54:雨上がり、農村
フヴィシュナの暦で言うキシヅの月、日本で言う二月は、コロコロと柔らかく響く鳥の鳴き声から始まった。
シェパではこの頃から、サワラや榛の木など日本にもありふれた木々に交じり、カガネノキと呼ばれる背の高い木が松ぼっくりのような実を付け始める。
葉身は笹に似ているが、幹は細くした椰子の木に似ているというこの植物は、幾重にも重なった殻を剥いだ中身の、赤い芯を食べるものだ。
今の時期はちょこちょここの木の実――通称カガネノミの採集をする領民の姿が見られるが、この実は獣や魔獣にとっても栄養価の高い餌なので、鉢合わせしないよう注意が必要である。
ちなみに、冒頭に示した鳥もまた、カガネノミを好物とする動物の一種だったりする。
ジドゥリという呼称で呼ばれるその鳥の発するコロコロという鳴き声は、長閑な歌声ではなく縄張り争いの前哨戦として発する威嚇音であるため、うっかり誘われてふらふら近付くと、気の立った複数の雄に外敵認定されて攻撃を受けるので気を付けなければならない。
鳴き声は軽やかだが、如何せんその実態はダチョウに脚が一本増えたような巨体の容姿(しかも飛ぶ)なので、全力で走って追いかけられると凄まじい恐怖である。
――閑話休題。
「そう言えばこの前も、東の村の木こりのおじさんがジドゥリにつつかれて、硬貨サイズのハゲ作ったって話聞いたなー。私たちの顔見知りかな?」
農村の端にある、丸太造りの頑丈な小屋――通称、モヤシハウス。
薄く開けた窓から入るささやかな日光の中で、育成中の緑豆をちまちま弄る作業をしつつ、オーリは遠く聞こえるジドゥリの鳴き声に耳を澄ませながらそう言った。
同じく白豆を観察する作業の手は休めずに、ラトニがことりと首を傾げる。
「東の村の……。冬駕籠の滝の薬草を届けに行った日に、ジョルジオさんにでも聞いたんですか?」
「ううん、うちのメイドと配達のにーちゃんが裏口で話してたのを聞いたんだよ。内容の大半は目も当てられないいちゃいちゃだったけどね」
何故その時点でその場を離れようと思わない、とラトニは微妙に半眼になった。
「オーリさん、モラルって知ってますか?」
「知ってるともさ。私が誰よりも体現している概念だ」
「なんて厚かましい人なんでしょうか」
そういう地道なデバガメもまた立派な情報収集の一環だと分かってはいるものの、間違ってもスパイ小説みたいな格好良い光景にはならないことは確かだ。
投げやりな声でツッコんで、ラトニは次の箱を手に取った。……あ、これちょっと成長が遅い。
浸らない程度の水分の中、几帳面に並べられている赤い豆から二センチミル程度の芽が出ていることを確認し、彼は更に腐っている豆がないことをチェックする。この豆からモヤシを作るのは初めてなので、調べなければいけないことが幾つもあるのだ。
――ガターン、と。
外から何かを倒すような音が響いて、激しく言い合うような子供の声が聞こえてきた。
慌てることもなくそちらの方角を向いて注意を傾ければ、傍らでオーリも同じ行動を取っている。
「――馬鹿馬鹿しいわね、そんな理由で人を犯人扱い? ならば動機は何だと言うの! わたしは彼らとここで初めて会ったのよ!」
「その動機こそが、先代ショーグンの時代に起きた、あの事件に繋がるんですよ。そう、迷宮入りした三千両事件だ。
あなたがかつて、殺された彼らと同じテラコヤに通っていたことは分かっています。成長してから再会したあなたたちは、ショーグン家に運び込まれる三千両のことを偶然知って盗難計画を立て、共謀してあの事件を起こしたんでしょう」
「それこそ言い掛かりよ! あなたの言っていることは全て憶測に過ぎないわ。わたしを犯人だと言うのなら、証拠を見せてみなさいよ!」
「証拠なら既にありますよ……あなたにとっては計算外の事態だった第三の事件で、あなたが犯した決定的なミスがね!」
真っ昼間の農村の真ん中で行われるにしては、彼らの会話の内容は非常に血生臭い。
憎悪と悪意と狂気の絡み合う復讐譚、その解決編が進行していくのを聞きながら、オーリはぼそりと呟いた。
「……子供を籠絡するための軽いお伽話に、探偵モノをチョイスしたのは悪かっただろうか……」
「顔と名前を変えて昔の共犯者への復讐を果たしに来た女と、居合わせた探偵の紡ぐドロドロ連続殺人事件とか、子供がおままごとでやるにはちょっとヘビー過ぎる気がします。……こっちの豆は少し成長が遅いみたいです。培地を変えて試してみますか?」
嵐の収まった直後は折れ飛んだ枝の除去や畑の被害調査で大わらわだった村人たちは、今は堤防の修理に取り掛かっている頃合いだろう。
対照的に久し振りの外にはしゃいでいるのが子供たちであるらしく、ラトニは何だか色んなものを放棄したようなやる気のない表情で、最早どうとでもしてくださいとばかりに溜め息をついた。
