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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・野盗と遺跡編
57/176

55:水面下、蠢く何かはまだ見えない

 ――ぼむっ!と黒い煙が立ち昇って、オーリの鼻孔は一気に焦げ臭い匂いに包み込まれた。顔面を直撃した煙がたちまち舌や睫に纏わりつき、微妙に刺激のある感触となって不快感を生み出してくる。


「…………けふっ」


 数秒経って煙が散り、間抜けな音を立てて咳をすると、口から息と共に黒い気体が吐き出された。

 傍らで調合をしていたラトニが無言で立ち上がって布と水を取りに行き、用具の手入れをしていたジョルジオが頭をガリガリ掻きながら寄ってきた。


「どうした、子雀その1ィ……ゼーラの葉か」

「はい教官……ちょっと多過ぎたらしいです……」


 机に置かれたアルコールランプと擦り潰し途中の鉢を見て、老薬師は皺だらけの顔を顰める。それから肩を落とした弟子の小さな頭を、フードの上からひっぱたいた。


「軍属経験はねぇっつってんだろうが。……ゼーラはお前らが採ってきたもんだ、多少失敗しても良いから続けて試してみろ」

「はぁい、師匠」


 殊勝に返して、オーリはてけてけと走ってきたラトニからタオルとコップを受け取った。

 濡らしたタオルで顔を拭きながら、何処を調整するべきか考える。ゼーラを減らすか、他の材料を増やすか、それとも単純に、もう少し容器を火から遠ざけてみるか。


「子雀その2、言いつけた本はどこまで読み終わった?」

「八割方。五章に書いてあった魔力回復薬のことについて、少し質問があるのですが……」

「あれは子雀その1もつっかかったっけかな。本持ってこい、五分だけ講義してやる」

「ありがとうございます」


 再び早足で駆けていくラトニは、一年早く診療所に通い始めたオーリの知識に、既に追いつきつつあるようだ。

 すぐに追いつかれるだろうとは予想していたが、案の定その通りになっているようで、オーリとしては複雑な気分である。


 何せ外出さえ自由には出来ないオーリに比べて、ラトニは診療所に顔を出す頻度も高いし、当人も並外れて賢いのだ。

 現状、オーリの持つアドバンテージは、ジョルジオも有していないような本を複数収めた屋敷の蔵書室と、一人で薬を調合していた頃から積み重ねてきた経験値。

 備品も本も不足しがちなこの診療所で、ひたすらジョルジオから教わるしか知識の付けようがないラトニでは、一年の差を埋めるにも自ずと速度の限界がある。――尤もそれとて、じきに詰められてしまう程度の差でしかないが。


 間もなく、手入れを終えた擂り鉢をジョルジオの手が取り上げて、ごりごりと薬草を擂り始める。青臭い匂いが漂って、粘度の出てきた薬草に、彼は更に小瓶の液体を一垂らし。


(あ、これ初めて嗅ぐ匂いだ)


 冬駕籠の滝で採ってきた正体不明の薬草を使っているのか、それとも単にオーリの前で調合してこなかっただけか。

 微かに混じった塩の香りが海辺の草原を連想させて、オーリは丁寧に磨き上げられた陶器の擂り粉木をちろりと眺めた。ああ、いつか海を見に行きたいなあ。


 フヴィシュナには港が一つあり、交易の拠点としてそこそこ賑わってもいるらしいが、オーリは一度も訪問したことがない。

 キラキラ光る鮮やかな海辺の光景から、某長崎や横浜のような想像上の港町、海鮮丼や出汁昆布、更に海辺の草を食べて育った高級羊(ほんのり肉に塩味がついて非常に美味しいらしい。可能なら個人的興味としても産業としても、是非試してみたいと思う)に思考が移行した辺りで、オーリはふと煤けた金網に目を留めた。


