38:帰還
行きと同じ日数をかけてようやく到着した、この世界でのオーリの故郷は、ロックダルの馬車に引かれて戻ってきたオーリを懐かしい空気で迎え入れた。
ちょっとイロイロ後ろ暗い事情も多いとは言え、自分が生まれ育った街ともなれば愛着はひとしおである。
ほぼ二月という期間を開けて帰ってきたシェパの街は、見慣れた造形が妙に感慨深かった。
(まあ、大規模な区画工事があるわけでもなし。そうそう見た目が変わるはずもないって言われれば、それはその通りなんだけどねー)
自室から見える窓の外、広がる山と街並みは、白く雪を被って輝いている。
頬杖を突いてその光景を眺めながら、オーリは新しく贈られた白熊のぬいぐるみを抱え込み、王都の景観を思い出していた。
王城に時計塔に貴族街、芸術的に整えられた様々な建物が集うあの街は、それ以外にも国内外から沢山のものが集まっていて、実に見応えがあったと思う。
そんな王都ほどではなくても、侯爵家の領地であり本家一家が住まうシェパの街は、小さな領地の町々とは比べようもないほど栄えているのだろう。
(そう言えば私、シェパでは意外と遊んでないな。家畜の競売とか朝市とか、一度くらいは行ってみたいんだけど)
ふわふわの白熊に頬擦りしつつ、オーリは小さく首を傾げる。
思い返せば、彼女は一年以上駆け回っているはずのシェパの中では、気儘に観光をすることなど逆に出来なかった。
何せただでさえ外出時間に制限がある身だというのに、オーリの行動範囲は異常に広い。
町や村での助っ人、ストリートチルドレンの縄張りへの顔出し、薬師修行。加えて地元であるために、王都よりも入念に身元を隠さねばならない。
はっきり言って、大の大人でもこなすのが難しい量である。オーリに人並み外れた身体能力が備わっていなければ、間違いなく途中で潰れていただろう。
(でも、地元のことを知らないっていうのもおかしいし……これを機に、もう少し生まれ故郷での見聞を広めてみても良いかも知れないなあ)
高度な変装の手段を手に入れた分、幾分融通を利かせても良さそうだし、とか。
そんなことを考えながら、彼女は背後でメイドが頭を下げる気配を感じていた。
「――ではお嬢様、先生から渡された教材は棚の中に入れておきますね。青のインクは、次回までに補充して参りますので」
「うん、ありがとう!」
にこー、と振り向き無邪気に笑ってみせて、オーリはメイドに礼を言った。
くすんだ金髪のそのメイドは、まだオーリの世話をするようになって日が浅いものの、わざわざ寄越されるだけあって流石に手際が良いようだ。
アーシャとさして変わらない速さで片付けを終えた彼女は、ぬいぐるみを抱き締めるオーリに微笑ましそうな目を向けた後、必要事項を伝達して速やかに退室して行った。
(うーん、あの目、多分寂しがってると思われたんだろうなぁ……)
モコモコと可愛らしい白熊の頭を撫でながら、オーリは最近使用人たちから向けられることが多くなってきた眼差しに苦笑した。
現在、オーリの傍には傍付き侍女も、水色の小鳥も存在しない。
王都であれほどべったりだったクチバシは、オーリがシェパに着くか着かないかの頃、ふいと何処かへ姿を消してしまった。
止める間もなく馬車から飛び去ってしまった小鳥に茫然とするオーリを見て、一緒に乗っていた父オルドゥルも、流石に哀れに思ったらしい。
今度は逃げられないよう首輪を付けて、新しいペットを買ってやろうかと言われたが、オーリは珍しく本気でしょんぼりしながら断った。
ちなみに、帰還に合わせて一緒にシェパに連れ帰ってきたアーシャの方はと言えば、現在彼女の実家で静養中である。
昏睡からは既に覚め、回復の兆しも見せている彼女だが、眠りっぱなしで体力も落ちているし、また仕事が出来るようになるには今少し時間がかかるだろう。
常にオーリの最も近くにいた一人と一羽が欠け、代わりはいらないと駄々を捏ねる――或いは健気に待ち人を待つ子供に、使用人たちの目は基本的に生温かい。
寂しがる子犬のように思われていそうで複雑な気持ちになりながらも、手持ち無沙汰にぬいぐるみを弄ることが増えたのは――まあ、全てがポーズだとも言わないが。
――はふ、と息を吐いて、オーリはベッドの上に投げ出された、鳥のぬいぐるみから視線を逸らした。
抱き締めていた白熊のぬいぐるみを棚に置き、代わりにピンクの兎のぬいぐるみに手を伸ばす。
その中から引っ張り出したのは、いつものオリーブ色の上着だ。
冬用の上着など持ってはいないが、下に着込んでいるので問題はない。暖かい室内にいる時でも、メイドはオーリにせっせと厚着をさせたがった。
(まあ、寒さで体調を崩す人が出てるからでもあるんだろうけど)
