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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
王都編
26/176

25:薄金の影は遥かに遠く

 そこは、日の光も届かない閉ざされた空間だった。


 外の喧騒からは完全に隔てられ、石壁に囲まれた大きな部屋。沈と音のない空気の中、湿った匂いに混じる異臭は、果たして腐臭か、薬物か。

 暗幕に覆われた室内に、外へ通じるのは重い扉が一つだけ。蝋燭の炎が不気味にちらちら瞬いて、石壁に映る影は幽鬼の揺らめきを想わせた。


 奇妙な形の骨がある。角の生えた頭蓋骨に、蹄を残した一本の足。大切そうに、丁重に、美術品のように安置されたそれは、その恭しさ故に不気味な寒気と違和感を感じさせた。

 鈍く煌めく石ころと美しい宝石の輝きを持つ球体は、透明な容器の中で一緒くた、如何にも無造作に詰め込まれ。

 こぽり、こぽりと台の上、泡を生み出して揺れるのは、真っ赤な液体で満ちた丸底フラスコ。緑の炎が器を炙り、細い黄煙を上げている。

 棚の上からこちら見下ろす、異様なまでに精巧な人形たちは、瞬き一つすることなく。けれど今にも動き出しそうなその造作と表情は、人形たちの持つ過去と背景への暗示を、怪奇的な方向へと導いていた。


 まるで、声を発することさえも憚られるような。

 或いは、発した声さえ深淵に絡め取られてしまいそうな。


 そんな、昼なお暗いその場所で。数多並べられた、狂気すら感じられる異常な物品に囲まれて。

 少女は一片の虚勢もなく、心の底からこう叫んだ。


「――素敵ですエルゼさん! 私こういう店大好き!」

「そうかい、それは良かった」


 幾分目尻の垂れた灰色の目をキラキラと輝かせ、東方の血脈を想わせる容貌の少女――オーリは、嬉々としてエルゼを見上げて歓声を上げた。

 彼女をここに連れて来た紫銀の髪の美青年は、全身で歓喜を露わにする少女に唇を歪める。彼はくすくすと愉快げに笑い、形の良い眉を小さく動かした。


「もしかしてと思ったけど、気に入ってもらえたようだね。しかしやっぱり、君は相当に変わった子だなぁ」


 ホルマリン漬けの蛇を興味津々に観察する少女にエルゼが向ける感情は、呆れ一割感心二割、面白いものを見つけた子供のような好奇心が七割。ドン引きされる可能性もあったが、自分が知る中で最も品揃えの良い――そして最も面白い店に案内したのは正解だったようだ。


 裏でこっそり悪魔召喚の儀式でもしていそうな、《魔術屋本舗『漆黒の髑髏』》。

 まともな女子供ならビビり上がる不気味で怪しい店ではあるが、見方を変えれば厨二ゴコロを存分に擽る、清く正しい「魔術道具ショップ」である。



 恋する空回り野郎に振り回された非常に馬鹿馬鹿しい誘拐事件の終幕から、一日が経過して。本日オーリはいつもの通りクチバシを連れ、エルゼの案内で王都のお勧めスポットを巡ることになっていた。

 観光マップを見れば分かるような、有名な名所に興味はない。自らガイドを買って出ただけあって、エルゼの持つ地元情報はオーリも満足するものだった。


 無骨な外見の店主が営む、手製の繊細な硝子細工が並ぶ裏道の小物屋。

 読めない本も沢山ある、看板すら無い古い古書店。

 御歳百歳を越えると噂の名物店主が君臨する、見習い芸術家が作品を持ち寄る煉瓦造りの小さな店。

 近所の住民の溜まり場になっている、夜は酒場に変わるような安食堂は、お茶一杯で一日滞在して知人と駄弁る客もいる。

 真っ昼間からやっている賭場らしき所に、オーリが素知らぬ顔して入ろうとした時は――まあ、流石にエルゼが笑顔で止めたが。


 知識も話術も人脈も、恐らくエルゼは一級に足る。何の違和感も抱かせることなくオーリの歩調に合わせたスマートなエスコートは、場所と相手が違えば社交界にも通じただろう。

