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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
王都編
27/176

26:猫と鼠と鳥ってよく考えたらヒエラルキーは鼠が一番下

 魔術道具屋を出た後は更に数軒の店に寄り、オーリたちは日の傾いた大通りをのんびりと歩いていった。

 既に季節は冬に入り、空気はからりと乾いている。街には厚着の人間も増え、これからコトンの毛で編んだマフラーや手袋の売り上げが伸びるだろう。

 白い息を吐き出して、オーリの隣を歩いていたエルゼが口を開いた。


「さっきの郵便屋では驚いたよ。まさかクチバシが店で飼っている鳥を威圧するとは思わなかった。その小鳥に出来ないことってあるのかい?」

「クチバシだから仕方ないんです」


 今し方食べ終えた焼き鳥の串をオーリの分と纏めて公園のゴミ箱に放り込み、苦笑しながらそう言ったエルゼに、オーリはきっぱりと言い返した。

 何せこの合言葉は、最早侯爵家の別邸でも広まりつつある。偏食でも、鍵付きの籠から何故か脱出していても、オーリの宿題の内容を理解している素振りがあっても、飼い主に対するヒエラルキーがおかしくても、クチバシだから仕方ない。


 ちなみに、先程差し出された焼き鳥の串を共食いも厭わずブチブチ引きちぎっていたクチバシは、我関せずという態度でオーリの肩に陣取っている。その姿からは、鹿も攫えそうな体格の大鳥たちを睨み一つで気合い負けさせた猛者のオーラなど微塵も感じ取れなかった。


 電話やパソコンのないこの国において、火急の情報伝達に使われるのは、主に専用の魔術具だ。それとて所持されているのは軍や貴族の間だけで、民間における情報伝達のほとんどはやはり手紙が担っている。

 馬や鳥を使用して手紙を運ぶ、或いは少し割高になるが魔術具を使って文字だけを届ける役目を持つ所謂「郵便屋」は、国の管轄として各所の町や村に設置されている店だった。当然シェパにも存在するが、基本的に自ら手紙を出したことのないオーリが実際に踏み込むのは、先程行った店が初めてである。


 鳥便を使う場合、その鳥は途中で狩られたり倒れたりしないような強靱な体と力を持っていなくてはならない。

 店に入った途端、そんな現役の郵便鳥たちが小さなクチバシにわらわらとちょっかいをかけに来た時には慌てたが、その鳥たちをクチバシが視線一つで威圧してしまった時はもっと驚いた。

 お陰で慌てて出て来てしまったが、店員に怪しまれてはいないだろうか。クチバシが羽毛をブワッと膨らませるや否や揃って凍り付いてしまった鳥たちに、カウンターにいた店員は何が起こったのか分からずぽかんとしていたものだ。


 思い出したように溜め息を一度ついて、オーリが下唇を尖らせて言った。


「でも残念だなあ。私、友達に手紙出したかったんだけど」


 素知らぬ顔をして毛繕いをしていたクチバシが、その一言に反応した。ふるりと一度羽を震わせ、「えっ、マジで?」というような表情でうろうろオーリの顔を見上げ出す。


「友達って、王都以外にかい? そう言えば、君の故郷の話は聞いたことがなかったな」

「故郷って言っても、同じ国内ですけどね。王都に来る時結構ざっくり放置して来ちゃったんで、今頃物凄く怒ってるんじゃないかと思うと恐ろしくて……どうしたのクチバシ?」


 来た道をきょろきょろ振り返りながらオーリの耳元で挙動不審にピィピィ囀り出したクチバシに、オーリは首を傾げた。それから気が付いたようにクチバシの頭をつついてけろりと笑う。


「ひょっとして戻ろうって言ってるの? 危ないから駄目だぞー、店員さんにも見られちゃったし」


 爽やかに却下すると、クチバシは一瞬愕然としたような顔をした後、ヂィィィィィと据わった目で郵便屋の方向へと唸り始めた。何故だか今すぐ先程の郵便鳥たちに同情しなければならないような気分になって、オーリはちょっと顔をひくつかせる。


