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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
60/176

58:夢のお告げ

 色濃く幼さを残しながらも秀麗に整ったその面差しは、今は長い睫をそっと伏せ、確かな悲哀の色を滲ませていた。


 宝石のような琥珀の瞳はゆらゆらと静かな憂いを湛え、彼の身を窶す涙の淵を想わせて、人の心をじくりと刺し抜く。

 けれど皮肉なことにその悲哀こそが、氷の精霊の如き冷ややかな美貌に命の色を与えているのもまた確かなことで。

 人形よりも人形らしく整った薄い唇が開くのを、春を迎えた花のようだ、と何処かで思った。


「――オーリさん」


 冷たくも甘やかな吐息と共に吐き出された声は、波紋一つない水面を想わせる静けさだった。


 山奥の雪解け水のように澄んだその響きに、オーリは無意識に眉を寄せながら沈黙する。

 いつもと違うラトニの雰囲気に不吉な予感を覚えながら、それでもこの最愛の友のためならどんな困難も敵に回そうと、彼が紡ぐ言葉をただ、待つ。


 ――けれど次に続いたラトニの言葉は、そんななけなしの冷静さなど纏めて消し去るようなものだった。


「――もう、一緒にいられなくなりました」


 落とされた声は悲しげで。

 一拍置いて僅かに見開いた己の目が動揺に揺れていることに、定まらない視界から気が付いた。


「どう、いうこと? 一緒にいられなくなったって……」


 ぐ、と拳を握り締め。

 努めて抑えた声で問いかけたオーリに、ラトニは目を閉じる。深海を想わせる群青の髪がさらりと揺れて、少年の顔に影を作った。


「この街を、離れることになりました。以前、たまたま僕を見かけたという上位貴族の方が、是非にも家に入って欲しいと仰って」

「そん、な、まさか、受けたの? 事前の調査も後ろ盾もなく貴族の家に引き取らるなんて、そんなの自殺行為だよ。もしも彼らが、キミを利用するつもりだったら――」

「分かっています。僕のような市井の子供に、ただの親切で貴族が目を付けるわけがない。けれど――それでも良いと、思ってしまったんです」


 魔力の高い市井の子供を貴族が引き取りたがる理由など、想像するのは簡単だ。そしてその先の扱いは、精々体の良い駒か、はたまた血族に魔力の強い子を成すための媒体か。


 ふ――と口の端を吊り上げ、ラトニは笑った。自嘲するような笑みだった。


 ふと足元に影が差して、オーリはそこに誰かがいることに気付いた。

 顔立ちは、逆光になってよく見えない。けれど背が高く、品の良い白いシャツを着た、成人かそれに近い年齢の男であるようだった。


 あれは、誰だ。

 無意識の警戒に眉を寄せるオーリの前で、ラトニは人影の方に視線をやり、そして琥珀色の双眸を緩めた。オーリ以外に向けられたのを見たことがない穏やかな眼差しに、オーリは息を呑んだ。


「騙されても、利用されても良いと思ったんです――あの方さえ、僕を必要としてくれるなら」


 その思慕が向けられている対象など、最早疑いようもなく。


 まさか、と呟いたオーリに、ラトニは優しく微笑んだ。


「――好きだと、言ってくれたんです。僕を――お嫁さんにしてくれると」

「え゛っ」


 ヘンな声が出た。


 思わず顔を引き攣らせたオーリに、ラトニは構う気配もない。

 ただ琥珀色の瞳に未来を誓い合った愛しい人の姿だけを映して、うっとりと花のような笑みを零す。

 こんな時にすらどうしてこの子はこう幻想的なまでに美しいのだろう、と何となく理不尽な気持ちになりながら、オーリは震える声を絞り出した。


「えっ、あの、ちょっと待って。お嫁さん? お嫁さんって言った? 私の聞き違いとかじゃなくて? えっ、うちの国って同性婚許可されてたっけ?」

「許可されていなくても問題ありません」


 バッサァァァ、と身を翻したラトニの姿が、真っ白い布に包まれた。

 視界が晴れたその瞬間、オーリの目に映ったのは純白の花嫁衣装。愛らしい花とレースで飾り上げられたラトニは、霞のようなベールの下から晴れやかな笑顔を覗かせ、高らかに宣言した。



