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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
7歳・シェパの街編
4/176

4:少しだけ先を見ている

 そうそう会わないだろうと思っていた少年との再会は、オーリの予想よりも早く訪れた。と言うか、三日ほど経ってから再び街に出たオーリの前に、何食わぬ顔で現れた。


(いや、フード被ってるから顔は見えないんだけどね。前髪も長いし)


 前髪が目元を隠しているのは、襲われて乱れたからではなく仕様だったらしい。でもあの淡々とした口調、冷静な言動、フードの中身は絶対に無表情だ。きっとうっかり毛虫を踏んづけたって微動だにしないに違いない。


 ――けれど何より驚いたのは、オーリの身元があっさりバレていたことだった。


『名乗ることさえ危惧するほど、誰もが知っているこの街の権力者。加えて幼い子供がいる家など、そうはありませんから』


 二度目にオーリと出くわした時、少年は当たり前のようにそう言った。どうもオーリを領主の一人娘と察した上で、次の外出を待ち伏せしていたらしい。孤児院に引き取られて来たばかりの彼がどうしてそうも容易く情報を得ているのかなんて、オーリは怖くてツッコめなかった。

 けれど。


『調べましたので、あなたの名前は知っています。でも僕は、あなたの口からそれを聞きたい。改めて名乗ります、僕の名前はラトニ・キリエリル。――どうか、あなたの名前を教えてください』


 知りたいのだと、呼びたいのだと。

 オーリにその名を許されることをひたすら求める彼の言葉は、まるでひどく尊い何かに、必死に縋っているかのようで。


 ――本格的に絆されたのは、多分あの時が最初だったのだろう。




※※※




「では、農業の方にはまだほとんど手を付けられていないのですね」


 ぱちん、と硬い音を鳴らして、薄汚れた木箱に座ったラトニはそう言った。

 廃屋の立ち並ぶ区域にある、狭い空間。小さな木箱や崩れた壁、実も付けない木々くらいしかないその場所は、何度目かに会った時見つけた小さな空き地だった。街をうろつかない時やこっそり話をしたい時は、ここに来るのが最近のお約束となっている。


 本来外出を許されていないオーリは、二、三日に一度程度しか屋敷を抜け出しては来られない。勉強やマナーの教師が来ることもあるし、時には庭で遊ぶ姿も見せなければ怪しまれるだろう。

 けれど一体どこで見ているのか、ラトニはオーリが屋敷を出ると大体姿を現した。お陰でここ最近、オーリはどこに行くにもラトニを連れている。


 ぱちん、と同じ音を打ち返し、オーリは下唇を尖らせた。

 彼女が座っているのもまた、椅子代わりのボロ箱だ。オーリは身バレしてしまったため、ここでは顔を隠していない。

 一方のラトニはフードを取る気配こそないものの、明るい場所で見る顔の下半分は、やはり随分と整った作りをしていた。

 どこか鋭い印象があるのは、痩せた体格や感情の薄い声色のためだろう。常に冷静なその言動と相俟って、精神年齢の高いオーリ以上に大人びたものを感じさせるのが複雑なところだ。


「そうなんだよね。ノーフォーク農法を広められれば休耕期間を減らせるし、利益も出ると思うんだけど、やっぱり実行は難しいよ」

「大麦、クローバー、小麦、蕪の順番に四年周期で行う四輪作法、でしたか。地力が回復し、家畜を養うのにも役立つとか」

「そうそれ。でも農家って一回の失敗で破産しかねないから、保証も前例もないようなことはなかなかやってくれないんだよ。仕方ないから、今他の産業でお金作らせてる。私が保証できれば良いんだけど、残念ながら個人資産はないんだよね」

「そう言えば、まだお小遣いも貰っていないと言っていましたね。領主が正式に命令と損害保証をしてくれれば楽なのですが……」

「無理無理、どうやって切り出すのさ? それにあの父上様、そんなことにお金突っ込むくらいなら、先月興行に回って来た劇団の踊り子の赤毛のねーちゃんに貢ぎに行くよ」

「だからどうしてあなたはそんなろくでもないこと詳細に知ってるんですかとあれほど」

「次はキンキラキンのいやらしいドレス贈って、それ着て踊ってもらうつもりなんだってさ」

「いらん情報を付け加えてくるなと言っているでしょう。僕らの年齢を考えなさい」


 スパンと後頭部を引っ叩かれて、オーリは「メファッ」と奇声を上げた。

 ちなみに情報源はメイドの噂話である。物品の仕入れから地下の掃除まで、家の管理のほぼ全てを賄う使用人達にとっては、誰一人知らない秘密なんてものの方が珍しいのだ。市原●子はいなくとも、『家政婦は見た』はこの世界の場合ガチで頻発する。


