164:罪の在り処を知ってるか
オーリの持つ黒石の幻術で二人揃って姿を隠し、警備隊詰所を訪れると、総副隊長のイアン・ヴィーガッツァは、珍しく眉間に皺のない顔で二人を迎え入れてくれた。
どうやら今日は総隊長が出勤していないらしく、朝から鬱陶しい嫌味を聞かなくて良かったのだそうだ。
イアンの執務室で子供たちがソファに並んで腰を下ろすと、雛――サテが唐突に体を伸ばしたい気分になったらしい。ぐいぐいと上着の隙間から頭を出そうとするので、オーリはイアンに断ってテーブルの上に出してやった。
ひよ、と鳴いて、サテがよちよち這い出す。
三人分のお茶とビスケットを持ってきたイアンが、雛を見下ろして興味深そうな顔をした。
「なんだリア、クチバシから乗り換えたのか。流石『天通鳥』、翼のある奴にモテるこって」
イアンはオーリがクチバシと呼ぶ水色の小鳥を連れていることも、三本足の巨大な鳥である野生のジドゥリを舎弟にしたことも知っている。
注目されているサテはマイペースだ。自分のことを言われていると知ってか知らずか、薄いテーブルクロスをはみはみ噛みながら、体をクロスに擦り付けるように転がって遊んでいる。
イアンの軽口に、ラトニが面白くなさそうな顔をする。
「押しかけペットですよ。リアさんが面倒を見るのは数日だけの予定です」
「はは、ラトは動物にまで妬くなよ。名前はつけたのか?」
「動物じゃなくて魔獣ですよ、私の魔力が主食なんで。名前は『サテ』です」
「サテ、か。異国風だがシンプルで響きの良い名前じゃねぇか。どういう意味があるんだ?」
「焼き鳥です」
イアンが沈黙した。
一片の曇りもない目のオーリを見て、無垢な瞳でころころ遊んでいる雛を見て、またオーリを見て、それを三往復繰り返した。
「……焼き鳥?」
「? ……あ、串に刺したグリルドチキンのことです」
「いや知ってるけど」
むしろそうじゃないことを期待してたけど。
「……焼き鳥、で、『サテ』?」
「一部地域ではそう呼ぶんです。ピーナッツソース、砂糖、おろし玉ねぎ、あとスパイスや、豆と塩を発酵させた黒いソースなんかで肉に下味をつけて、串に刺して焼き上げます」
「ああ、うん……美味そうだな……」
「イアンさん、リアさんは他意なくそういうネーミングをする人なので、ツッコんでも無駄ですよ」
「何さ、ラトの『丸焼き』よりマシじゃん」
「成程お前は他意があったんだな? どうしてそういうことするの」
真顔で淡々と本気の提案をしたであろうラトニの姿が容易に想像できて、イアンの目が死んだ。オーリの方は他意なく似たり寄ったりのネーミングをやっていることを思い出して、イアンの目が更に濁った。
「ペットの鳥に焼き鳥と名付けるのはどうなんだ……。俺は時々、お前らの肝の太さに恐れを感じる」
「そもそもこれ、鳥なんですかね?」
「鳥類っぽい特徴を備えてはいますが、鳥型魔獣と言い切るには正体不明ですよね。そんなことより、そろそろ本題に入りませんか?」
興味のなさそうなラトニが話題を切り替えて、ようやく二人が昨日の収穫について話し出す。
サテを拾った経緯についてはぼかしたが、それ以外に判明したことについてはおおよそイアンにも明かした。
ガルシエ邸に訪問したとも侵入したとも言えないため、使用人に協力者がいることにして、「黒いローリエ」に関して容疑が確定したこと、暗殺者が雇われていることから商業ギルドとの癒着、オルドゥル・フォン・ブランジュード侯爵の関与の可能性まで話した後、イアンが顔色を変えたのは、「グレン」と「バーグマン」の名前を口にした時だった。
「『グレンが戻ってきている』と言ったのか!?」
思わずといったように身を乗り出したイアンに、オーリとラトニはぱちんと目を瞬いた後、「知ってるんですか?」と問うた。
「バーグマンはシェパ警備隊の現総隊長の名前だ。そしてグレンは――先代総隊長の名前だ」
「!!」
子供たちが顔を見合わせる。
シェパ警備隊、先代総隊長。八年前、ザレフ帝国の違法薬物である「黒いローリエ」を王国フヴィシュナ内でも法的に禁制品と指定させ、薬物蔓延の危機を水際で食い止めた人物。
「あの妙にお腹の空く食べ歩き日記を事件の手掛かりとしてイアンさんに託した人か……!」
「食べ歩き記述をもとに謎解きさせると見せかけて、最終ページにサラッと答えを載せていた、思考回路の読めない人ですか……!」
「うん気持ちは分かるけどあの人本当に凄い人だったからそれだけは分かっておいてくれ頼む」
あああ思い出したらお腹が空いてきたと悲しそうな顔で虚空を眺めるオーリの手に、サテがもたもたと擦り寄る。大丈夫? モフモフ揉む?
