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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
8歳・再びシェパ編
42/176

41:新年

 日本で言う元旦、大陸歴で言うムキツの月の第一日目。

 年明けの朝は幸先が良いと言って支障なく、雲一つない晴天の青で始まった。


 王国フヴィシュナで毎年行われる行事の中では、新年の祝いである「祈年祭」は大規模な部類に入るだろう。

 日本と違って年末の行事が何もない代わり、年明けには多くの人が休みを取り、年末から用意していた菓子を食べる。

 三日間に渡って窓辺に積み上げられる、干し果物入りの揚げ菓子。同じ期間だけ玄関に下げられる、鳥の形や模様をしたランプ。常緑樹の葉を模した模様のついた、丸いケーキ。


 更に中央広場を含む幾つかの個所では朝から大きな篝火が焚かれ、薪をくべつつ三日三晩燃やされ続ける。炎の熱で暖かいためこれの周囲には自然と人が集まるが、やはり真冬で空気が乾燥してもいるので、火事には注意が必要だ。


 ちなみに、三日三晩経たないうちに火が消えるのはとてつもなく不吉なことだとされているため、たとえ雨が降ろうが嵐が来ようが、魔術や魔法薬を総動員して篝火は全力で燃やされ続ける。

 この三日間ばかりは仕事を休む人々は、暖かな篝火の周りに三々五々集まって、ボードゲームであるチェスタやカード、或いは酒を飲みながらの談笑に時を費やすのだ。


 さて、そんなシェパの街。

 一年で最ものんびりした空気の流れるこの期間だが、一方で年明けだろうと普段と変わらない忙しさを保つ場所もある。

 その一つが、オーリの住まうブランジュードの屋敷だ。

 貴族本邸であるこの場所は、祈年祭の朝から忙しく立ち働く人々が沢山いる(それでもやはり休む者はいるのだが)職場だった。


 幾分心苦しいが、如何せん使用人たちに揃って休まれてしまえば、屋敷の機能が停止してしまうので仕方がない。代わりに特別手当ては出るようだが、代替休暇の類は一切ないのがこの国の世知辛いところである。


「おはようございます、オーリリアお嬢様。朝食の準備が出来てございます」


 その朝。

 傍付き代理を勤めるいつものメイドに丁重な声をかけられて、オーリはベッドの上でゆっくりと意識を覚醒させた。


 コトンの毛を詰めた分厚い布団にくるまったまま、くあぁ、と大きく欠伸をする。

 重たい瞼をこじ開ければ、白い日差しで視界が滲んだ。


「……おはよう、セディス……。ムキツ神の開き給う扉の向こう、新しい一年に幸と祈りのあらんことを……」

「ムキツ神の開き給う扉の向こう、新しい一年に幸と祈りのあらんことを」


 日本で言う「明けましておめでとうございます」に相当する文句も、数年目となれば滑らかに出てくるものだ。同じ文句を繰り返して、くすんだ金髪を持つメイド――セディスはにこりと微笑んだ。

 むぐむぐとまだ眠そうに唇を動かしているオーリを横目に、彼女はしゃらりとカーテンを持ち上げる。


「良いお天気ですよ、お嬢様。早く着替えて参りませんと、旦那様方が食堂にいらしてしまいます」

「はぁい……」


 祈年祭の一日目だけは、日頃屋敷にいない両親も揃って食堂に現れる。残りの二日は、さて愛人の所か、はたまた余所のパーティか。


(一回くらいは『三日くらい家にいて』って駄々捏ねるべきかなあ? でも、聞き入れられても対応に困るし)


