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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
7歳・シェパの街編
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2:未だ地にある天通鳥

 今世のオーリの両親であるブランジュードの現当主とその妻は、屋敷にはあまり戻らない。

 権力者にはよくあることだが、彼らもまた然程仲の良い夫婦ではないようだった。

 幼い一人娘とさえ食事を共にせず、一年の大半をそれぞれ外出に費やしている彼らが、真面目な執務や慈善活動に精を出しているわけではないことなど考えるまでもないだろう。いずれ唐突に片親違いの弟妹(或いは既に兄姉がいるのか)を連れて来られても驚くまいと、オーリはわりと投げやりな気持ちで考えていた。


 今世の両親は、時折オーリの様子を見に来ては、普段の様子や勉強の進み具合を使用人に聞いてまた出て行く。

 毎回似たような回答をされて満足しているところを見ると、やはりオーリ自身には然程興味がないのだろう。――ある意味、オーリにとっては都合が良いことに。


「宜しい。では、本日はここまでと致しましょう」


 ぴしりと背筋を伸ばした上品な老淑女が、指し棒を収めてそう告げた。

 昔は王宮勤めもしていたという彼女は、七日に二度オーリの勉強を見に来る家庭教師(チューター)だ。厳しいが聡明で良い教師でもあるので、オーリは彼女に懐いている。


「はい! ありがとうございました、先生!」


 にこー、と笑って頭を下げるオーリに、家庭教師も少し口元を緩めた。


「オーリリア様はいつも真面目に学ぶ姿勢を見せて下さるので、わたくしも教え甲斐がありますわ。今回お渡しした宿題は、また次までにやって来て下さいませ」

「分かりました!」


 勉強面では、オーリは『出来は並だが、基本的には真面目な良い子』で通っている。

 十七歳の精神を持つオーリならばもっと習得速度を上げることも可能だったかも知れないが、彼女は自分が天才でないことをよく知っていた。


 オーリは成長が早い代わりに大きく育たない梅の木にはなれても、悠然と生い茂る楠の大樹にはなれないだろう。

 ならば幼い頃だけ天才児扱いされるより、表向きには学力をセーブして見せた方が得策だ。何せオーリには、学びたければ自分でそれができる環境があるのだから。


 成程地理や歴史は一から学ばねばならないが、家庭教師を待たずとも、本を読み漁ればある程度足りる。

 数学知識に至ってはそこらの学生程度なら引き離せるほどのものを生まれながらにして持っている。


 言語については、当初これだけがオーリの不安の種だった。

 前世の記憶を取り戻した頃のオーリは、勉学について、言葉と文字の習得にだけは時間がかかるかも知れないと危惧していた。何故なら『桜璃』はかつて英語が苦手だったし、何より記憶の底に染み付いた日本語が、新たな言語の習得を妨げるかも知れないと思ったのだ。


 結果的にその懸念は杞憂で終わったが、文字も発音も尋常に操れると確信した時は心底安堵したものだ。

 幼い脳の柔軟性もあっただろうが、学ばねば将来を生き残れないという意識も強かったのかも知れない。

 この世でオーリしか知らない日本語と簡単な英語は、人に見られたくないことのメモを取る際、日々の落書きに交えて書き付けるのに使うことに決めた。


 そうして今日も家庭教師を良い子の笑顔で見送って、オーリは自室に早足で戻った。今日はもう予定はなかったし、両親もこの前出掛けたばかり。夕方まではフリーのはずだ。


「アーシャ、今日はもうずっとお部屋にいていいよね?」

「はい、構いませんよ。お嬢様は本当に、ご本が好きでいらっしゃいますね」


 部屋まで付いて来たアーシャが、訳知りの微笑でオーリを見下ろす。

 これまでにオーリは幾度となく、本に集中したいという名目で自室に籠もったことがあった。

 オーリの部屋には、両親に強請って購入させた子供向けの絵本や童話が溢れている。親に構われず、せめても贈られた本で自分を慰めようとする幼子の邪魔をするまいと気遣って、使用人達は滅多なことでは部屋に入って来ない。


 その理由にはオーリ自身が、一人にしたとて問題を起こすような子供でなかったことも大きいだろう。

 たまの可愛い我が儘を微笑ましい顔で通してもらえるくらいには、彼らにとってオーリは無邪気で利口な子供だった。

 何かありましたらお呼び下さいませ、と言って、アーシャが退室していく。足音が部屋から離れるのを待ってから、オーリはぬいぐるみの一つに飛び付いた。


 抱え込めないほど大きなピンクの兎のぬいぐるみは、こっそり縫い目に細工して、中身の綿を数着の衣類と摩り替えてある。

 水色のワンピースを脱いで、町の子供のような軽装に。靴を履き替え、鞄を持ち、上着に付いたフードを深く被れば、もうオーリをこの街一番の権力者の息女だなどと分かる者はいないだろう。

 これらは全て、街の古着屋から物々交換で手に入れてきたものだったりする。部屋には毎日使用人の手が入るので管理には気を遣わねばならないが、それすら苦にならないほど重宝していた。


 更に念のため、オーリの身長ほどある熊のぬいぐるみをベッドに押し込む。子供が寝ているように見えたら完成だ。これでオーリを部屋から呼び出せるものは、両親の帰宅以外になくなった。


 窓を大きく開け放ち、周囲に人がいないことを確認する。そして窓辺まで枝を伸ばす大木目掛けて、オーリは一気に跳んだ。


 ――ザザザザザッ!


