35:刃の重みを教えてくれよ
爆発するような轟音を立てて時計塔の床を蹴ったオーリの姿に、けれどクロードは自らの動きを急停止させ、暗い色の瞳を見開かせた。
何故なら、今まさに突撃せんとばかりの構えを取っていた少女が進んだ方向は、前でも横でもなく斜め後ろ。『向かってくる』少女を迎え撃つためにか振り上げかけたクロードの腕が、行き場を失ったように硬直する。
意表を突かれた青年が作った隙に、オーリは過たず付け込んだ。ナイフを持っていない左手を、まるで何かを引っ張るように動かすと同時、擦れるような音がクロードの耳を微かに打つ。
「なっ――!?」
立て続けの不意打ちに驚愕の声を上げるクロードの両足に何かが勢いよく絡みつき、釣り上げられるように真上へ浮いた。
逆さ吊りになったクロードの顔面目掛け、オーリが何かを投擲。ダガーの柄を当てて叩き落とす、と見せかけて、振り子の反動と腹筋を使って体を持ち上げて回避したクロードが、天井からぶら下がる見えない何かを片手で掴み、もう片方の手でダガーを振るって掻き切った。
「うまく幻術を使ってるじゃないか!」
恐らく床に仕掛けられていた長いロープがクロードの足に巻き付き、天井を経由して床に固定されていたのだろう。
幻術の覆いによって不可視となった物体は、しかし実体までは失わない。感触を頼りに容易く位置を把握されたロープは、一薙ぎで断ち切られて床に落ちた。
一方オーリは容易くトラップが外されたことに舌打ちする。クロードの顔面に当たれば短時間昏倒させることができた程度の弱い睡眠薬を詰めた袋は、虚しく床に落ちて中身を飛散させ、あとは空気に溶け消えるばかりだ。
彼女は再び手を閃かせ、飛び降りたクロードの両足が床に付くタイミングで、その足元目掛けて何かを投擲。反射で下がったクロードの体が、大きく二歩分を移動して――
「【氷結起動】!」
叫んだオーリに危険を察すると同時、その足元から冷気が噴き出し、猛烈な勢いで凍り付いていった。
先程投げたのはただの小石。本命はあらかじめ床に転がしておいた、小さな氷結の封珠である。
こちらも「不可視」の幻影に隠されていた氷結封珠が、オーリの鍵言葉を合図にその内包魔力を表出させる。ビキビキと音を立てて透明な氷が生み出され、クロードの足首から下が見る見る床に張り付けられた。
――捕らえたかっ!?
フードの下で眼差しを鋭くするオーリの前で、しかしクロードは一瞬眉を寄せるに留める。
素早く身を屈めた彼の手が氷に触れると同時に、しゅう、と音を立てて氷が消えた。
溶けたのではない。文字通り、幻のように消失したのである。
(駄目か。やっぱり魔術の無効化能力を持ってるっていうのは確からしいな)
舌打ちせんばかりに顔を顰めて、オーリはクロードのスキルを再確認した。
二度目に会った時、強盗冒険者の操っていた炎を掻き消したのもこの力だろう。とは言え、やはり魔術を無効化するには手で触れないといけないらしい。ついでに使い勝手にも、些か制約があると見た。
「随分容赦がないね、リアちゃん! 知り合いのよしみで、ちょっとくらい手加減してくれないかな!?」
「クロードさんこそ、子供相手に刃物持ち出すなんて大人げないですよっ!」
「如何せん、僕は戦闘力なんて皆無に近いものでね!」
軽口を叩き合いながら、一方的な攻防は続行される。
オーリが足を狙って投げ付けてくる小石や木片を、クロードは絶え間なく移動することで避け続けていた。何せ床に着弾する小石はやたらと鋭い音を立て、木片に至っては衝撃で粉砕されているのだ。当たり所が悪ければ、骨くらい簡単に罅が入るだろう。
そうして幾度目かの回避をした瞬間、クロードの足が見えない何かを踏み抜いてしまう。同時にガタンと音がして、頭上から冷たい何かが大量に降ってきた。
(これは――水!?)
ぎょっと見上げたクロードが、その水が『閉ざされたままの天窓を』『真っ直ぐ突き抜けて降ってきている』ことに気付いたと同時、冷たい感覚が背筋を撫でた。
「【氷結起動】!」
「ここにもかっ!」
なりふり構わず、身を投げ出すように跳躍したクロードが一瞬前までいた地点で、硬質な異音を立てて水が凍り付いた。
――バキィンッ!