 そうして一日しかない約束の時間を惜しみ、あちこちを歩いた午後のこと。

 思い出したようにオーリがリクエストしたのは、封珠や魔術具を扱う店だった。彼女の言葉にエルゼはしばらく考えて、オーリを連れて来たのがこの店だったのだ。


「やー、私こういう雰囲気超好みなんですよね! 如何にも黒魔術、みたいな! 怪しいことやってますよ、みたいな!」


 楽しそうにはしゃぐオーリの肩では、やばそうな代物に手が伸びるたびにクチバシがピィピィと囀っている。丸い瞳を鋭く尖らせる水色の小鳥は、好奇心の赴くままにホイホイうろつくオーリの保護者のようだ。


「クックックッ、好き勝手言ってくれますねぇ、お客様……」


 低い声で含み笑いをしながら言葉を挟んだのは、カウンターの向こうに座る女店主である。

 これまた愉快なこの店の主は、目深に被った黒いフードと、黒いローブに赤い唇。これまたとことん怪しいレトロな黒魔女スタイルではあるが、この品揃えを見る限り、実際魔術にはそれなりの知識を有しているのだろう。

 一定以上の魔術師なら分かるだろうが、あちこちの棚から感じる魔力の波動は、質の悪い『ニセモノ』からは到底生じ得ないものだ。

 そんな商品たちを平然と集め管理している女店主は、深紅のルージュを刷いた唇をニィッと吊り上げ、ずいっと大きく身を乗り出した。


「うちは後ろ暗いことなんて何一つやっていませんよ……。だから安心して、じぃぃっくりとご観覧下さい……ええ、本当ですとも……クックックッ……」

「夜道で包丁持って徘徊しながら『封じられし妖刀の対を追跡中なんだ』って主張してる人の方がまだ説得力あると思うのは気のせいですかね? え、ここ地下室とかありませんよね。危ない魔法陣が描かれた血生臭い部屋とか、万引き犯を生贄にして喚んだ上級悪魔とか隠れてませんよね?」

「クックックッ、面白いことを考えるお嬢さんですねぇ……。地下室はありますが、商品倉庫と会計帳簿くらいしか置いていませんよ……」

「置いてあるものは俗っぽいけど、一応地下室はあるんだ。こんな堂々と怪しい雰囲気出してるのに、よくご近所さんに通報されませんね。買い物行く時もその格好なんでしょう?」

「隣人とは良好な関係を築いていますよ……。まあ、何故か一度、指名手配中の逃亡犯が侵入している恐れがあるからと、立ち入り捜査に来た警備隊に拳くらいしか入らない壷の中まで引っ掻き回して行かれたことはありますが……」

「それ多分、別のモノ怪しまれてたんですよ」


 せめて屋根の上に骨を飾るのとか、煙突から赤紫の煙を上げるのとかをやめたら少しはマシになると思うのだが。オーリからすれば大歓迎の厨二デザインでも、初見の一般人は普通にビビるだろう。


「心外ですねぇ……。うちはいつもニコニコ明朗会計、税金滞納だって一度もしたことのないクリーンな……あっやめて、それそっちに捻っちゃダメ……」


 万華鏡のようなものを持ったオーリが蓋を捻ろうとした手を、クチバシが制止するように軽く一突きする。店主に言われた通り逆方向に捻って覗き込めば、くるくると踊る星屑のような粒が見えた。


「うわ、これ綺麗だなー。見てみなよクチバシ、キラキラしてる」

「美しいでしょう……それは午前二時になると、見えるはずのないものが見えるとの話でしてね……」

「何ですかそれ。悪魔とか、将来の結婚相手とか、自分の死に顔とか?」

「過去一番恥ずかしい自分の黒歴史だそうです……」

「別の意味で怖いな!?」


 ぎょっと慄いたオーリに、店主は「だからわたしはまだ一度も確かめていません」と、心なしか震える声で呟いた。何やら思い出したくない過去があるらしい。


「そ、それはちょっと買うのに勇気が要るでしょうね……。あ、こっちの髑髏は駄目? 手首も駄目? これ猿の手みたいで面白そうだったんだけど。……睨まないでよ、分かったから」


