18:どこにも似たような奴はいるものです
建物と建物に挟まれたその道の上には、現在三人の人間がいた。
二人は如何にも戦闘職らしい装備をした、筋肉質な男たち。昼間から酒の臭いを漂わせ、へらへらと顔を緩ませている。
そして、もう一人はまだ若い娘。
歳は二十歳に届いたか否か、栗色の髪に雀斑の浮いた顔は可愛らしいが、今はきつく唇を噛み締め、目の前の二人を睨み付けていた。
「――だからよお、ちょっとで良いんだって。ただのお詫びだろ? そんな酷いことする気ねぇから」
「そうそう、ちょっとだけお酌して、お話に付き合ってくれりゃ良いんだ。そうしたらばっちり無事で、おうちまで送り届けてやるからよ」
これほど信用ならない誘い文句もなかろうに、と娘は思った。
真面目に口説く気など欠片もないとしか言えないような言葉を吐き出し、赤らんだ顔を寄せられれば、強い酒精の臭いがつんと鼻を突く。こんな連中に付いて行くことも論外だが、ましてや自宅の位置を知られるなど冗談じゃないと、彼女は眉間に皺を寄せた。
(と言うかこいつら、まだ呑む気なの……)
荷物を抱き締めたまま、娘は忙しなく視線を動かして、何とか逃げ道を探そうとする。
残念ながら前後を挟まれている状態では、表通りに逃げるのも無理があったが。
(……ああ、こんなことなら、やっぱり買い出しは父さんに付いて来てもらっていれば良かったのかしら。お客が来るかも知れないから、なんて断るんじゃなかった)
この状況は被害者にとっては非常に危険だが、同時にとても分かりやすい構図でもある。気付いた誰かが警備隊を呼んでくれれば良いのだが、あまり期待はできないだろう。
娘はつい数分前、この二人にうっかり肩をぶつけてしまった(と言うか、ぶつけに来られた)自分の行動を心から呪った。
時折目が合いながら素知らぬ振りで足を早めて通り過ぎる通行人たちには幾分苛立ちを覚えるが、自分が同じ立場になれば似たような行動しか取れないだろうことを自覚していれば本気で怒りを向けることもできない。
何より、目の前の二人は恐らく冒険者だ。ランクが幾つかは知らないが、荒くれの多い職種に付くような人間に望んで喧嘩を売りたい者など、尚更いようはずがなかった。
娘が黙り込んでいるうちに、男たちはだんだん焦れてきたようだった。
舐めるような目で見られて、娘の背筋に怖気が走る。「もう良いんじゃねぇか? 連れてっちまっても」という言葉と共に腕を掴まれて、娘は本格的に恐怖を感じた。
まずい。このままなし崩しに連れて行かれようもんなら、どんな扱いが待っているか分からない。
「げっ……ちょ、痛い! あの、私、この後家の用事がありまして!」
「いやいや、親御さんだって行ってこいって言うさ。人様に迷惑かけといて、そのままってのはないだろ。そんな娘じゃ親御さんも悲しむよ」
「そうそう、俺らはただ誠意を見せてくれりゃ良いんだって。良識ある大人として、誠意ある行動をとってくれれば良いんだって」
――そんな理屈が通るかァァァァァ!