「……そう言えば師匠、今度買いたいって言ってた備品と本はどうなったんです?」


 思い出して問うたオーリに、ジョルジオは眉間に皺を寄せて「あー」と唸った。


「ありゃあまだだ。毎年山向こうから来る商人が良いもん持ってきてんだが、今年は山に起きてる異常のせいでまだ届いてねぇんだよ」

「おやまあ、こんな所にも異変の余波が。師匠、商人が来たら新しい温度計買ってくださいね。これ罅が入ってて、扱うの怖いです」

「良いぞ。どんなポイント見つけたのかは知らねぇが、お前らがワサワサ薬草採って来たお陰で、なんぼか余分に金が貯まったからな」

「わーい」


 師にもギルドにも報告してはいないが、山の異変の原因はとうに山を立ち去っている。そろそろ商人もシェパに来始める頃だろうと思いながら、オーリは呑気な歓声を上げた。



 ――けれどオーリの予想に反して、それから何日経過しても新しい備品と本は入らなかった。


 十日経っても、一月経っても、商人はやって来なかった。




※※※




 大陸暦でいうヤイの月、日本で言う三月にもなれば、幾分寒さも収まってくる。

 それでもまだまだ急な寒波や吹雪に備えるシェパの街、その警備隊の駐屯所である建物の一室で、オーリは驚いたように声を上げた。


「――は? まだ商人が来てないんですか?」


 青灰色の目を見開いて聞き返すオーリの隣には、今日も付いて来たラトニがソファに並んで座っている。

 書類やファイルで散らかった総副隊長室で、部屋の主であるイアン・ヴィーガッツァは、若さに見合わず苦労の多そうな顔を顰め、渋い表情で頷いてみせた。


「厳密には、『来る数が少ない』だ。大半の商隊は確かに来てるんだが、西の方から入ってくる奴が例年より明らかに少ない」

「西と言うと、ローブリッジ商国のある方でしたよね」

「そうだよ。海に面して商業の盛んな国だし、珍しい品物も多いから、商人はそっちに寄ってから山越えしてシェパに来ることが多いみたい。……んー、にしても……」


 出された紅茶を飲んでいたラトニが、無表情に問うてくる。答えて顎に指を当て、オーリは難しい顔で唸り声を上げた。

 いつまで経ってもジョルジオから器具と本を補充したという話を聞かないため、イアンの元へと状況を聞きに来たのだが、未だに物流が滞っているとは思わなかった。

 西から来ている商人が少ない、ということは、来ている者も確実にいるのだろう。ならば山の異変が既に収まっていることも判明しているはずで、そうなれば商人たちだって自然とまたシェパにやって来るようになるはずで――


「……察したか?」


 何かを悟ったようにちらりと視線を上げてきたオーリに、イアンは心底困ったような顔で聞いた。


「ええ、まあ。……もしかして、野盗ですか?」

「その可能性はあるな。一団か二団か、街道のどっかに巣くってやがる。いつから原因が『山の異変』からそっちに変わったのか分からずに、発覚までに大分間が空いたらしい」

「あちゃー……」


 大蛇と翼竜に関わるあれこれは、諸事情からイアンどころかギルドにすら話していない。

 事件にオーリたちが関わっていたことを知らないイアンは別に二人を責めているわけではないし、たとえ知ったとて責めるような人間ではないが、やはり、もしオーリが話していたなら、もう少し発覚は早くなったのだろうか。


「でも、本当にそうなら困ったな……。定期的に来る商人との取り引きで生活が成り立ってる村だってあるのに……」

「診療所の備品も揃えられませんしね。あの温度計、昨日とうとう壊れましたよ」


 無意識に爪を噛もうとしたオーリの手を止めながら、ラトニも溜め息をついてそう告げる。


 壊れた温度計は自分たちで修理出来ないため、今は余所から借り受けた古いタイプで代用しているところだ。

 古物とは言え借りっぱなしでいるわけにもいかないし、代金を払って買い受けるには使い勝手が悪過ぎる。ジョルジオも珍しく分かりやすい態度で困っていたので、オーリたちとしても早いところ憂いを晴らしてやりたいのだが。


 眉を寄せる子供たちに、イアンはがりがりと頭を掻いて、疲れたように嘆息した。


「早いとこ警備隊が調査に出られるよう申請してんだが、何処で手間取ってんのか、なかなか許可が下りなくてな……。嬢ちゃんも坊主も、下手に関わるなよ。街の外じゃあ俺の目も届かねぇし、相手は殺しも誘拐も躊躇わねぇ下衆共だ。十把一絡げで叩き売りしてるそこらのごろつきとは訳が違うんだからな」


 少しばかり厳しい声色で言ってくる彼は、主にオーリの日頃の行動に不安を感じているのだろう。

 はいはい、と両手を挙げて、オーリは肩を竦めてみせた。


「分かってますよ、イアンさん。いくら私でも、盗賊の住処に飛び込むつもりはないもの。もしも出くわすことがあっても、さっさと逃げますから」

「そもそも盗賊に出くわすようなとこに行かないで欲しいってのは……言っても無駄なんだろうなぁ……」


 諦めたように肩を落として、イアンは苦笑いした。

 薬草採集や農村への訪問、お使いなどの用件で、二人が度々街の外へ出かけているのは知っている。腕に覚えのある子供は、その分自重しないから厄介だ。

 この二人は無鉄砲な性格ではないが、多少の危険ならリスクを見極めて尚犯してしまう。ただの無謀なら拳で止めることも出来ようものを、下手に聡い分口を出しにくいのである。


 けれど頭を痛めるイアンを余所に、オーリはけろりと呑気に笑ってみせた。


「大丈夫大丈夫。私が羽目外し過ぎても、冷静な相棒がいますからね!」

「人任せですか。僕、一応あなたより年下なんですけど」

「こんなこと言ってるけど、本当は頼られて嬉しいんですよ。ラトニってばツンデレなんで」

「…………」


 暖炉に薪をくべるが如くぐいぐいと口に茶請けのビスケットを詰め込まれ、オーリは「もががががが」と奇声を上げた。ちょ、図星だからってお前!


