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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
王都編
38/176

37:そして拍手

 いよいよ明日はシェパに向けて出立するという日の午後、いつものように幻影で変装したオーリはシエナの喫茶店に挨拶に来ていた。

 今は前世で言う十二月、こちらで言うシゥスの月。それも既に下旬となれば気温は一桁をあっさりと割り、道行く人々は特産品であるコトン毛皮や綿の防寒具で分厚く武装している。

 オーリもいつもの上着の下はモコモコとした毛皮のニットとスカートで、マフラーの下にクチバシを巻き込み、白い息を吐きながらここまで歩いてきたものだ。


 オーリが王都を離れると聞いて名残を惜しんでくれたシエナは、それなら道すがら食べなさいと、奥でお菓子を包んでくれているところだった。何でもコトンミルクを使った自家製のクッキーだそうで、食べるのがちょっと楽しみだ。


 一時は昼休みを取る暇もないほど繁盛していたこの喫茶店は、最近新メニューの物珍しさも薄れ、客足が少し落ち着いてきたらしい。店主であるシエナの父が妻の田舎を訪問するため、昨日から休みにしているのだとオーリは聞いた。

 風邪を引いたお祖父ちゃんのお見舞いだって言ってたけど、本当は母さんを連れ戻しに行ったのよ。のんびりと笑って、シエナはそう話していた。


 一般客のいないカウンターに陣取るオーリの前には、シエナが淹れるいつものミルクティーと、フレンチトーストが置いてある。食欲がなくて朝と昼をほとんど食べていないと言ったオーリのために、メープルシロップではなくチーズとハムを添えてくれたそれは、とろりと溶けたチーズが絡まって美味しかった。


 そして、そんなオーリの二つ隣に座っているのは、たまたま訪れて来た馴染み客のエルゼ・マックルーアだ。

 今日も今日とて紫銀の頭髪を輝かせる美貌の自称冒険者、実際にはこの国で一、二を争う有名人である若き公爵家子息は、ぎしぎし軋む椅子に腰を据え、堂に入った仕草で安物のカップを傾けていた。


 ――そう言えば、結局エルゼさんが変装に被ってる幻術がどんなものなのか、見る機会がなかったなあ、とか。

 オーリがそんなことを考えながら、時折指をつついて催促してくるクチバシにも分けてやりつつもぐもぐとフレンチトーストを咀嚼していると、徐にエルゼが口を開いた。


「以前から騒がれていた事件だけど、犯人が見つかったそうだよ」


 ぽつりと言われたその言葉に、オーリのフォークが一瞬止まる。けれど、すぐに何事もなかったかのように手を動かし始めながら、きょとりと首を傾げてみせた。


「へぇ。じゃあ、事件はもう解決したってことですか?」

「ああ。犯人が見つかった二日後に、匿名で薬も送られてきている。あれを調べて量産すれば、昏睡中の被害者たちもいずれ目覚めるだろう」


 エルゼは犯人が『見つかった』とは言っても、『捕まえた』とは言っていない。その辺りの微妙なニュアンスには気付かなかった振りをして、オーリはパンとチーズの最後の欠片を飲み込んだ。


「先だっての夜、時計塔の下で発見された時、犯人は薬の類は何も持っていなかった。色々と妨害もあって情報が錯綜していたから、もしも親切な誰かが届けてくれることがなければ、被害者へのケアはもっと遅れていただろうな」

「へぇ」


 あまり興味がなさそうに短い単語を繰り返すオーリにも、エルゼは気を悪くする様子はない。

 また一口茶を啜って、ちろりとオーリを横目で見た。


「……ちなみに、俺が聞いた話では、その薬は郵便鳥を使って警備隊詰め所に送られたようなんだが――」


 そこで一旦言葉を切って、エルゼはわざとらしく間を空ける。

 胡乱げな視線で見上げてきたクチバシにニコリと笑いかけてみせ、音を立てずにカップを置いた。


「調べてみると、どうやら薬が届くその前日、王都の郵便屋に、見覚えのない子供が一人、小荷物を頼みにやって来たらしい。

 明るい金髪に碧眼の、丁度リアちゃんくらいの女の子だったそうだけど――おかしなことに、その子が店にいる間、郵便鳥たちが妙に怯えていたそうでね」

「……へ……へぇ」


 ちょっとどもった。


 思わず目を泳がせるオーリに、エルゼはカウンターに肘を突く。組み合わせた両手の甲に顎を乗せ、爽やかな笑顔をオーリに向けた。


「リアちゃん、何か言いたいことはないかな?」

「……な……何も」


 どう見ても疚しいことがありますよ、みたいな顔でたらたら冷や汗を垂らしながら、オーリはエルゼから距離を取るようにそっと体を横にずらした。

 ずらした分だけエルゼが間を詰めてきて、クチバシの目が少しだけ鋭さを増す。二人を遮るようにオーリの肩に飛び乗って、水色の小鳥は心なしか羽を逆立てた。


「――リアちゃん」


 低い、落ち着いた声で名前を呼ばれて、オーリはびくりと肩を揺らし、数拍置いてゆっくりゆっくりそちらを向く。

 それから、ひぃ、と引き攣った悲鳴を上げた。


(――ぎゃああああ、なんか壮絶に色っぽい顔してるうううううう!!)


 それはまさしく、あの夜会で出会った『エイルゼシア・ロウ・ファルムルカ』の表情だった。

 何一つ言葉を紡がずとも、眼差し一つで全てを語り、操る人種。吊り上げた唇は艶を含み、微笑み一つで人の心を支配する。


 言うなれば、生まれながらの強者だけが見せられるような顔である。

 間違っても、以前シエナが『エルゼ・マックルーア』を評して言っていた、「そこそこの美形ではあるが、一目で意識を惹かれるほどのものではない」レベルの容貌でやってみせる表情ではない。


 ――まさかまさか、このにーさん……っ!!