胸の中で絶叫するも、そんな声が男たちに聞こえるわけがない。
親が悲しむだの良識だのと言うのなら、真っ昼間から酒を呑んで若い娘に絡むお前らはどうなんだという至極尤もな反論が浮かぶが、それをそのまま口に出せば男たちは明確な叛意と見なすだろう。
こちらを舐めくさったへらへらした顔も怖いが、それが明確な害意へと変貌するのはもっと危険だ。
ここはもう、怒らせるのを承知で荷物を顔面に叩き付け、数秒でも隙を作って何とか逃げるしかないか、と。
彼女が悲愴な覚悟を決めた、しかしその時。彼女の胸中をそのまま取り出したかのような叫び声が、空から降ってきたのだ。
「――だったらお前らは何しとんじゃー!」
怒声と同時に上空から襲来した小さな影が、えげつない音を立てて男たちの後頭部に両足をめり込ませた。
『~~~~っ!?』
ごぐえっ!と吐き出すような悲鳴を上げて、男たちが地面に叩き付けられる。顔面からまともに激突した二人は、抵抗する間もなく意識を刈り取られて大地に沈んだ。
「な、え!? あら!?」
あまりと言えばあまりに唐突な展開に、娘は思わず引きつった顔で後退る。
何せ荒ぶる鷲の如く両手を広げ、首の骨が折れそうな威力の飛び蹴りと共に乱入した人物はと言えば、フードを目深に被った、まだ幼い子供だったのだ。
目を白黒させる娘に構わず、子供は倒れた男たちの頭部を再度げしりと蹴り飛ばす。動作は軽いが、狙いはなかなか容赦が無かった。
そうして確かに男たちの意識がないことを確認すると、子供はようやく娘と視線を合わせた。
「あ、どーも。お姉さん、大丈夫?」
ドン引きした目でこちらを見ている娘に気付き、子供――オーリは、しれっと片手を挙げて挨拶した。
男二人を問答無用で蹴り倒しておきながら理不尽なほど軽いノリである。
けれど、当のオーリは全く気にした素振りがない。何せ彼女は誘拐や強姦をやらかすような人間など、股間に付いた煩悩の元をちょんぱしても構わないと思っている。ちなみに被害者が子供になると、生皮剥いで塩を擦り込んでもまだ足りぬと思っている。
一時オーリから離れていたクチバシもまた、不埒者たちに同情する気は微塵もないようだった。頭上を旋回していた小鳥は、事は終わったと見てさっさと再びフードの中に潜り込んでくる。
「あ……だ、大丈夫よ、ありがとう。それよりあの、あなたどこから……」
「はあ、そこんちの屋根の上から」
「登ったの!? 危ないじゃない、家主さんに見つかって怒られたらどうするの!」
「あ、落ちたら危ないとかじゃないんだ。お姉さんもなかなかいい感じにズレてますね」
惚けた声でツッコみつつ、オーリは男たちを蹴り転がして懐を漁り始めた。
今回の被害者はどう見ても子供と言える年齢ではないので、オーリも冷静なものである。気絶した男たちの財布を巻き上げる余裕まで見せる子供に、娘は峠の昇り龍と呼ばれるチーマーのボスを見たらバイクに乗っていたのはパンダだったというような顔をしていた。
「ちょっと、大丈夫なの? そいつら、起きちゃったりとか……」
「あー、大丈夫大丈夫。私、最初の一撃で完全に意識を刈る主義ですから。まだ当分は起きませんよ」
「それじゃあ、今のうちに警備隊に……」
「や、それも良いけど、義務意識も怪しい警備隊より、国外組織で信用もかかってるギルドの方にチクった方が……あ、ギルドカード発見。やっぱり冒険者だったんだ。犯罪未遂として通報しとこう」
「し、しっかりしてるなあ」
今時の子供って皆こんなんなのだろうか。
そうだとしたらこの国の未来は不安なのか頼もしいのか分からないなと思って、娘は引きつった笑顔を浮かべた。
※※※
それから三十分後、クチバシを肩に乗せたオーリは助けた娘の隣をのんびりと歩いていた。
気を取り直して自己紹介をした娘は、シエナという名らしかった。家が喫茶店を営んでいるそうで、良ければ礼をさせて欲しいと言われたので、特に予定のないオーリはいそいそと付いて行くことに決めたのだ。
ちなみに彼女に名を聞かれて、オーリは本名の後半から取って「リア」と名乗った。「オーリリア」に結び付きやすい「オーリ」の呼び名を教える気にはなれなかったが、名乗らないのは不自然だろうし、本拠地外のここなら身元がバレることもないだろう。
何やら不満そうに、びすっ、とクチバシがつついてきたが、意味が分からなかったので流すことにした。ラトニと言いクチバシと言い、情緒不安定なお年頃が多いなあ。
シエナは生まれた時から王都に住んでいるそうで、周辺の地理にも詳しかった。
