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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
王都編
32/176

31:無自覚の毒は猫を殺すか

 それから三十分間の記憶は、いまいちうっすらとしている。


 とんでもねぇ真実を掴んでしまったことと、フヴィシュナトップクラスの貴人兄妹を前にしたことから、最早隠しようもなくガタガタ震える手で何とかファルムルカ兄妹との会談を乗り切ったオーリは、現在休憩室の一つに潜り込み、ぐったりとソファに埋もれていた。

 オーリの私室ほどの広さがあるこの休憩室は、奥に五つの扉があり、それぞれがベッドやソファの置かれた小部屋に繋がっている。

 全ての小部屋が無人であることを示すように、どれも僅かに隙間を開けられた扉の、更に一番右がオーリのいる場所だ。

 やたら豪華な休憩室の周辺は、ホールから遠いこともあって人気がない。


 扉を閉め切る手間も惜しんで入り込んだ小部屋で、オーリは深々と息を吐いた。


(……疲れた……)


 あの後ファルムルカ兄妹は、しばらくオーリと話したのち、人に呼ばれているとかで揃って立ち去っていった。然程長い時間ではなかったが、体感的にはその十倍にも感じられたと言い切れる。


 何せ、オーリが『リア』だなどと知る由もないエルゼは最初から貴人オーラ全開でこちらを威圧してくれたし、リーゼロッテも負けじと薔薇のような笑顔を咲き誇らせてくれたのだ。

 恐らくエルゼのあれは、妹に近付く小娘の値踏みも兼ねていたのだろう。リーゼロッテもリーゼロッテでそんなオーリの対応をしっかり見極めてくれたから、もうつくづくあの兄妹は恐ろしい。


(いや、貴族なんだから、あれはあれで正しい反応なんだろうけどね……)


 貴族の最高位たる公爵家の次代ともなれば、背負うものもさぞかし多かろう。

 兄の方は既にして子爵の位を与えられていると聞くし、末は公爵かはたまた王かと、期待と誉は否応なく高い。

 妹も妹で、いずれは公爵家の名を携えて何処かへ嫁ぐか、或いは自らが婿を取るか。万一エルゼが国王となろうものなら彼女は王妹であると同時に、自身で公爵家当主としての名をも背負うやも知れない身分なのだ。


『オーリリア様、機会があったらまたお会いしましょうね。わたくし、もっと貴女のお話を聞いてみたいわ』


 そんなリーゼロッテが最後の最後に華やかな笑顔でそう言ってくれたものだから、周りの客たちがざわめくことざわめくこと。紅玉の令嬢直々に「次」を約束され、あまつそこに紫銀の子爵すらいたとなれば、彼らとの繋がりを喉から手が出るほど欲しがる貴族たちが浮足立つのも当然だろう。

 なので、ファルムルカ兄妹が立ち去るが早いかこちらへ近付きたそうにそわそわし始める令息令嬢たちを後目に、オーリは早々にホールを抜け出した。努めて何気なく人を避け、彼女が逃げ込んだのがこの休憩室だったというわけだ。


 ――藪をつついてもいないのに、蛇どころかライオンが向こうから寄って来た。人々が羨むオーリの現状とて、本人からすればそんなもんである。


 ちなみにフレンチトーストに関しては、「メイドにこっそり連れて行ってもらったので、食べたことがないことにしておいた」でお茶を濁しておいた。リーゼロッテの様子なら、面白がりはしても言い触らしはしないだろう。


(少し休んだら、ホールで父上様たちを探そう……)


 柔らかなクッションにごろごろと懐きながら、オーリは不機嫌な猫のように呻いた。

 再び彼らと遭遇するリスクを避けるためにも、この上ホールに留まる時間は最低限にしておきたい。

 元より呼び戻すためにリーゼロッテを探していたのだろう、エルゼが早々に立ち去ってくれたことはオーリにとって何よりの幸運だった。

 何せ、見るからに頭の切れそうなエルゼである。たとえ容姿が違っても、長時間会話をしていたら『リア』の正体に気付かないとも限らないのだ。


 如何なオルドゥルたちとて、娘に一言の指示もなく行方を眩ませたりはしないはずだ。まだホールにいるであろう彼らのどちらかを探して、一足先に帰らせてもらうことにしよう。


 ――けれど、うむうむと間抜けな呻き声を上げながら、オーリがそろそろ起き上がろうかと思っていた丁度その時。

 重い扉が開く音が聞こえて、彼女は小さく眉を寄せた。

 しっかりと休憩室の扉を閉じて、入ってきたのは二人分の足音。迷うことなく休憩室に踏み込んできた人間たちは、小部屋ではなく手前の大部屋に留まるつもりのようだった。一人がソファに腰を下ろし、もう一人はその傍らで動かない。