 ありとあらゆる嫌な予感に蒼白になって震え出すオーリの髪をするりと手のひらで掬い上げて、エルゼは満面の笑顔を浮かべた。

 心底楽しげに、「さてこの子ネズミどうやって遊んでやろうかな」と考える、優美な猫のような顔だった。


 ――ビィッ!!と苛立ったような鳴き声が耳を打って、硬直していたオーリは我に返った。

 勢いのままに立ち上がり、彼女は全力でエルゼと距離を取る。


「すすすすすすすみません私そろそろ帰らなきゃいけないんで! シエナさん遅いですね私ちょっと挨拶してきますよエルゼさんはゆっくりしててくださいあなたをパシリに使うなんて勿論そんなことさせませんからええどうぞ寛いで待っててくださいね遠慮なく自分の家だと思って!!」

「別にここは俺の家でも君の家でもないんだけどね」


 さくりと一言突っ込んでから、エルゼは割合あっさり身を引いたようだった。

 ヂィィィとこちらを威嚇しているクチバシにひらひら手を振ってみせながら、忙しなく奥へと駆け込んでいくオーリの背中を見送る。


「次に会う時は、本当の名前と顔を教えてくれよ、リアちゃん」


 かけられた言葉に、オーリはビシリと固まって。


 一拍置いて、「女の子の秘密を暴いちゃいけないんですよぉぉぉぉぉ!!」という絶叫を残して逃げていった彼女に、青年は今度こそ、声を上げて笑った。




※※※




「――ヴィアレンフィル様」


 低くもはっきりとした馴染みの声の呼びかけに、その少年は読んでいた本からゆっくりと顔を上げた。

 左目にだけかかった前髪が、少年の動きに合わせてさらりと揺れる。傍らで礼を取る近侍(ガヴァネス)を見て、彼は細く白い首をことりと傾げた。


「何だい?」

「兄君がお呼びでございます。珍しい食材が入ったので、今夜のご夕食のお誘いだと思われますが」

「何だ、その程度なら料理人に言伝るくらいで良いのに」


 肩を竦めて少年は呟く。近侍は表情一つ変えず、主の言葉に淡々と返した。


「ヴィアレンフィル様は、まだ八歳でございますから。ご両親もとうに亡くされておられれば、兄君も何かと気遣っておいでになるのでしょう」

「そっか。まあ、良いよ。あのひとの自慢話を聞くのも、ぼくの大切なお仕事だ」


 言いながら、少年はゆったりとした仕草で読みかけの本に栞を挟んだ。

 白銀の縁取りを施された、金属製らしき薄手の栞だ。表面には濃い藍色で、大きく翼を広げた鳥の絵が描かれている。


「読書のお邪魔をしてしまいまして、本当に申し訳ありません」

「別に良いよ、どうせ結末の読めた推理小説だからね。今、連続殺人事件の犯人が、武器を持った元恋人に追い詰められているところ」

「クライマックスでしたか。結末は心中か何かで?」

「ううん、多分、犯人の自殺で終わるんじゃないかな。自分はもう逃げられないけれど、元恋人の手を汚させたくもない。決死の覚悟で追いかけて来た元恋人の心の傷にならないために、犯人は殺される前に死んでみせる。それが遺される元恋人への、せめてもの餞だと信じてね」


 つまらなさそうに語る割には、彼は存外丁寧な仕草で本をテーブルに置いた。

 それから、ふむ、と小さく独りごちて、長く艶のある睫を瞬かせる。


「――ねえ、お願いがあるんだけど」

「何でございましょう」


 すぐに応じた近侍に、少年は人差し指で本を軽く叩いてみせた。


「この栞、綺麗なのは良いけれど、傷が付きやすくてね。新しいのを用意して欲しいんだ」

「畏まりました。デザインなどにご注文はございますか」

「木製の、濃茶色のものが良いな。小さな石が一つ、嵌まっていれば尚良い。青みがかった灰色の、綺麗な飾りが欲しいんだ」

「すぐに手配を致します」


 答えた近侍から目を逸らし、少年は静かに椅子を立った。


「着替えは――必要ないね。プライベートで呼ばれたのなら、わざわざ正装で行くこともない。きみは後からおいで、ぼくは他の者を呼んで行く」

「はい」


 一礼する近侍の傍を抜け、少年は別室へ行こうとして――ふと、思い出したように足を止めた。


「ああ、忘れるところだった」


 くるりと近侍を振り向いて、少年は再度口を開く。深淵を閉じ込めたような色の右目が、ゆるりと暗さを増した気がした。


「最近王都で起きていた事件の関連資料と、エイルゼシア卿に関する報告書――全部読み終えたから、この後すぐに焼いておいて。灰もきちんと確かめるんだよ」

「すぐに実行致します、我が主――ヴィアレンフィル・ロア・フヴィシュナ王弟殿下」


 深く頭を下げる近侍を残し、黒い髪に黒い瞳の、どこか儚げな美貌を持つ幼い少年は、それきり彼に興味をなくしたようにさっさと部屋から出ていった。


 主の足音が消えたのを確認して、近侍もまた、足早にその場を後にする。

 無人となった瀟洒な部屋の真ん中、ぽつりと寂しげに残された本だけが、無言で誰かの手が触れる時を待っていた。



 変装が金髪碧眼だったのは、単にオーリにとって一番イメージしやすい「外国の女の子」が金髪碧眼だっただけ。金髪碧眼コンプレックスが抜けていない元日本人。郵便屋では、オーリのポケットにクチバシが隠れていたらしい。

 王都編終了です。次はシェパから。


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