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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
169/176

163:天通鳥、再始動

「………………」


 ぱち、と。


 カーテンの隙間から差し込む朝の光に、オーリは薄く目を開けた。

 しばしぼんやりした後で、くぁらと欠伸をして起き上がる。

 枕元のクッションに隠した小箱の中、丸くなって眠っていた灰色の雛が、物音に釣られて目を覚ましたようだった。


 眠たげな目と目を合わせた後、もう一度オーリは、ぷぁ、と欠伸をする。

 今日はやることが目白押しだ。朝食を終えて屋敷を抜け出したら、ノンストップで駆け巡ることになるだろう。


 春告祭、十一日目の朝が来た。




※※※




 歌声、音楽、恋人同士の戯れに、客を呼び込む出店の声。

 祭の喧騒に後ろ髪を引かれながら、人けのないいつもの空き地で合流し、二人はまず、昨日各自が得た情報を擦り合わせようと、ガルシエ邸で逸れた後の出来事を共有することにした。


 本当は昨夜のうちにクチバシが忍び込んで会議ができれば良かったのだが、残念なことにオーリは昨夜、オルドゥル()との予定が入っていた。

 夕食を共にし、お茶を飲みながら懇談会。オルドゥルがガルシエ爵からショコラータのレシピをもらったことや、ガルシエ邸にいた『婚約者』をどう思ったか、なんて話から、王立学院の思い出や、ブランジュード家にある小塔についての話まで、珍しく饒舌に色々と話してくれたものだ。


「――成程、道理で、入学後はどんな勉強をしたいかなんて聞かれたわけだ」


 まずはラトニの話から聞き終えて、オーリは軽く溜息をついた。


 家を出て自身で身を立てることを目標とする貴族子女と、婚約者のいる、或いは既に結婚までしてしまった令嬢とでは、学院に行くとしても受けるクラスや難易度はまるで違う。

 これまでオルドゥルは、オーリに対して「最低限をこなせば、後は興味のあることをすれば良い」というスタンスだった。それは彼の中でオーリの将来が、「他所に嫁ぐ」「入り婿にブランジュード当主を継がせる」という選択肢に絞られていたからだろう。


 しかし、「オーリが当主を継ぐ」となると話は違う。「当主の妻」と「女当主」では、求められる役割がまるで違うからだ。


「経理、会計、財務に経営、うちでやってる事業の管理に、交流のある国の独自言語。国法の勉強は当然として、南方領主筆頭となれば実際法務にも携わるだろうし、ああそうだ、領内のライフラインの管理も要るな。加えて当主だろうと女であるなら、家政の切り回しも必要だ。なにこれ死ぬ。クラス選択考えただけで死ぬ」

「何度でも叩き起こしてあげますから、安心して死んでください」

「うっそでしょ死体に鞭打つ気だよ」


 オーリは戦慄した。求められる水準が、多分前世日本の大学とかと比較にならない。

 下手に勉強できる子ムーブしなくて本当に良かったと震える彼女に、ラトニは「結婚前提でレール敷かれるより、頑張って当主位()って、自分で結婚相手選ぶって宣言しなさい」と激励した。


「貴女の結婚の話なんて、今回だけで懲り懲りです。自分がどれだけ沸点が低いか、僕はよく自覚しました。次は予告なしで暗殺キメるかも知れませんよ」

「よーしオーリちゃん勉強頑張っちゃうぞー!」


 ぶっちゃけラトニが本気になれば、「黒いローリエ」より完璧に完全犯罪を成立させることができるだろう。何せちょちょいと標的の血液の水分量を調整し、血管に血の塊を作ってやれば、脳梗塞いっちょあがりだ。たとえ死ななくても、「女侯爵の婿ともなれば健康な人でないと」という展開に持っていける。