一滴残さず結晶と化し、キラキラ光る氷の塊となった床を振り向いて、クロードは青ざめた顔を引き攣らせた。
もしもあのまま留まっていたら、クロードは全身を濡らす水ごと凍り付いていただろう。オーリはクロードを睨む目を細め、唇を獰猛に吊り上げた。
「ふぅん……やっぱりあなたが干渉出来るのは、魔力で構築されたものだけなんですね。魔術の氷を消すことは出来ても、水を凍らせて作った氷を溶かすことは出来ないのか」
わざとらしく呟いたオーリに、クロードは苦々しそうな顔をする。
否定したいが反論できない、といったところだろうか。頭から滴る水を乱暴に払って、彼は肌寒い空気に身を震わせた。
「成程。トラップにだけ幻影を被せているのかと思ったら、君はこの部屋中を幻影で覆って『いつもの時計塔』を装っていたんだね。実際にはあちこちに罠を仕掛けているにも拘わらず、それを僕の目から隠すために――それこそ、自分の体に変装の幻影を被る余力すらないくらいに」
仕返しとばかりに切り返されて、オーリも僅かに眉を動かす。
もしもあからさまに天窓が開いていたなら、クロードも警戒しただろう。いつもは閉め切られている天窓が堂々と開いているとなれば、まずは罠を疑うのが道理である。
――クロードは気付いている。幻術特化の高位魔術具である黒石の力を借りて尚、オーリに余裕がないことを。そして何より、オーリが自らの素顔を晒すことを避けたがっていることに。
クロードが何事か呟いたかと思うと、数秒熱気が発生して彼の全身を包み込んだ。雫を滴らせていた水気が飛んで、彼の肌身と服を乾かす。
ずっと濡れたままだったら寒さで動きが鈍ってくれただろうに、と、オーリは性格の悪い落胆を覚えた。
「で、そうだとして――私の隙を見つけたクロードさんはどうするおつもりですか?」
ざり、と靴底で床を擦って、オーリがクロードを挑発した。かかってこいと言わんばかりの台詞に、クロードもまた努めて不敵に目を細める。
「そうだな――なら、こうするよ」
告げると同時にクロードが放った封珠は、二人の間に強烈な閃光を生み出した。咄嗟に腕で目を庇ったオーリは、クロードの気配が右方向へとダッシュをかけたのを悟って顔を歪める。
「チッ――!」
クロードが走った方向に見えているのは、階段へと繋がる一枚のドアだ。もしも部屋から逃げられてしまえば、捕縛は一気に難易度を上げる。
――読まれたかっ!
心の中で吐き捨てて、オーリは自分の策が外れたことを理解した。
そもそも、素顔を見られるリスクを押して尚、オーリが部屋中を幻影で覆った理由は、見えない罠を暗示してクロードに対する抑止力とするためである。どこにどんな罠が仕掛けてあるか分からないと思わせれば、自然、恐れと警戒から、移動の足取りは鈍くなるから。
しかし同時にクロードも、これまでの攻撃から読み取ってしまったのだろう。
即ち――『オーリには、時計塔そのものの機能を傷付けるほどの攻撃を使うつもりはない』ということを。
今度こそ隠すことなく舌を打って、オーリは迷わず彼を追尾した。
あちこちに仕掛けた封珠のほとんどは、一定範囲内に誰かが踏み込めば発動するタイプか、或いは事前に自分の魔力を込めることで使い手登録をし、鍵言葉を発して発動させるタイプのものである。
前者はともかく後者は、発声というタイムラグが必要な分、クロードの移動速度に追い付かない。範囲指定型の封珠が二度ほど発動したが、いずれも感知され、クロードの手のひらに無効化されたようだった。
(もっと満遍なくトラップを仕掛けられていれば……ああいや駄目だ、封珠の魔力が時計塔の魔術機構に妙な干渉を起こさないとも限らない)
困ったことに、予算と手間の関係から、この部屋のトラップの空白は意外と多かったりする。
大きな原因としては、オーリが元より外出時間の限られている身であること、また道具の調達をほぼ他人に頼らねばならないことが挙げられる。
何よりも、『この部屋中をトラップで埋め尽くし』『その位置を寸分違わず全て記憶し』『それらを完璧に活用し切る』技量など――残念ながら、オーリは有していなかったのだ。
足りない分はハッタリでカバーできれば良かったが、やはり今回は外してしまったようである。
意外と逃げ足の早いクロードは一足先にドアへ到達してしまい、オーリは足に力を込めた。
気休めではあるが、ドアにも幻術をかけている。数秒でも止まってくれれば、身体能力で上回るオーリが追いつくことも出来るだろうが――
(そしてこっちも即バレたし!)
