162:花果山にて生まれたもの
見た目からしてとんでもない異形の怪物だったり、牙を剥いて襲いかかってきたり、ミイラになるまで魔力を吸い上げられたり、などということは、少々待ってみたが幸い起こりそうになく。
どうも相手が差し迫っては鳴く以外の行動を取るつもりがないらしいと理解して、ようやくオーリはウルトラな星の住人っぽいポーズを解除した。
ガルシエ邸に来てから、緊張と弛緩の緩急が酷過ぎて胃が痛くなりそうだ。
潜入行動中なのだから仕方がないと思いつつ、そこら辺に転がっていた箱の蓋を盾にしつつじりじり近寄ってみる。
岩から生まれて産声を上げる生き物なんて、オーリは前世中国の某斉天大聖くらいしか知らないが、目の前のそれは猿ではなく鳥類の特徴を備えていた。
見た目だけなら、殻を割ったばかりの鳥の雛によく似ている。とは言え完全に鳥とも言い切れないようで、各所に相違点は見て取れるが。
まず雛――と仮称する――の全身を覆うのは、粘液と土埃に汚れて湿った灰色の羽毛である。ぺたりと張り付いているそれは匂いが薄く、恐らく卵で言う卵白のように、岩の内部を満たしていたのだろう。
腕はなく、代わりに翼だと思われるものが両側に一つずつ。
二本の脚は鱗に覆われ、小さな鉤爪の生えた四趾があった。脚が太いから、多分そこそこ大きく育ちそうだ。
丸い頭部から口が突出しているが、これは嘴というより、シャチやイルカの口がシャープに尖ったようなものに見える。これもやはり羽毛に覆われており、付け根付近には鼻腔らしき小さな穴が二つあった。
首はやや長い。後頭部から首にかけて、長い毛が 鬣のようにちょびちょびと列を作っている。
魔力を食うなら魔獣だろう。であれば成長につれて身体構造も変化するのかも知れない、とオーリは思った。
成獣になった時、雛と似ても似つかぬ姿に変わる魔獣は珍しくない。育つにつれて凶暴になるケースもよくあり、使役するつもりで幼体から育てた魔獣に飼い主が食い殺された、なんて話も聞いたことがあった。
どれほど慎重に扱ったとしても、獣の本能を飼い慣らすことは難しい。愛情かけて育てれば大丈夫、なんて理屈が通じるのなら、前世日本で飼い主がペットの蛇や熊に殺されたり、動物園の職員が仕事中に食い殺されたなんてニュースを聞くことはなかったはずだ。
(だからぶっちゃけ、触れずに逃げたいところなんだけどなぁ……)
台座の上からひよひよとか細い鳴き声を上げている雛に、オーリは思わず引きつり笑いを洩らした。
生まれたばかりで碌々目も開かない雛は、それでもじいっとオーリを見つめて、己を見よと主張している。
オーリを親と認識しているのか、それとも幼い自分を守ってくれる庇護者を欲しているのかは分からなかった。孵化直後に見たものを親と思い込む刷り込みは鳥類の特徴だが、例えば鶏のように、刷り込みが起こらない種もたまにある。
とにかく、ひ弱な声で鳴く雛は、どうあってもオーリに触れて欲しいようだった。
手を出すには迷いがあり、さりとて生まれたての雛を放置して逃げ去るほど薄情にもなれず。煮え切らないオーリに業を煮やしたらしく、雛は割れた岩の間をもたもたと這いずって、オーリの方へとにじり寄ってきた。
台座から身を乗り出し、ひよ、と一声。拍子にくるんと頭が逆さになって、オーリは悲鳴を上げた。
「うわわわわっ、ちょっ!?」
真っ逆さまに台座から落っこちかけた雛を、慌てて両手で掬い取る。
きょとん、と瞬きをした雛は、すぐに手のひらの上に居直って、オーリを見上げてまた鳴いた。
オーリは深々と溜息をついた。
生まれたてのヒヨコなんかは、雑菌だらけの人の手で触れてはならないと言うが、今回ばかりはこの雛が頑丈な体であることを願うしかない。放っておいたら懲りずにオーリを追ってきて、しまいに首の骨を折りそうだ。
「何だよもー、お前が勝手に生まれたんでしょ……。私に責任追及されても困るよ……」
実親が実子に言ったら一瞬で反抗期(闇)に突入するだろう台詞だが、如何せん言葉通りの状況なので反論は受け付けられない。
手のひらに乗った雛を、オーリはつんつんと人差し指でつつく。雛は嫌がることなく、うりうり頭を擦り付け、甘えるような仕草を見せた。