「そのためにも、今の問題はガルシエ爵ですね。

 あの男の関わった殺人は、恐らく薬の実験も兼ねていた。使用量や薬を使うタイミング、標的の年齢や身体条件など種々の調査を経て、『黒いローリエ』を完成形に至らせる最終調整を行っていたんです。ガルシエ爵以外が殺したものも含めて、既に相当数が被害を受けていますよ。

 あの男は発覚のリスクを犯して国内に薬をばら撒き、レシピと用法を完璧に仕上げた。これまでは規制のある薬草の輸出くらいで済んでいましたが、いよいよ次は薬そのものを輸出し始めます。ザレフ帝国の開戦派が薬をどう使うか、考えたくないですね」


 焼失した倉庫の中身は『浮島』の薬草だった。火をつけた犯人は分からないが、とにかく今、ガルシエ爵は「黒いローリエ」の材料となる薬草を得るため、可及的速やかに『浮島』に立ち入る権利を欲している。

 とすれば、シェパ中の薬草を買い占めていたのもガルシエ爵だろう。サラの邪魔をするためでなく、材料の不足が故の苦肉の策だったのだ。


 数秒、オーリは俯いて目を閉じた。

 サラのこと、ガルシエ爵のこと、婚約者にされた赤子のこと、父の思惑。それらを全て頭の中で整理して、宣言する。


「――サラさんに会いに行こう」


 内政干渉の危険を侵すと決めたオーリの言葉に、ラトニはそっと笑った。腹を決めた彼女を安心させるように唇を吊り上げて、迷いなく頷く。

 

