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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
王都編
17/176

17:王都

 ミルクのような白い霧が薄くかかった王都の早朝は、夜明けの水と緑の匂いに満ちていた。

 人と物と金と欲と。あらゆるものが一点に集い、いつだって喧騒に満ち溢れた街も、幽玄の羽衣を纏ったこの一刻ばかりは文句なしに美しい。

 王都イオレ、その南区にある別邸で、今朝もオーリは自室の窓を大きく開け放った。


「わお、幻想的。今日もカナンの恵みがありますように!」


 高らかにそう唱えて、冷たい空気を肺一杯に吸い込む。澄んだ水の匂いのする空気が、幾分残る眠気を綺麗に払っていった。


 遥々馬車を走らせて、王都に着いてから早五日。手入れの行き届いたブランジュードの屋敷は、今日も貴族街にてその威容を示していた。

 立地は流石に良い位置にあり、その中でも上の階にあるオーリの部屋からは街の様子がよく見えた。

 どちらを見ても山があるこの国の風景は、彼女の何よりの気に入りだ。

 鮮やかな緑に満ちた深山を、オーリは是非ともいつか散策してみたいと思っている。あと、珍しい茸や薬草があったらとても嬉しい。


 余談だが、『〜の恵みがありますように』は、こちらの世界で言う、少し気取った『おはようございます』である。

 フヴィシュナの暦は、一年を三十日から成る十二の月に分けている。月の名前はそのまま時季に縁深い神の名を当てられており、今はカナンの月、日本で言う十月に該当した。


 秋も終わりに近付いて、もうすぐ長い冬がやってくる。肌寒い季節、山の上は一層の寒さに晒されることだろう。

 まろやかなコトンのシチューが美味しい季節だ、と呑気なことを考えていた時、オーリの耳に甲高い鳴き声が入った。


 パサリと小さな羽音に、頭部に乗った軽い重さ。

 ピィ、と紡ぎ上げる音は、晴れ空に似た澄んだ色を持って。


「――で、キミはまだ帰ろうとしないわけ」


 じっとりと目を据わらせて、己の頭上に視線を送り。

 そこに堂々鎮座する、水色の小鳥を睨んだオーリは、どうしたものかと肩を落とした。



 オーリの前にこの小鳥が現れたのは、つい昨夜のことである。

 シェパにいた時二度ほど見かけた、艶のある水色の綺麗な鳥。妙に知能の高い行動を取る姿も見ていたため、夜も遅く、自室の窓の外に佇んでいるこの鳥を発見した時は、幾分ぎょっとしたものだ。


 そう言えばこの鳥は、誘拐事件の中でいつの間にかいなくなっていた、と思い返す。

 ただ同種の鳥なだけという可能性もあったが、オーリにはあの夜会った小鳥がこの小鳥と同一個体だという確信があった。あの時もこの鳥はオーリに付き纏い、そして案内役を勤めてくれた。


 脈絡もなく現れた知った鳥の姿に、慌ててオーリが開けた窓から、鳥は遠慮なく飛び込んできた。それから堂々と枕元にうずくまり、「夜更かしすんじゃねぇ」とばかりにピィと鳴いてきたものだから、オーリはひくりと顔を引きつらせたものだ。


 ――え、なんかこの鳥、図太いんだけど。


 野生動物って人間の傍では眠らないものじゃなかったっけと思いながら、オーリはしばし鳥と見つめ合う。

 一ミリも動かない鳥と、対照的にだんだん重さを増してゆくような気がするオーラに、根負けしたのは五分後のこと。


 仕方なく、その日オーリは一番小さな窓を開け放しにして寝ることにした。

 けれど、夜の間にいなくなっているかと思った鳥は、夜が明けてもしっかりとオーリの元に留まっていて。



「――オーリリア、それは一体何だね?」


 大きなテーブルが置かれた食堂には、既に朝食を終えたらしい父オルドゥルの姿があった。

 母であるレクサーヌの姿は今朝もない。毎朝果汁とコーヒーしか口にしない母は、いつも自室で朝を済ませてしまう。

 不思議そうなオルドゥルの問いに、オーリは困ったように視線を泳がせた。


「昨日、窓から入ってきたんです。あの、お父様、この子は賢いみたいだし、飼っても良いでしょう?」


 図太い小鳥はオーリの頭上に収まって、今も気紛れに髪を引っ張っては遊んでいる。

 ブランジュードの屋敷に、愛玩動物が飼われていたことはない。飼える保証もないし、下手に構って情が移っても困ると思ったオーリは、試しに一度小鳥を窓から放り出してみたのだが、即座に蜻蛉返りした小鳥が弾丸のように突っ込んできて、額に強烈な体当たりを受けた。

