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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
王都編
28/176

27:一日振りの再会

 ――酷く喉が渇く、とクロードは思った。


 目の前では黒い革鎧を装備した冒険者らしき男が、十三かそこらだろう少年を抱え込んで目を血走らせている。手にしたダガーは商売道具らしく良く手入れされていて、ぎらりと光を映すたびに子供の顔を強張らせていた。


「分かんねぇ奴だな! 荷物全部置いてけっつってんだ、そうしたらガキもお前もちゃんと返してやらあ!」


 男の大声が、当事者たち以外に聞こえていないということはないはずだ。しかし治安の良くないこの国では、通り魔や強盗があったとて善意の第三者がわざわざ現れてくれる確率など限りなく低かった。

 頼りの警備隊は、先程向こうで騒ぎが起こったので、そちらに集中しているだろう。助けは望めない。


「こ、この荷物は渡せないんですってば……。それに僕は持ち合わせもあまり無いので、貴方の足しにはなりませんよ」


 命綱に等しい商売道具が入った鞄を抱き締め、答えた声は幾分震えていた。

 クロードが王都で仕事をするようになってから随分経つが、これで絡まれた回数は二桁に上る。王都に来る前を入れれば、その数は数倍に増えるだろう。

 どうにも御し易しと見られるらしい自分の雰囲気を恨んだことなど一度や二度では済まないが、こうも分かりやすく人質まで取られたのは今回が初めてだった。薄汚れた子供の真っ青な顔を見てしまえば、一人で逃げるわけにもいかないなと彼は情けなく眉を下げる。


(結局、自分で何とかするしかないなあ)


 クロードは、暴力が嫌いだ。それは幼い頃からずっと変わらず。

 仕事で何をやっていようが、何度こうやって絡まれようが、『怖い目』に遭うことに慣れはしない。

 大きな帽子の下で怯えと緊張に引き攣った笑みを浮かべたクロードに、馬鹿にされたと思ったのか男の眦が吊り上がる。凶暴に剥き出した歯を軋ませて微かにダガーを動かした男に、子供がひっと息を呑んだ。


「ふざけんな、テメェが魔術道具屋や裏の商店に出入りしてるとこは見てんだ! 金でもアイテムでも何でも良い、連れの命が惜しかったらとっとと持ちモン出せや!」


 叫ぶ男に余裕は無さそうだ。随分と興奮しているようだし、こちらの言葉は通じないだろうなとクロードは考えた。


 ――金が必要なのだと、男は吠えていた。

 男が引く気配は無い。このまま引き延ばしたところで、警備隊の助けが入るより男の我慢が切れる方が先だろう。

 けれど直接的な戦闘能力に乏しいクロードでは、何かで隙でも出来ない限り、上手く人質を助けて男を退けることは難しい。僅かに足を動かすと、茶色い外套がしゅるりと擦れて、男が警戒にダガーを握る力を強めた。


 距離があろうが冒険者ならばダガー以外の攻撃手段を持っていないわけもなく、何よりそうなった場合、真っ先に刺されるのは何の関係も無いあの子供だ。

 男の血走った目と、涙の浮かんだ子供の目を見比べて、クロードの胸にじわりと罪悪感が浮かんだ。

 金が必要なんだ。切羽詰まった叫びが、酷く耳に痛かった。


 ――嗚呼、喉が渇く。


 腕輪の一つに無意識に触れ、ぼんやりとそう思ったその瞬間。


「――忙しいとこちょっと失礼!」

「ぐおっ!?」


 男の野太い悲鳴と共に、何の脈絡も無くその手のダガーが吹き飛んだ。


「――え!?」


 勢い良く上へと跳ね上がった右手に続いて、子供を抱え込んでいた左腕が奇妙な方向へと捻れる。あたかもパントマイムでもしているような男の動作に驚愕の声を上げるクロードの前で、誰かに突き飛ばされたように離れた子供が太い腕から解放された。