遠慮なくサテを手のひらに乗せてにぎにぎ軽く握りながら、オーリは話の続きを促した。マッサージでも受けているようにサテが脱力して目を細める。ラトニが感情の見えない瞳でじいっとサテを見ているが、いい加減誰もツッコまない。
絶対に隣を見ないぞという強い意思を滲ませながら、オーリが真剣にイアンに問うた。
「イアンさん、先代総隊長は何故シェパを追われたんですか? 彼の功績からすれば、出世はあっても追放なんてあり得ないはずです。『黒いローリエ』はそれだけの劇物だ」
法規制の際、余程に急いて強引な手段でも使ったか? だが、成し遂げさえしたならば結果オーライで許される範疇だろう。
「八年前、『黒いローリエ』がこの国でも禁制品に指定されたのは、先代のお陰だったんでしょう? にも関わらず、先代は警備隊ばかりか街まで追われた。当時、このシェパで何があったんですか?」
問いかけるオーリに、イアンは難しい顔をした。
膝の上に肘を立て、組んだ両手の上に顎を乗せて、苦い記憶を噛み締めるように目を瞑る。
「……法規制に関しては、多少無理は通したが最短で叶えることができた。だがその直後、ある事件が起きてな。先代総隊長に、実行犯としての疑いが向けられた。
――前ガルシエ家当主の殺害容疑だ」
子供たちが息を呑んだ。
イアンは反吐を吐き出すような声で語り続ける。
「先代ガルシエ爵――今のガルシエ爵の父親に当たる男だったんだが、奴は当時ブランジュード侯爵から『浮島』の管理権を預かっていてな、『黒いローリエ』の製造に関わってたと考えられている。ただ問題は、当時はまだその薬が、フヴィシュナ国内で法的に禁じられていなかったこと。
先代総隊長は、当時起きていた数件の死亡事件に疑問を持って、独力で薬物と、大元が先代ガルシエ爵である可能性について割り出したんだ」
当時はまだ、ザレフから伝わったばかりで薬の完成度も低く、流す手際に粗もあった。「黒いローリエ」の粗悪な模造品、と言った方が良いかも知れない。
「堅物で権謀術数には向いてない人だったが、上級貴族出身で、コネと人脈はあった。何とか薬物を禁制品指定することはできたが……」
「先代ガルシエ爵を法的に裁くことはできなかった、ということですか」
苛立ちを噛み殺すように奥歯を鳴らしたイアンに、ラトニが続きを引き取った。
危険薬物の製造に売買、それを利用した殺人。そんな罪が正式に認められていたならば、その息子であるガルシエ爵が今これほどのうのうとしていられるわけがない。少なくとも、ブランジュード侯爵家の一人娘の嫁ぎ先としては、候補に入ることもできなかっただろう。
「その通りだ。先代総隊長は、先代ガルシエについても確かに物証を集めていた。だが、法規制の実行から日を空けず、その物証は全て焼失した。……先代ガルシエの死亡と同時にな」
イアンの乱暴な舌打ちが響いた。
「先代ガルシエが物証を奪おうと先代総隊長を襲撃し、反撃した先代総隊長が先代ガルシエを殺害してしまった――と、お偉方には判断された。
だが誰がそんなことを信じる? その日、二人が一緒にいるところを見たと証言した人間は、どいつもこいつも早々にシェパを去るか、さもなきゃ行方不明になってやがる。
ろくな証拠もなく、警備隊による捜査も許されないまま状況は悪化し続け、挽回は不可能だと判断した先代総隊長は職を辞してシェパを逃亡した。公に容疑が晴れることはなかったが、禁制品に関する功があったお陰で、追放扱いで見逃されたってとこだろうな」
胸に溜まったものを吐き出すように、イアンは大きく息を吐き出す。ぐしゃぐしゃと髪をかき乱し、肩を落とした。
「……で、その後釜に座ったのが今の総隊長――バーグマンってわけだ。奴は先代のことを目の敵にして、お陰で今じゃ詰所内で先代の噂話をすることも許されねぇ」