 小鳥の体格と体重を疑う、実に鋭い一撃だった。それから一頻りオーリをつつき回した後、反抗心を削がれてげっそりしたオーリの頭上に再び居場所を戻した小鳥は、己が勝利を確信したかの如く満足そうに丸くなって今に至る。

 こいつは私の頭を巣だと思っているに違いない、とオーリは思った。アーシャは面白そうに微笑んでいたが、当のオーリとしては目付きがじっとりするのは止められない。


 とは言え、如何に図太い小鳥だろうと、放っておけば使用人の誰かが誤って傷付けてしまうかも知れないと思えば、下手に無視するわけにも行かなかった。

 どこに入り込むかも知れず、掃除したての廊下に羽根や糞を落とす野鳥の存在など、決して歓迎されはしないだろう。

 鳥が離れようとしないのならば、いっそ真っ向から許可を得るしかない。アーシャに聞いてみれば父の許可を得るようにと言われたので、オーリは仕方なく頭上に居座る鳥を放置したまま、父の前へとやって来たというわけだ。


 願えば大抵のものは与えられるであろうオーリは、日頃あまり物を強請らない。

 珍しくも我が儘を口にし、上目遣いにおずおず願ってくる娘へと、オルドゥルは一度目を瞬かせ、それから鷹揚に頷いてみせた。


「ああ、うん、構わないんじゃないかな。見たところ汚くもないし、青い動物は珍しいからね。躾はよくしておくんだよ」

「あ、ありがとうございます、お父様!」


 存外あっさり出た許可に、オーリは意外に思いながらも、ぱー、と子供らしく笑ってみせた。

 引かれた椅子に腰を下ろせば、すぐにメイドが現れて、朝食の皿が運ばれてくる。食事の邪魔をするつもりはないらしく、小鳥は何を言われるでもなく窓際へと移動した。


「おや、確かに頭は良いようだな。オーリリアが教え込んだのかい?」

「え、あ、はい! 部屋で色々教えてきました!」


 スープを飲み込んだところだったオーリは、慌ててその問いを肯定した。

 だって、正直に「教えていない」なんて言って、「ならば誰が教えたのだ」と返されても困るのだ。衛生観念のある野鳥とか、普通に考えても無理がある。


 違和感に突っ込まれる前にと、オーリは急いで話題を変えた。


「あの、お父様、青い動物ってそんなに珍しいんですか? 確か、うちのロックダルも青かったと思うんですけど」


 話を逸らしたオーリに、オルドゥルは疑う様子もないようだ。「青は魔力の色だからね」と言って、芳香の漂う紅茶らしきカップを傾けた。


「オーリリアはまだ習っていなかったかな。魔力の高い動物や魔獣は、体のどこかに青を持っていることが多いんだよ。人間の場合は、多くが眼に現れるがね」

「へえ」


 ぱちくりと目を瞬いて、オーリは嘘でなく感心した声を上げた。

 成程、道理でただの野鳥相手にあっさり飼う許可が出たわけだ。少女の青みがかった灰色の瞳をオルドゥルの視線がちらりと捉え、何事もなかったかのように再び穏和な微笑を作る。


「純粋な青に近付くほど、宿す魔力は強いそうだ。魔力を持つものが即ち青を宿すわけではないが、逆に青を持つものが魔力を宿しているというのは定説となっているよ。

 魔力を持つ動物は一般に知能や能力値が高いから、同種族の中でも特に希少価値が高い。あの青銅色のロックダルも、随分と手に入れるのに苦労したんだ。

 そうそう、先日も友人の家でグールベアを見てね。魔獣の一種なのだが、内臓に埋もれた核の結晶は青色がかった紫で――ああいや、済まない。食事中にする話じゃなかったかな」


 サラダをつつく手が止まったことに気付いたのだろう、オルドゥルは苦笑して言葉を切った。

 一拍置いてフォークに刺したトマトを持ち上げ、オーリは続きを催促する。


「……いいえお父様、お話、面白いです。お父様は魔獣を見たことがあるんですか?」

「ああ、それは何度もあるさ。そういったものを好む友人が何人もいるものでね」


 己の話に興味を持ったらしい娘に、オルドゥルは満更でもないようだった。少し熱の入った様子で、目を細めて言葉を繋いでいく。


「知っているかいオーリリア、魔獣の核は取り出したその時が一番美しい。宝石にも並ぶほどだ。尤も、時間が経つごとに急速に輝きは失せて、ただの石ころのようになっていくがね。