「だ、誰だっ!」


 ダガーを失った男が、姿の見えない敵に顔を歪めて大きく腕を薙ぎ払う。筋肉質な腕は、けれど誰も捉えることはなく、舌打ちした男が懐に手を入れかけたと同時に地面を蹴る音がした。

 そして、直後に響く固い打撃音。見えない誰かの攻撃を強かに顎へとぶち込まれ、体を大きく仰け反らせた男が無言で地面に崩折れていくのを、クロードは唖然とした顔で見ていた。


 倒れた男の手が地面に落ちる音と重なって、軽い着地音がする。

 一拍置いて、新たに増える人の影。真っ白い紙に絵の具が滲むように、次の瞬間そこには一人の子供が現れていた。


 微塵も期待していなかった『まともな』救い手の出現に、クロードは思わず目を瞬かせる。彼を見やって無造作に唇を吊り上げたその人物の相貌は、東方の血脈を想わせる顔立ちが特徴的な――。


「こんにちは、クロードさん。状況だけ見てやっちゃったけど、実は被害者と加害者が逆だったなんて推理小説じみた複雑な展開にはなりませんよね?」


 惚けた声で今更確認する少女の顔こそ見たことがなかったが、その声には確かに覚えがあった。

 水色の小鳥を肩に乗せ、少し垂れた目を呑気に緩ませた少女の顔を見返して、クロードはようやく息をつく。緊張に強張っていた肩を僅かに落として、彼もまた唇を緩ませた。


「――君が見た通りの状況だったから大丈夫。助かったよ、リアちゃん――意外と早く再会したね」


 今はフードを被っていない少女と、不可思議な小鳥を前にして。

 つい一日前に出会ったばかりの彼女たちに、クロードは安心したようにほっと笑いかけた。


「あは、昨日の今日ですもんね。まさか広い王都で二日続けて遭遇するとは思いませんでしたよ」

「僕もだよ。と言うか、リアちゃんは毎回何処からともなく現れるね。さっきだって、何が起きたのか分からなくて正直混乱したよ」

「姿を隠してたことなら、ただの幻術ですよ。クロードさんがくれた黒石を使ったんです」

「あ、やっぱり」


 そう言えば、前回も彼女にはごろつきに絡まれたところを助けられたなと思い出す。

 なかなか格好が付かないものだが、彼女の行動を見る限り黒石を譲ったのは正解だったようだ。こんな風に人助けをするのが日常だというのなら、並大抵の技能では身が持たない。


「随分重宝してくれてるみたいだけど、あんまり過信して危ないことをしないようにね。それで、どこまで出来るようになったんだい?」

「意識的に出来るのは、姿を消したり幻覚を見せたりするくらいですかね。良い実験台がいて上達しました。あと、どうやら他人の幻術を勝手に無効化しちゃうこともあるみたいです」

(それだけ出来れば充分なんだけど)


 からりと笑うオーリに、クロードは感心と呆れを等分に含んだ息を洩らした。

 彼女はしれっと口にしたが、本来あの黒石は使いこなすには少々高度な代物なのである。昨日の今日で制御するには、少なくとも素人には幾分荷が重いはずだ。


(……と言うか実験台って、一体何があったんだろう……?)


 ニッコニッコしているオーリに内心首を傾げながら、クロードは取り敢えず彼女の元へ歩み寄ろうと改めて足をそちらへ向けた。


「ところで、どうしてリアちゃんはここに?」

「あ、それは――」


 クロードの問いかけに、オーリは何かを言おうとして――同時にクチバシの鳴き声が、緩んだ空気を鋭く打った。


「っ!?」


 クチバシの言葉を解さないクロードにも、その声が多分に警告を含んでいることは聞き取れた。

 オーリもまた、完全に気を抜いていたのだろう。咄嗟に反応しかけたオーリが飛び退くより早く、気絶したと思っていた男の左手がオーリの片足を掴み上げた。痣が出来るほど力を込めた手が、少女の細い足を軋ませる。


「わっ、ああああ!?」

「リアちゃん!」

「このっ、クソガキがあァァァッッ!!!」


 悲鳴を上げるオーリとクロードを余所に、男が上げた憤怒の声は、怒れる獣の咆哮のようだった。確かに顎へと叩き込んだはずの一撃など気にも留めぬというように、男はしっかりした足取りで立ち上がる。


 ――ちょっとちょっと、何で起きられるの!? いつもなら確実にあれで脳震盪でも起こしてるのに!


