59:捜索開始
ジドゥリという鳥には、幾つかの特徴がある。
外見で言うなら見上げるほどの巨体や、鋭く尖った鋼色の嘴、その気になればそこらの木々よりも高く跳べる、力強い三本の脚。
習性として挙げるなら、コロコロという軽やかな――けれど実際には、縄張り争いの前哨戦として発される威嚇音。
そして、これは時折下級の冒険者などにジドゥリが「狙い目」と言われる理由だが――繁殖期の雄に限り、極めて熱心に光り物を収集するという性質がある。
この習性は一般に、集めた光り物を雌に捧げて気を引くためだと言われるが、同時に巣の内部を飾り立てることに使われるケースも多いようだ。
曰く、ジドゥリの天敵には強く光を反射するものを嫌う獣が存在し、光り物で巣を飾ることで、子育ての最中にその獣が襲撃してこないようにしているらしい。
勿論、「光り物」でさえあれば市場価値など彼らには関係ないので、安物のガラス瓶やコインの中に、通行人から引ったくって逃げた高価な首飾りが無造作に転がっていることもある。
この収集力は、雌がつがいを探す折りに目安の一つとして扱われるため、雄が別の雄の収集品を奪うことも決して珍しくはなかった。
「――というわけで、可及的速やかに例のジドゥリを探し出そうと思います!」
昨日も通ったばかりの街道に到着し、オーリはそう宣言して「おー」と拳を突き上げた。
天気は晴天、ジドゥリや野盗の気配はない。野盗を恐れてか通行人もほとんどいない街道の真ん中で勇んで叫ぶオーリに、ラトニも一つ頷いて同意を示した。
「まあ、それしかないでしょうね。あのジドゥリがあのまま黒石を持って帰ったと仮定して、雌に貢いだり、他の雄に奪われてしまったりしていないうちに見つけ出さなければ、本格的に行方が分からなくなってしまいます」
「ジドゥリの行動範囲はおおよそ半径三十キロ前後。活動圏が重なった他の雄に奪われて、更に何十キロも遠くに持って行かれたりしたら、流石に私たちじゃ追えないからね」
オーリは野外に慣れた冒険者でも、野生動物の研究家でもない。単純に三十キロ圏内を駆け回るだけでも一苦労なのに、あまつさえ捜索範囲が広がり、ジドゥリの習性や行動まで詳細に把握しなければならないとなれば、オーリの知識ではお手上げだ。
或いは冒険者ギルドならそんな依頼も引き受けてくれるだろうが、残念ながらオーリは下位の依頼報酬を支払う資金すら持っていない。
そうなれば嫌でも黒石は諦めなければならないが、しかし心残りはオーリの胸にずっと残るに違いない。
「冬の間は大人しかったジドゥリが縄張りを確保しようと動き出し、争いが頻発するほど他の雄に対して警戒心が増すのは、既に繁殖期に入ってる証拠。縄張りを奪われて目的のジドゥリがここを離れちゃう可能性もあるし、しばらくは他の仕事全部休んで、ジドゥリ捜索に集中しよう。まずは昨日ジドゥリに遭遇した地点を中心に、半径三十キロ圏内を全力で探すよ!」
「了解しました。昨日と同じ、茶色に白の斑が付いたジドゥリを見つけたら即追跡――ですね。頑張りましょう」
こくりと互いに頷き合って、二人は巨鳥の姿を求めて歩き出した。
――が。
「――見つからないね……」
その三日後。
いつぞやオーリが通りすがりの諜報員、訂正、聴講生と共に飛び込んだ池のほとりに、にっちもさっちも行かなくなった二人の子供の姿があった。
茶色に白斑のジドゥリを求めて散々駆け回った挙げ句、無関係のジドゥリさえ一羽たりとも見つからない。
早々に進退窮まって、膝を抱えて茫然と座り込むオーリは、あたかも特上寿司の折り詰めを開けたら緑色のプラスチックシートしか入っていなかったのを発見した時のような、ほんのりと虚ろな色を宿した目で遠くを眺めていた。
その隣では、こちらはいつも通りの無表情なラトニが、持参の針と糸、適当に拾った枝で作った粗末な釣り竿を手に、今日の昼食を釣り上げようと池に糸を垂らしている。
針が一つしかなかったので、オーリの分の釣り竿はない。波紋一つ浮かばない水面を眺めながら、少年は冷静に告げた。
「思い返してみればあのジドゥリ、縄張りに入り込んだ人間を追いかけて来たんでしたっけね。相当怒ってましたし、普段の行動範囲なんて頭になかったんじゃないんでしょうか」