 某都市伝説を連想させる手首のミイラを諦めて、オーリは残念そうに手を引っ込める。それからまたクチバシの顔色を窺いながら、棚へと視線を泳がせ始めた。


(……やっぱり、あの小鳥には相当の知性があるようだな)


 少し離れて背後でそれを眺めていた、この店にいるもう一人――エルゼ・マックルーアは、彼女たちの様子に微かに感心したような息を吐いた。

 一見人当たりの良さそうな双眸を油断なく光らせた彼は、まるでその姿を丸ごと脳裏に写し取ってしまおうとしているかのように一人と一匹の姿を見つめ、そこから読み取れる情報を記憶し分析するために意識を働かせていた。


 そもそもエルゼがガイドを買って出た理由は、純粋な好意ではなく彼女たちに対する好奇心である。

 フレンチトーストの件で名前を知り、シエナ伝いに話を聞き、誘拐犯の自宅で顔を合わせて。今日も街を散策している間中こっそり眺めていたのだが、彼女たちの言動は第一印象から変わらず、面白いほどエルゼの興味を引き続けていた。

 幼子らしからぬ知識と豪胆さの見え隠れする少女然り、少女に対しては獣らしからぬ態度を徹底する小鳥然り。殊この両者の関係性が、今のエルゼには最も不可思議で好奇心を煽る。


(羽毛の色から予想してはいたが、それにしても賢い。並みの人間にも劣らないじゃないか)


 胸中で呟いて、エルゼは顎に手を当てた。夏空の色をした瞳が細まって、少女と小鳥をゆるりと映す。


 最初に出会ったその時から、オーリ(ただしエルゼは彼女の名前を「リア」と認識しているが)とクチバシが見せる遣り取りは、片方が言葉を持たぬ小鳥であることを忘れさせてしまいそうなほど、滑らかに意図を通じ合わせていた。

 街を散策していた時も、この小鳥は一時もオーリから離れず、ふらふらと怪しい店に吸い込まれそうになる少女を鳴き声や攻撃で窘めている。今も的確に危険度の高い道具を弾いている辺り、危機察知能力も高いようだ。


 幼い外見に見合わず肝の据わった東方の血を引く少女と、その保護者のように振る舞う奇妙な小鳥。その異質性もさることながら、このコンビの言動は一々コントのようで飽きなかった。一見して立場が強いのが、飼い主ではなくペットの方であることも面白い。

 今日と昨日の二日間。合わせて半日も時間を共にはしていないが、彼らが冒険者などの間で見られる「獣使い」の在り方とは一線を画していることは、エルゼの目にもすぐに分かった。


(優れた魔力と知性を持つ魔獣……見たことのない種類なのが、やっぱり少し気になるな。彼女の故郷の魔獣なのか? ……つくづく興味深い。シエナに交代してもらって良かったよ)


 最初にシエナにガイドの代役を提案した時は単なる軽い興味だったが、クチバシの存在を知ってからは別の意図も生じている。

 何せ、『この自分』が知らない魔獣を容易く従える異国の少女というだけでも、エルゼにとっては見極めておきたい対象だった。

 魔力や知性が高い、即ち高位の魔獣であればあるほど、手懐けるのは困難になる。そんな存在を当たり前のように傍に置き、何の疑問もなく信頼している様子の少女の姿は、見る者が見れば表情を変えるだろう。

 そうして、恐らくクチバシの方もまた、彼女の信頼を裏切ることなど微塵も考えてはいない。


 自分を観察するエルゼの視線にも気付かず次の商品を物色するオーリと対照的に、クチバシと呼ばれる小鳥は出会った時からずっと変わらず、エルゼに密やかな警戒を向け続けていた。

 どれほどオーリがエルゼに懐こうと、クチバシはエルゼに対する警戒を解こうとはしないだろう。尤もその理由には心当たりがあるので、エルゼとしても苦笑で受け入れるしかないのだが。


