168:きみの未来を守るために
「ということで、『雫』の採れる木と、『浮島』の薬草の種、ゲットしましたー!」
わー!とテンション高く宣言するオーリに、サラとラトニがぱちぱちと拍手をした。わー!とオーリも拍手をする。サテがひよひよと鳴き、オーリがヒャホーイ!とくるくる回った。
「いやーあの時の私、私史上一、二に入るくらいカッコ良かったね! なに? 諸葛孔明の再来と見紛う智略だった? それほどでもー!!」
「うるさい」
平べったい何かにズバァンと殴り倒されて、オーリは無言でぶっ倒れた。数秒痙攣した後、後頭部の痛みにプルプル震えながら涙目で背後を見上げると、ドン引きした顔でラトニを見つめるサラの隣で、分厚い雑誌を振り切った姿勢のまま佇むラトニが、淡々とオーリを見下していた。
「失敗できない単独交渉のプレッシャーから解放されて緊張の糸が切れたのは分かりましたから、まずは落ち着きなさい。ジョルジオさんが拳を構えていますよ」
「頭冷えました」
壊れやすいモノの多い場所ではしゃぐんじゃねぇという殺気じみた目でこちらを見ていたジョルジオに、オーリは流れるように土下座をした。
――午後の早い時間、ジョルジオの診療所。
古びてはいても丁寧に手入れされた調合器具が並ぶ一室に、四人の人間が集まっていた。
軍人じみた巌のような老人、若い女、子供二人とついでに雛鳥っぽい生き物。このデコボコした一団に一国を救うワクチンの製造が懸かっているとは、どんな智将だって想像できるまい。
「――本物の『雫』を見るのは初めてだな。この板っきれで本当に夜露が取れんのかい」
弟子に釘を刺す視線を収め、手にしていた大したサイズでもない板材を矯めつ眇めつしながら、家主であるジョルジオが興味深げにそう聞いた。
机の代わりにもならないような小さな板材を見やって、サラは「勿論です」と頷く。
「と言っても、わたしにしかできないやり方ですけどね。余ったら教官さんにも差し上げますよ」
「軍属してたことはねぇっつってんだろうがァァァァ!!」
「ぎゃあああああああ!?」
すかさず筋骨隆々の雷オヤジの怒声を食らって、サラが悲痛な絶叫を上げた。診療所に連れてくる時、うっかりサラの前でジョルジオを「教官」と呼んでしまったのを思い出したオーリが、「ヤッベ」と呟く。
人生の大半を心穏やかな修道女たちと過ごしてきたサラが、地震と火事と並ぶコワイもの二つの合体生物との初めての遭遇に、涙目でガタガタ震える。
やれやれと首を振ったラトニが嗜めるように、
「サラさん、違いますよ。教官というか軍曹じみていますが、この人の名前はちゃんと教えたでしょう?」
「は、はい、すみませんでした、ブルーローズ先生!」
「俺をその名で呼ぶなァァァァァァァァ!!!!」
「ホギャアアアアアアアアアアアアア!!!!!?」
「ラトわざとでしょ」
「鉄板かなと思って」
まあ多分、これで互いの性格は何となく把握しただろう。泣き叫ぶサラに、賑やかなのを喜んだサテがコロコロ床を転がって、乳鉢にコツンとぶつかった。
――閑話休題。
子供たちがそれぞれ一発ずつ拳骨を食らった後、彼らは入手したアイテムに向き合うことにした。
目の前にあるのは、板材が一枚。それから、小さな魔獣の角が一つ。
「板材と種については、私が『変装』してギルドで買ってきました。もしブルーノさんが尾行をつけたとしても、追跡は無理だと思います」
はーい、と片手を挙げてオーリが発言する。
ギルドに買い物に行く際は、幻術に優れた黒石の魔術具を発動させ、更に距離を空けてラトニが監視していた。
手口は単純だ。打ち合わせ通りの時間に店に行き、『たまたま表に出ていた』ブルーノが販売員として対応。合言葉と欲しいものを告げれば、ブルーノが倉庫からそれを持ってきて、代金と引き換えに受け渡す。
ちなみに少々お高かったが、対価の特許はこの代金も込みなので、代金相当の金額はあらかじめブルーノから預かっている。一家族が一月暮らせるような金額をさらりと手持ちから出してくるブルーノの財布の中身が気になるところだ。
「尾行はありませんでした。魔獣の角は金属加工の繋ぎに使えるから、鍛治師の使いなんかで不足分を買いに行くことは珍しくありません。板材なんかは言わずもがなですから、売れたと知られても怪しまれることはないでしょう」
ラトニが付け加え、納得したようにジョルジオが鼻を鳴らす。