箱を指しながら告げられた彼の報告に、オーリは「水捌けが悪いのかなぁ」と呟いた。
「水が多いと、豆が呼吸できなくなるから。こっちの箱は芽も出てないよ」
「やり直しですね。……豆の残量は?」
「大分減ってるよ。節約しなきゃ」
先日の嵐で、シェパでは随分と作物が駄目になった。災害対策に室内で出来る作物作りの一つとして、二人が現在やっている作業――つまりモヤシ栽培が軌道に乗れば、食料問題は確実に改善するだろう。
モヤシを含むスプラウト野菜は、種の時には含まれていない栄養素まで合成・凝縮されるために、「天然のサプリメント」なんて呼ばれるほど健康に良いのだ。満遍なく行き渡れば、栄養失調を起こす者も減るはずである。
「……じゃあ、実はジャガイモの芽なんかも、モヤシみたいに栄養があったりするんですか?」
「いや、あれは別物。毒性があって真面目にやばいので、念入りに取り除きましょう」
ジャガイモの芽に含まれるソラニンは神経に作用する毒性を持ち、中毒すると溶血作用、頻脈、頭痛、嘔吐、胃炎、下痢、食欲減退などの症状を起こす。加熱しても無毒化されないので、調理の際には注意が必要である。余談。
「モヤシを育てるにも種になる豆が不可欠だし、今はまだそこそこコストがかかるのが問題だね。豆自体は長期間の保存が出来るし、商品作物としても扱えるから、そのうち山に畑を作って、大々的に豆の栽培に乗り出したいんだけど……」
「その辺は年単位での立案が必要になるでしょうね。そこまで大掛かりな農地整理をするとなれば、複数の村から協力者を募らなければならないでしょうし」
暗所でモヤシを作るには、まず乾燥した豆を十二時間ほど水に浸すところから始めなければならない。
水を吸った豆が膨らみ、殻を割って中身が出てきたら一、二度すすいで、少量の水分を残し、器に広げて暗所に置く。
この時容器を密閉しないこと、適度な温度と湿度を保つこと、豆を水に浸らせないことに注意する。
三日もすれば食べられるレベルまで成長する上、水だけで充分育つモヤシは、見た目に合わず栄養価も高い。
別の小屋で明室栽培も試しているが、こちらはもっと大きく育つそうなので、現在推移を観察中だ。爪を隠した能鷹もやしっこたちには、この調子で元気に育って欲しいと思う。
「魔力を込めた水を使ったら、モヤシも変わった成長したりするのかなぁ……」
「……やってみますか?」
魔術師であることがバレてからというもの、ラトニはオーリの前で魔術の行使を隠さなくなった。
人差し指に魔力の燐光を灯し、何でもなさそうに聞いてくるラトニに、オーリは首を横に振る。
「ううん、不特定多数が見るモヤシ栽培で、ラトニが魔力持ちだってバレるようなことする気はないよ。それより、魔力はもう全回復したの?」
「ええ。冬駕籠の滝に行った日までにはもうほとんど回復してたんですけど、あそこの水を飲んだら完全に治りました。やっぱりあそこは魔力が満ちてるみたいです」
つい最近二人が二度目の来訪をした冬駕籠の滝は、すっかり蛇種魔獣たちの寝床となっていた。
小さな蛇たちは植物に隠されてあちこちに存在する洞穴や木のうろに潜り込んで寝ていたし、最も体が大きい双頭の大蛇は、滝の裏にある大きな洞穴の中で蜷局を巻いて眠っていた。
翼竜がいなくなった後もほんのりと温度を保っていた滝の水は豊富に魔力を含み、蛇種魔獣たちの眠りを支える。
水の流れが無理に歪められることがなくなれば、山中の水脈もじきに元に戻るだろう。
当初からの目当てだったスイソウランの他にも面白そうな植物が沢山生えていたので、オーリたちは遠慮なく採集してジョルジオへの土産にさせてもらった。
一部は使うが残りは結構な臨時収入になったので、古くなっていた診療所の備品も幾らか買い直せるはずだ。
――ただし一方で、『蒼柩』についてはあれから一度も口に出されていない。冗談でなくラトニの進退を左右するその単語は、今や二人の間でオーリの名前以上の機密事項と認識されていた。
(蔵書室を探しても、資料は見つからないし……)
千やそこらで済まない蔵書数を誇るブランジュードの蔵書室は、骨董価値まで付いていそうな古い本もある代わり、オーリの知識では理解できない本も数多ある。と言うか、七割以上は読み解けない。
(使われてる字が違ったり、専門用語がびっしり連なってたり……もしもあのどれかの表紙にでっかく『蒼柩』って書いてあったとしても、私には分からないだろうな)
単語一つ探すのに言語学から修めなくてはならないとは、何とも難航しそうだ、と考えながら。
オーリは根腐れを起こしている豆を摘まんで、廃棄物用の箱に放り込んだ。
「モヤシは腐りやすいと言っていたのに、こんなに大量に作ってどうする気かと思ってましたけど、役に立って良かったですね。あの嵐には、僕らにも責任の一端がありますし」