(まあ、どうやらクチバシは、リアちゃん以外のことには興味が薄そうだ。彼女に害を為されない限りは、あちらから何かしてくることもないだろう。リアちゃん自身も、これまで見た限りは王都観光を楽しむただの子供。別段怪しむべき所はないか)


 ――嗚呼、本当に、この一人と一匹は興味深い。集に埋没するその外見と、内側に抱える異常に異質。もしも何も知らずに道端ですれ違ったなら興味すら引かれないだろうそのコンビは、観察するに連れじわりと周囲から浮き上がって見える。

 真剣に棚を睨む少女の様子に微笑を零しながら、エルゼは少女の視線が止まったと同時に背後から手を伸ばし、革表紙の本を取り上げた。


「これかい?」

「あ、ありがとうございます、エルゼさん」


 見下ろすエルゼの目の前で、差し出された本をオーリが受け取る。笑顔で礼を言って、彼女はぺらぺらとページを捲り始めた。


「読めるのかい? フヴィシュナの言葉じゃないようだけど」

「正直あんまり。蛇とミミズのタップダンスに見えますよ。……これスポンジ投擲って書いてます?」

「それはスポイト一滴と読むんだよ」


 なるほどわからん。

 無駄に鷹揚に頷いて、オーリはエルゼの視線の下、マイペースに文章の続きを追った。

 少量の分かる単語と大半の分からない文字で書かれた文章に、鍋やスプーンや植物の絵。一見ただの料理本に見えなくもないが、さて実際には一体何のレシピなのか。

 少しでも解読できないかと熱心に本を見つめるオーリと、その肩から一緒になって中身を覗き込んでいるクチバシに、エルゼはくすくすと含み笑った。


「しかし、その小鳥は本当に凄いね。ここは『ホンモノ』が沢山あるから素人にはちょっと危険かとも思ったんだけど、その子がいるなら問題はなさそうだ」


 さらりと言われた言葉に、オーリは少し眉を上げてエルゼを見上げた。


「あー、やっぱり危険物多かったんですか。店に入った時、クチバシがちょっとピリッとしたから、そうなのかとは思ってたけど」


 一言の警告もなく『危険な』店に連れ込まれたことには全く触れずに、オーリは呑気に首を傾げる。ある意味危機感が無いとも言えるだろうが、逆に言うなら『取り扱い注意』は、『ホンモノが多い』ということでもあった。


 そもそも、封珠や魔術具を含む所謂「魔術道具」の類は、物によっては骨董品並みの目利きが必要になる。オーリがエルゼに店の紹介を頼んだのも、『ニセモノ』の店で不良品を掴まされることを疎んだからだった。

 ただでさえ、幼いオーリは外見で侮られる。エルゼが『ホンモノ』の店を知っているのなら、聞いておくに越したことはないのだ。


「危険と察していて気軽に手を伸ばす君もなかなか豪胆だけどね。クチバシが教えてくれるからかい?」

「はい。クチバシは、私が怪我するようなことはさせませんから」


 分かってたんならちょっとは警戒しろとばかりに攻撃準備を整えていたクチバシが、その一言にしゅるりと矛を収めるのをエルゼは見て取る。風船から空気が抜けるように怒りを消失させた小鳥に、くつりと小さな笑声が洩れた。


「まあ、それなら俺の監督は必要なさそうだな。ゆっくり見て回ると良い。それとも、何か目的のものがあるのかい?」

「ああ、そうですね……。封珠も幾つか欲しいんですけど、ちょっと気になるものがあって……」


 若干言葉を濁しながら、思い出したようにオーリが言う。ぐるりと棚を見回した彼女は、少し考えた後店主の方に向き直ってこう告げた。


「――あの、この店、転移の封珠とか魔術具って置いてますか?」

「転移の、ですか……?」


 オーリの問いに、店主は首を傾げた。


「はい。出来れば一般的な移動範囲とか、人数制限とか、そういう詳しい使用条件も知りたいんですけど」


 さて、と首を捻り、店主は考えるように人差し指を顎に当てた。しばし口を噤んだ後、深紅の唇をゆっくりと開く。


「最初の問いからお答えすると、うちには転移封珠はほとんど置いていません……。移動距離も非常に短いですし……そうですね、精々視界の範囲内に転移できるくらいのものでしょうか……それだって、間に障害物を挟めば発動すら怪しいレベルですよ……」