「『浮島』はサラさんに獲らせますか?」

「うん。新ルシャリ公国の次期公王には、サラさんに立ってもらう。そのために必要なことがあるなら、可能な限り協力する」

「分かりました。ではこの後、イアンさんの所で情報の擦り合わせをしてから、改めてサラさんに協力を申し出に行きましょう。サラさんの居場所はクチバシで探しておきます」


 ラトニが指を一本立てたかと思うと、虚空に水色の小鳥の姿をした術人形が生み出される。

 オーリがかつて「クチバシ」と名付けたそれは、ラトニの組み込んだ命令に従って、サラを探しに飛び去った。


 たちまち見えなくなった小鳥からオーリの方に向き直り、ラトニは告げる。


「では、次はオーリさんが何を見つけたのか、話してください。

 そうですね……特に、貴女の懐に収まっている、生き物らしきモノについて」

「ゔっ」


 ぎくりと肩を跳ねさせて、オーリは視線を泳がせた。


 オーリが上着の内側に急遽作った簡易ポケットには、昨日見つけた雛が丸くなっている。

 今朝方起きてからは水と穀物の練り餌をほんの少しだけ摂取し、後は気紛れにオーリの魔力を食べているようだった。

 主食が魔力だからか排泄が極端に少なく、またオーリが接触していさえすれば暴れたり騒いだりしないので、幸い父や使用人にはバレずに済んでいる。


 今朝になってようやく完全に開いた目は、夜のような群青色をしていた。まん丸い瞳をよく見ると、瞬くように金色の光がちらついていて、流れ星が落ちたのかと思わされる。


 単独でギルファギリムに遭遇した時からガルシエ邸を出るまでの顛末を話し終え、オーリは恐る恐る懐から雛を取り出してみせた。

 彼女の手のひらの上で居心地の良い場所を探してもぞもぞしているモフモフした灰色の生き物を見下ろして、ラトニは繊細な美貌を思慮深げに顰めた。


「成程、そういうことだったんですか……」


 休火山くらいの怒りとお説教くらいは受けるかと思っていたが、意外と冷静だ。

 ほっと安心したオーリの目の前に、ラトニは「クチバシ」をもう一羽発現する。


 ラトニの意識を乗せていない、ただの操り人形である小鳥は、軽い羽音を響かせてオーリの元へ飛んできた。

 彼女の周りをくるりと一周し、細い肩に留まる。チィ、と可愛らしい鳴き声を上げて、毛艶の良い体を頬にすり寄せた。


「な、何、急に。どしたの?」

「オーリさん、僕の鳥、可愛いですか?」


 唐突なサービスに戸惑ったように眉を下げながらも、ついつい口元を綻ばせるオーリに、ラトニは淡々と聞いた。


「そりゃ勿論、可愛いけど」

「そうですか。なら、その雛はいりませんね。僕に渡してください」

「なんで?」


 淡々と真顔なのが怖い。

 さ、と手を差し出してくるラトニに、オーリは静かに震え上がった。やばい、こいつ全然冷静じゃなかった。


「申し訳ありません、渡してどうするおつもりなのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

「捨てても戻ってきそうなので、処分するか、ノヴァさんにでも差し出そうかと」

「やめたげて? あのどう考えても子育てに向いてないナチュラル破綻者に無力な雛鳥差し出すのやめたげて?」


 二人が異相世界(エノルメ)の遺跡に迷い込んだ時に出会ったはぐれの魔術師であるノヴァのもとに、ラトニが弟子として通っていることはオーリも知っている。

 ノヴァに弟子入りしてからラトニの魔術の腕がめきめき上がっているとは分かっているし、実際腕は凄まじく立つのだろうが、如何せんその人格は利己主義で自分の興味と知識欲最優先、悪魔も笑顔で足蹴にしそうな男なので、ぶっちゃけラトニでなければ弟子入り初日で心が折れていそうだ。


「大丈夫です。僕は立派にあの人に育てられています」

「いつか復讐してやるって歯軋りしてたじゃん!?」


 自立して動けて口が回って性格も強かなラトニが毎回毎回メッタメタにされて据わった目をしているのだ。一から十まで面倒を見てやらなければならない生き物など渡したら、面倒臭がって放置するか、研究対象として面白がるか、はたまたやばい化学反応を起こしてとんでもねえ超級危険指定魔獣に育て上げるか。いずれにせよオーリの胃が爆発しそうだし、リーゼロッテにも面目が立たない。


「それですよ、そのファルムルカのご令嬢の言葉が何より怪しいんです」


 胸の前で組んだ腕をたんたんと指で叩きながら、苛立ちを隠さない様子でラトニが指摘した。


「最初はカフェに同行する程度で済ませる予定だった『お詫び』が、その雛を見た途端に変更? そんな分かりやすく掌返されて、怪しいと思わなかったんですか?」

「い、いや、一応断ったんだけどさ……リーゼロッテ様、顔とかすごい近付けてくるし、悲しそうな顔するし、ついその……」

「どう考えてもハニトラ食らってんじゃないですか。何考えてるんです同性相手に」

「す、すみません」

「と言うか、普通に断れば良かったんですよ。父に黙って勝手なことはできないとでも言えば、貴族の娘としてはおかしくない理由でしょう」

「仰る通りです……」

「偶然見つけた魔獣の雛に、ご令嬢がたまたま興味を持って、こっそり育てて欲しいと頼まれた? しかも自分が引き取るのではなく貴女にやらせる? 厄介ごとの臭いがぷんぷんしますよ」

「す、数日だけで良いって言ってたし」

「貴女に押し付けたその数日で何かをするつもりに決まっているでしょう。くそ、一体何を考えてるんだ……これだから権力者は訳の分からない理屈で人を振り回す。数日時間を稼ぎたかったのか? それとも、この雛がオーリさんの魔力しか食おうとしないことに関係が……?」


 視線も向けずにクチバシを消し、ラトニはぶつぶつ毒づきながら雛に手を伸ばす。

 ちょんと触れたラトニの指に、雛はむぐむぐと頭を擦り付けたが、すぐに飽きたように離れてしまう。魔力を吸おうとはしなかった。


 次にオーリが指先で雛をモフモフつつくと、雛は尖った口の先端で、つん、と爪先をつつき返す。小さな翼で指を捕まえてあぐあぐと甘噛みするのに、オーリは擽ったそうな顔をし、ラトニは静かに表情を削ぎ落とした。