「だって僕――本当は男じゃなくて、僕っ()だったんですから……!」




※※※




「――――そんなわけねーだろオォォォォォォォォォォォ!!!」


 絶叫を上げて飛び起きたオーリは、数拍置いて己の居る場所を理解し、カッと見開いていた目からじわじわと力を抜いていった。


 鷲掴んだ手には柔らかな毛布、体の下には分厚いマットレスの感触がある。

 茶色い柱に可愛らしいカーテン、あちこちに転がるぬいぐるみの群れと、本棚に溢れる綺麗な絵本。

 女の子らしい白や桃色がふんだんに使われたその部屋は、窓から差し込む早朝の光で爽やかに照らし出されていた。


「――お嬢様!? どうなさいましたお嬢様ああああ!!?」


 オーリの絶叫を聞きつけたらしいアーシャが、けたたましい叫び声を上げながら廊下を突進してくる音。

 過保護な傍付きが扉を叩く音も無視して震える手のひらを胸に当てれば、その奥にある心臓がドッドッドッドッドッドッドッドッと激しいビートを刻んでいた。

 フルマラソンの後ですらこうはなるまいと思えるほど打ち鳴らされる鼓動に、一分前と現在のどちらが現実かを思い知らされて、オーリは心の底から安堵した。


(ゆ……夢か……っ!)


 心からの安堵と共に胸の中で呻いて。ぜいぜいと荒い息を抑え込み、オーリはようやく肩を落とした。


 ――おいおい何だったのさアレ、ひでぇ悪夢見たんだけど……!


 わななく手で髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、彼女は深々と息を吐いて意識を切り替えた。


 未だ閉ざされた扉の向こうでは、恐慌真っ只中のアーシャを、ちょっと落ち着けと別のメイドが必死で止めている気配がする。

 どうやら持っている荷物が邪魔ですぐには扉を開けられないようだが、間違いなくあと五秒のうちには部屋に飛び込んでくるだろう。

 そう判断して、オーリは申し訳なさそうな声色を作って言葉を返した。


「ごめんなさい、アーシャ! 何でもないよ、ちょっと怖い夢を見ただけだから」

「そ、そうなのですか……?」


 一応オーリが声をかけたことで、廊下の騒動がぴたりと止む。不安と不審を匂わせたアーシャの応答が聞こえて、オーリは「でも、喉が渇いたから水を飲みたいな」と続けて注文をした。


 一拍置いて、微かな衣擦れの音。姿勢を正したらしいアーシャが、吐息と共に了承の返事を寄越した。


「……分かりました、すぐに取って参ります。このまま起きられるのならば、洗顔具を持って参りますが……」

「あー、お願い」


 目は冴えてしまったし、少々早いが再び眠る気にはなれない。

 このまま起床することに決めて、オーリは寝汗に濡れた前髪を掻き上げて苦笑いした。ひょっとしたらアーシャに少しばかりお説教をされるかも知れないから、言い訳を探しておかなくてはならないな、と考えながら。




※※※




 春も間近なこの時期は、一時的に家庭教師の授業が減る。


 ブランジュード家と契約している家庭教師は大体が若い頃の仕事を引退したご老人や、手に職を付けて自活している貴族の子女である。そういった教師たちの中には実家の仕事を手伝っている者も複数おり、従って春が近付き、農村の仕事が増えるに合わせて、そちらの仕事も発生してくるのだ。


 ついでに、ブランジュード邸の使用人たちもまたいつもより気忙しく立ち働いているところを見る辺り、新たな春の始まりに追い立てられるように仕事が増えるのは何処も変わらない様子であって。


