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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
166/176

160:出会ったもの

 とうに寒気も緩んだ季節であることを咄嗟に忘れさせるような、冷たい空気がオーリの髪を踊らせる。

 吹き抜ける冷気と共に白い霧を撒き散らし、顕になった台座の上に載っていたのは、何やらこんもりとした物体だった。


 局所的に生み出された、半径30センチミルの極寒の冬。真白の霜が降りるほど冷えたその場所に、きらきらと細かな氷の粒が舞っている。

 丸い台座の上には鳥の巣のように沢山の小枝が重ねられ、その上に楕円形の何かが置かれていた。

 ゴツゴツとしたそれは、大人の拳ほどもあるだろうか。所々光沢のある、灰色の岩のように見えた。


 自分はどんなやばいことをやっちまったのかとガタガタ震えながら身構えていたオーリは、そこでようやくゆっくりと緊張を解いていく。

 更に数秒待って、他に何も起こらないことを確信した彼女は、恐る恐る、その不可思議な物体のもとへと足を踏み出し、


 ブシューガタガタガラン‼︎


 背後からの轟音に飛び上がった。


「!? ――!? …………!!!?」


 反射で物陰にダイブ、した拍子にしこたま頭を打ち付けて涙目になりながら、オーリはバババと辺りを見回す。

 噴き出した蒸気の風圧で、ブリキ缶らしきものが転がって音を立てただけのようだった。


(助けてラトニ……周りの全てが敵に思えてきた……)


 ことごとく自爆じゃないですか。冷静にツッコんでくる脳内ラトニの呆れた視線に刺されながら、オーリはよろよろと物陰から這い出ていく。


 奇妙な台座は目の前の人間の醜態に何の反応も見せないまま、ただじっとそこに佇んでいた。

 じり、じり、と台座に近付き、丁寧に載せられた小さな岩?を正面から観察。それから、手を触れないように周りをゆっくりと歩き始めた。


(何だろう、これ……。鉄みたいに精製して使うのかな。それとも宝石の原石? 一見鉱物に見えて、実は全然違うものだったりして)


 緑色の灯りに照らし出されたそれは、専門知識のないオーリの目にはただの岩にしか見えない。照明を反射して所々がキラリと光るのが気になるが、その光り方も場所によって違うから、多種の含有物を含んでいるのかも知れない。

 こうも大仰な装置で大切に保管されていたとなると、環境によって容易に変質してしまう類いなのだろうか。

 岩の周りには小さな玉が複数配置されており、恐らくこれが冷気の源、氷系の封珠(フルーレ)だろう。


「…………?」


 ふとオーリの鼻を、冷気に混じって覚えのある香りが刺した。

 不快なものではない。くん、と嗅覚を尖らせて、匂いの記憶を追いかける。

 何だろう、酸っぱくて爽やかで、ほんのり甘い香りだ。

 オレンジ、レモン、グレープフルーツ。冬を想わせる、柑橘類の、でもブランジュードの屋敷で食べたようなものとは違う、極めて最近嗅いだ――


 ピコン!とオーリの頭に電球が灯った。


「思い出した! 今日ガルシエ爵が出してくれた、あのショコラータの匂いだ!」


 オーリは台座に顔を近づけ、ふすふすと鼻を蠢かせて匂いの出所を確認する。

 爽やかな香りは、どうやら鳥の巣のように重なり合う小枝が発しているようだった。何の木の枝だろう、薬学の師からはまだ教わっていないものだった。


 ふむ、と彼女は瞬き一つ。

 本来は合わせられないはずの柑橘類の香りを含んだ、後を引く美味しいショコラータ。確かガルシエ爵は、料理人が保管庫から持ち出した小枝を使ったらしいと言っていた。


 ――外国の知り合いから試しに譲ってもらった品で、今日使った分を最後に切らしてしまったのですよ。はて、名前は何だったか……。


 思案げな顔でそう嘯いていたガルシエ爵は、やはりこの小枝について知られるのは不都合なことだったらしい。


 推測するに、間違って食糧保管庫あたりに落ちていた小枝を、料理人が香辛料(スパイス)香料(フレーバー)の一種だと思って製菓に使ってしまった、というところだろう。やましいことがあると言わんばかりに咎めることもできず、また貴族子女に人気のショコラータはオーリの訪問には打ってつけのもてなしだった。