(ゔっ、可愛い……)
羽毛も乾いていないぺったりした雛だが、生まれたての小さい生き物に懐かれて顔を顰めるのは、筋金入りの動物嫌いかアレルギー持ちくらいだろう。
思わずきゅむっと唇を引き結んだオーリは、「いやいや絆されるな私」と首を横に振った。
「駄目だ駄目だ、連れ出したらペット誘拐……保護中の絶滅危惧種だったりしたらどうする私……!」
成育方法も分からず、人に慣れるかも分からない正体不明の魔獣なんて、リスクが高すぎる。
苦悩するオーリをよそに、雛は彼女の指をはむはむと甘噛みしている。なんかまた魔力を吸われている感覚があるが、大した量ではなさそうなのでとりあえず放置した。
(……仕方ないな)
体温の高いオーリの手のひらの上、ここが己の巣とばかり、てんと収まる雛の姿に溜息一つ。
幸い辺りを見回せば、筆記用具を入れた小さな木箱が転がっている。中身を出して、代わりに適当な布を詰め、そこに雛を収めた。
懐炉でも欲しいところだが、封珠まで使って卵を冷やしていたところを見ると、生まれた雛が著しく寒さに弱いということはないだろう。我慢してもらうしかない。
「んじゃ。悪いけど、ガルシエ爵が見つけてくれるまで、ここで待機してて。侵入者が来たことは分かってるんだから、ここにも今日中には様子見に来るでしょ」
ちゃっと片手を挙げて挨拶をし、オーリはさっさと身を翻した。
しかし、雛の方も大人しく納得はしない。箱の中からきょとんとオーリを見上げていた雛は、オーリが自分を置き去りにしようとしていると察知するや否や、たちまち抗議の絶叫を上げた。
――ビーーーー!!!!
「うるっさ!?」
先程までの庇護欲を掻き立てるひ弱な声は何処へやら。
何処からそんな音量が出ているのか、耳を劈くけたたましい鳴き声に、オーリは瞠目して振り向いた。
ビー!! ビー!! ビービービービー!!!! サイレンのような喚き声を上げながら、雛は木箱から身を乗り出し、オーリを見つめてもがいている。
喉も裂けよと叫び立てながらじたばたと暴れる体が今にも木枠を乗り越えそうで、オーリも「やめろぉぉぉぉぉぉ!!!!」と悲鳴を上げた。
「駄目なんだって! 連れて行けないの! どうやって面倒見れば良いのかも分かんないのに、そんな全力で頼られたって責任取れない! 無理だから! できない! 無理なものは無理! ちょ、待てお前っ……ふざけんな絶対連れて行かないからなー!!!!」
※※※
押し負けました。
はい、放っておけば喀血しそうなほど全力で叫ぶ雛を放っておけなかった敗者はこちらになります。
虚無の表情でのろのろ歩くオーリの懐で、体を張って勝利を掴んだ雛は満足そうにふすんと鼻息を洩らして丸まっていた。
(畜生、こんなことラトニにバレたら絶対怒られる……どうにか合法的に捨てて行かないと……)
ほんのり涙目で室内探索を行いながらひでえことを考えるが、実際相手は一から十まで強行突破の押し掛けペットである。
とにかくまずはこの研究室だか実験室だかから脱出すること。その後は使用人に「お庭で見つけました〜」と雛を押しつけ、ガルシエ爵に渡してもらえば良い。
研究室の卵がどうやって孵化して這い出てきたのかに関しては、正体不明の侵入者あたりと絡めて何とか理由付けをして欲しい。杜撰にも程があるやり方だが、もうそれ以外には思いつかなかった。
無駄にたっぷり使ってある服の布を寄せ集め、即席のポケットのようなものを作った胸元で、雛はぬくぬくと丸まっている。
シバリングも起こさず、心なしか緩んだ表情をしているから、温度が足りないということはなさそうだ。
すっかり巣にされているオーリは、深々と溜息をついて壁に手をついた。
(研究室は全域見て回ったけど、詳しいことは結局分からなかったなぁ。「黒いローリエ」のことどころか、この雛についても)
一応資料はあったのだが、どれも外国語(しかも複数の国の)で読めなかった。
ガルシエ爵は研究者としても名が知れているとは聞いていたが、メモまでさらりと外国語で記されているとは思わなくて慄いた。ドイツ語を無造作に操って議論する医学博士あたりを見た感覚に似ている。
