22:昔日の面影、泡沫の涙
「ああ、これは確かに僕が落としたものだね。わざわざ届けに来てくれてありがとう」
オーリの手から渡された首飾りを一頻り調べた後。青年――クロードは、困ったように微笑みながらそう言った。
よく見れば整った顔立ちをしているが、いまいち目立たない雰囲気のある青年だ。
人の好さそうな印象は間違っていなかったらしく、彼は心底申し訳なさげに眉を下げてオーリを見下ろしてくる。「ごめんね、随分走らせちゃったでしょう」と肩を落とすクロードに、オーリはぱたぱたと手を振った。
「いえいえ大丈夫ですよ、私、足は早いんで。それより持ち主が見つかって良かったです。高価な宝石だったりしたらどうしようかと思ってましたから」
「はは、残念ながら石そのものとしてはそんなに価値はないよ。確かに綺麗ではあるけどね」
控えめに笑いながら、クロードはじゃらりと指先から石をぶら下げてみせる。その光景を見て、ふとオーリは首を傾げた。
(――あれ?)
最初に見付けた時、確かこの石は、薄い紫のラインが入った艶やかな黒色をしていたはずだ。
けれど今見せられたそれは色合いが違う。例えるなら、漆黒に一滴の銀を垂らしたかのような――
(……気のせい、かな?)
光の加減で色が変わる貴石も数多ある。所有者であるクロードが何も言わないということは、別段異常はないということだろうと、オーリはすぐに生じた疑問を掻き消した。
頭の上では、クチバシが興味無さげに丸くなっている。頭髪越しに羽毛の感触を感じながら、彼女は興味本位に次の問いを繋いだ。
「石そのものはってことは、もしかして何か付加価値でもあるんですか?」
「わあ、鋭いねー。実はこれ、新作の魔術具だったりするんだよ。まだ市場には出回ってないんだけどね」
さらりと言われた言葉に、オーリは意味を飲み込んでぎょっとした。
基本的に、魔術具というものは非常に高価である。良質な魔術具は、高位の魔術師が操るに劣らぬ強大な魔術を発動させ、或いは魔術の効果を増幅させる。同じサイズの宝石と魔術具なら、実は後者の方が高価だった、などということさえあり得るのだ。
勿論その中にもピンキリがあるため、手品のネタ程度にしか使えなかったり、粗悪品だったりの安物も数多出回っている。
けれど、質が上がれば値段も相応に上がるもので。
庶民でも手が出るものが多い封珠と違って、その買い手の大半は、やはり魔術師や冒険者、或いは富裕な上位層などに限定される物品でもあった。
尤も、扱うだけならほとんど魔力を持たずとも起動できる封珠と比べて、魔術具はより高度な魔術を生み出し、操作にもある程度の技術が要求される。そんなものを必要とし、また扱い切れる一般人が、そこらにごろごろ転がっているわけもないのだが。
(うん、それどんな世紀末って話だよね……。これで一応、需要と供給は釣り合ってるのかなあ)
恐る恐る黒石を観察しながら、うっかり傷付けたりしなくて良かった、とオーリは思った。
市場に出回る数が少なければ、その分プレミア効果も付くだろう。物によっては家が買えるほどの値段が付く魔術具を、弁償する当てなど全く無い。
「ふふ、リアちゃん、吃驚した猫みたい。心配しなくても、これは簡単に傷付いたり壊れたりしないよ」
くすくす笑って、クロードは言った。
「それに、君が想像してるほど高価なものでもないと思うよ。新作とは言っても、まだギリギリ試作品の段階だから、実質市場価値は無いと思って良い。僕も知り合いに試して来いって言われただけだから」
ぷらぷらぶら下がる黒石を、まるで玩具のように無造作に揺らしながら、彼は猫のように視線を泳がせるオーリを楽しげに眺める。
その拍子に覗いたクロードの手首には複数の腕輪が連なっていて、外套の下は意外と小洒落た服装をしているのかも知れないとオーリは思った。
文字らしきものが大きく刻まれた金色の腕輪は、貴石こそ付いていないものの、どこか品があって美しい。
こんなものを付けているから絡まれるんじゃないだろうかと思いつつ、彼女は催眠術師の五円玉を追うようにふらふら視線を彷徨わせた。
ややあって手を止めた彼は、熱心に黒石を追いかけていたオーリの鼻先にひょいとそれを突き出した。
「――ねえ、リアちゃん。これ、良かったら貰ってくれないかな?」
「は?」
反射的に仰け反ったオーリは、文字通り目と鼻の先で揺れる黒石に、大きく見開いた目をぱちくりさせる。興味無さげに丸まって目を閉じていたクチバシが、振り落とされそうになって迷惑げに一声抗議した。
「は――え、いやいやいや! 頂けませんよ、そんな貴重な物。お礼の三割にしても多過ぎる!」
「三割は知らないけど、遠慮しないで。僕は予備があるから」
ニコニコしながらぐいぐい黒石を突き出してくるクロードに、オーリは顔を引き攣らせて後退った。この人意外と押しが強い!