「あそこの副支部長は筋金入りの商人だが、払うもん払って契約したなら余計なことはしねぇだろうよ。いけ好かねぇジジイに首根っこ押さえられてなきゃ、ネーチャンももうちっとマシな対応してもらえただろうな」
「へぇ、冷たくて怖い印象しかなかったです……。あ、そう言えばリアちゃん、『精霊の髪』はどうでした?」
「残念ながら手に入らなかったです。凄い貴重品らしいし、あれの在庫がないっていうのは、流石に嘘じゃなさそうでしたけど」
「伝説級の代物だものね……仕方がないか」
フラスコの中に頭から潜り込もうとしているサテをつまんで引き戻しながら唇を尖らせるオーリに、サラが苦笑した。
「あれはワクチンの材料じゃないですからね。今日はまず、ワクチンのベースを完成させないと。精霊の髪は……ルシャリにもあれ一本きりしかないって言ってたから……本当に近々どうにかしなきゃいけないんだけど……」
言いながら鬱々と肩を落としていくサラの頬に、オーリはよしよしとサテを押し付けた。
『精霊の髪』という呼び名は、別に比喩表現ではない。まさにそのままの意味、力ある精霊が切り取って与える頭髪だそうで、精霊自体がほとんど姿を見せなくなった今となっては、下手をすれば小さな国が買えるほどの値段がするという。
「ギルファに燃やされた髪紐に編み込んであったんですっけ? なんか代替になるもんとか思いつきません?」
「……精霊の毛とか羽とか……」
「レア度は?」
「……同じくらい高い……」
役立たずですみませんとズンドコ沈んでゆくサラの頬を、押し付けられるのに飽きたサテがヨチヨチ蹴った。
「まあそれは後で考えましょう。ほら、折角材料揃ったんだから、薬を作らないと」
「あ、はい、そうですね」
気を取り直して、サラはまず魔獣の角を手に取る。一見分からないが、手のひらに収まる程度の三角錐の形をした角の平面部分に、微かな丸い溝があった。
「やっぱり魔術で蓋をしてあるみたい……取れないな」
埋め込み式の蓋はドロップ缶のそれよりも強固で、梃子にできるようなものを差し込む隙間もなかった。
サラがジョルジオに渡そうとしたそれを、オーリは徐に横から取り上げ、
「ふんっ」
バキンとへし折れた角の中から、三粒の種がぽろぽろと零れ出た。
「………………」
サラが真顔になる傍ら、ラトニとジョルジオは慣れたように角の欠片や種を拾い上げ、「ビスケットみたいに砕きましたね」「まあ石ほどは硬くねぇだろ」などと言っている。
潔くツッコミを放棄し、種を受け取って次の作業。彼女が胸元の首飾りをぎゅっと握って集中すると、種が小さく発光し、見る見るうちに芽を出した。
「おお……」
オーリが感嘆の声を上げる。
これが、サラが「種さえ手に入ればいい」と言った根拠である。
どうもルシャリ王族は代々植物を操る魔術に長けているらしく、彼らの持つ「緑の手」もそれに付随する特性だそうだ。
例に外れずサラもその力を継いでおり、現在は力を封印されているために大樹海の侵蝕を調整するほどのことはできないが、植物の成長を少々早めるくらいはできる。
緑の芽は根を伸ばし、茎を伸ばし、黄色い葉を生やし、たちまち見覚えのある薬草に成長した。
ただし、葉柄は青である。
「……あれ? これでワクチン作れるんだっけ?」
「いや待て、病気の薬に使うのはここが赤いもんじゃなかったか?」
「!?」
「あら。これ、『浮島』外で生育した薬草から採れた種だったみたいですね」
「ダメだー‼︎」
さらりと言われて、オーリが崩れ落ちた。どうしたどうしたと寄ってくるサテを、ラトニが人差し指で押し返して妨害し、その隣でサラとジョルジオが薬草を観察しながら淡々と話している。
「原則的に『浮島』外では、青色の葉柄のものが採れます。採取後の処理によって、葉柄の色は紫か赤に変わる。ただし『浮島』内では、最初から紫や赤に変わった状態のものが採れることがあって、それらは処理の過程で効能が落ちることがない分、良質な薬ができるんですよね」
「その赤いのが薬、紫のが『黒いローリエ』になるってわけか。で、これ、色変えんのに何日かかる?」
「まず魔力を含んだ水に浸して七日」
「もうダメだー! 万策尽きたー! 私は駄目な人間だったんですー!」
「『浮島』に侵入しますか?」
「それしかない気がしてきた……。おあああああカッコ悪……何もかも計算済みですよみたいなドヤ顔でブルーノさんと駆け引きしてた時の自分カッッッッコ悪……」
「いえわりとボロが出てましたよ」