 案の定ショコラータを気に入ったオーリに香りの正体を聞かれたから、「貰い物だし品切れしているから、詳しくは分からない」で誤魔化したのだ。


 正体を表沙汰にしたくない植物。

 非常に怪しくはあるが、それを使ったと分かった上でオーリにショコラータを出したのだから、毒性はないと思っていいだろう。万が一にも人体に有毒だと知れているものを食べさせたとなれば、下手をしなくても暗殺未遂扱いだ。


 眉間に皺を寄せて、オーリは首を傾げた。


(小枝と岩と、封珠。三つ一緒に置いてあるのが、例えばクーラーボックスにドライアイスと生魚を詰めて品質保持するようなものだとして、じゃあ「生魚」はどれだ?)


 封珠は見た目通り、「ものを冷やす」役割。それ以上でも以下でもないだろう。

「黒いローリエ」の材料として怪しいのは勿論植物である小枝だが、そもそもこれが「黒いローリエ」に関係したものだという証拠もない以上、真に重要なのは岩の方かも知れない。

 まあ、「岩の品質保持」とは何なのかという疑問はあるが。


(ともあれ、空気に触れた途端に大爆発が起こったり、溶けちゃうようなものでなくて良かった。ラトニか師匠あたりなら分かるかな)


 岩を削って持ち帰るわけにはいかないが、小枝を一本失敬するくらいは構わないだろう。薬師の師匠と、自分より遥かに出来の良い弟弟子の顔を思い浮かべながら、オーリはこつ、と岩をノックしてみた。

 オーリの両手のひらに載るような、小さな岩の塊。冷え切った密閉空間に保管されていた割に冷たくはなく、ほんのりと温かいように感じられた。

 手に触れるのは予想通りの、硬い感触とごつごつした手触り。表面はざらりと粗く、そこそこ重量もありそうだ。

 しかし、同時に奇妙なことに気付いた。


「………………?」


 目をぱちくりさせて、オーリは人差し指の第二関節を使ってもう一度コン、と軽くノック。


 すぅ、と微かに指先が冷たくなる感覚。他に意識が向いていれば気付かないであろうほど、岩に触れたほんの一瞬。


(……体温を奪われた? いや違う、もしかしてこれ、魔力を吸われたのか?)


 きゅっと眦を吊り上げて、オーリは小さな岩を睨みつけた。


 魔力を吸収する性質の鉱物。もしかすると、襲撃の際ギルファが使っていた、魔術を無効化する魔術具の材料にでもしているのだろうか? ギルファの右足首に着けられた、ブランジュードの家紋のついた飾り紐。あれを作る際の材料として、この鉱物が提供されていた?


(いや、やっぱり確証がない。父上様とガルシエ爵がどこまで目的を一致させているのかも、ギルファが本当にガルシエ爵の目論見に従っているのかも分からないんだから。となればこれ以上、ここで考えられることもなさそうだな……)


 ともあれ分かったことは、小枝だけでなく存外岩も怪しそうだということだ。

 まずはこの小枝と鉱物の正体を知ること。これがギルファや「黒いローリエ」に関わりがありそうかは、それから改めてラトニやイアンに意見を聞けばいい。

 柑橘の匂いがする特徴的な小枝と、それに載せて保管しなければならない鉱物となれば、随分絞り込めるだろう。小枝の現物を持って行けば、もっと特定は簡単になる。


 小枝を一本引き抜こうと、オーリは台座に手を伸ばした。

 岩に直接触れないよう、袖を引っ張って左手を隠す。複雑に絡み合った小枝が折れないよう、崩れないよう、左手でしっかり岩を支えて、



 ――とくん。



 何かが。

 オーリの左手のひらを打った。


 反射で離した左手を宙に浮かせ、オーリはぴたりと動きを停止する。


 ――何だ、今の。


 見つめる岩に変化はなく、ただしんとしてそこに在る。


 微かな、微かな感触だった。

 蝶の羽ばたきでももっと力強いだろうと思えるようなそれが、ほんの一瞬、まるで手のひらを突き抜けて心臓に染み込んだように思えたのは、それがまるで――

 

(――脈動した、ようだった……?)


 あの感触に触れた左手に視線をやり、オーリは唾を飲み込んだ。

 

 ――まさか、これ。


 生き物なのか?