「あああああああ……」
項垂れるオーリを横目に見つつ、ラトニは糸を引き上げる。餌にしていたはずの木の実団子は、釣り針だけ残して綺麗になくなっていた。
「繁殖期の雌はポウの実に似た甘い匂いで雄を誘うらしいって聞いて、誘き出すためのポウまで持ってきたのに……」
「だからって、塩漬けじゃ意味がないと思うんですけど」
「生のはもう季節が終わってたんだよ……」
彼女はなんだかアプローチの方向がずれてるな、と思いながら、ラトニは黙って塩漬けのポウをもぐもぐと食べた。
ほんのり甘じょっぱいポウの実は美味しかったが、やはり匂いという意味では生鮮状態から大分変化している気がしてならない。
オーリの口にも一つ押し込んでやると、彼女は洞の空いたような目で咀嚼を始めた。
「あんなに走り回ったのに、ジドゥリも釣れない……魚も釣れない……」
「お昼用に持ってきたパンを、撒き餌に使わなければ良かったですね。今日のお昼はポウだけになるんでしょうか」
「お腹が空いた……。あの小鳥ども、やっぱり纏めて捕まえておけば良かった……」
「丸焼きですか」
「丸焼き……焼き鳥……鳥肉……」
色気も情緒もない単語をぶつぶつと呟くオーリに、大分キてるな、とラトニは思った。
何せ二人は、ジドゥリを誘き出すために撒いたパンを無関係の鳥たちに全て食われた挙げ句、バサバサ群がられて残りのパンまで強奪されている。あの時のオーリの悲痛な絶叫と、鳥類の癖に肉食獣のような目をしていた小鳥たちを思い出して、全くこの辺りの鳥たちはどいつもこいつも凶暴だ、と眉を寄せた。
(しかし、釣れませんね……)
ぐぎゅるるる、と隣から腹の音が聞こえて、オーリの頭がますます沈む。
再度糸を上げて、ラトニは空っぽの針に溜め息をついた。
(やっぱり、即席の釣り竿じゃ無理がありましたかね。もう少ししても釣れなければ、一度屋敷に戻ることを提案しましょうか)
生まれてこの方食事に困ったことのないオーリは、日頃から規則正しく食事を取る習慣がついている。加えて、その運動量から来る消費エネルギーも一般男性くらいなら軽く上回り、魔術を使う機会さえ無ければ、オーリに背負われて移動するラトニよりも遥かに消耗が激しいのだ。
従って、空きっ腹に手持ちの食料がゼロという状況では、多少空腹感に慣れているラトニよりも、オーリの方が精神ダメージは大きくなる。
彼女自身は少しでも長く時間を黒石捜索に当てたいのだろうが、如何せんこれでは使い物にならないような気がして、ラトニは水をかけられた犬よりしょぼくれた様子の少女を見やった。
せめて彼女の腹の虫を宥める程度には釣れないだろうかと思っていたが、残念ながら魚もそんなに甘くなかったようだ。
何だか怪しげな目で釣り餌(原料はそこらで採れた木の実の粉だが、非常に渋いので鳥も食べないと言われている)を見つめ始めたオーリに気付かない振りをしつつ、ラトニはまた針を水中に沈めた。
「…………?」
その時、ふとオーリが顔を上げた。
顔を明後日の方向に向ける彼女に一拍遅れて、ラトニも彼女の視線を追う。
何だか聞き覚えのある遠い足音は、しばし遅れて耳に届いた。
「……これは……もしや……!」
むくり、と緩やかに身を起こし、オーリが双眸をぎらつかせる。
近付いてくる盛大な足音、そして土埃。つい四日前を彷彿とさせる姿で木々の向こうから飛び出してきたのは、
「――たーすけてえぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ココーコココ!!」
「コロコロコロコロコロコロコーッ!!!」
「……またあの人ですか……」
大きな両目でぐるぐると渦巻模様を描き、半泣きでこちらへ突進してくるアリアナの顔を確認したラトニは、傍目には分からないほど僅かに眉を寄せた。
どうやら野盗はいないようだが、今回もやっぱりジドゥリに追いかけられているらしい。
全力疾走するアリアナのすぐ後ろには今にも追いつきそうな距離で深緑色の羽のジドゥリが付き、少し離れてその後ろに、更にもう一羽のジドゥリがコロコロ鳴きながら突っ走っている。