「あっはっはっクチバシったらあんまり興奮すると体に悪いよ。エルゼさん、次どこ行きます? 私はアレ、アレが見たいんですけどあの何でそこにあるのか分からないことで有名なお洒落アロマ店の屋根の夜中に目が光る巨大ナマズ人形」

「何だか呪詛でも吐いていそうな鳴き声だね。滴るような憎悪と恨みが滲み出て、面白いほど人間くさい」

「必死で流そうとしたことをさらっと指摘しちゃったよこの人!」


 凛と咲く水仙のように清冽な美貌を誇るエルゼだが、彼が時々する獲物を見つけた猫のような目を向けられると、オーリは背筋がぞわっとする。今回もにこやかな笑みの裏にゆらんゆらんと尻尾を揺らす山猫の幻影が見えた気がして、彼女は笑顔で誤魔化そうとした頬を引き攣らせた。

 どうしたら良いのか分からずに、目をうろうろさせながら逃げ場を求めて頭の中でラトニに助けを求めてみる。賢い相方はオーリを一瞥し、『それくらい自分で何とかしなさいこのナマコ娘』と言ってクールに何処かへ去っていった。畜生、想像の中ですら捻くれた奴め!


「ちなみに今、クチバシは何て言ってるんだい?」

「緑美しき我らが祖国に、さんざめく愛と光あれと言っています!」

「本当は?」

「身の程知らずの愚鳥共は羽を毟ってオーブンにブチ込んでやろうかと言っています!」

「空気に敏感で素直な子供って可愛いなあ」


 キュアッと瞳孔を鋭く変えた青い両目が平常に戻り、オーリは一瞬吹き出しかけた冷や汗を拭った。やだやっぱり怖いよこの人!


「郵便鳥たちが怪我をしたら店の迷惑になるし、家族や取引先に急ぎの手紙を送りたい人も困るからね。威嚇だけで怯んでくれたのはまだ幸運だったよ。……でなければ、クチバシは一体『どこまで』やっていたのか」

「あっはっはっ、全くもってその通りですねー!」


 何事もなかったように平然と――ただし何となく意味ありげな――会話を続けるエルゼに、オーリが乾いた笑い声を上げた時。


 ――ゴォーン――

 ――ゴォーン――


 重い音が響き渡って、彼らは同時に顔を上げた。


 ――時告げの鐘。天を突いて聳える、長大な時計塔の音である。


 吊り上がっていたエルゼの唇が下がり、それに気付いたオーリが僅かに息を吐いた。


「――ああ、もうこんな時間か。リアちゃん、他にどこか行きたい場所はないかい? あと一軒くらいなら回れると思うけど」

「あー……」


 問うてきたエルゼの纏う空気は、既に三十秒前のものとは変わっていた。

 そこには先程までの、今しも飛びかかる用意を終えようとする猫と追い詰められた鼠のような緊張感は最早無い。

 土地に敷かれた魔法陣によって音が届けられ、王都のどこに居ても鐘の音が聞こえると評判の壮麗な時計塔を振り仰ぎ。表情を変えて切り出したエルゼに、オーリも考える素振りを見せた。

 冬は日も短い。もうしばらくすれば太陽が落ち始めるだろう。まだ引き上げるには勿体ない気がするが、さてどんな所に行っておくべきか。


(近場でめぼしい所は粗方案内してもらったしなぁ……)


 買い食いや食堂で腹は満たされ、喉も渇いていない。買いたい物品は特に無く、鑑賞の類に行くには少々遅いだろう。ペット用品店、などという選択肢も浮かんだが、何となく郵便屋の二の舞になりそうな気がしたので却下した。