「て言うか、そもそもこの魔術具何に使うんですか? 間違って大爆発とか起こされても困るんですけど!」
「うん? これは幻術特化だから、爆発は起きないよ」
あっさり言われて、オーリはきょとんと足を止めた。
「幻術? と言うと……」
「使い手の魔力や技術にもよるけど、自分に幻影を被せて容姿を全く別のものに見せたり、姿を視認できなくさせたり、後は他人に幻覚を見せたり。他人の幻術に対する耐性も付与してるよ」
ぴくん、とオーリの耳が動く。非常に魅力的な言葉が幾つか聞こえたが、慌ててぶんぶん首を横に振った。
「いやいや、やっぱ駄目です! 大体クロードさん、そんなもん何に使ってたんですか!」
「あー……実は僕、行商人みたいなことやってるんだけどね。素顔で歩くと、何故かあちこちで色んな怖い人に絡まれて……」
「すごい納得」
決まり悪そうに頬を掻いて目を逸らすクロードに、オーリも一転して気の毒そうな顔をした。見るからに気弱そうでお人好しそうな彼は、確かにカモにされやすそうだ。
「それに僕、あんまり魔力が無くて、高度な魔術具はきちんと活用できないからさ。君、魔力多いでしょう? 常時発動型なんて珍しいねぇ」
「な、何故それを!? 一目見て分かるものなのそういうこと!」
「あはははは、ごめんね、今のは鎌掛け。でもやっぱりそうだったんだ」
ばばばばばっ、と匂いを払うように焦ってあちこちをはたき始めたオーリは、クロードの言葉にがくりと肩を落とした。「そんなこと、普通に見るだけじゃ絶対分からないよ」と告げながら、彼は一々素直な反応を見せるオーリを面白そうに見下ろした。
オーリの体が常時発動型の魔術で強化されているというのは、以前ジルにも指摘されたことだ。
ただしオーリにその自覚は無く、どうすればその発動を止められるのかも分からない。もしも一目見てその異質が分かると言うのなら、オーリは気軽に人前にも出られないことになる。
見るからにほっとした様子のオーリに、クロードは何かを察したようだった。からかうような笑みを案じるものに変え、オーリの前にしゃがみ込む。
「その様子だとリアちゃん、自分の力についてあまり詳しくないでしょう。だったらその力、人には知られない方が良いよ」
「気を付けます……」
「なら、やっぱりこの魔術具は持っていた方が良い。常時発動型魔術を扱えるような魔力量なら、これくらいのものは問題なく使えると思うよ。魔術師になれるかは別問題だけど」
「ああ、魔術具が使えるのと魔術師適性があるのは別の話なんですね」
「そうだね。魔術師になれない人間でも、魔術具を使うに支障のないケースは多いよ。逆に魔術師が魔術具を使って、自分の魔術を補強したり魔力消費を抑えたりすることもよくあるけど」
封珠→魔術具→魔術師の使う魔術、の順に使用時の難易度は上がる。最も困難だからこそ魔術師は貴重であり、その才能を囲い込む権力者は多いのだ。
それでもまだ受け取りかねているらしいオーリに、クロードはゆっくりと立ち上がって笑いかけた。
「本当に遠慮しなくて良いんだよ。実はこれ、ちょっと訳があって、僕には使えなくなっちゃってたんだ。君なら問題なく使えると思うから、貰ってくれた方が無駄にならなくて済むんだけど」
「え、」
その台詞に、オーリは驚いてクロードを見上げる。
どういう意味かと問おうとした彼女の言葉を遮るように、クロードの手がするりと伸びた。男のそれとしては少し細い、金の腕輪の連なる手が、オーリの被るフードに触れる。
黒と青灰の視線がほんの一瞬絡み合い、微かに笑ったクロードは、そっと指先でフードを摘まみ――オーリの目元を隠すように、優しくそれを引き下ろした。
「――身を隠すものは、あった方が良い」
囁くように告げた声は、純粋な気遣いに満ちていた。