 葉を押しのけて伸ばした両手が、枝を掴んで勢いを殺す。危なげなく太い枝に着地したオーリは、そのまま庭に立ち並ぶ木々の上をひょいひょいと移動していった。

 その移動速度は、体格さえ考慮しなければ、樹上で生活するすばしっこい小動物を連想させる。

 警備のいる出入り口を避け、屋敷を囲む塀の傍に見咎められることなく降り立った彼女は、僅かな突起を足掛かりにするする塀を登っていった。周囲を見渡した後ひょいと飛び降りて、そのまま何食わぬ顔で歩き始める。


 この異常な身体能力は、この世界に生まれたオーリが生来持っていたものだった。

 猿より身軽に木々を渡れ、走る速度も腕力も体力も、同年代とは比べ物にならない。心なしか気配にも敏く、五感も上がっているようだ。

 誰もがこうではないのだと知ってから、オーリは前世の記憶と同じく、やはりこの能力も隠すことに決めた。幸い、コツさえ掴んでしまえば制御できないほどのものではなかったから。


(尤も、有り難いことではあるけどね。この身体能力が無ければ、こうしてこっそり抜け出して遠出することなんて出来なかったんだから)


 万が一出先でオーリが行方不明になろうものなら、気付かなかった使用人達の首が物理的に飛ぶ。何かあっても逃げられる程度の自信があるから、こうしてこそこそ外に出ているのだ。

 フードを深く被り直し、路地に入り込んだオーリは一瞬で家の壁を駆け上がった。そのまま屋根伝いに、街の外を目指して走り出す。

 目的地までは、一時間もかからないだろう。




※※※




 六歳の頃、屋敷の外に出るようになってから、オーリの行動範囲は拡大する一方だった。今日オーリが訪れた農村も、交流のある場所の一つである。


「あ、嬢だ」

「おーい、天通鳥(あまつどり)の嬢が来たぞー」


 フードを被ったオーリの姿を目にするなり、村人達が声を上げた。


「こんにちはー。例のモノ出来ました?」


 口元だけで笑いかけながら、オーリは手を振って挨拶する。どこから身元がバレるかも分からないので、オーリは屋敷外では徹底して顔と名前を隠していた。

 わらわら寄ってくる村人達は、どうやらオーリを歓迎してくれているようだ。この様子なら教えたものは問題なく出来ているのだろう。


「ああ、あれはもうほとんど完成しとるんだ。随分急いだよ」

「また作物がやられたんじゃ死活問題だからなぁ。これで被害が抑えられるなら本当に有り難いんだが」

「はは、まああれの効果が必要な状況になんて、そもそもなって欲しくないものですけどねー」


 けらりと軽く笑って、オーリは作ったものを見せて欲しいと頼んだ。どこか手直しする所があるかも知れない。


「そんなら、まだ向こうに何人かいるはずだ。大工もいるから話を聞いてやってくれや」

「そうさせてもらいます。じゃあ一旦失礼しますね!」


 ひらりと再び手を振って、オーリは森の方へと駆け去った。木々の上を渡れる彼女は、他者に比べて大分道をショートカットできる。


「相変わらず、空を飛ぶみたいに動く嬢ちゃんだなぁ……」


 天の果てまで翼が届くと言われる吉鳥の名で呼ばれる少女は、あっという間に木々に紛れて見えなくなった。

 この分ならすぐに現場に辿り着いて、作業に移ってくれるだろう。「天通鳥の姉ちゃん、今日は遊んでくれるかなあ」と呟く息子の頭をわしわしと撫でて、村人は畑に戻ることにした。


 一方、到着した川の傍。完成の近い工場現場を確認しながら、オーリは辺りを歩き回っていた。

 山に近い農村であるこの村に、オーリが教えたことは二つ。それこそが、初歩的な堤防の作り方と、獣害を防ぐテキサスゲートである。


 テキサスゲートとは前世日本にもあったもので、主に放牧された牛や馬が牧場の外に出られないようにするためのものを指す。オーリはここでそれを、野生動物を畑に通さないための罠として利用した。複数の溝を連ねてあるため人間も嵌まると怪我をするが、蹄を持つ鹿や野生のコトンには特に有効である。

 堤防の方は、正直あまり知識がない。当分は嵐のたびに壊れては作り直すことになるだろうが、その辺りは現場で研鑽してもらうしかなかった。


「安定オッケー、段オッケー、盛り土オッケー。非常用土砂の確保は?」

「準備してるよ」

「りょうかーい。あ、完成したら周りの木は引っこ抜いといてくださいね。脆くなるんで」

「堤防が木で脆くなるのかい?」

「はい。根っこが成長して張り巡らされると、堤防が弱くなりますよ。あと木が枯れて根が腐ったら、中に水の道が出来ちゃいます。基本的には木は植えないで……そうですね、この辺りならマギリソウを植えてください」