育ち切ったモヤシを摘み取って籠に入れながら、ラトニが目を細める。
たとえ焼け石に水程度の量だとしても、栄養価の高い野菜を継続して入手できる目処が付いたのは大きな利益だろう。幸いこの国は水が豊かだし、水さえあればモヤシは育つ。
以前、オーリが小さなパン屋一軒にだけ教えたベックオフは、口コミによって他のパン屋や食堂にも少しずつ広まり、そのレシピを発展させている。今は焼いたベーコンやソーセージを、トマトや白い豆と一緒に鍋に入れて窯蒸しするタイプが流行っているようで、オーリの屋敷の食卓にも一度ならず出てきたものだ。
シェパでモヤシが名産品になれば、ベックオフのようにモヤシでも多彩なメニューが生み出されるかも知れないと思って、オーリはうんうん満足げに頷いた。
「シェパは大雨も雪も多いもんね。モヤシ栽培は可能な限り広めるつもりだから、あちこちの農村でやるようになれば生産量も増えるよ。出荷にはあんまり向かない野菜だから、その分シェパ内部でメニューや栽培方法が発達すると思うな」
「是非そうなって欲しいです。孤児院のメニューには古い人参やジャガイモが多いので、施設でモヤシを作れれば新鮮な野菜が食べられますし」
「……なんか……ごめん……」
モヤシのキッシュとか、モヤシのとんぺい焼きとか、モヤシと胡瓜とハムを卵でロールしたちょっとお洒落なサラダとか、日本で発達していた煌びやかなモヤシ料理の数々を想像していたオーリは、何だか異様な罪悪感に襲われて目を逸らした。
心なしか熱意の込もったラトニの声色が切ない。ミミズコンポストより、モヤシの方に先に手を付けるべきだったかなぁ。
「モヤシで鳳凰作れる、中華で一番な天才料理少年が現れれば良いなー、とか呑気に期待しててごめんよ……」
「ホウオウって確か、鳥の魔獣のことでしたっけ。別にどんな形になろうと構いませんよ。味と栄養価さえ落ちないのなら」
「本当にごめんよ……!」
――と、不意にガッコンと窓の開く音がして、取り留めのない遣り取りをしていたオーリとラトニはそちらの方へと視線を向けた。
小屋に近付く足音には気付いていたので、特に驚くこともない。ひょっこりと覗き込んできたのは、齢三十は越えているだろう、防寒服姿の男である。
「おう、ここにいたか。あのよ、さっきジドゥリを一羽狩ってきてなあ。これから母ちゃんがモヤシと一緒に炒めるから、嬢たちも呼んで来いって言われたんだが」
己の背後から聞こえるサスペンスおままごとの声など全く気にしていない様子で、男はのんびりとした声で子供たちに伝言を告げる。「すぐ行きまーす」とオーリが手を振ると、彼は満足そうに頷いて窓を閉めていった。
無言で顔を見合わせて、二人は同時に立ち上がる。
「私ジドゥリって食べたことないんだけど、モヤシとジドゥリって合うのかな」
「モヤシならきっと何にでも合います。協調性のある良い人柄をしていますので」
「なんでラトニはそんなモヤシに忠誠誓ってんの?」
並んで小屋を出れば、近くに一群の子供たちの姿が見えた。通りすがる大人たちは、一部は引いた目で、一部は慣れた景色の一部を見る目で、大半は先程のラトニと同じ色々なものを放棄した目で、そして残る一部は動機やトリックについて真剣に考察する批評家の目で眺めていた。
「そうよ……わたしが全てやったのよ。オタエもウマノスケもトウジロウも、皆わたしがこの手で殺してやったのよ!」
「やっぱり、俺とオユキをここに呼んだのはそのためか。探偵としてこの舞台に上げ、あんたの思惑通り、コウノシンさんを犯人に仕立て上げる役割を与えられて!」
「オ、オワルちゃん……!」
「そんな、マツエ……! 何故あなたがそんなことを!?」
「あいつらは裏切ったのよ! わたしを、そしてわたしの恋人だったソウベエさんを!」
おままごともそろそろクライマックスのようだ。
演じる子供たちには一層熱が入り、観客は決して多くはないものの、皆悲劇と緊張感溢れる犯人の独白に息を詰めて見守っている。
――この村も良い感じに染まってきたなあ。
遠い目でそんなことを考えるオーリの思考を読んだように、ラトニが「次はせめてハッピーエンドで終わる話をしてやりなさい」と言った。
※全田一少年の事件簿
歩く事件ホイホイ全田一終少年が、幼馴染のお雪と共に殺人事件から近所の子供の夜泣きまでありとあらゆる事件を解決していく、仮想江戸時代の痛快ミステリーノベルズ。度々殺されかけるけど、元将軍のご意見番だった祖母譲りの推理力と異様に強い悪運で、何だかんだと今日もきっちり元気に生き延びているぞ! 決め台詞は、「バッチャンの名にかけて!」
Q)三千両って円に直すと幾らですか?
A)江戸時代初期~中期において一両=約十万円。つまり三千両=約三億円です。