(……誰? 足音とソファにかかった体重からして大人みたいだけど、休みに来たのかな)


 無意識に気配を消し、出来の良い耳を澄ませながら、オーリは首を傾げた。

 小部屋の扉が開いているせいで、どうやら闖入者たちは他に人がいることには気付いていないらしい。


 まさかこんな所で、アレな逢瀬なんて始めないだろうな、とか。

 貴族の嗜みと書いて一夜の火遊びと読む風習のことを思い出し、顔を顰めた彼女は、気まずくなる前に自分の存在を知らせようとソファに手をつく。


 しかし、その行動は現実にはならず。

 次に聞こえてきた声に、オーリは咄嗟に動きを止めていた。


『――リドリー、報告を』


 短く告げられたその声は、先程ホールで聞いたばかりのものだった。

 ファルムルカ公爵家嫡男、エイルゼシア・ロウ・ファルムルカ子爵。オーリやリーゼロッテに向けられたそれより遥かに低く威圧感のある声音に、オーリは小さく息を呑んだ。

 そして、彼女が己の存在を主張するタイミングを見失っているうちに、扉の向こうでは二人の会話が始まってしまう。


『はっ。――申し訳ありません、容疑者を見失いました。ロストした地点は北区3-72-6D』

『またか。新たに潰された者はいるか?』

『北区に配置していたマダルが、担当とは別の場所で倒れているのを発見されました。これで三人目です。……エイルゼシア様、何か?』

『いや……ここ十日ほどの間に俺と接触した者ばかりだな、と』

『……エイルゼシア様の存在に気付いて警戒していると? 外では常に幻術を纏われていると思っておりましたが』

『幻術も欠かしていないし、気配も極力消している。だが、辿られるのなら俺からだと先日も言っただろう。全ての人員を把握しているのは俺だけだからな』

『貴方が関わっていることを何処で知られたのか……動いているのは警備隊だけだと見せかけていたはずなのに』

『……それについては、今考えても仕方がない。それより、差し迫っているのは発生頻度の方だ』

『はい、そちらも着実に上がっています。悪ければ二、三日中に次の事件が起こるかと』

『……回復措置の目途はついたのか』

『申し訳ありません、まだ』


 ――いつしか、オーリは体を強張らせて息を潜めていた。


 リドリーと呼ばれた部下らしき男は、固い口調に重々しい声色。年齢は、少なくとも声の印象だけならエルゼよりも一回りは上だろう。

 そして正確な名詞の少ないその会話が示唆するのは、現在最も王都を騒がせている集団魔力暴走事件のことだ。そうと理解してしまえば、オーリは最早この話に背中を向けることなどできなかった。


 ――彼女の傍付きは今も、離れの一室で静かに眠り続けている。


 かさかさと紙を広げる乾いた音がして、ソファの軋む音が続いた。トン、トン、と響くのは、指先でテーブルを叩く音か。

 しばらく間を置いて、再びエルゼの声が聞こえた。


『……やはり、発生地点が読めないのが問題だな。前回の事件もそうだった。南区で起きると予想していたのに、実際に起きたのは北区だ。もしも南区だったなら、予想サイクルを二パターンにまで絞り込めたんだが……』

『容疑者に付けていた追跡魔術も、また解除されていたようです。妨害も効かないとか』

『見つけても追えないというのは困るな。魔術を打ち消すことに長けているのか? 攻撃系統は得意でないようだが、逃げに徹されると厄介だ』

『……しかしやはり、魔術を打ち消すには少なくとも相当接近する必要があるようです。そこを狙えば何か手も』

『姿が目撃されるようになっただけまだしもだな。一ヶ月前まではそれすらできなかった』

『撹乱の可能性もあります。引き続き警戒を』


 次々と交わされる二人の会話に、オーリはじっと聞き耳を立てた。

 テーブルでは、事件や容疑者の出現ポイントが書かれた地図が広げられているのだろう。その地図を切実に見たいと思う。

 無意識に噛み締めた歯の間で、親指の爪が軋んだ。

 ――嫌な予感が、する。


『夜会の最中にお呼び立てすることになってしまい、まことに申し訳ありません』

『最優先にしろと命じたのは俺だ。あの方もまだ到着していないようだったし、問題はない。……お前たちのことは頼りにしている』

『心します。――最後にもう一つ、緊急のご報告が』


 衣擦れの音を微かに鳴らし、カチリとペンを出す音をさせて。

 声色を変えて、リドリーはこう続けた。


『例の被害者たちなのですが、昏睡状態にあった中から、一人回復した者が出ました。二十代後半の女性で、現役冒険者。先程ロワールを調査に向かわせました。パートナーだという男と共に、調べに応じてくれるそうです』