 身動きを封じられた状況に、オーリの顔が一気に青ざめる。

 まさか、相手のタフさを見誤って手加減し過ぎたのか。焦るオーリを逆さに持ち上げて、青筋を立てた男は完全に余裕を失った様子でオーリを睨み据えていた。

 その右手に――厳密には恐らく籠手に、不可視の魔力が渦巻いていることにオーリは気付いた。轟と音を立てて形成されていく真っ赤な炎に、流石の彼女も顔を引き攣らせる。


「このっ――離、せっ!」


 このまま掴まれていては危ないと思ったのだろう、オーリが腹筋を使って器用にぐるんと体を捻った。掴まれていない方の足を男の顔面目掛けて叩き込む、と見せかけて、それを受け止めようと構えられた、炎を纏った手を避ける。肌を掠めた猛烈な熱に眉を顰めたが、数秒気を引いたその隙に、クチバシが男の懐へと飛んでいた。


 ヂィッ!と鋭い鳥の声。一体何をやったのか、弾かれたように男の手が跳ねてオーリを掴む力が緩んだが、纏う炎は一瞬揺れただけだった。


「――ヂッ!」


 弾くだけで済ませるつもりがなかったことは、クチバシの気配が動揺に揺れたことで察知できる。魔力耐性もあるのかと、吐き捨てる鳥の声が聞こえた気がした。


 一方で、男の方にも余裕がない。人質を手に収めながらも幾度と水を差された男の目が、とうとう殺意を帯びて不穏に光った。

 男の苛立ちに応えるように、纏う炎が火の粉を散らす。その右腕がクチバシを鷲掴もうとした瞬間、オーリは火傷も厭わず己を掴み上げる左腕に組み付いていた。


「うちの子に何する気だこの野郎!」


 如何にポテンシャルの知れない不思議鳥とは言え、うっかり全身大火傷など負って無事でいられるとも思えない。どうやらオーリの目的に気付いたらしく、舌打ちした男が再びこちらに標的を移したことを察したが、オーリは構わず全身に力を込めた。

 肌を炙る熱が強くなる。致命的な火傷を負わされる前にこのまま関節をへし折ってやろうと決めたその時、しかし再度誰かの横槍が入った。


「――動くな、リアちゃん!」


 オーリの視界を横切ったのは、水色の羽毛ではなく、コートに包まれた人の腕だった。

 飛び込んできたクロードが、一瞬の躊躇もなく男の右手に掴みかかる。ぎょっと瞠目したオーリの耳に聞こえたのは、けれど猛火が肉を焼く嫌な音ではなく、しゅう、と立ち消えるような控えめな異音。