「……やっぱり全部オーリさんが悪い」

「自覚はあります申し訳ありません!」


 今すぐ雛を丸ハゲにするか、オーリの指を180°後ろに倒すかしてやりたいという目付きで自分を見つめるラトニに、オーリは力一杯頭を下げた。

 リーゼロッテの顔面に惑って流された自覚はあるので、この上言い訳をしても向けられる目の温度が下がるだけだ。


 ラトニが舌打ちした。オーリの両頬を掴み、ぐいっと顔を近付ける。


「綺麗な顔なら極上のがここにあるでしょう。貴女がいくらでも鑑賞できるものが」


 氷の彫刻に精霊が魂を込めたかのような美貌の真ん中に輝く、一対の琥珀色の瞳。そこに至近距離で自分の顔が映って、オーリはカチンッと凍りついた。


 美人は三日で飽きるというのもモノによるようで、見慣れたとは言え神がかった美少年であるラトニの顔は、日頃ぶかぶかの帽子で隠しているということもあり、不意打ちされると時にオーリも心臓が跳ねる。

 ひぃん、と間抜けな声を上げるしかできないオーリを、ラトニはふんと鼻を鳴らして解放した。


「まあ、有事の際の全責任をご令嬢が取るという言質を引き出すまで粘ったのだけは褒めてあげますよ。……どうしても連れていたいと言うなら、腹立たしいですが見逃してあげます。その代わり、次にご令嬢に会った時には、次の預け先について必ず確認してください」

「りょ、了解です……」


 こくこく頷き、オーリはまた彼女の魔力を食べ始めた雛を手のひらで包み込んだ。食欲旺盛な雛は、こうして一日に何十回と魔力を欲しがる。


「で、それの名前はもう決まってるんですか?」

「んん、まだ。つけようとは思ってるんだけど、良いのを思いつかなくて」

「『丸焼き』にしましょう」

「それ調理方法の話じゃないよね?」


 オーリはしょっぱい顔をするが、どの道彼女のネーミングセンスなら大した差はあるまい、とラトニは考えた。

 クチバシ、マッスル四郎、サナダゲンジロウノブシゲ。彼女が真っ当な名前を考えた試しはない。その対象が、動物であれ――人であれ。



 ――おかしくないよ! ウッカリカサゴって名前の魚は本当にいるんだよ!



 不意に思い出された記憶に、ラトニは咄嗟に首を横に振った。

 思い出に浸るのは今でなくて良い。幸福だった記憶も、絶望に満ちた終わりも、何も知らない彼女に片鱗を見せて混乱させるのは本意ではない。


 ――大丈夫。待つのは得意だ。

 

「ラトニ? どうかした?」


 気がつけば、唐突に意識を別の何かに囚われ始めたラトニの顔を、オーリが不思議そうに覗き込んでいた。

 水鏡のように自分を映す青みがかった灰色の瞳を見つめ返して、ラトニは「いえ」と否定する。


「特に何も。……それより、名前は思いつきましたか」

「ううん、トリオかトリコにしようかと思ってるんだけど、性別が分からないから困ってて」

「最早逆に感心しますね、貴女のセンス」


 この雛にだけまともな名前をつけられてもそれはそれで腹が立つので、軌道修正はしてやらないが。


 お前の話だぞと思いながら、ラトニはオーリの魔力を食べ終えて満腹になったらしい雛を軽くつついた。


 ――けぷっ。


 ――ぽっ。


 つつかれた雛がげっぷをすると同時に、小さな火の粉を吐き出した。


『……………………』


 オーリとラトニは沈黙し、それから黙って顔を見合わせた。



 雛の名前は「サテ」になった。


「サナダ〜」や「変な名前の魚」については、「かつて見た果て」参照。

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