(為政者としてどうなのかは、「黒いローリエ」についての容疑を確定させるまで判断できないけど……研究者として優秀な人であることは確かみたい。
さて、出口らしきものはこれ一つきりしか見つからなかったんだけど、どうかな)
研究室の壁は石造りだが、きらりきらりと光るものがあちこち多量に含まれている。
壁の素材も厳選されているのだろうかと思いながら、オーリは部屋の隅にあった小さなドアに向き直った。
ドアに鍵はついていない。あるのはドアノブだけで、動かすと容易く開いた。
ドアの向こうは来た時と同じような廊下になっていて、彼女はしばし迷ってから歩き出す。
特に罠もなく、怪しげな物もなく。ほどなく着いた行き止まりは、やはり鍵のないドアだった。
ドアを開いた瞬間、緑の匂いがして、風がオーリの髪を吹き荒らした。
(――外か)
廊下を抜けた先は、どうやらガルシエ邸自慢の庭園の、東屋の一つに繋がっていたようだった。
綺麗に整えられた木々の中に、民家を模った白い小さな東屋がぽつり。
背後でドアが閉まる音がして、振り返るとそこにはのっぺりとした白い壁だけが立っていた。
ドアの枠は壁面の凹凸にうまく隠されて、触れても境目が分からなかった。叩いても引いても何の反応もないから、多分こちらからは開かない造りになっている。
成程、あれは出る専用のドアだったらしい。鍵がいらないわけだ。
(薄暗い一本道で道の傾斜なんて分からなかったけど、多分あの研究室、地下にあったんだな。
さて、居住区は――あっちか)
庭園の向こうに佇む本館はそう遠くない。
ガルシエ爵が趣味と美意識の全てを詰め込んだという有名な庭園は、小川や橋が美しく設われ、風光明媚な田舎町だと言われても納得しそうな景観になっていた。
常に清潔な水が注ぎ込んでいる池には色とりどりの魚が泳ぎ、時折聞こえる足音は放し飼いにされた小動物のものか。
ブランジュードの庭園も相当のものだが、この絵画の中にそのまま入り込んだかのように精密な造形の庭園は、ガルシエ爵が自慢にするのも頷ける。
時間があれば本当にじっくり眺めたかったなぁ、と思いつつ、オーリは近付いてきた館の姿にそっと懐を押さえた。
ガルシエ邸もブランジュード邸と同じく複数の棟から成り立っており、それらが扉や渡り廊下で繋がれている。
今オーリの前にあるのは渡り廊下で、これを渡った先には図書室や美術室のある北棟があるはずだった。
できれば、ガルシエ爵とは顔を合わせたくない。適当な使用人を捕まえて、さっき見つけたんですーというような顔をして、懐の雛を渡してしまおう。
ぱぱぱと髪を整えて、懐の温もりを再度確認。庭から渡り廊下に上がろうとして、
「――あらオーリリア様、何をしてらっしゃるの?」
歌うように軽やかな声をかけられて、オーリはぴょんと垂直に跳ねた。
「…………っ!?」
予期していないタイミングで声をかけられ、慌てて背後を振り向く。やましいことがありますと言わんばかりに焦った顔をすることは堪えたが、心臓が一つ、大きく跳ねた。
「り……リーゼロッテ様!?」
何故ここに、と目を見開いて、オーリは口元を隠してくすくす上品に笑うリーゼロッテに、急いで頭を下げてみせた。リーゼロッテがにこやかに挨拶を返し、オーリのもとへと歩いてくる。
リーゼロッテの側には、オーリが見たことのない男が一人、控えていた。
これまでリーゼロッテが訪問してきた時に何人か従者を見ているが、この男はその誰でもない。服装も、シンプルな白い制服らしきものを着ているだけで、貴族邸の訪問に付き添う上級の使用人には見えなかった。
オーリの疑問を察したらしく、リーゼロッテは微笑んで、軽く首を傾げてみせた。
「ああ、この方はガルシエ様がお庭の案内につけてくださった使用人よ。今日はわたくし、ブランジュード侯爵様の訪問に同行させて頂いたものだから、従者がいないの」
「え、私のお父様と一緒にいらっしゃったんですか?」
「ええ、ブランジュード侯爵がガルシエ邸を訪問するから、わたくしも良ければどうかと言ってくださったの。前々から、ガルシエ様の庭園には興味があったのでね。
……本当は今日、貴女と会う予定で訪問したのだけど」
父上様ーーーー!!!?