 冬の間に起きた問題の纏めや春以降手を着けねばならない課題、春の種蒔き、人手の確保。

 人も自然も雪の下に休む長い長い冬は、茶色い大地と共に山積した仕事を露呈させることで終わりを告げるのである。


 ――とは言え、そんな大人の事情は、まだ八歳のオーリには何ら関係ないわけで。

 家庭教師たちの「一身上の都合」により決して長くはない休暇期間を得たオーリは、昨日に引き続き本日も、シェパの街中へと訪れていた。


「……どうしたんですか、オーリさん?」


 目の前には、いつもの帽子に上着姿の相方の姿。

 彼が現れるや否や動きを止め、感情の窺えない目でじぃっと見つめ始めたオーリの行動に、ラトニが不思議そうに瞬きをした。


「オーリさん? ……昨日無くした首飾りのことですか? 落ち込まなくても、ちゃんと一緒に考えてあげますから――」


 何やら言いかけるラトニへと、オーリは徐に近付いていく。

 程なく相方から三十センチも離れていない位置に立った彼女は、そのまま伸ばした手を無造作にラトニの上着の中へと差し込んで、


「…………」


 さす、と。


 無言でその胸に触れた。


「…………」

「…………」


 硬直するラトニの顔など歯牙にもかけず、オーリはさすさすと彼の平坦な胸部に添って手を動かす。

 真剣な目で己の胸部を撫でさする少女の姿にしばし凍りついていたラトニは、やがて流水でゆっくり解凍された魚のように首を傾げ、純粋な疑問を込めた声で問いかけた。


「……責任は取る、と言われていると解釈しても?」

「ちょっと今その台詞洒落にならないわー」


 わざとだか天然だか分からないようなラトニの発言に、やっぱり無表情でツッコんでから、オーリは公然猥褻罪で訴えられてもおかしくないような蛮行に走っていた手を引っ込めた。


 夢で目撃したラトニ・キリエリル(♀)の素晴らしい笑顔とウェディングドレス姿は、今尚しっかりとオーリの脳裏に焼き付いている。

 何というか、その、非常に違和感のない立ち姿だった。元々綺麗な顔をしているとは思っていたが、幼さ故の中性的な容貌がドレスのせいかはたまた幸せ一杯の笑顔のせいか、見事に美しい少女のそれとして花開いていた。


(……胸はつるぺたって言うか、まな板みたいだけど……)


 ぐっぱぐっぱと何度か、ラトニの胸を触った右手を握ったり開いたりしてみたが、やっぱり性別が分からない。と言うか、どの道この年齢なら余程の肥満児でもない限り胸など膨らんでいないことを思い出し、オーリは本人に直接問うことに決めた。


「あの、ラトニって男装女子?」

「今度は脳内でどんな怪奇現象が発生したのか、あなたの頭を叩き割って調べてやりましょうか?」


 即答で罵倒を叩き返してくるラトニの反応は最早脊髄反射に近いに違いない。一瞬にして絶対零度まで落ち込んだ視線の温度に、オーリは誤魔化すように引き攣った笑みを返した。


「いやー、まあ、その、悪意はないよ。ただ、ちょっと色々と考えて」

「どんな曲がりくねった悪路を踏破してそんな結論に行き着いたのか、まずはそこから説明してください。あなたの頭を叩き割るのはその後です」

「叩き割られるのは確定なんだ」

「とろけた脳みその代わりに、もっとマシな思考が出来るものを詰め込んであげますよ。……確か、頭に針山埋め込まれて知恵が付いた案山子の話がありましたね。あれはプラシーボ効果でしょうが、試す価値はあるか……」

「オズ在住の某魔法使いは、今のキミみたいな荒んだ目をしてなかったと思うよ!?」


 ひいいと悲鳴を上げて、オーリは今朝方己が見た夢を説明した。

 彼女の話が進むにつれて、最早これ以上はないのではないかというほどラトニの瞳が濁っていく。ミスリル製だと思っていた伝説の盾が、魔王戦開始直後に障子紙だと気付いてしまったような顔だった。