「マギリソウ……あの薄赤い花を付ける草か。それなら探せばあると思うが……」


 不思議そうに首を傾げる大工に、オーリは「こっちは堤を補強するんですよ」と言った。

 マギリソウは、川縁に群生する背の高い花である。球根が地表近くに密集するため、植えれば土砂の流出を防ぐだろう。また他の草木の生育を妨げる成分を分泌しているらしく、この花の周囲には他の植物をあまり見ない。

 そういうことなら、と頷いてくれた大工は、すぐに指示の続きを出しに現場へ戻っていった。これなら次に来た時には完成しているかも知れないと思って、オーリはそっと息を吐く。


 フヴィシュナという国は天災による被害が大きい。それは三百年前の事件が原因でもあるし、まともに機能していない政治機関のせいでもあった。

 災害大国日本で生きた記憶を持つオーリにとって、天災への対応がどれだけ難しいかは幾分分かっているつもりだ。

 それでもフヴィシュナの対応が未だ杜撰の域を出ないと思えるのは、上層部の意識が中央に集中して、農村などの辺境まで目が届いていないから。三百年前がらりと変わった環境に、政府の対応が追い付いていないのだ。


 或いは権力争いなどが起こらず、三百年前と同じ賢王の治世が受け継がれていたなら、これらの技術ももっと発展していたのだろうか。


(ここの土地柄、地震や津波の心配をしなくて良いのは有り難いけどね。そこまで行ったらもう避難訓練するくらいしか思いつかないもの)


 元々、オーリは単なる一般人だ。たかが知れている知識を無理やり捻り出そうとしたところで、本職には遠く及ばない。

 人の命を預かるというのは、実際の所、オーリにとっては些かどころでなく重い話だった。


 一度でも大きな失敗をすれば、彼らは二度とオーリの言葉に耳を傾けなくなるだろう。

 それでも迷っているところなど見せられない。顔も名前も晒せない村人達に言うことを聞かせるのに、人を納得させるに足る説明と説得力は勿論必要だ。けれどそれ以上に、確たる自信があるのだと胸を張らねば、こんな小娘の言うことなど誰も信じてはくれなかった。


 疑われること自体は仕方ない。何せ自分と家族の暮らしが懸かっているのだ、オーリだって同じ立場ならきっとそうした。


 けれどだからこそ、そんな待遇を諦める理由にすることは出来なかった。

 胡散臭いものを見る目を向けられ、時に直接罵声を食らったりしながらも足繁く通い、説得と実験を繰り返した。


 搦め手を惜しまなかった。嘘をついた。脅して、賺して、大言壮語も吐いた。

 そうして、ここまで漕ぎ着けるのに一年かかった。


 自分がこうも『頑張る』理由を、オーリは考えたことがない。或いは、一種の贖罪のように思っているのかも知れなかった。この領地を支配する家に、この地から目を逸らす国の貴族に、生まれて育ってきた七年間への。


 ――生まれてこの方飢えたことのないオーリの血肉は、彼らから搾取した富で出来ている。




※※※




 たん、たん、と猫のように跳躍しながら、オーリは日の陰る街の上を走っていた。

 嵐と獣害の対策は早々に済んだが、少々遅くなったのは村の子供達の相手をしていたからである。

 氷鬼、色鬼、影踏みにケイドロにアルプス一万尺。訪れるたび様々な遊びを教えてくれるオーリは、子供達にとってはとりわけ最初から歓迎すべき客人だった。

 ちなみに今日は年嵩の子供達に文字の続きを教える予定だったのだが、いつの間にやら話は脱線を繰り返し、ふと気が付いたら広場でかごめかごめを仕込んでいた。蹲った子供の周りを輪になった子供達が不気味な歌を歌いながら回る姿に、目撃した大人達が怯えていた。


(次は畑の方にも手を入れたいなあ……でもそっちはまだ資金が足りないんだよね。ああ、現金欲しい……)


 世知辛い悩みだが、本人は切実である。今でも畑の方へはちょこちょこ顔を出してはいるが、そちらはあまり捗々しくなかった。未だ時期ではないと見て、気長に待つしかないだろう。


 ――とん、と屋根を蹴ったオーリが、一拍置いて足を止めた。すいと目を細め、足音を忍ばせて数歩戻ると、そっと下を覗き込む。


『…………!』

『……、……! …………!?』

『……、……、』


 押し殺したような幾つかの声と、掠れた叫び声。薄暗い路地裏で押さえ付けられている子供と、薄汚れた格好をした数人の男達を見てとって、オーリは自分の顔から一切の表情が削ぎ落とされるのを感じた。


 ――ざわり、と不穏に揺らいだのは、心か、記憶か。


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