しかし、オーリの目論見はあっさり外れた。クロードは目前にあるドアではなく、その右寄りへと進路をずらしたのだ。
幻術で壁に描かれた偽のドアの隣、彼の掴んだ虚空こそが――。
「まだ黒石を完全に使いこなせてはいないみたいだね。リアちゃんの幻術は、表面を覆うだけの影に過ぎない。幻影に隠されて、ドアは確かに存在しているんだ――僕が何回この部屋に来てると思ってるのかな!」
クロードに触れられると同時にしゅうと音を立てて幻影が解け、しっかり掴まれたドアノブとドア本体が、そこに姿を現した。
あっさりと破られたトラップに、オーリは奥歯を噛み締める。
――ああ、全くもって正解だ。
そもそもクロードは、オーリと戦う必要など何処にもありはしなかった。ここでの最善は、オーリの仕掛ける全てを無視して、真っ直ぐ逃げてしまうこと。
――けれど。
「逃がっ――」
蹴り飛ばした床がぎしりと軋む。クロードの手の中で、カチンと音を立ててドアの鍵が勝手に開いた。
こじ開けたドアの向こうに、上下階へと続く階段が見えた。オーリは力一杯床を蹴って、一気にクロードに肉薄する。
逃がすわけにはいかないのだ。ここで見失えば、オーリにはもう、再度クロードをおびき寄せる手段など無い。
「――してっ――」
振り向いたクロードの手が閃き、オーリ目掛けてダガーを投擲。
足止めのつもりだったのだろう、顔面を狙って飛来してきた細いダガーを、オーリは首を逸らすだけで躱してのけた。
ビッ、と頬に刻まれる灼熱。一瞬たりとも速度を緩めず突っ込んできたオーリに、クロードが大きく目を見開く。
「――たまるかあぁぁぁぁぁっ!!!」
ドアの向こうへ消えようとしたクロードの手首を、オーリの手が鷲掴んだ。
怒声のような絶叫と同時に、腰を落として半身を引き、その手を全力で引き寄せる。
大人どころか野生の剛猿にさえ比肩し得るような怪力に、クロードの体が勢い良く宙を舞った。
「えっ、嘘、ちょっ……!!?」
引き攣ったようなクロードの悲鳴は、投げられた野球ボールのような速さでオーリの真横を通り過ぎた。再び部屋の中へと強制連行されたクロードが、床に叩き付けられて苦鳴を上げると同時、オーリはドアを蹴り閉める勢いでターンしている。
床を踏み切る破裂音。
一足飛びに間合いを詰めたオーリを避けて、クロードが床を転がった。床に手を突いて身を捻り、伸び上がるような後ろ回し蹴り。
伸び切った足を掴んだオーリが力を込める直前に、クロードの足が進行方向を変えた。振り落とされた踵落としを回避して、オーリは獣のように手を突いて跳躍。
半秒の間も置かず、攻防は続く。姿勢を崩した彼女から距離を取ろうと、クロードは更に後方へと跳んで体勢を整えた。
更に追い掛けるように踏み込んだオーリが右手のナイフを上下逆に返し、柄の底を突き上げる。顎を狙った一撃を、クロードは紙一重で仰け反って回避。
茶色みがかった黒い瞳が、間近にオーリを映し出す。ギラギラと闘争心を剥き出しにした、油断のない少女の眼差し。フードの下で輝く青灰色の眼光が、刹那、軌跡を描いて彼の視界から掻き消えた。
「ぐっ――!?」
繰り出されたのは、死角に潜り込んでからの体当たり。単純ながら極めて威力の乗ったオーリの特攻は、クロードの腹に肘をねじ込み、再び彼を床に叩き付けていた。
息の詰まる感覚と、次いで込み上げる咳に吐き気。
左手を少女の足と床に挟まれ、クロードの上げかけた苦鳴は、胸の上に乗り上げた少女の体重に潰されて。
――けれど、その瞬間。馬乗りにしたクロードの口元が、いつの間にかコートの布で覆われていることに気付いて、オーリの思考が動きを止めた。
クッと目を見開くオーリの眼前に、クロードの右手が突き出される。その親指と人差し指が摘まんでいるのは、薄い薄い透明の殻に包まれた、さらさらとした緑色の――
――パキンッ――
軽々しいほどに軽快な音を立てて、指の間で殻が砕けた。
バッと舞い上がる緑の粉が、至近距離でオーリの顔面に襲いかかる。青臭い薬の匂いと共に猛烈な眠気に襲われて、オーリは粉の正体を悟った。
眉間にきつく皺を寄せてこちらを見上げる、クロードの顔。
それを最後に、オーリの意識がぐらりと揺れて――
「――――っがあああああああああああああああっっ!!!」
取り落としかけたナイフの刃を、オーリの右手が力一杯鷲掴んだ。
細い喉を極限まで酷使し、空気がビリビリと震えるほどの絶叫を上げる。動揺したようにぎょっと息を呑み込んだクロードの胸倉を、オーリの左手ががっちりと拘束して。
「リ――」
鬼の形相で自分を見下ろす少女に、掠れた声は一体何を言おうとしたのか。
次の瞬間、隕石の如く振り落とされた強烈な頭突きの一撃が、クロードの額と意識を問答無用で打ち砕いていた。