 もう一度時計塔を見上げ、それから思いついたように、オーリはぽんと手を打った。


「エルゼさん」

「言っておくけど、時計塔の内部は観光できないよ」


 皆まで言わずとも分かったか、オーリの視線の先を一瞬で悟ったエルゼがきっぱり提案を切り捨てた。却下されたことと先回り、二つの理由でピシリと硬直するオーリに、彼は淡々と拒否の理由を説明する。


「確かに以前は観光客の受け入れもあったんだけど、本来時計塔の内部は複雑な絡繰りで一杯で、あまり多くの人間を入れるのは望ましくないと言われるようになってね。それに、その……この塔が造られた当時、ちょっとした問題が見つかってしまって」

「……と言うと?」


 少し落胆したように眉を下げて、オーリはことりと首を傾げる。エルゼは何とも言えない表情でしばらく口ごもった後、ぼそりと言葉を続けた。


「……高かったんだよ。王城並みに」

「……。……ああ」


 二人と一羽は同時に時計塔を振り仰いだ。

 白い石壁に、金色の針。無骨さのない繊細なデザイン。優れた建築家が手掛けたことを窺わせる時計塔の造作は、規模こそ違えど王城と比べても見劣りしない壮麗さがある。

 長い坂の上に据えられた塔はそれそのものが高々と聳え、街で最も高い場所から堂々と人々を見下ろしていた。


「まあ、高いと言っても王城とそう変わらないんだけど……それでも、ある代の王が不遜だって怒っちゃってね」

「何となく分かりました、見下ろされるのが嫌いな人だったんでしょう。大人げないこと山の如し」

「当たり。背が低いことがコンプレックスの人だったんだよ」


 でも流石にそんな理由で法を新設するのは周りが嫌がったらしくてね、と困った顔でエルゼは繋げた。


「だからはっきりした法は制定せずに、見学は許可制にすれば良いってことでお茶を濁したんだよ。勝手に入ったからって、罰則規定も特にない。見つかれば流石に通報されてつまみ出されるだろうけどね。この防備で侵入できる人間もいなければ、特に秘匿するべき価値のある場所でもなかったから、罰則を設けるのも何か違うんじゃないかって、当時の宰相が説得して」

「まあ、元は普通に観光客の入ってた場所ですもんね……。にしても、規則で決められてるわけじゃないんですか?」

「時々他国のお客様とか、我が国のお偉いさんとかが入りたがることもあるからな。その……街で一番高い塔だし、登りたがる人は時々いてね」

「ああ、馬鹿と煙は何とやら」

「隠せてないよ」


 壮麗な外観と複雑な仕組み、及び王城に並ぶ高度。要するに某スカイツリーみたいなもんか、と思いながら、オーリは顎に指を当てた。

 空に近付きたい欲求は、高い建物があればあるほど何となく刺激されるものだ。尤も高所恐怖症にとっては、見ているだけで鳥肌が立つような名所だろうが。


「入り口の扉には鍵がかかってるし、合い鍵は厳重に管理されてる。扉の前は人通りが多くて何かしてたらすぐ気付かれるし、頂上の窓にも鍵が掛かってるから、普通の人はまず入れないよ」

「へえ、本当に厳重なんだ。でもそうなんですか……登ったからって罰せられるわけじゃない……ふうん……」


 にぃぃぃやり、と口元を吊り上げたオーリに、エルゼはきゅっと目を細めた。

 今度はこちらが獲物を見つけた猫のような目をし始めるオーリは、幼さも相俟って可愛らしいが、多分思考はあんまり可愛くない方に向かっている。『ルールは破るためにある』とか言い出しそうな雰囲気に、エルゼが呆れた様子を見せた。