流石にスラムの方には行ったことがないらしいが、道すがら教えてもらった店や人や治安の話は、王都初心者のオーリには非常に興味深い。
特に旅行者をぼったくる店や、最近増えている通り魔の話は、よくよく覚えておこうとオーリは思った。
当たり屋たちのことをギルドに通報し、燦々と太陽の輝く街路を歩く。やがてシエナが足を止めたのは、幾つかの個人商店が立ち並ぶ通りだった。
「あ、ここよ、リアちゃん」
シエナが指し示した店を、オーリは見上げて口を噤んだ。
――そこは、確かに喫茶店だった。
一家族でやっていける程度の、小さいがよく日の当たる明るい雰囲気の店だ。
木製のドアは煉瓦色の建物とよくマッチし、可愛らしいベルを下げている。
入口から見えるのは、複数の小さなテーブルとカウンター。その奥にあるのは厨房か。
見た目だけなら、よくある街の喫茶店だろう。
――昼のランチも近い時間に、客がゼロということを除けば。
「……今日って定休日ですか?」
「……ごめん、いつもこう」
ボソリと問うたオーリに、シエナもボソリとそう返した。
カランカランと音を立てて店に入ると、奥から四十絡みの男が一人出てくる。シエナより少し薄い雀斑のある、大人しそうなその男は、シエナを見てほっとしたように頬を緩ませた。
「お帰り、シエナ。遅かったから心配していたんだよ」
「ただいま、父さん。少し絡まれちゃったんだけど、この子に助けてもらったのよ。リアちゃんって言うの。リアちゃん、この人が私の父さんで、店の店主」
荷物を置いたシエナが紹介すれば、店主は驚いた顔をした。
けれど、すぐに何らかの形で納得したのだろう。「それは、娘がお世話になったねぇ」と人の好い顔で礼を言った。
「――でも、本当に良いんですか? 私が居座っちゃっても。お客さん迎える準備とか……」
昼食くらい出すから座って頂戴、と告げたシエナにカウンターを勧められ、オーリは背の高い椅子に腰を下ろした。
見れば調理場は、鍋も薬缶もほとんど片付いたままだ。埃こそ積もっていないものの、しばらく使われた形跡がない。
一目見て分かるほど店内が綺麗なのは好感度が高いが、几帳面というよりは、掃除くらいしかすることがないという印象を受けた。
一足先に水を出されたクチバシが小皿の中身を啄んでいるのを横目で見ながら、オーリは嫌な予感を覚えつつ首を傾げる。
堂々とOPENの札を下げておいて、夜間営業というわけもなかろう。ランチ時間という掻き入れ時に、調理の準備すらする様子のない店主たちの様子に眉を寄せた。
オーリの問いに、荷物を片付けていたシエナも手を止める。しばらく親子で見詰め合って無言の訴えを交わした後、やがて渋々といったように口火を切ったのは店主の方だった。
「……実は、最近近くに新しいカフェが出来てね」
「オチが読めた」
「えっ、一文で!?」
驚愕に目を見開く店主に、オーリはじっとりとした目を向けた。
「これまではたまたま商売敵がいなかったから良かったけど、近所に大きいカフェが出来たことでお客を取られちゃったんでしょう。近隣にヒマなお年寄りとかが多いなら友達同士の溜まり場になることもあるだろうけど、この辺商店の方が多そうですよね。
今まで買い物帰りに寄ってくれてたお客もカフェに流れて、結果的にそれを取り戻せないまま閑古鳥、と」
「何で分かるの怖い! あの一言でここまで読める子供って怖い!」
「慄いてないでちゃんと聞いてくださいヘタレですか店のトップ。距離が似たようなものなら、そりゃお客はコストパフォーマンスの良い方選びますよ。どう考えても対策不足です。
あと、清潔感があるのは良いですが、やや片付き過ぎて閑散としてる印象があるのはマイナスですね。明らかに客が入ってないような店は、新規の客にも敬遠されますよ」
「ううう、コストパフォーマンスが何かは分からないけど、物凄く的確なことを言われてる気がする……」
涙目になりながら、痛そうに胸を押さえて店主が呻く。
薬缶で湯を沸かしていたシエナが、困ったように肩を落とした。
「あら、リアちゃんって、頭が良かったのねぇ。
そうなの、その通り。今来てくれてるのは、知人繋がりの数人くらいなのよ。お陰で母さんは田舎に帰っちゃうし、私もこれ以上どうにもならないなら、いっそ思い切って店を閉めちゃった方が良いんじゃないかって何度も言ってるんだけど……」
「い、一応祖父の代から受け継いだ店だから、潰したくないんだよ……」
「へえ、つまりおじさんは漫然と構えて経営不振を助長した挙げ句、奥さんに逃げられても尚思い切りを付けることなく、未だにどこかで棚ぼた期待しながら都合良く状況が変わるのを待ってるんですか。