「それで、別にやらせている産業とは何なのですか? 現金収入があるものなのですよね?」


 座り直して、ラトニが話を戻す。

 農業の話でも国政の話でも、この少年はオーリの話に付いて来られなかった試しがなかった。知らないことがあっても少しの説明であっさり呑み込み、分析や意見交換にも応じてくる。どこに行くにも離れようとしないラトニを、オーリが結局突き放せないままでいるのはそのせいもあるだろう。


 要するに、ラトニの傍は居心地が良かったのだ。

 彼の前では猫を被る必要も無ければ、七歳の子供とすら扱われることがない。それは彼自身、見た目よりもっと成熟した精神を有しているように見えるからだろうか。ラトニの前でだけは、オーリは前世の記憶以外、顔も思考も価値観も、何一つ隠す必要が無かった。


 オーリは、自分の素の人格が異常なものであるということを理解していた。

 倫理的に正しいか否かの話ではない。もっと単純に――今のオーリの持つ知識は、価値観は、言動は、性格は、あの屋敷に生まれ育った『オーリリア・フォン・ブランジュード』が絶対に持ち得るはずのないものだからだ。


 ――この世界に生まれてからというもの、オーリは『忌避されないための努力』を惜しまなかった。

 人は人を排斥する。人や社会が異端に対してどれだけ残酷になれるかなど、前世地球でも溢れている話だ。


 だからオーリは、かつての世界の言語を封じた。ほとんど顔も合わせたことのない両親を恋しがる姿を見せた。傍付きや家庭教師の言うことは素直に聞いた。時々我儘を言った。優しい使用人に甘えてみせた。オーリの周りの人々にとって、オーリは記憶が蘇ってからの四年間、ずっと『利口な良い子』であり続けた。


 あり得るはずのないオーリの人格は、『無い』ことにしなくてはならなかった。

 だからオーリは屋敷の中では、徹底的に素を隠した。子供らしからぬ姿を示さねばならない屋敷の外では、逆に素性を隠す方を徹底した。

 オーリの場合、世界に溶け込む努力をするということは、逆に言うなら誰に対しても本音を見せることができないということだった。けれどそんな中、初めて現れた例外がラトニだったのだ。

 この少年に自分が好かれているらしいことは、オーリも自覚していた。時折振るわれる彼の毒舌はとても可愛いものではないが、まるで目を離すのが怖いと言わんばかりに、彼はオーリを視界に入れておきたがる。


(ごろつきから助けたからってのは、ちょっと違うような気がするんだよねぇ。前世の知り合いっていうのも、多分違う。どうもこの子、日本のことは知らなさそうだし)