「……リアちゃん、何か悪いことを考えていないかい?」

「滅相もない!」


 キュルリラアァァァ!と効果音の出そうな輝く笑顔で即答されたって信じられるわけがない。

 とは言え問いただしたってオーリが素直に答えるとは思えなかったし、何より放っておいた方が面白いことになりそうだったので、エルゼは生ぬるい目で溜め息をつくに留めた。


「小さな体でちょろちょろする所とか、元気で気紛れで、何にでも興味を持って潜り込みたがる所とか、君を見てると昔飼ってたモモリネズミを思い出すよ」

「……それは褒め言葉ととって良いんですかね?」

「良いんじゃないかな。あの子は俺も妹も可愛がってたから」

「妹さんがいるんですか」

「ああ。まだ十三歳だけど、しっかりした子だよ」


 何年も前に寿命で死んだ、あのハツカネズミに似た小さな魔獣も、何だかんだ人の気持ちに敏感で賢かった。

 エルゼは手の掛かる小動物を見るように苦笑して、オーリの頭をぽんと撫でた。


「……まあ、程々にね。万一見つかっても、忍び込むだけならそう酷く怒られることにはならないだろう。クチバシ、リアちゃんをよく見ておいてくれよ」

「はい!」

「ピィ」

「『是非に及ばず』だそうです!」


 オーリは一片の説得力もないほど元気良く。クチバシは一縷の諦観が垣間見える目付きで泰然と。


「それ、クチバシが正確にそう言っているのなら、クチバシもリアちゃんも本当に凄いよな……」


 ヘンな小鳥とヘンな子供に色々諦め切った目を向けて、エルゼは進路を変えた。


「リアちゃん、リクエスト通りナマズ人形を見に連れて行ってあげるよ。ついでにアロマグッズも見るかい?」

「是非! うわあ、楽しみだなあ。夜中に目が光るなら、日中は髭が三つ編みになってたりしないですかね?」

「ナマズの髭は四本あるから、三つ編みには微妙にならないかな」


 下らないことを言い合いながら足を進めていたエルゼの肌が、ふっと何かの異常を感知したのはその時だった。


「――?」


 エルゼとクチバシが顔を上げ、道の向こうを見たのは同時。一人と一羽の反応を見て、直後にオーリも異変に気付く。

 街の喧騒に混じって、遠くから聞こえてくるざわめき。そこに悲鳴のようなものが混じっている気がした。


「リアちゃん、悪いが少しここに居てくれ。俺は様子を見て来る」


 そう告げたエルゼは、オーリが頷くのを確認して走り去った。




※※※




 すぐに目視できなくなったエルゼの背中を見送った後。

 ピィ、と心なしかそわそわしつつ、控えめに主張してくるクチバシに、オーリは元来た道を見た。


「何、クチバシ? ……今のうちにちょっと郵便屋に戻ろうって言ってる?」

「ピィ」

「駄目だよ、エルゼさんにも動くなって言われたし、店員さんに見られたらヤバいんだってば」

「……チッ……!」

「今『あの郵便鳥共全員円形脱毛症になれ』って吐き捨てた?」


 どうしてそうもクチバシが郵便屋に行きたがるのかなんてオーリには分からないが、うっかりあの鳥たちに再会されて惨劇を繰り広げられてもたまらない。

 エルゼの言い付け通り、彼が戻るより大人しくここで待機しようと考えていたオーリの耳に、けれどその時、不意に聞き覚えのある声が聞こえた気がした。


(この声……昨日会った行商人――クロードさん?)


 オーリの聴覚は常人に比べて遥かに高い。雑踏の中に混じった微かな声も聞き分けて、それを押しのけるように何やら不穏な声色が続いていることにも間もなく気付いた。

 出所を探して無意識に視線を泳がせたオーリに、クチバシが不快そうな鳴き声を上げる。オーリはそれに構わず声の方向と、途中でエルゼが戻ってきてしまった場合の言い訳を考え始めた。


 ――このガキの命が惜しかったら、なんて言葉を聞いてしまったら、黙っているわけにもいかないだろう。




 その頃ラトニは奥歯を激しく軋ませながら無言で机を殴り続けていたそうです。


(オーリさんの手紙……オーリさんの言葉……オーリさんが僕に送るためだけに書くはずだった手紙……!ギリィ)



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