「……僕が女だった夢、ですか」


 やがて話を終えたオーリが口を閉ざすと、もたもたと語られた話の要点だけを短く繰り返して、ラトニは深々と溜め息をついた。


「あなた、馬鹿ですね」


 断定された。


「やー、まあ、正直違和感がなくて。めっちゃ似合ってたよ、ウェディングドレス。すっごい美少女だったし。あ、今度試しにスカート穿いてみる?」

「嬉しくないです、お断りします。そろそろ黙らないと脱ぎますよ」


 弁明しているのか喧嘩を売っているのか分からないオーリの台詞に、ラトニは殺人ビームでも出しそうな目で答えた。


 一部の特殊性癖の方々を除き、脱ぐぞと脅す人間はあまり存在しない。そんなこと思って首を傾げたオーリに、ラトニは落ち着き払ってこう告げた。


「僕の性別を証明するために、上から下まで全て脱ぎましょう。その代わりこの身の潔白が立った暁には、謝罪とあなた自身の性別確認、及び公正を期す意味を兼ねて、あなたにも全て脱いで頂きますが」

「ラトニは我が国にも類を見ない将来有望にして男前な少年だと思ってるよ。だからお願いします上着に手をかけないでください!」


 即断の土下座で謝ったオーリに、ラトニは鼻を鳴らして己の上着から手を離した。こいつ、私が少しでもごねたら本気で脱ぐ気だったな……!


 幼しとは言えオーリは嫁入り前の柔肌を晒す気も無ければ、精神年齢十七歳の身で幼気な少年の全裸を視姦して喜ぶ趣味もない。

 ひっそりと戦慄しているオーリに、ラトニは「あなたはどうしてそう、ちょくちょく僕の地雷を踏み抜いてくるんでしょうね」と眉を顰めた。


「大体、なんでいきなりそんな夢見たんですか。夢は深層心理の現れだと言いますが、まさかずっと僕の性別を疑っていたわけではないでしょう?」

「さあ、何でだろうね。次は自分かアーシャが男になった夢でも見たりして」

「……もしもあなたが男になるのなら、夢の中に限り僕の性別を女にしても構いませんが」

「ラトニ、なんか言った?」

「アホな話はこの辺にしておきませんかと言ったんですよ」


 さくりと返してから、ラトニは思い出したように空を見上げた。太陽の位置を確認して、もう一度オーリに視線を戻す。


「幸い天気も崩れそうにはないですし、いい加減出発しましょう。オーリさんが長時間外出していられる貴重な機会なんです、今のうちにやらなくてはならないことがあるんでしょう?」


 トーンの変わった声で冷静に言われて、オーリもまた表情を塗り替えた。

 じわりと浮かび上がるのは、決意と悔しさ、微かな慚愧。

 薄桃色の唇を噛み、少女は頷いた。


「うん。――何としてでもあのジドゥリを見つけ出して、持って行かれた黒石の首飾りを取り戻す。ただでさえ時間が過ぎるに連れて見つかりにくくなってくんだもの、屋敷から出ていられる今の時期を逃したら、二度と見つからないと思って良いからね」

「諦める気には――一晩経ってもなっていないみたいですね」


 肩を竦めて呟くラトニに、オーリは「当然でしょ」と苦笑した。


 ラトニだって知っている。オーリにかの黒石の魔術具をくれたのは、かつて王都で彼女を不器用に助けてくれた人であり、そして彼女が初めて目の前で死なせてしまった人だった。

 何処までも平凡で愚かしかった、あの青年が遺した優しさと記憶の象徴である黒石を、無くすことなど絶対に許容できない。街道中駆けずり回ることになろうとも、オーリは必ずあの黒石を探し出すつもりだった。


「手伝いますよ。使用者にあなたが登録されている限り、そこらの小悪党如きに拾われて悪用されることはないでしょうが……如何せん、あれは無くすには少し惜し過ぎる代物ですしね」

「確かに。多分、今の私じゃ自力入手は出来ないだろうなぁ」

「拾った誰かが価値に気付いて、隠したり売ったりしてしまったら終わりです。やっぱり急ぎましょう」


 不吉な予測を言い放って、ラトニはオーリの返事を待たず、彼女に両手を差し出した。オーリも「ん」と彼を抱き上げ、片腕で支えるように安置する。


「まずは昨日の街道だね」

「今日は野盗に会わないと良いんですが」


 口々に言い合いながら、オーリの脚が勢い良く地面を蹴った。

 いつもより深めにフードを被ったオーリと、彼女の頭を抱え込むように腕を回したラトニの姿は、すぐに道の上から姿を消した。



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