 ただし、特殊な処理をすれば、ある程度その輝きを持続させることもできる。特に注意することは、魔獣を殺す直前の――」


 ニコニコと相槌を打ちながら、オーリはこんがりと焼けた分厚いハムをそっと遠ざけた。居並ぶメイドたちの潜められた息遣いが、妙に耳に障る気がした。


 胸の隅で、彼女は小さく問いかける。

 ――ねえ、お父上。どうして狩人でも冒険者でもないあなたが、真新しい魔獣の核を何度も目にする機会があるのかな。


「――興味があるのなら、いつかお前も連れて行ってあげよう。今はまだいけないよ。子供には刺激が強いからね」


 人の良さそうな顔で笑うオルドゥルの目には、あのオーリの嫌いな淀んだ影があった。笑みの形に歪んだ双眸に底無し沼の影を見た気がして、オーリはさり気なく目を逸らし、何も分かっていない振りをして笑った。


「はい。お父様と一緒に遊びに行けるの、楽しみにしてます!」

「そうかそうか、オーリリアは本当に聞き分けのいい良い子だなあ」


 満足そうに頷いて、オルドゥルはカップをテーブルに置いた。話が途切れたことが分かり、誰かがそっと安心したような息を吐いたのが聞こえた。


「ところでオーリリア。屋敷も落ち着いたことだし、私もお母様もまたしばらく留守にするよ。良い子でお留守番していられるね?」

「……お父様たち、またどこか行っちゃうの?」

「そうだよ、お父様たちは色々な人にご挨拶しなければいけないからね。お前はアーシャと一緒に屋敷で待っておいで」

「お仕事なら仕方ないね……。じゃあ私、お勉強して待ってます」

「おお、そうか。じゃあ、私たちが帰ってくるまでオーリリアが良い子に出来ていたら、ご褒美に面白い所に連れて行ってあげよう」

「お父様たちも一緒ですか?」

「勿論だよ。その時には、新しいドレスを着せてあげるからね」

「わぁい! 私良い子にしてるから、早く帰ってきてくださいね!」


 上辺だけ聞けばそれは、忙しいが子煩悩な父親と無邪気な娘の、ありふれた会話なのだろう。


 己を守る化け猫の皮も、貴族社会の暗がりも、目を凝らさねば分かりはしない。

 ほっこりした視線をオーリに注ぐメイドたちの傍らで、見ていられないよとでも言いたげに、妙に人間臭い仕草で小鳥がそっぽを向いた。




※※※




 そして早速、その日の午後。

 シェパにいた時のように自室へ籠もると宣言したオーリは、王都到着から初めて、その街路へと足を付けていた。


「わあ、流石王都。活気があるなぁ!」


 しっかりと持参してきたオリーブ色の上着に、フードの中には水色の小鳥。

 いつもの天通鳥(+1)スタイルで街を歩きながら、オーリは感嘆の声を上げた。


 店や露店が立ち並ぶ道は、主に煉瓦色の石で舗装されていて、雨天でも荷馬車が通るには不便がないだろう。

 この石は、近辺の山で切り出される特産品の一つに違いない。目に付く家々も同じ石材を使用しているものが多く、降り注ぐ日差しを受けてその色を濃く光らせていた。


 煙を上げる串焼きの屋台に、何を扱っているのかも分からない暗幕を張った露店、数人の客が並んでいる小さなパン屋、昼間から酒の臭いを漂わせている錆びた看板の飲食店。遠くに見える大きな商店の隣にあるのは、この街の冒険者ギルドだろうか。


 あちこちに目移りしているオーリに、肩に止まった小鳥がきょろきょろするなと言いたげに髪を引っ張ってきた。


「あいたたた。何さ、ちょっとくらい良いじゃない。王都に着いてから何日も、ずっと散策したくてそわそわしてたんだから」


 不服そうに抗議するオーリに、小鳥はもっと警戒しろとばかりにピピピと小さく羽を震わせる。じろりと見上げてくる小鳥に、オーリは諦めたように溜息をついた。


「……分かってるよ。無防備にするつもりはない。王都はシェパより活気があるけど、治安が信頼できないってことに変わりはなさそうだしね」


 そうだ、この街は一見、シェパよりも明るく活気があるように見える。けれど表の喧騒の分、街の裏側に潜む闇もまた深そうだと、オーリは素早く判断した。


 少し注意深く見渡せば、目に入るのは道端で襤褸を纏って横たわる大人たちや、薄汚れ痩せこけた体で、目だけをぎらつかせている子供たちの姿。

 ここは比較的中心区に近いからまだしも、下町やスラムの方に行ったならこれの比ではないのだろう。


(……流石にいきなりそんな所に向かおうなんて、無謀なことは思わないけどね)