 ――ガリッ!と。


 鈍い音を立てて爪が割れ、次の瞬間扉の向こうが一気に殺気立った。


『――誰だっ!?』


 怒声にも似たエルゼの恫喝が響き渡り、オーリははっと我に返った。弾かれたようにソファを飛び降り、窓の方へと駆けていく。

 最早息を潜める理由は何処にもなかった。小部屋へと近付いてくるエルゼの気配は、確かな敵意と警戒を孕んでいる。顔を合わせるのは、どう考えてもまずかった。


「リドリー、お前は他の部屋を確認しろ! そこに隠れているのは誰だ、俺たちの話を聞いていたのか!?」


 叩き付けるように扉が開かれるのと同時に、オーリはこじ開けた窓から外へと飛び出していた。

 この休憩室は三階にある。場合によっては墜落死できる階数だが、日頃木の上や民家の屋根を駆け回っているオーリにとっては充分対応できる高さだ。

 一瞬の浮遊感の後、重力が彼女を引き寄せる。タッチの差でオーリの影を掴み損ねたエルゼの舌打ちを最後に、オーリは鬱蒼と生い茂った高い庭木の中へと足元から突っ込んでいった。


(あああ、逃げちゃった……!)


 バキバキと細い枝をへし折り、時に枝を掴んで減速しながら下へ下へと落下しつつ、オーリは悲壮に顔を歪めた。

 反射行動とは言え一度逃げ出してしまった以上、最早逃げ切る以外の選択肢などオーリに許されてはいなかった。

 年齢を前面に押し出して惚けようにも、これほど見事な逃げっぷりを見せてしまった後では誤魔化されてはくれないだろう。オーリの家名とエルゼの人格を考慮すれば、捕まっても酷い無体は働かれないだろうが、尋問を受けるのは確実だし、以降は長期間に渡って監視の目に晒されることになる。


 ――よりにもよって、エルゼさんを敵に回すなんて冗談じゃない!


 デビュタントも行っていないうちから権力者に目を付けられるという時点で、貴族社会では致命的である。

 あまつさえ、今回は相手が悪かった。

 ひとたび危険人物と判断すれば、エルゼは決して容赦しないだろう。エルゼが非道な人間だと思っているわけではないが、地位と立場のある人間は時に誰より冷酷にならねばならないことを、オーリはよく知っていた。


 数本の枝を巻き込んで危なげなく地面に着地し、オーリは即座に傍らの茂みに飛び込む。目だけ覗かせて見てみれば、どうやら容姿や体格を判別できなかったらしいエルゼが、忌々しそうに顔を顰めて身を翻すところだった。


「庭に降りたか。リドリー、すぐに人を回せ! 侵入者かも知れない、招待客に知られないよう、速やかに捕らえて俺の前に連れて来い!」


 厳しい語調で命じる声に背を向けて、オーリは大雑把に汚れを払い落とし、一気に騒々しくなった部屋に背を向けて走り出した。

 館にはあちこちに警備兵がうろついている。彼らがやって来る前に、ホールに紛れ込んでしまえば逃げられるはずだ。


 ――けれど残念なことに、現在位置すらよく分かっていないオーリには、この庭は少しばかり広過ぎたらしい。

 闇雲に走っていたオーリの耳に、やがて曲がり角の向こうから控えようともしない足音が聞こえてきて、彼女は慌てて足を止めた。

 背後は長い一本道で、左には壁、右には茂み。今から引き返せば間もなく角から現れるだろう警備兵たちに発見されるだろうし、茂みに分け入ろうにも物音で気付かれてしまう可能性が高い。


(くそ、本格的に追い詰められた……!)


 舌打ちしたい思いを堪えながらも投降などする気は更々なく、オーリは右の茂みを睨み付ける。

 この際存在に気付かれても、小回りを生かして撒ける方に賭けるべきか。しかしそう決心した次の瞬間、茂みを突き破って現れた細い腕を目にして、オーリはぎょっと瞠目した。


「な――……っ!?」


 唐突に出現した腕はオーリの腕をしっかりと掴み、勢いよく茂みの向こうへと引き寄せる。抵抗を示す暇もなく、オーリはそのまま茂みを掻き分けて、その向こうにいる誰かの胸に激突した。


 ――誰が――


 やはり物音を聞き付けたのだろう、警備兵たちの声が大きくなる。それでもその一瞬、オーリは追っ手の存在すら忘れて目の前の人を見上げ――そして息を呑み込んだ。



「――少し、大人しくしておいで」



 オーリを抱き止める、細い腕の先。

 淡く差す月光に溶け込むような、儚いまでに美しい少年がそこにいた。

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