159:三人寄れば探り合い
――ブランジュード侯爵襲来。
いや、襲来ではなく訪問なのだが、ガルシエ爵の心境からすれば間違いなく襲来だろう。
とんでもない知らせに、ガルシエ爵が正気に戻るまでには約五秒を要した。
目上の相手を迎える準備とか心構えとか先方のスケジュールとか、そんなものを軽やかに無視するひでぇ上司である。頭を抱えて唸り声を上げるガルシエ爵に、流石のラトニも同情を覚える――わけがない。いいぞもっとやれと、笑い転げる勢いでウケていた。
今にも倒れそうに真っ青な顔で、ガルシエ爵が執事に食ってかかった。
「何故だ! どうしてそんなことになった!」
「ファルムルカ公爵家のリーゼロッテ様が、本日オーリリア様をご訪問する予定だったそうなのです。ブランジュード侯爵が、それを忘れてオーリリア様にガルシエ邸訪問の許可を出してしまわれたため、レディ・リーゼロッテの訪問のお相手をする人間がいなくなったのだと」
「それでどうしてお二方揃ってうちに来る!」
「リーゼロッテ様はオーリリア様とご親交深く、オーリリア様の婚約者に興味があったそうです。ブランジュード侯爵は、旦那様に南方領主会議のことで話をしたいとふと思い立ったそうです。ついでにリーゼロッテ様をご同行させることも、ふと思い立ったので実行した――と、ついさっき先触れが」
「来るのが早すぎて先触れの意味がない!!」
ふと思い立ちすぎて、他人から見れば悪夢の暴走馬車だった。オーリ曰く「上に立たせるのがいろんな意味で怖い人」の意味が何となく分かる。
「そうだ、いやそれよりオーリリア嬢はどうした! まだ赤子の部屋か!?」
「いえ、そちらはとうに離れておられます。先触れがあってからお探ししたのですが、邸内を散策しておられるようでどうにも見つからず」
「庭も立ち入り禁止の部屋も探してこい!! お二方に会わせろと言われたらどうする気だ!!」
執事に八つ当たりをするガルシエ爵は、随分混乱しているようだ。まあ、訪問してきたオーリを放置してギルドや暗殺者と悪巧みをしていたとなれば、大分外聞が悪かろう。
執事が一礼して立ち去り、当たる相手がいなくなったガルシエ爵もひとまずヒートダウンしたようだった。
檻の中の熊のように室内をぐるぐる歩き回りながら、何やら顎に手を当ててブツブツ呟いている。己を従えている相手への恨み言やら、何かまずいことがバレたんじゃないかやら、ギルド長がヘマをやらかさないか不安がる言葉やらを吐きながら、時々胃を抑えて呻き声を上げた。
権力社会は大変だ、と思いながら、ラトニはガルシエ爵の愚痴に耳をすませる。
どうやらガルシエ爵は、ブランジュード侯爵とはそこそこ長い付き合いらしい。少なくともオーリが生まれた頃には、既に今代ガルシエ爵はブランジュード侯爵の傘下にあったようだった。
(そうすると、ガルシエ爵はかなり若くして家督を継いだことになりますね。先代は早死にしたのか? それとも隠居? 先代もブランジュード家の傘下にあったのか?)
一人娘を嫁がせる、或いは婿をとってブランジュードを継がせるにしろ、オーリの婚姻は男児のいないブランジュード家にとって最重要項目と言っていい。その貴重なカードを切らせたガルシエ爵は、ブランジュード侯爵が重用するだけの繋がりがあるということになる。
(何故オーリさんの相手としてガルシエ家が選ばれたのか――その疑問が未だに解消されていない)
ガルシエ爵は、一般庶民からすれば雲の上の家だし、貴族の中でも勿論上の地位にある。が、南方領主筆頭まで務めるブランジュード家と縁を繋ぐ相手として不足ないかと言われると、決してそうではない。
ブランジュードほどの家の一人娘なら、縁組の相手はもっと高望みしても良いはずだ。
例えば、国王に繋がる血筋を持ち、王都で権勢を誇るファルムルカ公爵家に嫁ぐことだって、決して夢ではないだろう。 ましてやオーリは、その公爵家の娘であるリーゼロッテとの交流があり、それは縁組の申し出において頭一つ飛び出る武器になる。
(――まあ、そうなったらなったで苛立たしいんですけど)
追い落とすなら、王都の公爵家よりシェパの街のガルシエ爵の方がずっとマシだ。実際、こうしてあっさり悪事の尻尾を掴まれている。
ブランジュード侯爵が野心のない男だなんて話、ラトニは聞いたことがない。
ならば、まだ婚約を急がなくてはならない歳でもないオーリを娶せる決定をするほどに、ガルシエ家に対し『何か』を期待しているのだ。
問題は、その『何か』が、オーリにどこまでのリスクを生じ得るものなのか。
――どうせなら、オーリさんが国外逃亡を決意するほど特大のリスクであってくれたら嬉しいんですが。