懲りずに縄張りにでも入り込んだのだろうか、と冷めた目で見ているラトニの傍らで、ゆるりと音もなくオーリが動いた。
少女の姿がラトニの視界から消失し、次の瞬間。
「――コロオォォォォォォォォォォッ!!?」
甲高い悲鳴と同時に吹き飛んだ最後尾のジドゥリに、背後で起きた異変に気付いた深緑色のジドゥリとアリアナが、ぎょっとした様子で振り返った。
つい一秒前までジドゥリの巨体があった場所に佇むのは、フードを目深に被った少女の姿。
溜め息一つで肩の力を抜き、観戦の体勢に入ったラトニの前方で、ようやく二人の子供の存在に気付いたアリアナの目が丸くなる。
「な――リアちゃん!? それに、ラト君まで!」
呼ばれた名前に、オーリは視線も向けない。ただ、フードの下から覗く青灰の瞳をひたすらぎらついた光に染めて、もがくように身を起こす巨鳥を――茶色い羽に白の斑を持つジドゥリを見つめている。
――にぃ〜やり、とその口端が吊り上がり、両目が獰猛な弧を描いた。
「第一容疑者、はっけーん……。そっちから出頭してくるとは良い心構えだ」
じり、と一歩距離を詰めたオーリを睨み、ジドゥリが油断なく頭を下げる。
ただの一撃で、目の前の人間の小娘を強敵であると判断したか。逸るが如く威嚇が如く、ガッ、ガッ、と地面を蹴上げる三本の脚が、幾本となく鋭い爪痕を大地に刻んでいく。
ざり、とオーリの靴底が、砂を噛んだ音が合図だった。
「私の首飾り、返してもらうよ――――覚悟決めろや、鳥イィィィィィィィッ!!!」
「ゴロオォォォォォォォォォォォォッ!!!」
膨れ上がった闘気が爆発したその瞬間、腹の底から張り上げるような双方の絶叫が重なって。
――ガゴオォォォン!!!
二つの巨大な砲弾となって激突した少女と鳥が、初撃から凄まじい轟音を鳴り響かせた。
(オーリさん……倒しちゃ駄目だってことを忘れてないと良いんですけど……)
猛烈な速度で繰り広げられる攻撃の応酬に唖然と目を奪われているアリアナ(と、もう一羽のジドゥリ)は、最早この場から逃げることも忘れているようだ。
そう言えば先日のアリアナはジドゥリが逃げた後に目を覚ましたんだったな、と思って、ラトニは口止めを頼むか少しだけ悩み、間もなく不要という結論を出した。
(オーリさんの身体能力は、街や村でもそこそこ知られていますし。相手が野盗でもないただの動物なら、下手に黙秘を頼む方が不審でしょう)
オーリが魔力持ちだということが知られているのなら、多少の異常は「魔力持ちだから」で納得してもらえる。
それよりオーリが危なくなるか、逆に熱くなり過ぎてジドゥリを倒してしまわないように注意を向けていなければならないと、ラトニは琥珀色の目を微かに細めた。
ジドゥリはその鋭い爪と岩をも蹴り砕けそうな蹴撃を、間断なく繰り出してはオーリを攻撃し続けている。一方のオーリはその軌道を巧妙にかい潜り、懐に入り込んでのカウンターを狙っているようだ。
やがて、繰り出された脚の一本をオーリの手が掴みにかかる。そのまま力を流して攻撃を逸らすかと思われたオーリは、しかしもう片方の腕まで伸ばし、逆に自らの体をジドゥリの方へと引き寄せた。
小柄な体格を存分に生かし、全身で脚にしがみついた少女の目的に、誰より先に気付いたのは当のジドゥリ。
オーリの体に力が入ろうとした刹那、へし折られると悟ったジドゥリが即座に選択したのは、全ての脚を勢い良く曲げることだった。
――ズドォンッ!!
支えをなくしたジドゥリの体が、蹲るように地面へと腹を付ける。
しかしその勢いは間違っても「座る」という表現に相応しくはなく、あたかも限界まで中身を詰め込まれた重い木箱を真上から落とされたかのような衝撃となって、少女の全身を押し潰した。
あまりにも重々しい落下音に、続いた静寂は数秒。
ぐらりと巨体が震動し、浮き上がったジドゥリの体に、アリアナが息を呑んだ音が聞こえた。
「――うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
実に気合いの籠もった雄叫びと共にジドゥリの身体を真上へ持ち上げ、その下から現れたのは――両腕を真っ直ぐ掲げたオーリの姿!