未だに強く先代を慕っているイアンにとって、先代の汚名を返上できないまま、噂が捻じ曲がっていくのは耐え難いことだった。今では警備隊にさえ、先代が汚職や贈賄をした挙句にクビになったと思い込んでいる者がいる。
顰めっ面で聞いていたオーリが、サテを撫でながら「むーう」と唸り声を上げた。
「……ねえ、思うんだけど、正直、実行犯として一番怪しいのって当代ガルシエ爵じゃない? ヘマした父親を罪が確定しないうちに殺して、自分は知らぬ存ぜぬで有耶無耶に事件を終わらせる。『浮島』の管理権は他所の家に奪われたけど、薬草を手に入れてるなら何らかの形で干渉する手段は維持してるんだよね?」
「ああ、あり得ますね」
サテを撫でている手を滑らかに取り上げ、自分の頭に誘導したラトニが同意する。
反射でラトニの髪をわしわし撫でながら、オーリが「そうでしょうそうでしょう」と頷いた。
「無能な父親を切り捨てることで過去を清算、心機一転自分が家長になったとなれば、『不幸がありました』で同情も買える」
「まだ『黒いローリエ』流通の動きは水面下で、大半の貴族は危険性を認識していなかったでしょうしね。薬のレシピを餌に庇護を願えば、乗ってくる権力者もいたでしょう。
イアンさん、当代ガルシエ爵には容疑はかからなかったんですか?」
「当代ガルシエは、当時父親の名代として他国にいた。外国旅行が趣味で、そのついでに父親や知人に頼まれた用事を済ませることも多く、あまりフヴィシュナには寄り付かなかったんだ。
先代ガルシエが死亡した時も、どこぞの偉いさんからの依頼をこなしている最中で、本人が父親と連絡を取るのは困難だっただろうと言われていた」
『不可能』じゃなくて『困難』か。
「直接がダメでも、間に人を挟めばいけるんじゃないですか? 商業ギルドの発送サービスを使えば、手紙でも荷物でも送れるし。本人がシェパにいなくても、いざって時に代わりに動いてくれる手駒をシェパに置いといて、策を実行させれば良い。当時ガルシエ爵に用事を頼んでいたって人、誰だか分かります?」
オーリの問いにイアンが返した名は、オーリにも聞き覚えがあるものだった。
南方領の貴族ではないが、ブランジュード家ともそこそこ関わりが深い、王都に居を据える一族だ。
アリバイ作りの片棒を担いだ、とは言い切れない。
だが、無関係という確証もない。
(――もしも父上様が、何もかも知っていてガルシエ家の行いを眺めていたなら)
八年前ならガルシエ爵は、若ければまだ二十歳にもなっていない。その年頃でそれだけ見事に切り抜けたなら、オルドゥルがガルシエ爵に目をかける理由になる。オルドゥルが言ったという、「八年前にガルシエ爵が見せた見事な手際」とも辻褄が合う。
――これで分かった。全てはサラと『浮島』に集約する。
ガルシエ爵が暗殺者まで送って警戒する、新ルシャリ公国の次期公王候補サラ。彼女がキーマンだ。
彼女は何かを持っている。ガルシエ爵に、殺しておかねばならぬと判断させるだけの何か。今は使えない、しかし条件さえ整えばたった一手で全てをひっくり返せる鬼札を。
オーリはラトニをちらりと見る。確認するような視線に、ラトニは僅かに目を細めて、任せるとの意思を伝えてきた。
オーリは数秒逡巡し、やがて腹を決めた。
勝手に個人情報を開示するのは申し訳ないが、今は最早一刻の猶予もなく、またサラの味方として動くと決めた以上、いざという時のカードとして、イアンの協力は絶対に欲しい。
今のイアンを突き動かすものは、尊崇する先代の意志を継ぐこと――そしてもう一つ、汚名を着せられた先代の敵討ちだ。
イアンの復讐対象は、ガルシエ家や現総隊長など事件に関与した人間たち。そして、全ての引き金である「黒いローリエ」そのものだ。
共通目的に「黒いローリエ」の撲滅がある限り、イアンは義務も立場も越えて、決してオーリたちの信頼を裏切らない。
「イアンさん。内密にして欲しいことがあるんですけど――」
サラの情報を共有する相手として、不安はない。