ボソッと付け加えられた一言に、オーリは事の次第を一瞬で理解して真っ青になった。
「そそそそれはもしや、リーゼロッテ様が訪問する約束をお父様がスパッと忘れて私をガルシエ邸に送り出してしまい、我が家に到着したリーゼロッテ様を持て成すついでに自分もガルシエ邸を訪問することをふと思いついて実行し、丁度いいからリーゼロッテ様も連れてきたと、そういうことだったりしてしまいますか……?」
震える声で推測を口にするオーリに、リーゼロッテはぱちりと一回瞬きをし、
「よく分かったわね」
「申し訳ございませぇぇぇぇん!!!!」
五体投地した。
――うっかり忘れやがったな父上様!! いつかやらかすとは思ってたが、とうとうやりやがったよあのちょび髭狸ィィィィ!!
レースの訪問着が汚れることも構わず頭を地面に叩きつけるオーリに、流石にそこまで体を張ると思っていなかったリーゼロッテは一瞬「うっわ」という顔をしたが、一秒後には優雅な令嬢の表情に戻って「あらあら仕方ない子ね」と微笑んだ。
「ご訪問の約束を取り付けておきながら予定を忘れ去り、おもてなしをするべき人間が外出し! あまつさえブランジュード当主の気紛れな行動にお客様を付き合わせてしまうという非礼! まことに申し訳ございません! このお詫びは幾重にも……!」
「額から凄い音したわよオーリリア様……。良いのよ、ブランジュード侯爵から謝罪は頂いているし、お詫びにちょっと便宜を図ってくださるとも仰っていたし。
それに、元々ガルシエ邸を訪ねたかったんだと言ったでしょう? 先日の火事のこともあってガルシエ家は難しい時期だから、親交の深いブランジュード侯爵が同行を申し出てくださったのは渡りに船だったのよ。
だからほら、本当に気にしないで頂戴。わたくしも貴女の可愛らしい婚約者を見る機会ができて楽しかったわ」
「はい……でも……本当に……」
「どうしてもと言うなら、今度貴女が個人的に、何かわたくしのお願いを聞いて頂戴な。それでイーブンにしましょう。そうね、シェパでわたくしが見つけたカフェに付き合ってもらうなんてどうかしら? 貴女の好きなカフェオレにぴったりな、甘い揚げ菓子の美味しい店があるの」
そこまで言われて、オーリはようやくのろりと顔を上げた。涙目で鼻をすすり、ちょっとだけ(本当にちょっとだけ)赤くなった額を晒したオーリに、リーゼロッテはよしよしと頭を撫でてやった。綺麗なお姉さんの優しさが鼻にきて、オーリはまた、ずび、と鼻水をすする。
「分かったらお立ちなさい。
ねえ、ご存知かしらオーリリア様、ガルシエ様は研究者としても名が知られているのよ。この後、蔵書を見せてもらうために図書室に行く予定なの。良かったらご一緒にいかが?」
温かいお茶でも用意してもらいましょう、とハンカチで顔を拭いてくれるリーゼロッテに、オーリはしょぼしょぼした顔で「はい」と頷いた。
「……あ、でもその前に、使用人の誰かにお願いがあるんです。庭で拾ったこの子をガルシエ様に預けたくて」
はっと思い出して、もたもた懐から雛を取り出してみせる。
そろそろ体も乾いて、雛はふんわりした灰色の羽毛で包まれた愛らしい姿になっていた。人目も気にならない様子で、すっかり寛ぎ切っている。
「――あら。この子を、庭で……?」
雛を一瞥したリーゼロッテが、微かに表情を変えたことに、オーリは気付かない。
手のひらの上で丸くなっている雛を軽く撫でてやると、雛はオーリの手にぐいぐいと頭を擦り付け始めた。
「触った時に魔力を吸われたから、魔獣なんじゃないかと思って。ガルシエ様の庭にいた子なら、心当たりがあるでしょうし」
「今も魔力は吸われていて?」
「はあ、まあ、ちょっとだけですけど……リーゼロッテ様っ!?」
無造作に伸ばした指で雛に触れたリーゼロッテに、オーリは慌てた声を上げた。
しばらく雛を見つめていたリーゼロッテは、やがて指を引っ込めて肩を竦める。
「気になって試してみたけど、わたくしの魔力は吸われないみたい。オーリリア様の魔力が余程に美味しいのかしら?」
「えええ……まあリーゼロッテ様に何も起こらなかったのは良かったけど……」
複雑そうな顔をするオーリの手を、リーゼロッテは雛ごと両手でそっと包み込んだ。
違和感なく距離を詰めてきたリーゼロッテに、オーリはびくっと肩を跳ねさせる。