「それは、他の店も?」

「……恐らくは。転移の魔術道具自体置いていない店も多いかと……」

「そもそも、転移系の魔術道具は扱いが難しいんだよ」


 腕組みをして聞いていたエルゼが、落ち着いた声を挟んできた。


「転移魔術は門も関所も無視できる、要するに侵入や密入国には非常に便利な魔術だ。旅人や商人だけでなく、犯罪者にだって欲しがられるだろう。そんなアイテムがごろごろ転がっていたら、悪用への対処が追い付かなくなる」

「転移を防ぐ結界でも張れば良いのでしょうが、それにだって魔力やコストが掛かりますからね……」


 犯罪への有用性が高過ぎる。それが、多くの国で高位の転移系魔術道具が厳重に管理されている理由だった。

 それでも個人の使う魔術までは管理し切れないが、そもそも転移魔術は扱いが難しい。魔術道具の補助を受けず、単独で正確な長距離転移を行える魔術師など、大陸中見ても一掴み程度のものだろう。足りない技量で下手に使えば、【いわの なかに いる】なんてことにもなりかねない。


 ふうん、と呟いて、オーリはいつかの緩い青年を思い出した。


(やっぱり転移系の魔術道具は貴重なんだ。なら、それを当たり前みたいな顔で持ってたジルは、何処でそんなものを手に入れた? きっと開発すら難しいような代物なのに)


 出来れば一つ現物を購入して調べてみたかったが、この様子では無理そうだ。そんな貴重品なら、恐らく結構な値段がする。

 ――ピィ、と声がして、考え込むオーリの思考にクチバシの視線が割り込んだ。はっと目を瞬いて、無意識に口元まで上げていた親指を下ろす。

 一瞬の遣り取りを疑問に思った風でもなく、エルゼがぽつりと付け加えた。


「言っておくが、たとえ封珠を手に入れても、この王都では使えないぞ。ここでは短距離転移すら封じられているからな」

「え?」


 淡々と言われた言葉に、オーリは一拍置いて反応する。青年の青い双眸が、思考の読めない眼差しでオーリを見下ろしていた。


「街のデザインに色違いの石を使って、王都全体が一つの芸術品のように作り上げられていることは知っているだろう? 実は、同時にこの街には、街全体を覆うように巨大な魔法陣が敷かれているんだ。何代か前の王が暗殺だか反逆だかの防衛策に作ったものらしいんだが、残念ながら詳細は分からなくてな……」

「一般人には教えられてないってことですか?」

「いえ、公的にもということです……。作製した王自身が結構な腕前の魔術師だったせいで、他人に見せるための資料があまり作られていなかったんですよ……」


 自分一人で何もかもやってしまえるならば、他人の意見など聞く必要もない。それが国のトップならば、尚更気遣いなどしないだろう。

 いずれにせよ、そんな環境なら一層王都で転移系魔術の研究など行われるまい。何せ、作ったものを実験出来ないのだ。効率が悪過ぎる。


「尤も、ぶっつけ本番で試すのは絶対に止めておいた方が良いですよ……。転移魔術は失敗すると怪我で済まないので……。……クックックッ」

「今、しばらく含み笑いしてないことに気付いて急いで付け足したでしょう」

「それから、人数制限や移動範囲についてですが……」


 ツッコミはさらりと流された。軽く咳払いをした店主は、心なしか視線を逸らしつつ、低い声でぼそぼそと説明を続ける。


「これは使う道具次第と言う他ないですね……。例えば道具で魔術の補助をするのではなく、道具単独の力で転移を行うとなれば、相応の技術と魔力が必要になります……逆に言えば、それさえクリアすれば大陸を越えることも可能ということで……」