優秀なアーシャが欠けた上に、最近は体調不良を訴える者も増えている。
お陰で人手が足りないという愚痴を小耳に挟んだオーリは、それを理由に自らの世話をする使用人を最低限に減らさせた。
執事やメイドは渋ったが、元よりオーリは年齢のわりに手がかからない。「アーシャが戻って来れば元通りになるから」で押し通せば、実際に年明けが近くて忙しいのも手伝って、「一人でも大丈夫」というオーリの主張は何とか受け入れられたけれど。
「さーて、ラトニは怒ってるかなぁ……?」
使用人たちを遠ざけて、作り出したのは一人の時間。
随分長い間放置してしまった相方の顔を思い出しながら、オーリは上着の袖に手を通した。
シェパに帰ってきて、五日。
今日は帰還後初めて、オーリが屋敷を抜け出す日である。
※※※
からりと乾いた真冬の空気が、フードを被った頬をちくちくと刺す。
年も終わりに近付いて、道行く人々には皆、どこか浮ついたような気配が感じられた。
この国には、日本のように年末を祝うという習慣は無い。代わりに新年は盛大にやるそうで、年明けの休みや祈年祭に向けて、店内のものを売り尽くそうとしている店も多くある。
見回せば、周囲の人々はマフラーやコートに顔を埋め、せかせかと寒そうに歩いている。
そんな人通りを器用に縫って進みながら、オーリはだんだんと違和感が大きくなっていくのを感じていた。
――ラトニが現れない。
(……おかしいな。いつもなら、そろそろ顔を見せてくるはずなのに)
きょろきょろ眉を寄せて見回しても、あの前髪を長く伸ばした無表情な少年の姿は、ストリートのどこにも見つからない。
今までなら、オーリが街に出てくると、ラトニはどうやってかそれを察知して、早々に姿を現した。
それはまるで、合流までの時間すら惜しいというように。
或いは、オーリが自分を置いて何処かへ行ってしまうのを恐れてでもいるかのように。
(歩き回らずに、何処かで待ってるのかな? 私が孤児院まで迎えに行くのは好かない様子だったし……いつもの場所から見てみようか)
内心首を傾げながらも、まだ自分の帰還を知らないのかと思いつつ、オーリはまず馴染みの空き地にやって来た。
投棄された木箱や建物に囲まれた小さな空き地は、よくオーリとラトニが屯って、雑談やオセロに利用している場所である。
やっぱり人けのないそこに、オーリは足を踏み入れて、
地面を踏み抜いて垂直に落下した。
「――ホギャー!!?」
衝撃と驚愕に両目をかっ開きながら、ズドーンと轟音を立てて地面に嵌まり込んだオーリは、思わず顔のデッサンを崩して間抜けな絶叫を上げていた。
咄嗟に万歳の姿勢を取ったお陰で腕は二本とも自由だが、体は足元から胸まですっぽり地面に埋まっている。穴の直径が丁度オーリの体格にジャストフィットするサイズだったせいで、体と地面の間には指を突っ込む隙間もなかった。
まるで地面から自分の上半身が生えているかのような光景に、オーリの口元がひくりと引き攣る。自然現象とは思えない不自然な穴に、不吉な予感がざわりと蠢いて。
――ゆらり、と。
建物の陰から現れた影の存在に、オーリは一瞬気付かなかった。
ぐわしっ、と背後から頭を鷲掴まれ、オーリの顔が盛大に強張る。冷たい声が降ってきて、頭を掴む右手に力が籠もった。
「……おやおや、こんな所にでっかいマンドラゴラが。収穫するべきですかねぇ?」
「ギャアアアアアア痛い痛い真面目に痛い! ぐいぐい全力で髪引っ張らないで真面目に抜けちゃうから乱暴はらめえぇぇぇぇっ!」
じたばたと暴れ狂うオーリに、開口一番彼女を呪的植物扱いした少年――ラトニ・キリエリルの目は据わり切っていた。
左手まで動員してオーリの頭を抱え持ち、本気で引っこ抜こうとしているのではないかと疑う強さで更に力を入れる。地面から引っこ抜いてくれるなら良いのだが、この場合はオーリの首を胴体からもぎ取ろうとしているようで恐ろしい。
「これは一体どんな薬になるんでしょう。ジョルジオさんに差し上げたら喜びますかね……干して千切って刻んで煮込んで……」
「オォォイ私これでも人間だからね!? ちょっと特殊な形の薬草とかじゃないからね!? もうやめてアナタぁ、DVは妻の心も体も壊してしまうものなのよ!」
「……………………、……やっぱり頭まで埋めてやります」
「今なんで押し込む方向に気が変わったの痛い痛いコレほんと真面目にきついから! ごめん! 真剣に謝るからまず会話から始めてくださいごめぇぇぇん!!」
気軽に人を弄びやがってこの尻軽がと舌打ちするラトニに、そろそろ涙目になりながらオーリは抗議を繰り返した。
なんかキミ、ちょっと見ない間に随分口悪くなってない!?