悲嘆に暮れるオーリをまあまあとサラが宥めて、首飾りを再びぎゅっと握り締める。薬草の茎が更に伸び、花が咲いた。
一生を高速で早送りされている花は、風に吹かれたタンポポの綿毛が散るよりも早く枯れ果てて種を零し、その種がサラの手の上で次々と新たな命を育て始める。
こんもりと小さな茂みのようになり、手のひらから溢れ出した薬草の中から、サラが数本を摘み出した。
――赤い葉柄の薬草。
綺麗に生育したそれをオーリたちに見せ、サラはにっこり笑った。
「『浮島』で育った薬草はね、『浮島』に満ちた精霊の力を取り込んで育つうち、時折突然変異的に、魔力を充分含んだものが生まれることがあるの。
だから、こうして生育段階からルシャリ王族の魔力を濃く溶かせば、稀に葉柄が赤や紫のものができる……って聞いてたんです。実際やったのは初めてだけど、うまくいって良かった」
「お……おおおおおお! サラさん凄い! 今初めてサラさんが特別な人なんだって実感しました!」
パチパチと盛大に拍手をするオーリに、サラが「いやぁ」と照れる。ジョルジオとラトニは興味深そうに赤い葉柄の薬草を見て、「薬草採取に困らないのは羨ましいですね」などと言い合っている。
「えへへ、じゃあ次のもやっちゃおうかな! この木をルシャリの外で育てるの、ほんとは禁止されてるんですけど、今日は特別ですよ!」
「わーい、サラさん素敵ー! ちょっといいとこ見せたげてー!」
これまであんまり役に立てなかったことを気にしていたサラは、手放しで褒められたのが嬉しかったらしく、ウキウキと板材に触れる。わっしょいと囃し立てるオーリに「ついでにいいもの見せたげるー!」と答えて魔力を込めた。
――完全に乾いて「木材」と成り果てていた木面から、小さな芽が伸びる。
木目に沿って伸びたそれは一本の枝となり、瑞々しい緑の葉を生やしていった。
生い茂る葉の間に、固く閉じた蕾。綻んだそれは目が覚めるほど赤い、大きな四枚の花びらをしなやかに広げて、美女の口付けを想わせるような芳香をフッと漂わせた。
「っ…………」
「――うお……うおおおおお……」
「ほう……こりゃ大したもんだ」
官能的とすら言えるようなその香りに、オーリは言葉を失った。隣で同じように息を呑んだラトニの顔色が僅かに変わったことには気づかないまま、闇の中に灯る焔明かりのような気怠げな赤の、美しい花に夢中になっている。
四枚の大きな花びらは、それを引き立てるように沢山の小さな花びらに囲まれていて、まるで繊細なレースのドレスを着ているようだ。
月光の中で夜露に濡れたなら、まさに滴るように美しいだろうと思って、夜間外出のできない身を心から恨む。
「ふふ、どうです? ルシャリの外でこの花を見た人はそういませんよ。この花は、咲いた瞬間が一番鮮やかに香るんです」
「すっっごい素敵です! 香りも好きだし色も素敵だし、陰のある美貌の未亡人って感じ! うわあこれ輸出禁止じゃなかったら王侯貴族にも人気出ますよ! 貴族の女性とか大喜びしそう!」
「えへー、そこまで喜んでもらえると嬉しいなぁ。実はうちの修道院でも、この木を何本か世話してたの。花の季節は部屋の中まで良い香りが届いてたんですよねぇ」
「いいなあいいなあ、ロマンチックだなあ!」
キャッキャする少女たちに、割り込めないジョルジオが苦笑する。
「若い娘はこういうモンが好きだなぁ。……、……子雀その二? どうした?」
「……いえ、何も。これでようやくワクチンの材料が揃ったのだと、感慨深く思っていただけですよ」
四つ花びらの赤い花から目を逸らして、ラトニが答えた。
ジョルジオはその指が忙しなくサテをひっくり返したり腹をつついたりしているのを見たが、サテは遊んでもらっていると思っているようだし、ラトニは無意識らしいので何も言わない。代わりに「ああ、そうだな」と短く同意した。
「尤も、夜露を採るのに一晩はかかるが……そういや子雀ども、お前らこれ手に入れるために特許売ったんだってな」
思い出したように問いかけるジョルジオに、オーリがはっと向き直って「はい」と頷いた。
「引き渡しの完遂は王都の大合議の終了後ってことになったけど、ブルーノさんに協力してもらう対価として支払いました。
折角ジョルジオさんが苦労して取ってきてくれたのに、すぐ人手に渡すことになってごめんなさい。手伝ってくれたお友達にも、今度きちんとお手紙書きます……そっちには全部説明するわけにはいかないけど」