口の端を穏やかに吊り上げた彼は、オーリの頭頂をちらりと見やる。いつの間にやら身を起こし、すぐにも飛び出せるように体勢を整えていた小鳥が、クロードの手が離れるのを確認して、再び興味をなくしたように静かに体を丸めた。
引き下ろされたフードを不思議そうに撫でながら、オーリが上目遣いにクロードを見る。
「……まあ、確かに治安は良くないですけど。でも、幻術まで使うほどじゃないですよ。それなら、あちこち移動することの多いクロードさんが持ってた方が良いんじゃ……」
「うん、治安のこともあるんだけどね。――さっきみたいに危ないことをするなら、顔を知られちゃいけないだろう?」
笑みを深めて告げられた言葉に、不可解そうに首を傾げていたオーリは、一瞬ピキリと固まった。気を取り直した彼女の口が、何のことですか、という言葉を紡ぐ前に、クロードはオーリの右手を取り上げる。
「さっきのごろつきを気絶させたの、ポウの芯だったね。……熟したポウの果汁は、肌に付着すると意外に匂いが残るから気を付けた方が良い」
――この人意外と冷静に見てた!
思いがけない的を射た指摘に、オーリは全力で顔を引き攣らせた。絶対バレてないと思ったのに!
頭上からクチバシの呆れた空気が漂ってくる。たらりと冷や汗を垂らしながら、オーリはごまかすような笑顔を浮かべた。
「あ、あはー、何のことだか」
「うん、君がそう言い張りたいなら、僕は別に構わないんだけどね」
――聞く気ねェェェェェ! 確信しちゃってるよこの人!
無駄な足掻きに目を泳がせるオーリを放置して、クロードは荷物の中から細い鎖を取り出した。切れた首飾りの鎖を手早く外して、代わりに新しいものと付け替えていく。
「魔術具を使ったことは?」
「え、や、ないです」
「じゃあ説明した方が良いね。大丈夫だよ、割と単純だから。まずこれは――」
淡々と語られる説明に、オーリは目を白黒させる。さして長くもない話を聞き終わったと同時に、小さな頭を鎖が潜った。しゃらりと掛けられた首飾りに、オーリは慌ててクロードを見上げる。
「――君に貰って欲しいんだよ。どうせ僕にはもう使えない。これを譲るなら君が良いと思ったんだ」
いっそ違和感を覚えるほど落ち着いた表情で、クロードはそう言った。その態度に疑問を浮かべたオーリも、気圧されるように反論を飲み込んでしまう。
――この眼は苦手だ、とうっすら思った。
かつて自身も宿していたその色は、どうしようもなくオーリに懐旧を思い出させる。黒い瞳に映し出された己の顔は、まるで母に窘められて途方に暮れる幼子のような表情をしていた。
そっと胸元に手をやると、そこには重い黒石が小さく揺れていた。少し考えて、握り締める手にほんの少しだけ力を込める。冷たい石の感触を感じながら、オーリはクロードを見つめ返した。
「……ありがとうございます。ちゃんと、大事にしますから」
「うん。そうして」
ほわり、と目尻を緩ませたのを最後に、クロードは大きな帽子を被り直した。目元が陰になって見えなくなる。荷物を抱え上げて、彼は踵を返した。
「じゃあ、さよなら、リアちゃん。あんまり危ないことばかりしちゃ駄目だよ」
「気を付けます! あの、心配してくれてありがとう、クロードさん!」
ぱたぱた大きく手を振るオーリに、クロードは振り向かないまま、一度だけひらりと手を振った。
何となく名残惜しい思いで見送っていたオーリは、クロードが曲がり角の向こうに消えたと同時に、クチバシが素早く身を起こしたことには気付かなかった。
顔を上げたクチバシは、何か不快なことでもあったかのように曲がり角の方をしばらくじっと睨み付ける。それからふいと目を逸らして、オーリのフードの中に移動した。
「……もうすぐシエナさんとの待ち合わせの時間だね。急ごうか、クチバシ」
そっと撫でてくる指先に顔をすり寄せ、ピィ、と甘えるように鳴く。
小鳥の一連の行動には何も気付かなかったオーリは、一つ息を吐いて、次の予定へと頭を切り替えた。