可愛らしく小鳥の首を捻って考えた時、再びノックの音が室内に響く。ガルシエ爵の足音が停止した。
「――失礼します、旦那様。ブランジュード侯爵閣下の馬車が到着致しました」
メイドらしき女の声が聞こえてくる。鼻歌を歌いながら鎌を素振りする死神を見たような顔をしたガルシエ爵が、一際大きな呻き声を上げた。
「――今行く」
覚悟を決めるようにぎりぎりと歯軋りした後、ガルシエ爵はそう唸った。
扉を開ける寸前、ガルシエ爵のポケットに、青い小鳥がぴょんと滑り込んだ。
※※※
ブランジュード侯爵とファルムルカ公爵令嬢がのんびり紅茶を飲んでいたのは、先程オーリが通されたものより更に豪華な造りの応接室だった。
(――あれが、リーゼロッテ・ロウ・ファルムルカ)
術人形の顔をそっとガルシエ爵のポケットから覗かせて、ラトニは心の中でそう呟いた。
間近で見たのは初めてだが(厳密には以前に接近したことがあるが、その時ラトニは深刻な状態異常を起こしていたので除外する)、オーリに聞いていた通り紅玉のような美少女だ。高貴という言葉が爪の先まで行き届いたような容姿と仕草は、ともすればふかふかのクッションと派手なカバーに埋もれてしまいそうな豪奢な長椅子の上で、見事に自分の色に塗り替えた空間を作り上げている。
そしてその隣に座しているのが、オーリの父であるブランジュード侯爵。
こちらは別段高貴や威厳などといった言葉を想起させはしないが、特権階級特有の鷹揚さと、周囲に傅かれることを当然とするある種の傲岸さは、知らず知らずのうちに他者を威圧するものだろう。
実際、ガルシエ爵がより恐れているのは、王家の系譜に連なるリーゼロッテよりも、にこにこと穏和な笑顔を絶やさないブランジュード侯爵であるというのは、ラトニの目からも明らかだった。
ティーカップをテーブルに戻し、立ち上がりもしないままにこの館の主人に笑いかけるブランジュード侯爵の姿からは、両者の格差が透けて見えた。
「やあ、ガルシエ卿。急な訪問ですまないね。本当は後日でもいいかなとは思ったんだが、リーゼロッテ様もいらっしゃるし、オーリリアも来ているから、丁度いいかと思ったんだ」
「ははは、お気になさらず。ブランジュード侯がいらっしゃるとなれば、私の予定などいくらでも空けましょう」
何とか平常心を取り繕ったガルシエ爵が、ブランジュード侯爵とにこやかに挨拶を交わす。多分本音は「後日にしろよ!!!!!!(絶叫)」だろうが、本音を曝け出せない社会人って大変だ。
当たり障りのない会話をして、次にガルシエ爵はリーゼロッテと向き合う。こちらも緊張を微塵も見せない悠然たる態度で、にこりと美しく微笑んでみせた。
「ようこそおいでになりました。リーゼロッテ様とは、以前王都のパーティでご挨拶して以来になりますな。より一層お美しさに磨きがかかられて、お父上や兄上は、お一人での遠出を案じていらっしゃるのではないですか?」
「本日はご訪問の許可を下さってありがとうございます、ガルシエ様。ええ、父は多少苦言を呈しておりましたが、学院の課題が関わっているのですから仕方がありませんわ。オーリリア様にも是非お会いしたかったですし」
「ああ、お二人が仲が宜しいというお噂はかねがね聞いておりますよ。ということは、もしや今日は、ご友人の婚約者を見定めに?」
このタイミングで館に来たのが、何らかの疑惑あってのことではないかと考えているのだろうか。饒舌に喋るガルシエ爵の眼差しには、針のような警戒が潜んでいた。
リーゼロッテはころころ笑い、「可愛いお友達の旦那様になるかも知れない方ですもの」と応じる。
――聞き流しかけて、ラトニは咄嗟に僅かな違和感の糸を掴んだ。
ほんの少し、ひっかかる言い方だ。ただの言葉の綾かも知れないが、双方の父親で同意が為され、既に婚約が結ばれていると言っても差し支えない状況で、「なるかも知れない」とぼやかすのは、「まだ確定ではないのでしょう?」という意味にも取れる。
それは、この話にまだ国王の承諾を得ていないからなのか、はたまたガルシエ爵が恐れていた「ブランジュード侯爵の心変わり」をも掴んでいるということなのか。深読みすれば、最悪「第三者がこの婚約に干渉する可能性がある」ことを示唆しているとも――
(いや、そもそも何故この令嬢は、わざわざそんな言い回しをしてみせる? これではまるで本当に――)
――オーリがガルシエ爵に使ったハッタリの通り、リーゼロッテがガルシエ爵に疑念を持っているかのようだ。
ラトニが眉間に皺を寄せている間にも、三人の一見和やかな会話は進んでいく。
シェパの街の見所や、真っ盛りの春告祭の素晴らしさ。街の歴史などにも話が及ぶのは、旅行者であるリーゼロッテがいるからだろう。