 つまり、アイテムの現物がない以上、移動範囲からジルの本拠地を特定することも出来ないらしい。


「魔術道具で転移した相手を追跡したりすることは?」

「基本的に転移系魔術道具では、予め入力された特定の地点にしか移動することはできませんから……魔術道具自体を解析すれば簡単です……。或いは転移の目印を、場所ではなく人に設定した魔術道具があれば……」

「あるんですか!?」

「いえ、ありませんが」

「…………」


 勢い込んだ分しょっぱい顔で沈黙した後、オーリは気を取り直して再び思考を巡らせ始める。

 もしもそんなことが出来るなら、ラトニや自分が誘拐されても追跡することが可能だと思ったのだが、そう上手くはいかないらしい。


(やっぱり転移系魔術道具が一個欲しいなあ……一番安い短距離転移封珠でも良い。シェパに戻った後で実験を……いや、でも扱いが難しいって言うし、失敗したら多分物凄く悲惨なことになるよね……?)


 いつか来る脅威に対する対抗手段を探すつもりで、自爆するなど笑えない。

 つまるところ、やっぱり打つ手なし。魔術に詳しい師でもいれば別かも知れないが、それは流石に両親には強請れないだろう。高位の魔術師を探す難しさもだが、「オーリリア」が幼いうちから魔術を習う必要性を上手く説明できない。


(数年経って王立学院に行くまで待てって、普通に説得されるのが落ちだろうなあ……)


 ちらりと肩を見やれば、クチバシは冷静にこちらを見返している。

 もしも意見を求めれば、きっとラトニも同じ顔をするだろう。「ただでさえあなたはどっか抜けてるんですから、焦ってこれ以上判断力を失うんじゃありませんよ」と頬を抓ってくるラトニの返答が目に浮かぶ。抜けてて悪かったな。


(……仕方ない、安全第一だ。万が一の時、フォローを頼める相手がいないっていうのは結構問題だもんね)


 残念そうに肩を落として、オーリはようやく顔を上げた。観察するようにこちらを見つめている二対の視線に、明るい灰色の目を合わせる。


「よく分かりました。お話、ありがとうございます。また何か知りたくなったら、聞かせて頂いても良いですか?」

「構わないよ。転移の魔術道具はもう良いのかい?」

「はい。あっても、今の私には扱い切れないでしょうし」

「ああ、そうだろうね……それが正しい。自分の力量を弁えるのは大切なことだよ」


 オーリの結論に、エルゼは満足そうに頷いた。何処か含むような物言いだったが、彼はそれ以上は言及せず、精緻な美貌をほんのりと笑ませて身を翻す。


「――リアちゃん、まだ店内に興味があるんだろう? 時間はあるから、もう少しここを見て行こう。俺も幾つか欲しいものがあるし、何か質問があったら遠慮なく聞いてくれ」

「うちは低位の封珠も置いてありますからね……ご注文があれば持ってきますよ……」

「あ、ありがとうございます。じゃあなるだけ攻撃力高くて防御力が高くて不意打ちに強くて味方に居場所を知らせやすくて、特に非常時にお役立ちなのを重点的に見せてくれますか!」

「……何と戦うおつもりで……?」


 少し引いた様子の店主に、オーリはにこー、と朗らかに笑ってみせた。


「店主さん、人間はいつだって、あらゆる世間の不条理と真っ向戦って生きてるんですよ!」

「今そういう哲学的な話してましたっけ……?」


 オーリの頭頂に居場所を移し、クチバシが話に飽きたように巣作りを始める。濃茶色の髪を適当に整えて、満足したように丸くなった。


「店主さん、この指輪は何ですか?」

「それは雷撃の魔術具ですね……。最近他国の工房から入ってきたもので、何でも威力調整が可能という……」

「どれくらいですか? 大木程度なら消し炭にできるくらい?」

「だからどうしてそう物騒なことを。……まあ、最大威力なら、この部屋中を雷の網で埋め尽くせるくらいですよ……」


 大人の手のひらほどもありそうな真っ黒い羽ペンを眺めていたエルゼは、彼らの遣り取りを横目に見ながら小さく笑い声を洩らした。

 少女と店主の遣り取りは、まだ当分途切れなさそうだ。



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