 たまの休日で家族との会話に困るサラリーマンのような気分になりながら、オーリは差し出されたワンピースに袖を通した。


「眠そうですわね、お嬢様……。昨夜は夜更かしなさいましたか?」

「ううん、夜明けに一回起きたから……篝火の火が点く瞬間を見たくて」

「あらまあ……お屋敷からでは、火の手が遠くに見えるくらいでしょうに」


 毎年やって来る祈年祭の時期が、オーリは好きだった。

 新年を迎えるために忙しく立ち働く人々の、何処か浮ついた空気。知人友人家族で寄り合い、夜を徹して語り合う人々の熱気。夜明けと同時に灯される篝火の炎と、遠くに聞こえる微かな歓声。


 祈年祭ともなれば、今日から三日間は朝からご馳走が続くに違いない。きっと食べ切れないけれど、余った食事はそのまま使用人たちに回るのだから、これはこれで巧い仕組みになっているのだろう。


(イレーナたちも、今日だけは盛大に祝うって言ってたなあ。私もいつか、一般のお祝いに混じって騒いでみたい)


 路地裏の友人たち――イレーナ・ジネ率いるストリートチルドレンは、多分今頃祝いの真っ最中だ。先日オーリが貰ったコトンの燻製肉を大量に流した時、彼女はとても喜んでいた。

 警備隊のイアンたちは、浮かれた人々の統制や見回りで忙しいかも知れない。

 唯一過ごし方が分からないのは、同じく燻製肉を持って孤児院に帰ったラトニのことだが――彼は基本的に冷めているから、ひょっとしたら祈年祭であろうといつもの無表情で本でも読んでいるかも知れない。或いは周囲に流されて、それなりに雰囲気を楽しんでいるか。


「……そう言えばお父様たち、どうして年内にシェパへ帰って来たのかな? お父様たちなら、折角行った王都で祈年祭を過ごそうと思っても不思議じゃないのに」


 ふと疑問に思って首を傾げたオーリに、セディスも困ったように眉を寄せた。


「さあ……申し訳ありませんが、旦那様のお考えはわたくし共には……」

「あ、別に良いよ、ちょっと気になっただけだから。だって、王都はシェパよりずっと盛大にやるんでしょう? お母様は分からないけど、お父様はそういうの好きそうだもの」

「あら、お嬢様もやはり、王都の祈年祭を見てみたかったですか? 確かにあちらは神殿を動員して、国で一番盛大にやることになっておりますからね」


 セディスの問いに、オーリは一瞬返答に詰まった。最後に見た時の王都の景色と、そこで出会った人々の顔が脳裏に思い浮かぶ。


 国王さえ姿を見せる王都の祝いは、国中の何処よりも盛大だ。

 溢れんばかりに立ち並ぶ花籠や高位神官による祝福の儀、一般人には数少ない拝謁の機会である現国王の挨拶。

 どこぞの大きな湖の畔では、この一年の吉凶を問う占いまで行われるとか。城で行われる祝いの席も、さぞかし華やかに飾り付けられることだろう。


 ――けれど。


「……ううん、私はいいや。王都のお祝いは見たかったけど、それより早くシェパに帰りたいと思ってたから」

「左様でございますか。……さ、お嬢様、支度が出来ましたよ」


 最後にモスグリーンのボレロを着せて、セディスはオーリを促した。

 何も知らぬような顔で礼を言いながら、オーリはベッドに放り出したピンクの兎のぬいぐるみを見やる。あの中に詰め込まれた上着は、少なくともこれから三日間は取り出されることがないだろう。


