪そうに頬を掻く。


「あは、すみませんアリアナさん。ちょっと理由があって、早急にあのジドゥリの巣を突き止めなきゃならなかったもので」

「ジドゥリ? ああ、成程、ここが巣だったんだ。負かして友情育んだ相手とは言え、よく巣の主が恙無く入れてくれたね……。繁殖期の雄はかなり気性が荒いって聞いてたんだけど――」


 そこまで言って、きょろきょろ周りを見回し始めたアリアナの口がぴたりと止まった。


 気のせいだろうか、視線を動かすのをやめた彼女の顔から、若干色が引いていく。

 彼女の視線を固定された人間――焚き火の番をしていたラトニは、何となく彼女の心境に気付いたものの、素知らぬ顔で小枝を一本追加した。煙が少し、強くなる。


「あ、あの、ラト君、リアちゃん……」


 それが意味することを悟ったのか、アリアナの声は震えていた。

 ラトニの前にあるものは、パチパチと燃え盛る焚き火、小枝、水筒。煙、火花、そして――じゅうじゅうと香ばしい香りを放つ、木串に刺さった、肉。


 ――まさか、まさかあれは――


 ガクガク震えながら指を持ち上げていくアリアナに、オーリとラトニは顔を見合わせた。

 マイペースな子供二人はアリアナの動揺にも突っ込むことなく、一拍置いてこくりと頷き合う。それからまた同時にアリアナの方を向いて、異口同音に告げた。


『この巣の持ち主ですが、何か?』

「ヒド――――!!?」


 本日一番激しい絶叫が狭い巣穴にわんわんと木霊し、そして消えていった。



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