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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
8歳・再びシェパ編
41/176

40:ミミズは意外と栄養価も高いそうです

 ここ一年ほど、シェパの街周辺に点在する村々には、幾つかの噂がひっそりと纏わり付いている。


 ――曰く、獣より速く地面を駆け、猿より素早く木々を渡って子供を攫う魔獣が出る。


 ――曰く、人の悩みを解決してくれる、天通鳥の化身が現れる。


 ――曰く、農村なのに、貴重品なはずの甘いものを日常的に食べている。


 ――曰く、子供たちが広場で怪しげな儀式をしている。


 そしてそんな噂の一つとして囁かれているのは、聞いたこともない歌詞と旋律の、奇妙な歌が流れてくる、という話。

 そこだけ聞くとまるで怪談のようではあるが、実際それは心霊現象などではなく、歌っているのは大体村に住む小さな子供たちだったりする。


 専ら幼い子供らの間で歌われては大人をドン引きさせるその歌は、不気味なものや如何にも縁起の悪いもの、意味すら分からない単語が数多含まれるものまで種々取り揃えられ。

 けれど当の発信者はと言えばそんなことは全くお構いなしで、今日も容赦なく怪しげな歌を拡散していくのだった。



「いっちねんせーになったーらー! いっちねんせーになったーらー!」


 そんな、某発信者。

 今年も残すところあと三日となった午後、コトンの鳴き声のする村の一角で、その少女――オーリリア・フォン・ブランジュードは、今日もフードの下で青みがかった灰色の瞳をキラキラ輝かせ、元気良く声を張り上げていた。


「とっもだっちひゃっくにっんでっきるっかなー!」


 ノリノリで歌声を響かせながら、オーリはズボォ、と豪快に木桶の中へ手を突っ込む。隣で別の木桶を覗いていた、ボサボサの前髪で目を隠した少年――ラトニ・キリエリルは、彼女を横目で見ながらパタンと桶に蓋をした。


「ひゃーくにーんで食っべたいなー! 富っ士山のうっえでーおっにぎっりをー!」

(普通なら馬を使うほどの距離を、僕を背負って走ってきた直後だというのに、相変わらずの元気溌剌ですね……。この能天気な声を聞いていると、日常が戻ってきたという気がします)


 噂の一つである子供を攫う魔獣云々の原因、つまりラトニを背負って街からの長距離を爆走するオーリの姿は、最早ここらの農村では珍しくもない光景だ。

 魔獣扱いも何処吹く風か、ラトニの(当人には絶対に言わないが)世界で一番大切な少女は、今日も全開の笑顔でボランティアに取り組んでいる。

 小さな窓から見上げれば、夜通し降った雨が上がった真っ青な空。年明けの支度に追われる村人の声と子供たちの遊ぶ声、辺りをうろついては餌を漁る鶏の鳴き声が微かに耳に届いていた。


 約二カ月に渡る旅行から帰ったばかりだというのに、ラトニとの旧交を温めるのもそこそこに、馴染みの農村を気にかけるオーリの行動に不満が皆無なわけではない。

 けれど、二人でゆっくりオセロをするよりこっちの方が彼女らしいと、ラトニは若干の諦念と共に思うわけで。


(まあオーリさんが何処に行くにしろ、僕は何処までも付いて行くだけです。彼女が楽しそうに笑っていられるなら、それが何より)


 色々と苦しい経験もあったらしい王都訪問からオーリが帰って、今回は彼らの二度目の――そして多分、今年最後の逢瀬である。

 互いの立場が邪魔してなかなか会えない少女の顔を眺めながら、この分ならまた近いうちに村の子供たちの間で新しい歌が流行るだろう、とラトニは思った。


 オーリが村に来るたび新しいネタはないかと周りをちょろつく子供たちには、子供っぽく健やかな歌よりほの暗い歌の方がウケが良い。

 先程見かけた子供たちもマザーグースとかいう歌を歌っていたが、内容は何やら妙に不安を煽る歌詞だった。……何故だか嫌な過去をちくちく連想させられるんだけど、ロンドン橋って何処にあるんだろう。


(カゴメカゴメだのマザーグースだの、子供って薄暗い匂いを敏感に感じ取っては弄りたがりますからねぇ……)