艶やかな漆黒の首飾りが、オーリの胸元で光を弾いてゆらりと揺れた。
※※※
メインストリートに戻ってきたオーリは、そのまま待ち合わせ場所近くの大きな小物屋に入っていった。
小物屋と言っても、この店は女性向けのアクセサリーや髪飾りも多く置いている。オーリの目当てはそんな商品たちではなく、商品を物色する客たちのために置いてある、備え付けの鏡だった。
棚と台に隠された、人目を避ける小さな鏡の前。
教えられた通りに、オーリは黒石の表面を指先で撫でる。何度か往復して微細な発光が生じたのを見計らい、囁くように動いた唇が鍵言葉を紡ぎ上げた。
「――【幻影固定】」
一瞬、突風に似た何かがオーリの全身を撫でた気がした。それが黒石から発された魔力の奔流であると悟ったのは、己の髪も服も微動だにしなかったことに気付いたからだ。
オーリは恐る恐るフードを脱いで、目の前の鏡を覗き込んでみる。そして、そこに映し出された少女の姿に、おお、と息を呑んだ。
(うわ、凄い。本当に変わってる!)
綺麗に磨かれた鏡に映っているのは、オーリと同じ年頃の、しかしオーリと同一人物だなどとは誰一人思わないだろう少女の顔だった。
伸ばした髪は濃茶色のままだが、瞳は明るい灰色に変わっている。ベースは確かにフヴィシュナ国民であるようだが、何故か顔立ちの彫りがやや浅かった。愛嬌ありげに少しだけ垂れた目が、鏡の向こうから興味津々にオーリを見つめ返している。
(――ああ。誰かに似てると思ったら、前世の私にちょっと似てるんだ)
ぱちぱちと瞬きしながら鏡と見つめ合った後、オーリは一人納得したように頷いた。
彫りの浅い顔立ちは東の地方の特徴、やや呑気そうに垂れた目は桜璃の特徴。
純日本人だった桜璃の顔立ちは『オーリリア』になると同時に消え失せてしまったけれど、こんな所でその面影に再会できるとは思わなかった。
(もっと慣れたら、色んな顔に変化させられるようになるって言ってたっけ。そうしたら、前世の容姿を完全に再現できるようにもなるのかなあ)
幻術を操る時に重要なのは、それを細部まで再現する想像力と創造力だ。それが追いつかない間は、黒石がオーリの記憶と魔力を読み取って、ある程度勝手に顔を作り上げる。
自分の中で思い入れが深いだろう『桜璃』の顔がそのまま再現されなかったことが少々疑問だが、この国で純日本人の顔など目立つことこの上ないので良しとした。
ちなみに現時点のオーリは、身体構成そのものを変えているわけではなく、素顔の上に幻影で作ったマスクを被っているに過ぎない。
よって直接顔に触られれば、パーツの配置が微妙におかしいことに気付かれてしまうのだが――まあ、他人の顔面を執拗に弄りたがるような人間がそうそういるわけもないので、多分大丈夫だろう。
「見て見て、クチバシ! 凄いね、これならフード取って歩けるよ!」
嬉しそうに名を呼ばれて、棚の上で鳥型の置物と見つめ合っていたクチバシが振り向いた。
笑顔で反応を期待しているオーリと、丸っこい目がかちりと合って――そうしてぴたりと動きを止める。
「……?」
凍り付いたように固まったクチバシに、オーリは不思議そうに首を傾げた。
何だか動揺しているようなその姿に、うっかり人間としておかしいパーツでも増えているかと急いで鏡を振り返るが、やっぱり特に異常は見当たらない。
「……おーい、どうしたの、クチバシ? 私だよ? オーリさんだよー?」
まさか顔が変わったからとて飼い主が分からなくなるような可愛げのある鳥ではなかろうと、オーリはひらひら手を振ってみせた。
鳥頭、なんて悪口は、この奇妙な鳥には縁がないのだ。隣の置物と区別が付かなくなるほど動きを見せないクチバシに、何だかオーリはだんだん不安になってくる。
(え、どうしよう。電池切れ起こしたみたいに止まってるんだけど)