どぎまぎするオーリに、磨き抜かれた貴石のように美しい顔をキスでもしそうなほど寄せて、リーゼロッテは囁いた。
「――ねえオーリリア様、さっきの『お願い』、やっぱり変更してもらっても良いかしら?」
「へぁ? え、あ、はい、な、何でも聞きますけど……」
「ありがとう。それならオーリリア様、この雛、貴女にこっそり育ててみて欲しいの。わたくし、家族に内緒で動物を飼うのに憧れていたのよ」
「え、で、でも、生き物だし、魔獣だし、内緒はちょっと難しいような……」
「大丈夫よ、わたくしその種の魔獣にちょっと心当たりがあるの。餌は普通の鳥の雛のもので良いし、主に貴女の魔力を与えていれば元気に育つわ。
それに、隠して飼うのはほんの数日で良いの。わたくしが王都に帰る前に、もう一度きちんと話し合いましょう。その後は、ブランジュード侯爵にお話ししても良いし、どうしても許可が出なければわたくしが引き取っても良いわ」
「え、え、ええ、まあ、リーゼロッテ様がそこまで仰るなら……い、いやでも、この子は元々ガルシエ様のおうちの子で……」
羞恥と混乱に頬を染め、ぐるぐる目を回しながら、オーリは切れ切れに返事を絞り出した。
至近距離にある美女の顔と良い香りが、オーリの思考力に強烈なデバフをかけてくる。ペット泥棒、の一語でどうにか正気の縄に縋り付きながら、手のひらの雛を見下ろした。
何ならこの場にいる使用人に受け渡した方が、と思った思考を読んだように、こちらを見上げる雛と目が合う。半分がた瞼に隠された目をじいっと瞬かせた雛が、オーリに無言でこう告げていた。
オッまたやるか? 置いてくんか? 叫ぶぞ? あの爆音絶叫かますぞ?
「………………」
ちょっと冷静になった。
雛を見つめてスンとした顔になったオーリの背中に、リーゼロッテが優しく触れた。オーリの顔を覗き込み、芸術品のように美しい笑顔を浮かべる。
「大丈夫よ、オーリリア様。この魔獣、確かすごい希少種なの。人里では暮らさない種類だし、勿論捕獲も禁止されているわ。
生まれたばかりの様子だし、庭にいたなら尚更、ガルシエ様のペットであるはずがないわよね。猫にでも拐われてきたんじゃないかしら?」
「あっえっ、そうなんですか……?」
やばい、地下の研究室でうっかり孵化させたなんて言えない。
目を泳がせるオーリに、リーゼロッテはきゅっと眉尻を下げてみせた。ちょっと悲しげに、甘えるように訴えてくる。
「ね、お願い、オーリリア様。本当に、長い期間でなくて良いのよ。もしバレたら、責任は全てわたくしが取るわ。……駄目?」
「…………、
…………、
………………、
……………………了解しました………………」
押し負けた。
オーリに根比べは向いていないらしい。本日二度目の敗北に、オーリはがっくりと肩を落とし、リーゼロッテは嬉しそうに手を打ち合わせた。
「ありがとうオーリリア様! わたくしどうしてもその子が気になってしまったのよ。無理を言って本当にごめんなさいね」
にこにこと喜ぶリーゼロッテの背後には、例の案内役だという男が一人、相変わらず無言で立っている。
あの男には口止めなどしなくて良いのだろうか。首を傾げたオーリの視線を追ってリーゼロッテも男を振り返り、「ああ」と頷いた。
「大丈夫よ。彼にもきちんとお願いしておくわ。それより、すぐに馬車を用意してもらうから、貴女は先にブランジュード邸にお帰りなさい。ブランジュード侯爵とガルシエ様には、わたくしから良いように言っておきますから」
「……分かりました。じゃあ、よろしくお願いします」
あの二人と顔を合わせないで済むのは都合が良い。雛が誰かに見つからないうちに、という含みを察して、オーリは素直に頷いた。
ラトニが取り残されはするが、オーリさえガルシエ邸を出たと分かれば、ラトニもさっさと撤退するだろう。何せラトニはわざわざ玄関から出て行かなくても、その場で術人形を消滅させさえすれば、全ての証拠が隠滅できるのだから。
案内役の男が馬車の用意のために立ち去り、オーリは懐に雛を戻す。
灰色の毛玉を忍ばせた胸元を眺めて、リーゼロッテが微笑んだ。そのまま絵画にすれば千年先まで美術館のセンターを飾れそうな、極上の笑顔だった。
「頑張って頂戴ね、オーリリア様。――嗚呼、シェパに来た初日はどうなることかと思っていたけど、わたくし今、とっても楽しいわ」