 オーリはもう一度手を伸ばす。

 今度は右手で。念のため、こちらも袖で指先まで隠した上で、先程よりもずっと注意深く。


 細い小さな幼子の手は、岩の表面を半分ほども容易く覆った。

 ごつごつした手触りと、ほんのりとした温もり。何かが手を打つ感触に、オーリはそっと息を吐いた。


 ――とくん。とくん。とくん。


 静かに、静かに。規則正しく紡がれ続けるのは、まさしく鼓動のリズムだった。


 そしてもう一つ。鼓動と共に伝わるのは、じわりと滲み入るような一つの思念。



 ――ここから出して。



 固い岩の中で絶え間なく命を紡ぐ鼓動の音が、小さな願いを伝えていた。


 ここから出して。

 外が見たい。

 自分は――今、ここに生きている。


 言葉にならない、ただ滲み出るような想いの欠片であるその思念に触れて。

 命を叫ぶその声に、痛烈な訴えを感じとって。


 そうしてオーリは柔らかく眦を下げ、優しい声で囁いた。



「いやごめんちょっと無理」



 岩(の思念)が沈黙した。

 鼓動も一瞬止まったような気がした。

 鼓動はすぐまた規則正しく打ち始めたが、心なしか強いような気がした。


 オーリは、お高い玩具が欲しいと駄々をこねる幼児に初めてこの世の不条理を教える母親の如き優しい眼差しで、無理の理由を丁寧に解説した。


「出してって言われても、まず出す方法が分からない。岩を叩き割ればいいのか、台座を元の形状に戻せばいいのか、そういう知識が私には全くない。

 次に、キミが謎の生き物の卵なのか、虫入り琥珀みたいなアレなのか、危険度天元突破のモンスターの封印されし姿なのかも分からないのに、気安く解放とかできない。キミがそこから出た途端に暴れ出したとしても、私には責任がとれない。

 次に、キミは一応ガルシエ爵の所有物であり、違法な物品であるという確証がない以上、キミを出してやる、即ち逃がしてしまうのは、器物損壊や窃盗に当たる。これ人間社会では犯罪ね。

 最後に、何の意図を持ってこれがここに置かれているのか分からないから、下手に手を出したくない。一国の存亡に関わるような重要案件だったりしたら、吹き飛ぶ人命の数が想像もつかない。

 以上のことにより、私にはちょっと手を出せないので、ごめん諦めて」


 ド真面目に保身と安全策を取ったオーリの説明に、岩はしばし沈黙し、


「――いや強行突破かぁぁぁぁぁい!!」


 無言でギュワンとオーリの魔力を吸い上げた。


 力一杯ツッコミを入れたオーリが、慌てて岩から手を引き剥がす。

 しかし時既に遅し、ほんの一秒の間に岩は必要なものを完全に手に入れてしまったらしかった。


 布越しでも魔力を吸えるとは計算外だ。バックステップで後退すると同時に、ばき、と岩に罅の入る音。細かな岩の欠片がぱらぱらと零れ落ち、見る見る罅は広がっていく。


「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


 ばき、ばき、パキ、バキバキバキッ!

 ムンクの「叫び」を想わせるデッサンの狂った顔で両頬を押さえて絶叫するオーリを他所に、真ん中から真っ二つに割れた小さな岩が、音を立てて崩れ落ちた。


「………………!!!」


 ぶわっと冷気が強くなり、オーリは思わず身構える。右手を90°に立て、左手を真っ直ぐ横にした、所謂スペシウムな光線を出しそうなポーズだったが、生憎と「それは多分役に立たない」とツッコんでくれる者は誰もおらず。


 ただただいろんな意味で震えるオーリの目の前で、もぞり、と動いたのは小さな物体。


 ――割れた岩の中には空洞があり、のろのろと何かが這い出てきた。


 土埃と粘液とに薄汚れた、灰色の生き物だ。

 湿っているから分かりにくいが、形状としては恐らく鳥の雛に近い。ふすふすと嘴らしき所をひくつかせていた『それ』は、やがてもったりと頭を上げてオーリの方を向いた。

 まだ半分も開いていない『それ』の目が、唖然と見開かれたオーリの瞳と、確かにかち合った。


『それ』の口が動く。小さな牙が控えめに生えた、赤い口腔が見えた。そうして、


 ――ひよ、


『それ』は確かに、オーリに向かって鳴いたのだ。



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