 鳥が鳴くように伸びやかなオーリの声は聞いていて耳触りが良いが、その分遠くまでよく届く。

 二月以上聞いていなかったその声が、優しい子守歌をも紡げることを知っているのは、きっとラトニだけだろうけれど。


 ――いつも明るい歌だけ奏でていれば、村人たちをドン引きさせることもなかろうに、とか。


 いらん心配をしながら、友達欲しいと叫ぶ歌を最後まで聞き終えたラトニは、彼女と目を合わせてことりと首を傾げてみせた。


「オーリさん、百人で食べたいな、という部分はおかしくありませんか? フッジ山とやらに登ったのは、歌い手と友達百人で計百一人のはずでしょう。百一人目は何処へ行ったんです? 百人『と』、なら分かるのですが」

「富士の樹海に消えた」


 うっすら暗い都市伝説をさらりと無表情でぶっ放したオーリに、そんな闇の潜む歌を広めるんじゃねぇとラトニはじっとりした目付きになる。子供向けみたいな明るい曲調と内包したホラー要素の差異にほんのり戦慄しながら、新たな木桶の蓋を開いた。

 黒に近い土の色が現れると共に、たちまち湿った異臭が立ち昇って鼻を突く。隣で同じものに腕を突っ込んでいるオーリが、「げ、虫湧いてる」と呻いた。


「聞かない方が幸せな裏ネタをよくもまあ次々繰り出してこられるものだと、最近は感心すら覚えていますよ。まさか王都の子供にも容赦なく拡散して来たんじゃないでしょうね?」

「オォイその言い方人聞き悪いな。王都ではほとんど子供と関わらなかったし、広まってなんかいないって。それよりそっちはどう?」

「レモンパーヌはまずまずです。そっちは駄目らしいですね」

「うん。虫除けと言えば唐辛子だと思ってたのになあ……」


 がっくりと肩を落とすオーリの手のひらでは、太いミミズがもぞもぞと蠢いている。一般的な貴族令嬢なら卒倒しかねない行為を平然としてのける彼女に、こちらもやはり平常心でミミズの体調チェックをしながら、実に頼もしいことだとラトニは前髪の下の目を細めた。


 ――ミミズコンポスト、というものが存在する。


 オーリがこちらに持ち込んだ知識の一つであり、端的に言えば、数種のミミズを用いて有機物を分解することで得られるミミズ堆肥のことを指す。栄養が豊かな天然肥料、或いは土質の調節剤となる代物だ。

 生ゴミ対策や肥料として、日本の一般家庭ではしばしば用いられていたアイテムだが、当然ミミズ嫌いからすれば近付きたくもない代物だし、そうでなくてもゴミ臭かったり虫が湧いたりと女性に忌避される要因は多い。


 勿論前世のオーリは虫もミミズも大嫌いな現代っ子であり、今世の彼女がミミズを鷲掴みに出来るのは、偏に重ねた慣れの賜物である。

 それとて、「やらなきゃ話が進まない」というある意味切羽詰まった理由の後押しが無ければ、慣れようという気にすらならなかっただろう。


 ちなみに、畑に肥料ではなく生きたミミズを使う方法は、フヴィシュナでは全く一般的な手法ではなく、最初は結構怪しまれたものだ。

 今はまだ実験の最中だが、『まあ……あんたが言うなら試すくらいは良いけど……』と、一部の村人が小さな畑を貸してくれている。

 オーリが納屋の一角を借りてミミズコンポストを作り始めた時点で、ある程度積み上げていた信頼が無ければ素直に使ってはもらえなかったに違いない。


 バラバラと地面に横たわっていた薬草や香草を摘まみ上げて、ラトニが心なしか肩を落とした。


「結局、オーリさんが王都で買ってきた白胡椒の実が一番虫除けに効きましたか。でもあれ、かなり高いんですよね?」

「高いよ。無計画に使ってたら、いくら収穫量が上がっても元が取れない。しばらくは次点のメイリーズで試してみない?」

「実と花と茎に分けて、効果の差を確認してみましょうか。幸いこの辺りにはしばしば生えていますし」


 ――ガタリ。


 不意に納屋の扉が開いて、二人は話し合いを中断した。


 入ってきたのは、恰幅の良い女が一人。納屋の持ち主の妻である彼女は、二人の子供を見つけて軽く片手を挙げてみせた。


「ああ、ここにいたかい。精が出るねえ」

「あれ、今日は旦那さんと年明けの準備だって言ってませんでした? 何かありましたか、おば……お姉さん」

「今気を遣ったかい?」


 言い直したオーリに何となく微妙そうな顔をした後で、農婦は木のカップを二つ子供たちに差し出した。どうやら差し入れらしいと察して、オーリの頭に見えない犬耳がピンと立つ。