 折角王都から戻っても、ラトニと会う機会は未だに少ない。

 早く三日が過ぎないかなあ、と思いながら、彼女はセディスの後に付いて部屋を出た。

 夜の間に飾り付けられたのだろう、廊下のあちこちに活けられた色鮮やかな花の香りが、ほんのりと鼻孔を刺激した。




※※※




 先に食堂で待っていた両親と新年の挨拶を交わし、朝食を取った後、オーリは再び自由時間となった。

 祈年祭の間は勉強の時間は取られておらず、家庭教師が来ることもない。

 庭に出ようか、部屋で読書に耽ろうか。考えた末後者を取って、めぼしい本を探すため、オーリは蔵書室へと足を向けた。


 けれど、薬草と魔獣の分厚い図鑑を小脇に抱え、部屋に戻ろうとしたその時。

 ふと、不可思議な匂いが香った気がした。


「…………?」


 お菓子でも花でもないしっとりしたその香りが何だか気になって、オーリは廊下を振り返る。

 点々と並べられた豪奢な花瓶には、色とりどりの花々と、うち半数を占める大輪の白い花。毎年祈年祭の時期に盛りを迎える白い花は、今年も屋敷中で咲き誇っている。

 それらの甘やかな芳香に紛れて、するりとオーリを引き寄せる感覚。澄んだ水のようでもあり、柔らかな萌芽のようでもある、意識の根底に囁きかけてくる香り。


(向こうの方で、何かやってるのかな)


 ――でも、去年までの祈年祭で、それらしいものを見たことはなかったはずだけど。


 首を傾げて、オーリは微かに目を細める。数秒悩んで、彼女は本を抱え直し、香りの呼ぶ方へと歩き出した。

 どうせ三日間は暇なのだ。不可思議なことが起こったなら、素直に追い求めてみるのも悪くはないと、口の端を吊り上げた。


 ――そうして時折見失いそうになる香りを追いつつ、てこてこ歩くこと約十分。

 本邸の外れ、小高く聳える小塔に近い一角で、オーリは足を止めていた。


「こんな所に、階段なんてあったっけ……?」


 ぱちくりと瞬く青灰色の瞳に映るのは、長く長く上へと続く、細く薄暗い階段だ。

 灯り一つない階段は、もしも昼間でなければ真っ暗になってしまうだろう。


(もしかして、ここからあの小塔に行けるの?)


 奥に来るほど飾り花に含まれる白の割合は増えてきて、今や廊下の花瓶は白一色だ。

 日頃からしばしば屋内探検に勤しんでいるオーリだが、こんな所に階段なんか見かけたことはなかったはずである。この先に見えている小塔に踏み込む道を、彼女は一年以上探して、そして一度も見つからなかったのだから。


「階段怪談……なんちって」


 ぼそりと呟いた後、現状が洒落になっていないことに気付いてオーリは背筋を震わせた。


 字面だけ見れば寒いジョークだが、階段に纏わる怪談話など実際山のようにある。

 例えば、今にも上階の暗がりから何かが現れるのではないか、とか。

 階段を登り始めたら最後、背後の出口は音もなく閉ざされてしまうのではないか、とか。

 この階段の行き着く先は、この世ならぬ何処かなのではないか、とか――。


 ――長い睫を僅かに伏せて、オーリは、く、と薄く笑った。固まっていた足を、階段の入り口へと向けていく。


「そう思っていても踏み込んじゃうのが、人のサガってものなんだろうねぇ。ああ、ここにラトニかクチバシがいれば、せめてもう少し気が楽だろうに……」


 全ての人間が的確に危険を察知し回避することが出来るなら、ホラーもミステリーもその発端すら起こるまい。恐れながらも抗い難い好奇心に突き動かされ、震える足で非日常へと踏み出す誰かがいるからこそ、良かれ悪しかれ、世界は人に新たな側面を見せてくるのだ。