 王都であるからこそ、どんな人間が屯しているか分からない。過信して下手な行動を取れば、少し身体能力が高いだけの小娘など、いともあっさりと身柄も命も奪われるのが関の山だ。


 道の向こうから歩いてきた子供を、オーリはさり気なく方向をずらすことで接触を避けた。すれ違う瞬間に舌打ちが聞こえ、相手が掏摸すりであったことを確信する。


(や、まあ私、そんな分かりやすいところにお金なんて入れてないんだけどね)


 心の中で舌を出しながら、オーリは何か面白い店でもないかと辺りを見回した。

 肉にジュースに果物に。種々入り混じった食べ物の香りは、嗅覚に優れるオーリの鼻孔をダイレクトに刺激する。

 珍しい食べ物の屋台でもあったら、この機に是非試してみたいと思いながら、オーリはそわそわと視線を彷徨わせた。


「あいたっ。……だから引っ張るなってば、もー」


 ただし、うろうろ目を泳がせるたびに、小鳥が髪を引っ張ってくるのが少々邪魔ではあるが。


(あー、でもこれ、なんか懐かしい感覚)


 一々意識を引き戻される小鳥の仕草が、何だかいつも繋いだ手に力を入れる動作でオーリの意識を引こうとするラトニを連想させる。

 それを思い出してしまえばもう怒る気にもなれず、オーリはつんつん引かれる頭皮の感触を感じながら、困った顔で苦笑した。

 今頃シェパで不機嫌を募らせているだろうラトニの様子を想像し、あまりに仏頂面が似合う姿に含み笑いが零れる。ふと目を向けた隣の空っぽな空間が、酷く寂しいものに感じられた。


「……ここ半年、街に出るたび必ずラトニが傍にいたからなあ……。やっぱりあの子が隣に居てくれないと寂しいや」


 ――ここにラトニがいれば良かったのに、と。

 ぽつり呟いたオーリに、小鳥がぴくりと反応した。

 ぱっとオーリの顔を見上げ、不思議そうに見下ろされると素早く目を逸らす。それからもそりと体を丸め、心なしかオーリの頬に身を寄せてから、満足そうに目を伏せて静かになった。


「……?」


 急に大人しくなった小鳥にオーリは怪訝そうな顔をしたが、文句を言わないなら別に良いかとばかりにさっさと意識を街並みに戻す。

 少し人の波が途切れて、道の反対側もちらりと見えた。


 ラトニの機嫌取りに良さそうなものはないかと、道の端の怪しげな露店に視線をやって。

 けれどその時、露店の傍の路地の向こうに、オーリの目が不穏なものを捉えた。


『……っ、……!』『……、……』『……!』『……! ……!』


 物陰に窺える複数の人影、途切れ途切れながらも確かに聞こえる甲高い女の声と、野太い男たちの声。

 決して友好的とは言えないその雰囲気に、オーリは呆れたように眉を顰めた。


「おやまあ……。やっぱりどこにでも似たような連中っているんだね」


 強い酒の臭いがぷんぷんするよ、とぼやきながら、彼女はゆっくりそちらへ足を向ける。

 面倒臭そうにしながら、進んで面倒事へと首を突っ込んでいくオーリを、肩の小鳥が今にも溜息を吐きそうな目で見上げていた。


「行くよクチバシ、久々のボランティアだ」


 待て、それ自分の名前か。


 驚愕に凍り付く小鳥の反応は、オーリの目には入らなかったようだった。

 ――とても残念なことに。


※水色の小鳥

 ラトニ製作の術人形。監視カメラや盗聴の機能がある。

 術式を組み込めばある程度の自立行動が出来、また術者の意識を一時的にそちらに移すことも可能。術の精度は高いので、一見は人形ではなく、魔力があるだけのただの鳥に見える。

 リアルタイムで視覚や聴覚を同調させることもできるが、なかなか疲れるのであまりやらないらしい。取り込めば、小鳥の得た記憶を丸ごと共有できる。

 基本的に食物は必要ないが、外部から取り込んだ魔力や食物等を動力に変換することも可能。

 仮名・クチバシ。


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