 日本人なら誰もが答えられるであろう質問をしてみた時のことを思い出しながら、オーリはそう考える。幾つか聞いたその問いに、けれど彼はその全てに対して首を傾げた。

 はて、相手が元日本人かも知れないと思って興奮した自分は、あの時何を聞いたんだったか――


『私の好みとしては海神一押し! ほらあの鳳凰の対のやつね!』

『ラトニは何が好き!? て言うか携帯獣、どれか携帯してた!?』

『ブラックホワイトはやった!? 私は赤からパールまでしかやってないんだけど!』

『原点にして頂点って、ぶっちゃけ赤様のためだけにあるような言葉だよね!』

『パーティ編成にこだわりあった!? 私は多種類進化ブイズオンリーパーティでチャンピオンに殴り込んだことがあるんだけど!』


 ……アレ、なんか凄く偏ってたような気がしてきた。公正を期すのなら、せめて『きのこ派ですかたけのこ派ですか』くらいのことは聞いておいた方が良かっただろうか。


「……オーリさん、聞いてますか?」

「お、おおう!? ごめん!」


 自分にとっての故郷の思い出とはイコール携帯獣なのだろうかという疑念が湧き上がった辺りで、怪訝そうな顔をしたラトニがオーリの様子を窺っていることに気付く。

 はっと我に返って、オーリは空の彼方に飛んでいた思考を引き戻した。


「な、何の話だっけ。某よく狸に間違えられる青い子守り猫のスペックと心の広さが異常だって話?」

「違います。と言うか、正確な姿に想像がつかないんですが、そのヘンな生き物あなたの知り合いですか?」

「あのアイドルと知り合いになれるのなら、私は感激のあまり全身の毛穴という毛穴から血を吹くよ」

「やるならゴミ袋かなんかに潜り込んでからにしてくださいね」

「あ、そのまま焼却処分ですか」

「畑の肥料の方がお好みですか」


 脊髄反射でブラックコントを交わしてから、ラトニは指ですいと下を指し示す。

 向かい合う二人の間には一回り大きな木箱。そしてその上には、厚さ一センチミル程度の、一枚のボード。


「あなたが農村にやらせている、現金収入のある産業の話です。あと、オーリさんの手番ですよ」


 釣られてボードに目をやって、オーリは心の底から悲鳴を上げた。八×八の盤上を、白い線が見事に斜め真っ二つにしている。一手前までは接戦に思えたのに!


「ぎゃああああ! どうしてこうなった!」

「ここからだともう逆転は無理ですね、スペースもあまり残っていませんし。潔く降参して次に懸けたらどうですか」

「キミこれまだ三回目だろ! 次はどうなるんだよ、やるのが怖いよ!」

「ラトニ、です。名前があるんだからちゃんと呼んでください」


 負けました畜生!とヤケクソのように叫んで、オーリは木箱に額を叩き付けた。

 現在二人が対戦しているこのボードゲームの名をオセロ、別名リバーシ。オーリがせこせこ廃材を削って作り上げた、前世日本の有名ゲームだったりする。

 本日初めて持ってきて、ルールを教え、オーリが白を持ち、一回目はオーリがあっさり勝った。しかし二回目は、五枚差でラトニが勝った。三回目、ラトニが白に持ち替えて、そして目の前の結果である。呆れるほど順応が早いラトニにオーリも警戒していたのだが、僅か一手で盤上が引っ繰り返ってこの有様。


「じゃあ四回目行きますよ。ほら黒持ってください」

「この状況でその催促! 容赦ないなこの悪魔!」

「負け犬の遠吠えとは存外耳に心地好いものですね」

「キイィィィィ!!」


 ハンカチがあったら噛み千切っていただろう勢いでオーリが歯軋りしたが、ラトニはさっさと自陣の分の駒を積み上げた。こんなにボロ勝ちするなら、オーリが一勝して調子に乗った隙に何か賭けでも持ちかければ良かった、などと腹黒い後悔をしながら、もう一つの話の続きを促す。


「……で、農村の方は? いい加減教えてくださいよ。僕、これでもそわそわしてるんですけど」

「全くそうは見えないんだけど……。あー、産業だっけ。簡単に言うなら、村ぐるみで甘いものを作って売ってるんだよ」


 オーリの返事に、ラトニは少し驚いた。

 甘いものと言うと、菓子の類いだろうか。砂糖は高級品なので、下層階級の口にはあまり入らない。しかしオーリはそれを農村の産業として成立させるつもりらしい。


「実はうちの庭に樹液の出る木があるんだけどさ、調べてみたらどうもそれがほんのり甘いんだよ。で、それと同じ木の林を見つけて、一番近くの村に協力要請して、樹液採って煮詰めて甘いシロップ作ることにしたわけ。『メープルシロップ』って呼んでるんだけど」

「メープル……それが木の名前ですか?」

「や、木の名前はマルーコ=デ=バルバルジーロラッパーって言うらしいよ。やたら長ったらしい上に語呂悪いから別に商品名を付けたの。ぶっちゃけ駄目でしょ、マルーコ=デ=バルバルジーロラッパーシロップって」

「嫌がらせのように長い商品名になりますね。発見者はどうしてそんな名前を付けようと思ったんでしょうか」

「きっとあれだね、登録した時うとうとしてたんじゃないかな」

「誰もかもがあなたみたいに寝汚いわけではないんですよ。……で、どうして『メープル』に決めたのですか?」

「気にしない気にしない! 木だけに!」

「ドヤ顔してる所悪いんですが、まったくうまいこと言えてませんよ」


 言いながらぱちんと音をさせて、オーリが繋ごうとしていた道を断ち切ってみせる。本当に容赦のない六歳児だ。

 オーリは一瞬顔を引き攣らせ、しかし何とか活路を探そうと視線をうろつかせた。ぱちんぱちんと手を重ねるごとに、盤の色が変わっていく。


「本当は蜂蜜も欲しかったんだけど、そっちはやり方が分からなかったんだよね。あー、蜂蜜ケーキ食べたいなあ」

「……流石に蜂は危ないですよ。やり方を教えるとなればあなたも傍に付いていなくてはならないでしょうし、僕としてはあまり手を出して欲しくありませんね。はい勝負あった」