「随分昔の話になりますが、シェパは魔術的な防御にも優れていたとされていますよ。世界にも稀な素質を持ったある血族が中心となり、組み上げられた魔術結界は、街一つを優に覆い尽くすものだったとか。その辺りは、侯爵閣下の方がお詳しいでしょうが」
「あら、もしや王都の時計台のような、何百年も前から続く大規模魔術なのかしら? わたくし、そういうの大好きよ」
「いえいえそんな、王都のものほどの精密な魔術を現役で維持していられるわけはありませんよ。もう百年以上、誰も使えていやしません。まあ、使わなければならないほどの危険がないということでもありますがね」
「そこはブランジュード家の治世が良かったと言うべきでしょうな。シェパ並びに南方領に発生する問題を未然に片付けるのも、筆頭領主の仕事ですから」
独創性には欠けるが当たり障りもないガルシエ爵の世辞に、はははうふふと空々しい笑い声を唱和させて、話題は再び切り替わったようだった。
リーゼロッテが同席するのでは、大した話は出てくるまい。つらつらと交わされる会話に大して興味を覚えなかったラトニは、そろそろこの場を離脱するべきか考え始める。
リーゼロッテの白い指が動き、テーブル上の菓子をつまむ。オーリに出されたものと同じ、柑橘系の香りが仄かに香るチョコレートのケーキだった。
「このショコラータ、とても美味しいですわ。ガルシエ様のお館は大層素晴らしい庭があると聞いて楽しみにしていましたが、菓子職人も上等なパティシエを雇っていらっしゃるのね」
「はは、そのショコラータなら、先程オーリリア嬢も気に入ってくださった様子でしたよ。やはり若い女性は甘い物がお好きでいらっしゃる。
リーゼロッテ様は我が家の庭にご興味がおありで? ならば、この後使用人に案内させますが」
「まあ、ありがとうございます。王城や友人の庭も美しいのですが、やはり幾何学的なデザインのものが主流でして。
でもガルシエ様は、自然の景観美を追求した自然風景式庭園の造型を殊の外お好みだと仰るでしょう? 先代までのご当主が好んだ人工美の庭園を見直し、より自然で絵画的な風景に作り上げたと言われる手際、是非この目で拝見したかったのですわ」
小難しい言い回しは、どうやらガルシエ爵の心に響いたようだった。身を乗り出して「分かってくださいますか!」と歓喜するガルシエ爵は、ラトニの思っていた以上に庭にはこだわりがあったらしい。
「そうなのです、私は昔、よく遠出をする機会がありまして。各地で見たあれらの風光明媚な景色を人工的に再現するなどとても出来ぬと分かったのですが、せめて少しでも、あの美しさを偲びたく、この庭を作ったのです」
「ああやっぱり、素敵ですわ。本日は非礼と知りつつブランジュード侯爵のお誘いに甘えさせて頂きましたが、わたくしどうしてもこの機会を逃したくなくて。案内の方、是非お願いできますこと? 王都でも噂の庭を拝見できるなんて、とても嬉しいですわ」
「どうぞどうぞ、すぐに誰か呼びましょう。館を出ずに窓から見ても、鮮やかな風景画をそのまま切り取ったようで趣深いのですよ」
丹精込めた庭が王都でも評価が高いということが嬉しかったらしい。打って変わってにこにことメイドを呼びつけるガルシエ爵に、リーゼロッテは「ああ、お待ちになって」と呼び止めた。
「ついでに、このショコラータを作った方と話をさせて頂けないかしら? とても気に入ってしまって、レシピを聞きたいの」
「でしたら庭の案内役にその料理人を付けましょうか? あれはなかなかガーデニングにも詳しくて、それも気に入って雇ったのですよ」
「あら、お仕事の方はよろしいの? わたくしはとてもありがたいけれど」
「なに、料理人なら他にも数人おりますから、多少抜けたところで構いますまい。尤も、貴賓の接待には慣れていない男ですから、その辺りは大目に見て頂ければと」
「ええ、勿論よ。このケーキ、チョコレートが濃厚でとても好み。オーリリア様も気に入ったというのなら、尚更話をしてみたいわ」
「ははは、本当にリーゼロッテ様はオーリリア嬢を好いておられる。菓子のレシピくらい、いくらでも持っていってください。――案内をして差し上げてくれ」
ガルシエ爵の指示を受け、メイドが主人と客人たちに向かって丁寧に一礼した。
しずしずと退室するリーゼロッテの背中を、ラトニは目元を僅かに出した小鳥の目でそっと見送る。
――さて、ここからが本題だ。
使用人もいなくなり、残ったのはガルシエ爵と、爵が心底恐れるブランジュード侯爵その人だけ。
静かになった応接室に、かち、とカップを置く音が小さく響いた。