「暴力的な照れ隠しだなぁ……」


 涙目で口を動かしているオーリを見ながらイアンは胡乱げに呟いて、それから深々と息を吐き出した。どうやらツッコミを諦めたらしい。


「まあな、確かにお前らなら、そこら辺の大人より遥かに自衛できるか。しつこいようだが、目ェ付けられないよう呉々も気を付けろよ。俺たちは上の許可が下りないと、正式な討伐には動けないんだからな」

「心得ておきます。彼女のことも、僕がきちんと見ておきますから。……一々許可が要る辺り、お役所は大変ですね。そういうシステムにもまた利点があるのは分かりますが」

「討伐ならどうしても纏まった数を動かさなきゃなんねぇんだ、相応の手続きは必要になるさ。突出した腕利きがもう少しでもいれば、また話は別なんだが……」

「あー、『外出中にたまたま出くわしたから現行犯で捕縛しました』って手が使えますもんねぇ」


 含んだ紅茶で水分を補給し、湿らせたビスケットをぶぉりぶぉりと噛み砕きながら訳知り顔で頷くオーリに、ラトニも小さく首肯して同意を示している。


 イアンとて、隊が公然と手を出せない事態に焦りがないわけではないのだろう。仕事をしない癖に手柄は欲しがる隊長と、何を考えているのかも分からない本部からの干渉さえなければ、彼はもう少し自由に振る舞えていたに違いない。

 それでもまだ強引な手段に至る機ではないからこそ、歯噛みしながらも上からの許可を待っているのだ。


 それで良いと、オーリもラトニも思っている。万一彼が命令違反で更迭されることでもあったなら、シェパ警備隊の質はどうなることか。


「――あー、やっぱ心配だなぁ……。坊主はともかく嬢ちゃんの方は、厄介事に頭から突っ込んで行きそうで怖ェんだよ」

「彼女はこれでなかなか保身に敏感なので、幼い子供が関わらない限りは大丈夫だと思うんですが……」

「あんたら揃って私ばっかり槍玉に挙げないで欲しいんだけど。ああもう、危ない人には近付かない、それで良いんでしょ!」

「その危ない人ってやつ、具体的なビジョンとしては?」

「笑い方が『ゲヘヘ』とか『ヒャーッハッハッハ』だったら大体悪人だと思って良いと思う」

「凄い偏見」


 頬杖を突いてジト目で呻くイアンに、オーリはへらりと唇を吊り上げ、緊張感なく笑ってみせた。

 青灰色の瞳が弧を描き、幼い顔が至極無邪気げな笑顔を作る。ぶぁりっ、と新たなビスケットを噛み砕いて、少女はいっそあどけない仕草で小首を傾げてみせた。


「イアンさんってば心配性ですねぇ。野盗なんて、街で暮らしてればそうそう出くわすもんじゃないですよ。私たちがピンポイントで遭遇する確率なんて、明日通り雨に降られる確率より低いですって。第一、私にしろラトニにしろ、多分イアンさんが考えてるよりも生存能力高いですよ」

「ああそうだろうな、誘拐犯のアジトに単独で突っ込んでいくようなクソガキ、お前ら以外にいたら怖くて仕方ねぇわ」

「私子供だから、難しい話分かんなーい」

「そう思うならせめて子供らしく、しばらく街の外に出るのは自重しろ……! 中身がどんだけハッチャケてても、お前ら年齢的には本当にガキなんだからな?」

「そればっかりは保証できませんねー。善処はしますけど」


 暗にイイエと含めた意味を察したように、イアンは深々と嘆息した。

 へらへらと呑気に構えるオーリの傍ら、ラトニの方も素知らぬ顔で茶をすすりつつ、地味にビスケットを消費し続けている。

 こちらは端から無駄を悟って、相方を諫めるつもりはないようだった。彼はいざとなれば張り倒してでもオーリを止める判断力を有しているが、その必要がないうちは、基本的に小言を垂れながらも野放しにする方針である。


「ほんとに分かってんのかね、こいつらは……」


 マイペースな子供二人に果てしない不安感を覚えながら、イアンは固いビスケットをざくりと齧った。

 子供たちが遠慮なく貪っているビスケットは極限まで砂糖を削った安物の味に安っぽい香料の香りがして、誰か茶菓子代ピンハネしやがったな、と彼は思った。




「――しかしこのビスケット、固いのにボソボソしてて不味いですね。口の中がめっちゃ渇くんですけど」

「不味いと思ってるのに食うんかい。おいそんなに紅茶グビグビ飲むな! 茶葉だってタダじゃねぇんだよ! そして坊主は無言で何枚目突入してんだ!」

「僕は食べられる時に食べておく派ですので……」

「なんかすまん。あと二缶くらいあるから気にするな」

「イアンさん、マシュマロとかないですか? 炙ってビスケットに挟んだら、大分美味しくなるはずなんですけど」

「なんだそれ良いな。今度試してみるわ」


 いつの間にやらビスケット試食会と化した会合は、その後二十分ほど続いた。

 満腹になった上にビスケットを一缶土産に持たされて、ラトニは心なしか満足そうにしていた。

 今度来るときはマシュマロが用意されていると良いなあ、とオーリは思った。



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