待ち合わせの時間も近いし、ひとまずここを離れるべきか。しかし万が一幻影に何か問題があるなら、このまま人前に出るわけにもいかない。
そんなことを思って悩んでいた、けれどその時。ようやくクチバシが無言で再起動した。
ぱさ、と翼を広げたクチバシは、オーリが慌てて差し出した手の上に、よろめくように着地する。
いつになく動揺が透けて見える動作に驚きながら、オーリはクチバシが腕を伝って体を登ってくるのを見ていた。
腕から肩へ、肩から頭へ。
一歩一歩確かめるように、とん、とん、と器用に頭頂へ到達したクチバシは、オーリの顔を見下ろしながら数秒沈黙し――
「――いっだあぁぁぁぁぁぁ!!」
フードを取った剥き出しの額に、小さな嘴を力一杯ぶっ刺した。
思わず上がったオーリの悲鳴は、咄嗟に押し当てた手のひらによって抑えられる。それでもかなりの音量が外に洩れて、いきなり何すんだと彼女はクチバシを睨み付けた。
「チッ!」
「舌打ちした!?」
これはいくら何でも黙っていられない。僅かに垂れた灰色の瞳にギロリときつく睨まれて、クチバシは一瞬怯んだようにぶわりと羽を逆立たせた。しかしすぐに体勢を立て直し、自分は悪くないとばかりに太々しくそっぽを向いてしまう。
「こ、この鳥ィ……!」
両目を限界まで吊り上げながら、オーリはギリギリ奥歯を噛み鳴らす。それでも感情に任せて小鳥を叩き落とすわけにはいかず、必死で怒りを抑え付けた。
今のは相手が人間だったら確実に殴り返しているだろう一撃だった。あまりの理不尽さにオーリの口の端がひくひくと歪む。オイコラなに寛いでんだこの野郎、五寸釘打ち込まれたかと思ったぞ。
「言葉が話せないからって、一々暴力に訴えるんじゃないの! 何か文句があるならもっと要点を分かりやすく主張しなよ、嫌がらせにも程がある!」
こめかみに青筋を浮かべながら小声で怒鳴り付け、オーリは何度か深呼吸を繰り返して、荒波の如く暴れ狂わんとする感情を宥め賺した。
けれど、顰めっ面でズキズキ痛む額を撫でていると、流石に悪いと思ったのか、ややあってクチバシが動く気配がする。
――ピィ、と小さな声が聞こえ、柔らかな羽が赤くなった額に控えめに触れた。ふわりと艶やかな水色の影が、掠めるように視界を過ぎる。
「…………」
ぱさりと肩に降り立った温もりが一拍置いてそっと頬にすり寄るのを感じ、オーリはがっくりと盛大に肩を落とした。
「……ああ、もう……!」
あざとい鳥め、とがしがし頭を掻き回す。
これであっさり折れる辺りが、クチバシに舐められる理由なのだろう。分かっていても怒りが続かず、彼女は気が抜けたように苦笑いを浮かべて「もういいよ」と溜息をついた。
「何が気に食わなかったのかは知らないけど、とにかく幻影におかしなところがあるわけじゃないんだよね? それなら良いから、早く待ち合わせ場所に行こう。私、フードを被らず普通に街を歩くのは初めてなんだ」
気を取り直したオーリに、クチバシは、ピィ、と小さく鳴き返した。その声が何だかほんの少しだけ申し訳なさそうに感じて、オーリの眉がゆるりと下がる。
「はいはい、だからもう良いってば。ほら行くよ、クチバシ。シエナさんが来ちゃう」
そう言ってクチバシの背中を一撫でし、首飾りを服の下に隠したオーリは、フードを背中に垂らしたまま小物屋のドアを出た。
布に遮られない強い日光は久し振りで、心なしか煉瓦色の道さえ目に明るく感じられる。
待ち合わせの花屋の前はここからすぐだから、早く行ってシエナを待とう。そう思って歩き出したオーリの背後に、その時ふっと影が差した。
誰かが通りかかったのかと思うと同時、警戒するように鋭い鳴き声を上げるクチバシの声に振り向きかける。
――油断は刹那。
甘い匂いが鼻を突くと同時に、オーリの視界と意識は暗転した。
オーリの幻影容姿は、オーリの『二回目』に瓜二つ。心構えをしてなかったラトニは、SAN値がズギャンと減ったそうです。