「――な――」


 クロードが触れたと同時に、まるで水をかけられたように炎が消失する。ただの籠手に戻った腕を見て、男が大きく目を見開いた。


「――テメ――」


 怒りと驚愕に罅割れた声で、男はクロードへと向きかけて――


 その瞬間、ようやく戒めから抜け出したオーリが放った渾身の蹴撃が、今度こそ男の顎をまともに打ち抜いていた。




※※※




 ――トン、と地面に着地して。

 俯せに倒れた男が立ち上がってこないのを確認して、額に汗を滲ませたオーリはようやく「ぜひー」と荒い息を吐いた。


 傍らではクロードが、同じく息を吐き出しながら深々と肩を落としている。パタパタと男の周りを飛び回っていたクチバシが、男を警戒しながらオーリの肩に戻ってきた。


「お疲れクチバシ、羽毛は大丈夫? アフロ鳥になってない?」


 失礼なと言いたげに、クチバシが低い声で鳴く。へらりと笑みを洩らして、オーリは「嘘嘘、ごめんよー」と小鳥の頭をつついた。

 そんなオーリの頬には、薄い火傷が出来ていた。若い娘なら忌避するに違いない、隠しようのない顔の傷。複雑そうにそれを見て、クロードは眉を下げた。


「リアちゃん、それより早く手当てしないと火傷になってるよ。足もちょっとやられてるだろ」

「ああ、これくらいなら平気ですよ。すぐ治ります」

「平気なんてことはないだろう! リアちゃんは女の子なんだから――」


 少し声を荒げてオーリの頬に手を伸ばしかけたクロードは、しかしはっとしたように再び手を引っ込めた。

 キッとクロードを睨んで反射的に威嚇しようとしていたクチバシが、拍子抜けしたように丸い両目を瞬かせる。きょとんと首を傾げたオーリに数秒口ごもった後、クロードは「ごめん、何でもない」と呟いた。


「……クロードさん、どうしたんです? なんか、顔色悪いですよ?」

「傷に触れるのは良くないと思い直しただけだよ。そんなことより、君は早く治療をした方が良い。女の子の顔に傷なんて、ない方が良いに決まってる」

「……本当に大丈夫ですよ。私、回復力は高いんです」


 クロードの態度には疑問を感じたが、彼がそこに触れないで欲しいと思っているのは明白だ。少しの沈黙の後、無言の訴えに大人しく従うことを決めて、オーリは何事も無かったかのように平然とした表情を作ってみせた。


「薬もほら、常備薬があるし、これくらいなら数日で完治しますよ。それより、さっきはありがとうございました。間近で炎が燃えてるのは、流石にちょっと怖かったですから」


 オーリが負傷を気にしていないのは事実だった。何せクロードは申し訳なさそうにしているが、この程度の火傷で済んだのは多分に彼のお陰でもあるのだ。

 炎を纏っていたあの籠手は、恐らく魔術道具だったのだろう。男の腕力を考えても、オーリ一人で逃れられたとは思えない。

 傷薬は持っているし、治るまで幻術で隠しておけばアーシャたちにも気付かれない。痕が残るような怪我でもなく、黒石のお陰で隠蔽工作が容易になった彼女にとって、この傷はさしたる関心を向けるほどのものではなかったのである。


「そんなことよりクロードさん、早くここ離れませんか? クチバシもまだちょっとピリピリしてるんで」


 さっきからドスドス突っついてくるクチバシの攻撃に、いつもより二割増し力が入っているのは気のせいではないだろう。その攻撃に急かされるように手早く火傷に薬を塗り込みながら、オーリはそう提案した。

 倒れ伏す男をちらりと見やれば、立ち上がる気配こそないものの、驚いたことに彼は未だ意識があるようだった。回復しないうちにさっさと逃げようと主張するオーリに、クロードは頷いて、けれどすぐに歩き出そうとはしない。


「ああ、うん……そうだね……」


 言いながらも、彼は迷うように男を見下ろしている。首を傾げるオーリに苦笑してみせた彼は、やがて何かを決めたように唇を軽く噛み、男の傍に膝を折った。


「……畜生……畜生……」


 地面に頬を付けたまま拳を握り締め、ぶつぶつ呟いている男の傍に、クロードはタブレットの詰まった小さな瓶をことりと置く。血走った目だけをクロードに向け、恨めしげな視線を送ってきた男へと、クロードはどこか複雑そうに口の端を歪めて言った。


「――薬です。良かったら飲ませてあげてください。……気休め程度ですが」


 控えめにそう言い置いて、クロードはするりと立ち上がった。そうして口を噤んだ男に背を向けて、「行こう」と短くオーリに告げ、足早に表通りへと歩き出す。


「…………」


 大人しくクロードの後を付いて行きながら、オーリは一度だけ男の方を振り向いた。倒れ伏した男は口を閉じ、一体何を思っているのか、まだ動かない体でじっと小瓶を見つめていた。