「別件で王都に行くついでだったし、別に構わねェよ。お前らの権利だ、お前らの好きにしな。それより、気前良くくれてやって構わなかったのか? 専売契約だけでも良かったんじゃねぇのかよ」
「あー、それだと多分魔術陣が使えなかったんですよね」
眉尻を下げて視線を斜め上に上げ、オーリが困ったような顔をする。
「『専売契約結んだ外部者』と、『商業ギルドの偉い人』じゃあ、信頼性が全然違うでしょう。前者だと、特許の所有者である私が名前を出して契約しないと、魔術陣が使えない。少なくとも今の時期なら、支部長が確実に反対するか、使用を引き延ばそうとしますよ」
「でも、副支部長自身が『ギルドの財産』として特許を入手し、それを売り出すための戦略として試作品を作るというのなら、それは一見『ギルド外の意向が関与しない』行動ですからね。僕ら一般人が魔術陣を使えないなら、『ギルド』にやってもらおうというわけです」
これなら調べる必要もなく、この上もなく身元が確かである。何せ、魔術陣を依頼するのは『商業ギルド』自身なのだから。
詳しい説明を初めて聞いたサラが、「おお……」と感嘆の声を上げる。それからきゅっとしかめ面をして、三人に頭を下げた。
「わたしこそ、わたしのためにそんな凄い手札使わせちゃって、ごめんなさい。私が髪飾りを奪われなければ……いえ、油断せずにすぐに取り戻していれば、こんな苦労させることもなかったのに……」
「良いですよ。麻薬カルテル作られるよりずっとマシですし」
「僕も別に。リアさんがそれで良いなら」
しれっと首を傾げるラトニは別として、オーリも割合平然としているようだった。
「確かに金額は大きかったけど、特許でお金を手に入れてやりたいことって決まってたし、ここだけの話、それって特許が手元になくてもできるんですよね。ジョルジオさんは知ってるでしょ?」
「まあな。お陰で手続きが煩雑だった」
「対価になり得る別の手札を探そうにも、そもそも『合法的に魔術陣を使う』展開に持って行けないと意味がないですし。
大丈夫ですよ、サラさん。リアさんはあなたが思っているほど、損ばかりのお人好しではない」
どう転んでも完璧にも万能にもなれない間抜けさと可愛げはあるが、決して操りやすい馬鹿ではない。
オーリはきちんと考える頭を持っている。どうでも良いところで格好つけてスッ転んで転げ回って泣くことはあるが、押さえるべきところは押さえて、譲らないで済むだけの手筋を整えておく。
その絶妙なアンバランスと、機に面して一切の躊躇をしない胆力は、ラトニにとっては「取捨選択が上手い」で説明がつくが、他者にとっては行動原理が理解できないが故に「得体の知れない怪物性」のように見えるのだろう。
やるべきと思ったことを、やるべきと思った時にやる。
言葉にすればそれだけの行為を、あらゆる理由でできない人間はとても多い。
「――戦争の火種なんぞ、ない方が良いに決まってる。お国のお偉い方々がどう思ってるかは知らねェがな」
ジョルジオがぼそりと呟いた。
「フヴィシュナがザレフと最後に戦争したのは、俺がまだ若かった頃だ。特に南の方は酷かった。俺は幸い、研修先の他国から戻ったばかりで、兵に取られるでもなかったが……小さな村は煽りを食らって、巻き込まれて死ぬ奴や餓死者が続出した」
オーリとラトニはぱちりと目を瞬き、黙って師を見上げた。
軍属したことはないと聞いていたが、そう言えば彼は三十年以上前、フヴィシュナが『浮島』を得る理由になった戦争の当事者と言える年齢だ。
従軍はしていなくても、戦禍に巻き込まれた地域に居合わせることはあったのだろうか。
薬師であるジョルジオは、その中で零れ落ちる無数の命を見てきたのかも知れない。
「ガキも赤子も随分死んだ。――お前らがああなる所は見たくねェな」
二人の弟子を見下ろして、ジョルジオは微かに目を細め、小さな頭にぽんと両手を乗せた。そのままよっこらせと力を込めて立ち上がり、真面目な顔で口を噤んでいたサラを振り返る。
「ネーチャン、明日早くから作業すんなら、今日は泊まっていきな。床でごろ寝が嫌なら、明るいうちに布団の用意しとけよ。二、三枚、患者用にしまってあるのがあったはずだ」
ジョルジオは弟子たちの名を「オーリ」「ラト」と聞いています。
サラはそれを知らないので、最初に名乗られた通り二人を「リア」「ラト」と呼びます。
ジョルジオは何も言わず、何も聞かずに、いつもの通り弟子たちを「子雀」と呼びます。