なんかイイ年こいて人任せな思考ばっかりだねえ。私そういう人嫌いだな!」
「辛辣なことを良い笑顔ではっきり言うよこの子!」
愕然と絶叫する店主に、シエナは呆れた目を向けた。
「リアちゃんが正しいわよ、父さん。いつまでも煮え切らないでぐだぐだしてるから、母さんもうんざりして出て行っちゃったんじゃない」
「グフゥッ!」
クリティカルヒットを食らった父親に容赦なくトドメを刺しておいて、シエナはティーポットからコポコポと茶を注いだ。ミルクとごく少量の白い粉末を加え、ティースプーンを添えてオーリの前に置く。
「はい、どうぞ。母さんの実家で教わったお茶なの」
「ありがとうございます」
オーリがカップを取って一口啜ると、ほんのりまろやかなミルクの香りが嗅覚を擽った。
茶葉は上等なものではないだろうが、ミルクとよく合う独特な味わいを出している。普通の紅茶にはない系統の味だ。甘みがないので、砂糖は入っていないらしい。
「……美味しいです。さっきの白い粉は何だったんですか?」
「あれは塩よ。これね、コトンのミルクとごく少量の塩で味付けした田舎風のミルクティーなの。お祖父ちゃんたちの家では、パンやビスケットを浸けたりして食べてたわ」
「へえ……塩を入れたお茶は初めて飲みました」
興味深そうにもう一口飲んでから、こちらを見つめているクチバシに気付く。
少し考えてティースプーンで茶を掬い、そっと目の前に差し出してみると、クチバシはあっさりとそれを飲み干した。どうやら興味があったらしい。
「少し前までは、お昼頃にはそれなりにお客が入ってたの。こんなお茶を出すのはうちくらいだし、サンドイッチとかの軽食を食べに来る人が多くて」
頬に手を当て、シエナが憂鬱そうに息を吐いた。少し疲れたような顔色なのは、最近気苦労が多いからだろうか。
「だけど、新しく出来たカフェが珍しい紅茶を沢山揃えて出すようになると、お客がそっちに流れちゃって。うちでも出来ないかと思って、今日も安い紅茶を探してたんだけど、なかなか良いのが見つからないのよ」
「分かる分かる。紅茶って安物は香りが抜けてたりしますしね」
「そうそう。しかも父さんは料理は上手いけど、お茶を淹れるのはどうしてか下手でね。どんどん経営は苦しくなるし、借金なんか冗談じゃないし」
「あー、そりゃ奥さんも逃げるわ。むしろシエナさん、よく残りましたね」
「まあ、母さんは一緒にお祖父ちゃんたちの所に帰ろうって言ってくれたんだけどね。でも、今結婚を考えてる人の家がこの街にあるから……」
「えっ、そんな理由だったの!?」
自分のために残ってくれたわけではないらしいと知って、顔を引きつらせた父が再び絶叫する。て言うか、愛娘に恋人がいたなんて聞いてない! 父に120のダメージ。
衝撃を受ける店主を余所に、女二人はけろっとした顔で会話を続けている。
「へえ、恋人いたんだ。そうですよね、シエナさん可愛いし、気立ても良さそうだし、遊び相手より本命で付き合いたいタイプだもの。シエナさんみたいな人が仕事終わりに家で出迎えてくれたら、きっと旦那さんも嬉しいだろうなぁ」
「やだもう、リアちゃんったら口が上手いんだから! 貰い物のお菓子まだあったかしら!」
きゃあと頬を染めながら棚を漁っているシエナに、店主は顔を引きつらせた。まずい、娘がどんどん籠絡されている……!
(……しかし、やっぱり飲食店の生存競争って厳しいんだなあ……)
シエナが出してくれたバタークッキーを齧りながら、オーリはシェパの店々を思い出して苦笑した。
放っておいてもシエナと奥方はしっかりしていそうだし、借金を作る危険は無いようだ。手遅れになる前にきちんと店主の尻を叩いて店を閉めさせそうだが、それでも分かっていて無視するのは些か寝覚めが悪かった。
ついでに、上手くすればオーリにもメリットがあるだろう。王都でやりたかった目標の一つをここで果たせるかも知れないと思えば、青灰色の目に計算の光が灯った。
クッキーの欠片を啄んでいたクチバシが、オーリを見上げてピィ、と鳴く。
やるの?とでも言うように首を傾げる小鳥に向かって、オーリは無言で肩を竦めてみせ、そして椅子から立ち上がってこう言った。
「――あの。今この店にある食材、とりあえず全部見せてもらえます?」
ラトニ(in鳥)は、オーリが「リア」なんて本名に繋がる呼び名を教えたのが気に食わない。それなりに深い関係を築いてるイレーナとかでも嫌なのに、ましてや相手がほぼ行きずりの他人。「ハナコ」とかなら怒らなかった。