「……ねえクロードさん、あの瓶は何だったんですか?」

「ん、魔力回復薬だよ」


 男から充分に離れた後、オーリが聞いた問いかけに、クロードは少し目を伏せてそう答えた。


「魔力回復薬?」

「そう。……あの人、相棒が最近寝込んじゃって、お金が必要だって言ってたからさ」


 魔力は基本的に、時間さえ過ぎれば回復する。魔獣が出るわけでもない街中で、薬が必要になるほどの事態になど――まあ冒険者ならばあり得るとも言えるが、オーリにはそれよりも思い当たることがあった。


「――もしかして、最近王都で起きてるっていうあれですか?」


 一瞬でそれを連想したオーリに、クロードは「賢いね、リアちゃん」と困ったように微笑んだ。


「正解だよ。『事件』のことは、誰かに聞いたのかい? それとも知り合いが巻き込まれたとか?」

「聞いた方です。――ここしばらく、王都のあちこちで、住民が原因不明の魔力欠乏を起こして倒れる事件が頻発してるって」


 顎に人差し指を当て、オーリは眉間に皺を寄せながらそう答える。


 ――その奇妙な事件について、オーリに教えてくれたのはエルゼだった。

 曰く、事件は二月以上前、とある区画にいた人間のうち多数が、突然重度の体調不良を起こしたことに端を発するらしい。その患者たちは体内の魔力が暴走していると診断され、一部に至っては魔力の欠乏で昏倒する事態にまでなったそうだ。

 その日を皮切りに複数の区画で似たようなことが発生し、オーリの知る限りでは既に三回にもなる。すぐに回復する者もいればそのまま寝込む者も少なくないという話で、人為か事故かも分からないが、とにかくおかしな空気を感じたら逃げろと忠告されていた。


(まあ、もしも目の前で異常が発生したら、クチバシなら気付けるんじゃないかとも言われたけど)


 オーリの「人助け」に口を挟まないクチバシは、代わりにオーリ以外の人間に対してあまり関心を向けることもない。今もつまらなさそうに欠伸をしているクチバシを何となく指先で撫でながら、オーリは次に続けるべき言葉を探した。


「高位の魔力回復薬は、確かそれなりの値段がしますよね。本当に自然回復しないのなら、生命維持のためには定期的に投与し続けないといけない。倒れた相棒のために、強盗してでも資金が必要だったってことですか?」

「多分そうだろうね。何せ、著しい魔力欠乏は命の危機に直結する。僕が持ってる薬は市販品より効果があるから、運が良ければ少しはマシになるはずだよ」

「……クロードさん、お人好しって言われません?」

「どうかな。僕自身は、そんな綺麗なものじゃないと思ってるけど」


 苦笑するクロードに、オーリは深々と溜息を吐いた。「仮にも自分を脅してきた相手でしょうに」とぼやいた後、今更のように思い出してきょろりと視線を巡らせる。


「そう言えば、人質になってた男の子は? クロードさんの知り合いじゃなかったんですか?」

「ああ、あの子はただの通りすがりだよ」

「……なんかそんな気がしてました」


 特に気にした素振りも無く笑うクロードに、オーリはがくりと肩を落とした。

 最初から連れに見えないとは思っていたが、やはりあの人質は赤の他人だったらしい。解放されたと見るやとっとと逃げたらしい少年を、薄情と言うべきか強かと褒めるべきか。


「僕があの子に荷物を奪われそうになってたところを、知り合いと勘違いされたらしくてね。人質になんかなって、気の毒なことしたなぁ」

「あ、そっちも強盗だったんだ。それならクロードさん、放って逃げても良かったんじゃないですか?」


 いくら大人より子供が優先のオーリでも、未遂とは言え窃盗被害者に加害者を助けろなどと言う気はない。

 ついでにあの少年は幾分年が行っていたので、無条件の庇護意識は誘われなかったこともある。年齢にして中学生以上該当者は、オーリの認識する「全力で守るべき子供」の定義からは若干外れているようだった。