「だって、この間そのことで旦那さんと喧嘩したんでしょう?『まだまだ若いんだからおばさん呼ばわりするんじゃない』って、旦那さんに左フックからの右ストレート食らわせたって、村で噂になってたよ」

「人のスカートの柄にケチつけやがるあの宿六ならともかく、あんたらみたいなチビ共が余計な気遣いしなくても気を悪くしやしないよ。実際、お姉さんなんて呼ばれるような歳じゃないのは確かなんだから。

 ほら、こっちはとうに休憩さね。あんたらもこんな寒い所に籠もってないで、これでも飲んであったまりな」

「わあい、ありがとうおばちゃん! 丁度喉が渇いてたんですよ!」

「ありがとうございます、頂きます」


 オーリは見えない尻尾を振りながら、ラトニは礼儀正しく頭を下げて、二つの粗末なカップを受け取る。温かい液体を一口啜れば仄かなシナモンの香りがして、無意識にオーリの目尻が緩んだ。


 シェパの農村では、ローニと呼ばれる木の実の絞り汁にシナモンを加えて飲む習慣がある。仄かな甘みと渋みがある液体には各家庭の味があり、夏は井戸で冷やし、冬は温めて、年中飲める貴重なドリンクだ。

 手製のドリンクをゆっくりと口に含んでいく子供たちに、農婦はふくよかな頬を綻ばせ、からりと笑って言った。


「あんたたち、今日帰る時には忘れずうちに寄って行きなよ。冬前に潰したコトンの燻製肉があるから、少し持って行くと良い」

「え、良いんですか?」

「良くなきゃ言わないさね。本当はもっと早く渡したかったんだけど、あんたたちが急に顔を見せなくなるから出来なくてさ。他の村を回ってたのかい?」

「あはは、ちょっと立て込んでて……。じゃあ、遠慮なく頂いて行きますよ。ありがとうございます」


 此処のように小さな村では、主に餌の不足が理由で冬を越せない家畜たちは、大体潰して食肉にする。

 ハムやベーコン、血で作ったソーセージ。勿論オーリたちに分けるそれも村人たちの貴重な食料なのだろうが、恐らく日頃の礼と好意を多分に含むそれを断るのは、却って失礼に当たるだろう。

 オーリの返事に満足そうに頷いて、農婦は唇をニヤリと上げた。


「あんたらには随分と世話になってるからね。『天通鳥』が村に来るようになってから、天災の被害も少しマシになったし、子供たちも楽しそうだ」

「巷では不気味な儀式をやってるとか言われてますけどね」

「子供は時々突き抜けた行動を取るもんだよ、害がないなら好きにさせとくさ」


 確か彼女の夫も腰の引けた目をしている一人だったはずだが、彼女自身は鷹揚に構えているらしい。実に肝の据わったおばちゃんである。


「あんたたちが今作ってるミミズコンポストとやらだって、仕込んだ畑はどうやら野菜の育ちが良いらしいんだよ。これなら来年はもっと使う場所を増やしても良いって、村長たちも話しててね。だからささやかだけど、肉のお裾分けはお礼と袖の下さ」

「わあ子供相手に正直な大人。でもそんな素直なおばちゃんが好きですよ! よっ、懐のでかい良い女!」

「調子の良い子だね。煽てても干し果物くらいしか出ないよ!」


 出してはくれるらしい。


 けらけらと朗らかに笑った後で、農婦は「あんたたちもまだ休憩しなよ」と言い残して納屋を出て行った。

 バタン、と戸が閉まった後、ずっと口を噤んで聞き役に徹していたラトニは、ようやくちらりと視線を上げた。


「……休憩、まだ続けますか?」

「ううん、私はもういいや。湧いた虫を早く取り除きたいしね」


 案の定そう返して、カップの中身を飲み切ったオーリは作業に戻った。


『天通鳥』のことを知る大人たちの前で、オーリは殊更道化た発言をすることが多い。

 それは、顔も見せない怪しい子供の存在から、少しでも忌避や疑念の感情を逸らそうとしているためでもあるだろうし、もっと単純に、「気の良い快活な子供」の仮面を被ることで、言い方は悪いが人々につけ込みやすくするためでもあるのだろう。