「そこの活路にも手を出して欲しくなかった!」


 愕然とした顔で絶叫して、オーリは敗北の確定したボードの前でがくりと肩を落とした。なんか自分で作ったはずの駒が悪魔の手先みたいに思えてきた。安楽椅子でくつろぐ名探偵の如く素知らぬ顔で顎に手を当てているラトニが憎たらしい。


「で、メープルシロップを作るのは簡単なんですか?」

「簡単だよー。細い木の筒みたいなの使うの。ラトニも今度見に行ってみる?」

「是非」


 木製のストローのようなものを幹に差して、樹液を集めて煮詰めて濾過。それで充分商品になるものが出来上がるのだからありがたい。尤も、フードで顔を隠したヘンな子供が二人になったら、村人たちはぎょっとするかも知れないが。

 どの手が悪かったんだとぶつぶつ言いながらボードを睨み付けているオーリを眺めながら、白と黒が文字通り表裏一体になった駒を摘まみ上げて、ラトニがふと溜息をついた。


「しかし、メープルシロップも興味深いですが……このゲームの方も、本当によく出来ていますね。オセロ、でしたか? ルールが単純で覚えやすく、幼い子供でもすぐに遊べる。たった一手で盤上の色が大きく塗り替わるのも面白いし、チェスタや行軍将棋と違って駒が複雑でないから、量産するのも簡単だ。いっそこちらを大体的に販売出来たら、国外への輸出も見込めるのですが……」

「それはまだ無理だろうねぇ」


 残念そうに眉を下げて、オーリが続きを引き取った。

 作って露店で売るのは簡単だろうが、こんなものを個人で市場に出したら最後だ。この国で特許を取るには非常に煩雑な手続きが必要で、今のオーリにはまず出来ない。間違いなくそのままオセロはアイディアを盗まれ、三日後くらいにはどこかの大きな商会あたりから大体的に販売されることになるだろう。オーリなんかが手彫りするよりももっと丁寧に、もっと美しく仕上げられた新生オセロがあっという間に出現し、残らず客を奪い去っていくに違いない。


「だから自分でやるより、信頼できる商会を見つけたら売り込もうかと思ってるよ。独占販売までは望まないけど、ある程度継続して利益を毟り取れるお人好しで弱気な、間違えた、誠実に利益を配当してくれる真面目な商会との伝手が欲しい」

「色々台無しですよ」


 律義にツッコミを入れてから、ラトニは溜息をついた。


「もしも交渉に行く時は、僕も付いて行きますからね。あなたは変なところで人が好いから、騙されないか心配です」

「ラトニはどこにでも一緒に行きたがるよね。まあ、心強いけどさ」


 ラトニは自らがオーリの先に立つことはあまりないが、代わりにオーリの行く所へならばヒヨコかカルガモみたいに何処へでも付いてくる。彼は度々オーリの手に触れたがり、一度繋いだ手を解くのを嫌った。

 人恋しいのだろうか、と考えたこともある。けれどラトニは、孤児院の大人や子供達にはあまり興味がないようだった。傍に居ない両親のことさえ、彼が感情を込めて話すのを聞いたことはない。ラトニが意識を向けるのは、いつだってオーリに対してだけだった。


「あなたが行く所になら、何処にでも行きたいと思っていますよ。あなたが為してきた全てを知りたい、あなたがこれから為す全てに立ち会いたい。僕はそのために、こうして飽きずあなたに会いに来ているのですから」


 恋を囁くような言葉を告げて、ラトニは口元だけで小さく微笑んだ。オーリは少し眉を下げ、困ったように笑い返す。

 時折奇妙な重さと深さを覗かせるラトニの言葉の意味が分からないオーリには、彼の言葉を真っ直ぐ受け取ることはまだ出来なかった。ぽつりと落とされたラトニの呟きは、オーリの耳には聞こえない。


 ――だから、もう二度と僕をおいていかないでくださいね。

※ラトニ・キリエリル

 イグリット孤児院所属。オーリに奇妙な執着を見せる、現在六歳の少年。無表情ツンクール。

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