「まあ、そりゃあね……でも目の前で刃物なんて突き付けられていたら、見捨てるわけにもいかないだろう?」


 それでも、自分の行動を思い返すクロードに後悔はないようだった。

 己の身も危ないという時に甘い選択だったことは分かっているのだろう、彼は弁解しながらも決まり悪そうに頭を掻く。オーリは「ふぅん」と素っ気なく応じ、けれど少しだけ頬を緩めた。


(……このやたら甘い性根が顔に出てるって言うのなら、クロードさんが絡まれやすいのも分かるなぁ。人としては正しいのかも知れないけど、利害を最優先する商人らしくもない。あの魔術道具を無効化したのがどんな技だったのかは分からないけど、最初から使って抵抗しようとしなかった辺り、今一使い勝手は悪そうだし)


 ――まあ、そういう人は嫌いじゃないけど。


 暴力に対して抵抗する手段が少ない以上、手放しに褒められるやり方ではないとも思う。けれどオーリ個人の価値観として、人質を見捨てて逃げなかったクロードの選択に好感を抱くのもまた事実だった。

 それはきっと彼の持つ、魂の故郷を想わせる暗色の瞳に対する感傷もあるのだろう。その色の目に映る光景は、感情は、叶う限り「優しいもの」であって欲しいという――


 と。


 オーリがそんなことをつらつら考えていた時、クロードがふとこんなことを問うてきた。


「ところでリアちゃん、一人じゃないよね? 良いのかい、連れの人が待ってるんじゃないの?」

「ファッ!?」


 変な声が出た。


 不思議そうに投げられた言葉に埒もない思考を断ち切られて、オーリははっとエルゼの存在を思い出す。慌てて時計塔を見上げると、長針はもうエルゼと別れてから三十分も後を指していた。


 ――しまったァァァァァァァ!


 あからさまに「ヤバい!」というような顔付きになったオーリに、クロードは「やっぱり」と苦笑した。


「やっぱりあの人とは別行動してただけだったんだ。ねえ、午前中にリアちゃんが格好いいお兄さんと一緒に歩いてる所を見たんだけど、あの人はリアちゃんの友達? それとも兄妹とか?」

「冗談! あんな超絶美形と血縁者なわけないでしょう。あの人は知り合いの紹介で一日ガイドを頼むことになった、冒険者のエルゼさんです」

「……リアちゃんは充分可愛い子だと思うよ。まあ、確かに特徴は全然違ったけどね。確か髪の色も……えぇと、あの人は何色だったっけ」

「やたら綺麗な銀髪ですよ、キラキラしてたでしょう? ああ参ったな、道で待っててって言われてたのに……クチバシ、エルゼさんもう戻ってると思う?」

「ピィ」

「うわあああ、やっぱり!」


 頭を抱えるオーリは、当初少しばかりお節介を焼いたら、エルゼにバレないうちにサクッと元の場所へ戻っておく予定だったのだ。色々あったせいですっかりエルゼのことが抜け落ちていた彼女の頭をぽんぽんと撫で、クロードは気の毒そうに首を傾げる。


「よく分からないけど、その人はリアちゃんを置いて何処かに行っちゃったのかい? 急ぎの仕事でも入ったの?」

「いえ、どうやらストリートの方で何かあったみたいで、そっちの様子を見に行っちゃって」


 文字通り様子を見に行くだけならば、そう長い時間はかけないだろう。焦るオーリの脳内では、エルゼが爽やかに威圧感のある笑顔でじぃっとオーリを見据え続けていた。

 基本的にエルゼはオーリのやるあれこれを好奇心に満ちた顔で見守ってくれるが、言い付けを破って勝手に姿を消したとなれば流石に怒られるかも知れないと背筋が冷える。美形が怒ると怖いのは万国共通だ。