 頼りになる相方と、やたら頭の良かった小鳥の姿を思い浮かべつつ、それでも今更戻る気になどなりはしない。

 魔の十三段どころではない数の階段を、オーリはゆっくりと登り始めた。




※※※




 異界へすら続いているように見えた階段は、幸いオーリが疲労を感じ始める前に果てが見えてきた。

 踊り場の向こうに小さな白い扉を見つけて、オーリは一度足を止める。


 少しだけ躊躇ったが、追ってきた香りはこの向こうから漂っているようだった。手をかけ引けば、扉はあっさりと開かれて。


 ――かつん、と。

 足音を立てて踏み込んだその部屋を、オーリはそっと見回した。


 小さな窓が一つだけある、白い小部屋だ。

 小部屋と言っても、オーリの自室と同程度の広さがあるだろう。ソファもベッドもない、ただ隅に小さな祭壇のようなものが置かれているだけの、生活感のない部屋だった。


 祭壇を埋め尽くさんばかりに飾られているのは、廊下にもあった白い花。

 控えめな芳香も数が揃えば強くなり、その隙間を縫うように、例の不思議な香りが漂っている。


 開け放したままの扉から離れ、無意識に祭壇の方へと、オーリは歩みを進めかけて――


 ――――ふわり。


 布のような何かが、視界の端で翻った。


「――――っ、」


 半ば反射でそちらを向き、オーリは息を呑む。


 そこにいたのは、少女だった。

 半透明に透き通り、その身を虚空に浮き上がらせた――


 オーリと視線をかち合わせ、少女が大きく目を見開く。それから形の良い唇を、きゅうう、と緩やかに吊り上げた。


『生者か――』


 ぽつり、呟いた少女の体が、裾を揺らしてふわりと動く。立ち竦むオーリの元へと、彼女は音もなく距離を詰めた。

 半透明の手が、オーリの首をするりとなぞる。温度を感じない肌だった。


『嗚呼、憎い、恨めしい――愚かな子よ、自ら取り殺されに来たか――』


 美しい声だ。けれど、紡ぐ言葉はぞっとするほどの暗さを纏っていて。


『どうしてやろうか。首を絞めようか。目玉を抉ろうか。その忌々しい魂を、この手で引き裂いてくれようか――』


 射し込む日差しで明るいはずの室内を、呪いを謡うその声が、ゆるり、ゆるりと薄暗く満たしていく。

 色のない唇を禍々しく歪めて、少女の顔がオーリに寄った。にんまりと笑った秀麗な顔が、確かな狂気を浮かべて咲いた。

 半透明の手が伸びる――――


 ――――刹那。


 がたん。


 開け放された扉の方から、何かの音が小さく響いた。

 水を差された、というように、オーリに縋り付いたままの少女は、扉の方へと目を向けて――。




 顔面を血塗れの包帯でぐるぐる巻きにした女が、扉から顔を覗かせていた。




『……、……は?』


 空けること一拍。

 間抜けと表しても差し支えない声が、少女の唇から零れ出た。


 振り向きもしないオーリの肩越し、瞬きも忘れて見つめる半透明の少女の前で、包帯女は微動だにせずこちらを覗き続けている。

 ただし、覗いていると言っても立っているわけではない。その包帯女の顔は、極端に低い位置に――要するに、だらりと垂れ下がった頭頂が今にも床に付きそうな高さに存在していた。

 扉の向こうから覗く顔は、何故か上下が逆さになっている。

 首から下は、壁の向こうに隠れて見えない。

 真っ赤に充血した一対の目が、包帯の隙間からじっとこちらを見つめていた。


 ――ひくり、と。

 まともに目が合った少女の顔が僅かに引き攣る。

 けれどそんな様子には構わずに、包帯女はもごりと口元を動かして。



『――――ア゛、』



 発された声は酷く枯れ、元も分からぬほどしゃがれ切り。

 今にも血を吐かんばかりの渇いた声は、けれど哀れみよりも先におぞましさを感じてしまう。

 己の発するべき言葉を探そうとでもするかのように、包帯女はア゛、ア゛、と何度か声を絞り出し。

 それから数秒、ぴたりと徐に沈黙して――



『――ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!!!』



 ガサガサガサガサガサガサッ!! と、仰向けになって床に手足を突いた体勢で、つまり某世界では俗にエクソシスト走りと称される奇怪な動き方で、頭をぐるぐる回しながら少女目掛けて全力疾走してきた。


『ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!?』


 半透明の少女の、張り裂けるような絶叫が響いた。



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