 ――たとえその仮面の下に、どんな想いを隠していても。


「ノーフォーク農法で作物と飼料に余裕が出れば、今は必要以上に殺してるコトンも冬を越せるようになる」


 独り言のように呟くオーリの双眸は、大人たちには滅多に見せない真剣な光を宿している。

 冷たい土を弄る手が、汚れた指で虫を摘まんだ。

 泥にまみれた白い手が、かつて毛虫一匹触れることが出来なかったのだと、知っている大人は誰もいない。


「コトンが増えれば労働力も増える。まあ、休耕期間を挟まないんだから一期ごとの収穫量は落ちるだろうし、余裕が出来るにはまだまだ時間がかかりそうだけど」

「そうですか。なら、早く資金を作りませんとね」

「うん。そしたら色んな野菜や調味料を仕入れて、保存食の研究もしたいなあ」

「あなたは食べることが好きですからね」

「美味しいものを食べることが好きなんだよ」


 相槌を打つラトニに、オーリは楽しそうに笑ってみせた。


 冬の長いこの国で、保存食はそこそこ多岐に渡っている。

 燻製肉に干し茸、茹でた茸の塩漬けや、木の実の塩漬け、ピクルスもどき。中でもポピュラーなのはキャベツの酢漬けで、数種の香草と共に漬け込むそれは、極めて長期間の保存を可能とするそうだ。


「ああ、米と麹菌が欲しい……ニシン漬け作りたいなあ……。赤紫蘇と梅で梅干しも……」

「ウメは知りませんが、あなたがシソと呼ぶのは確かソルトルーニのことでしたよね? 赤い種類があるんですか?」

「紫蘇と赤紫蘇は別物なんだよ。梅干しは大量の塩と赤紫蘇がないと作れない」


 こっちの名前で言うなら赤ソルトルーニか。種が手に入ったら畑で育てて……あ、駄目だ、シソ類は際限なく増えるから、素人が手を出しちゃいけないって聞いた覚えがある。


「なら、塩も足りませんね。近くで岩塩でも見つかれば良いんでしょうが」

「そうなんだよねぇ。海が欲しい……。塩……魚……海鮮丼……。ところでラトニ、ミミズの味は案外悪くないって知ってた?」

「……食べたことがあるんですか?」

「ないけど、ミミズを食べて『渇いてない干しイカみたいな味』って評した人ならいるよ。私も一回試してみたいなあ。泥抜きしてカラッと揚げて、きつめの塩で味付け……。ミミズコンポストのミミズが増え過ぎたら試してみようか。丁度良い非常食になるかも」

「あなた、時々物凄く思い切りが良くなりますよね」


 ――足りないものは多いけれど、一つずつ埋めていくしかないだろう。無理に前世知識を用いずとも、こちらの世界が育んできた歴史と知恵もある。


 昨今では『天通鳥』の知名度も少しずつ上がり、自ら意見を聞きに来る者も出始めた。無い物強請りをするよりも、必要な分だけ積み上げて行くべきだ。

 幸い、意見を聞き入れてもらえるだけの下地は既に出来つつあるのだから。


「釣りや鶏の餌にも欲しいし、これは尚更研究失敗できないなあ。頑張ろうね、ラトニ」


 気合いを入れ直して、オーリは新たな桶に手を突っ込んだ。

 信頼と実績は、まだまだ足りない。もっともっと積み上げて、いつかこの身一つで領地を動かせるように。


 ――付き合いますよ、と。


 小さく呟いたラトニの声が、その時も隣にあれば良いと思う。




※※※




「あ、天通鳥の嬢、相方背負って帰るとこかい? あのよ、ウチのお袋が『ジャガイモがどうしても煮崩れるから、何とかならないか相談してきてくれ』ってうるさくて……」


 面取りしてますか?


「おおい、そこの嬢と坊、帰るならうちの干し果物少し持ってけ。……いやあ、実はうちのかみさんがな、台所の汚れが取れないって機嫌悪くて……」


 根菜か柑橘類の皮で擦ると良い仕事しますよ。


「……信頼されてるって言うか、ちょっと変わった知恵袋みたいな扱いされてる気がします」

「私もそう思った」


 背中からぼそりと言ってきたラトニに、オーリは遠い目をして呟いた。

 イヤイヤ、これだってある意味頼りにはされてる……よね? 多分。


 ロンドン橋のマザーグースは人柱のことを歌った歌だと言われています。その辺の裏事情はラトニには分からないけど、生贄として死んだ前世のトラウマを無意識に刺激されるらしい。

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