「ふうん、ストリート……ひょっとして東の方のかな。確かに何か騒がしかったけど」

「何が起きたのかは分からないけど、エルゼさんが向かったのは東の方角でしたよ」

「そっか……あ、まさかリアちゃんの家、あの近くだったりしないよね? 知り合いやご両親が巻き込まれてないと良いんだけど」


 心配そうに覗き込まれて、オーリは首を横に振った。


「うちは南の方なんで大丈夫ですよ。クロードさんこそ、何か巻き込まれたりしてませんか?」

「僕の取ってる宿はこの区域じゃないからね。……でも、それならやっぱりリアちゃんは早く待ち合わせ場所に戻った方が良いかも。現場には警備隊も向かったはずだし、あまり戻るのが遅くなって誘拐と勘違いされたら困るんじゃないかな?」


 控えめに指摘されて、オーリは顔を引き攣らせた。

 つい昨日誘拐事件に巻き込まれた立場としては、その展開は少々洒落にならない。シエナのことも散々心配させたし、実際この国では何の脈絡もなく子供が消えたら、迷子よりもまず誘拐を心配するのが一般的なのだ。


「……思いつきませんでした」

「冒険者の中には、仕事の関係で警備隊との繋がりが強い人とかもいるよ。もしもそのエルゼさんもそうなら、リアちゃんが戻らないと焦って通報しちゃうかも知れないね」

「エルゼさんが焦る姿は想像できないけど、確かに警備隊にはコネがあるって言ってました……」


 最初に会った時、誘拐されたオーリを見つけるためにエルゼが警備隊を動員していたことを思い出して、オーリの顔が青くなった。

 こんなことでうっかり通報なんてさせてしまったら、いくら何でも居たたまれない。ぐるぐると混乱しているオーリの背中を押しやり、クロードが足を止めた。


「――ほらリアちゃん、あの角を曲がれば大きな道に出るよ。急いで帰ると良い。素直に謝れば、きっとエルゼさんもそんなに怒らないから」


 いつの間にか、表通りが近くなっていたようだ。道の向こうを指差されて、オーリは情けなさそうに顔を上げた。

 あの角の向こうにいるだろうエルゼが真剣に怖いが、だからとクロードに同行してもらうわけにもいかない。

 彼の方はこのまま別の道へ行くつもりなのだろう、萎れた様子の彼女にくすくす笑うクロードへと、オーリはぱたりと手を振ってみせた。


「……ありがとうございます、頑張って謝ることにしますよ。クロードさんも、また絡まれないように気を付けてくださいね。お人好しは程々に」

「リアちゃんには言われたくないような気もするけど……まあ、注意するよ」


 苦笑と共に応じて、クロードは踵を返した。そして肩越しに一度だけ振り返り、目を細めてこう告げる。


「じゃあねリアちゃん、クチバシ。――あんまり出歩いちゃいけないよ。また何かあるかも知れないし、出来れば七日くらいは家で大人しくしておいで」

「はぁい、気を付けます」


 素直に頷いたのを確認して、クロードは足早に歩き去っていった。


(……そう言えば、何で七日なんだろう?)


 小さな疑問も生じたが、思えば絡まれていたクロードはオーリ以上に時間をロスしているのだ。彼にも後の予定があるのだろうと思えば引き止めるわけにもいかず、オーリはそのまま身を翻して表通りへと歩き始めた。


「ねえねえ、どうしようクチバシ、エルゼさんもう戻って来てるよね。素直に人助けしてたって言った方が怒られないと思う?」

「ピィ」

「……もしもエルゼさんが怒らなくてもシエナさんが怒るだろうって? 嫌なとこ突いてくるなキミは」


 この調子なら、多分ナマズ人形は見に行けないだろう。自分が悪いと分かっているから説教は甘んじて受けるつもりでいるが、折角の時間が潰れてしまうのは少し勿体ない。


 唇を尖らせて溜息をつくオーリが輝かんばかりに爽やかな笑顔のエルゼと顔を合わせるのは、あと三十秒後の話である。




 タブレット=色々意味はありますが、ここでは錠剤のことです。念のため。




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