腕を震わせ額に脂汗、更にギリギリと歯を食いしばってはいるが、血臭がしないところを見ると大きな怪我はなさそうだ。
恐らく、押し潰しを食らう寸前に体を丸め、固い脚に当たるのを避けて、比較的柔らかい腹の下へと潜り込んだのだろう。
あの至近距離では、たとえ逃げようとしても逃げ切れず、体勢を崩したままジドゥリの押し潰しをまともに受けていたに違いない。
そうなれば力の入らない姿勢で地面に挟まれたオーリは、ジドゥリを持ち上げて脱出、などという強引な手段を取ることも出来ず、そのまま骨の一つも折られていたか。
(ああ、アリアナさんが口から魂を飛ばしかけている……。いつものことながらオーリさん、思い切りが良いと言うか……雄々しいと言うか……)
我知らず緊張に握り締めていた拳を解き、ラトニは行動が豪快過ぎる相方に溜め息を吐いた。
驚愕するジドゥリを我に返る隙も与えず投げ飛ばしたオーリの勇姿は、それが例えば精悍な青年冒険者などであればギャラリーから黄色い声の一つも上がったかも知れないが、その実状が蝶よ花よと育てられてきた齢八歳の貴族令嬢だと知っていれば、正直ドン引き以外の何も出来ない。
あの人は本当に取り繕わないな、と思いつつ観戦を続けるラトニの視線の先、地面に叩き付けられたジドゥリが一回転して身を起こし、二本の脚で体を支えて一本の脚で流れるような回し蹴りを放ってきた。
極限まで延ばされた脚を紙一重で潜り抜けて、オーリが再びジドゥリの懐を狙う。しかし直後に軌道を直下へと変更した脚が風音を立ててオーリの耳を掠め、大地を揺るがさんばかりの重い響きを生み出した。
ここでオーリが、避け切った、と気を抜いたなら、その時点で勝負は決していただろう。
地面に付いたと思ったジドゥリの脚が、二度目の急激な方向転換。迅雷の速度で跳ね上がった蹴撃が、過たずオーリのこめかみを狙って振り抜かれた。
「――ふッ――!」
しかし、薄桃色の唇から零れた吐息は動揺から来るそれではなく――予期していた反撃に対する気合いの声!
両足をほぼ百八十度前後に広げ、コンマ一秒の速さで腰を落としたオーリの頭髪を、鱗に包まれた脚が僅かに切り飛ばすだけで過ぎ去っていく。
地面すれすれまで腰を落としたオーリの視線が己に向いた直後、巨体の鳥は自身の状況を的確に悟った。
空振った蹴り脚はすぐには引き戻せず、この体勢で残る二本の脚の片方でも攻撃に回せば、己の巨体を支え切れぬまま確実に少女のカウンターを食らう。
それを察したジドゥリが選んだのは――長い首を羽毛に引き込み、全身に力を込めて身構えた状態で、敢えて一撃を食らうこと!
――ぱぁんっ!!
破裂するような大音量が、晴れた青空に響き渡った。
閃光のようにその身を踊らせたオーリの飛び蹴りが、今ようやく、まともにジドゥリに叩き込まれたのだ。
「――ゴロオォォォォッ……!」
抑えながらも漏れ出た苦鳴の尾を引きながら、ジドゥリが本日二度目の吹き飛ばしを食らう。
今度は三本脚を踏ん張ったまま、地面を激しく擦りながら後方に押し飛ばされていったジドゥリは、数メートルも動かないうちに大地を掴んで停止した。
同時に、砂を詰め込んだサンドバックを蹴ったような感触を足に残しながら、オーリが地面に着地する。ビリビリと痺れる背筋の理由は、果たして戦慄か、興奮か。
――悪くない――
猛禽類の瞳で互いの顔を見やったその時、向け合った一人と一羽の眼差しは、きっと同じ感情の色を孕んでいた。
僅か三呼吸の間に行われた応酬は、それでも相手を怯ませるには及ばず、ただ警戒だけを駆け昇るように引き上げて。
己に匹敵する相手であると、微かな尊敬と共に牙を剥く。
刹那に交わす眼光は、どこまでも鋭く、闘志を燃やし。
湿った大地を蹴ったのは、示し合わせたように同時だった。
「――――オラアァァァァァァァァァァッ!!」
「――――ゴルオォォォォォォォォォォッ!!」
衝撃波を生み出さんばかりの勢いで幾度目かの激突を果たした一人と一羽の姿に、未だ待機しているラトニはぼんやりとした目でこう思った。
――ジドゥリ、めっちゃ強い。




