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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
164/176

158:秘められたもの

 人間の気配はなかった。

 あるのは、膨大な無機物たち――柱のように聳え立つ複数の背の高いガラス管や、試験管、フラスコ。大きなデスクに置かれた紙の束や、放り投げられた筆記用具は、ここを使う人間が一人だけであることを示唆している。


 オーリが踏み込むと同時に自動で明かりがついて、部屋はその異様な光景を露わにした。


 随分と広い部屋だ。無理をすればサッカーくらいならできそうな面積のほとんどを、樹木のように林列するガラス管が占めていた。


 ――ポコ、ポコ、ポコ、


 透き通ったガラス管の中は空洞で、赤、緑、黄色、紫と、奇妙な色の液体が満ちている。

 カラフルな液体の底から、あぶくが立ってはパチンと消えた。

 ガスか、空気か。ガラス管は密閉されて、臭いで判断することはできなかった。


 ガラス管は天井と接続しているものもあれば、一メートルミル程度の高さで留まっているものもある。

 直径はどれも大人一人が両腕を回しても間に合わないほどで、そのどれもが金属製のパイプを従えて、太い根を張る樹のように佇んでいた。

 ガラス管から伸びた無数のチューブが蔦のように絡まり合って、或いは垂れ下がって、うねうねと床を覆っていた。


(なんだここ……研究室……? それとも実験室……?)


 天井から降り注ぐ緑色の照明は薄暗く、ガラス管が其処此処に作る影が非現実的な空気に拍車をかけている。機械でできた森に迷い込んでしまったような錯覚に襲われて、オーリは小さく頭を振った。

 デスクの上に魔術具らしきデスクランプがあったので作動してみると、白い灯りが煌々と灯った。――天井の照明が緑色であることにも、何かの意味があるらしい。


「……見るからに重要機密っぽいけど……逆にどこを探したらいいのか分からないな……」


 顎に手を当てて、オーリは困ったように唸った。


 こんな部屋を作り上げて、ガルシエ爵は一体何をしていたのだろう。

 デスクの上の書類は、外国語や専門用語らしきものがごっちゃになっていてとても読めない。引き出しを漁ってみたが、文字の他には訳の分からない魔術陣や、抽象的な動物の絵だけ。

 ガルシエ爵が魔術研究に造詣が深いという話は誇張ではなかったようで、これでは研究内容が「黒いローリエ」に関係するか否かすら確認することができないだろう。


(本当にただの個人的な研究室だったらどうしよう……ただの不法侵入になっちゃうんだけど)


 ギルファからガルシエ爵に報告が行き、ガルシエ爵が追いついてくるまで、時間はそう無いと見ていい。

 更に、入ってきた扉はもう使えないから、この部屋のどこかで脱出経路を探さなくてはならない。


 誰かが来たらすぐに黒石の幻術で姿を隠そうと考えながら、まずオーリは室内を大雑把に確認することにした。


 部屋を覆い尽くす無数のチューブとパイプは、よく見ればその大半が、部屋の中央に向かって伸びているようだった。

 垂れ下がるチューブが髪に絡みそうになるのを払いのけ、床を這うチューブが爪先に絡みそうになるのを避けながら、ガラス管とパイプの森を潜り抜けて奥へと向かう。


 先程からちらりちらりと視界に映る蛍の光のようなものは、生き物ではなさそうだが、塵でも舞っているのだろうか?


(いや、待て……まさかこれ、原始要素(エレメント)か……?)


 指を近付けると微かにざわつくものが感じられ、オーリは眉を寄せた。


 空気中の魔素が、火、水、土などの自然因子を多く含んだものである原始要素(エレメント)は、自然界に数多存在している物質であり、魔術を使う時のエネルギー源ともなる。

 しかし、こんな自然と切り離された場所に、可視化するほど大量の原始要素が舞っているなんて、異常という他ない。


(ラトニがいれば、何の原始要素が多いのか分かったかもな。そうすれば、どんな研究をしているのか見当がついたかも知れないんだけど)


 ますます何をしているのか分からなくなってきた、と思いながら、慎重に足を進めていく。


 唐突に、ブシュー、という音がして、すぐ傍から白い煙が噴き出した。


(あっつ)ぁ!」


 悲鳴を上げて飛び退く。

 口を開けたパイプから吐き出されたのは、火傷をしそうなほど熱い蒸気だった。こんな密閉空間なら毒性のあるガスではなかろうが、心臓に悪い。


(吃驚した……頭を掠めた……)


 ひええ、と顔を引きつらせている間にも、どこからかまた、ブシュー、という音が聞こえてくる。

 こんな熱い蒸気を吐き出している割には、室内は肌寒いくらいだ。冷房でもつけているのかと首を傾げながら、オーリは更に奥へ向かう。


 ――ほどなく辿り着いた中心部は、直径五メートルミル程度の円形の空間になっていた。

 空間の中心には、一つだけ明らかに形状の違う設備――この部屋のどのガラス管よりも、パイプよりも大きい、金属の筒が据え付けられていた。

 雪達磨のような、球を二つ重ねた形状のその筒は、天井から続く極太のパイプに繋がって、オーリの胸ほどの高さがある台座の上へと降りている。


 雪達磨の胴体部分は金属の肌を晒すだけだが、雪達磨の頭部分には、何やら丸い窓がついていた。

 何かの指標だろうか。赤と青、二色に分かれた、見た目はよくある円グラフのような窓だ。

 今は、時計で言う十二時から七時半程度の範囲は赤、それ以外は青に染まっている。ただ、その境界線は停止することなく微妙に変わり続け、おおよそ七時から八時程度の範囲を行きつ戻りつしている様子だった。


「何これ……ストーブみたい。煙突にでも繋がってそう」


 ぱちくりと目を瞬かせながら、オーリはうろうろと周りを歩きはじめた。


 触れるのは少しばかり怖いので、そっと手を近付けてみる。

 金属筒はひんやりとしていて、一定のリズムで小さく振動していた。


 ――ごぅん、

 ――ごぅん、

 ――ごぅん、


 腹に響くその音は重く、乱れることがない。ふと、連想したものは――


(――鼓動、みたいな)


 眉間に皺を寄せ、オーリは目を細める。


 この金属筒の中に何かの生き物がいて、それの生み出す生命エネルギーがこの機械群を動かしている――なんて……


「流石にファンタジーか。いやまあ、ファンタジーみたいな世界だけどここ」


 一人でツッコミを入れて、オーリは大きく溜息をついた。


 妄想は程々にして、部屋の探索に戻らねばならないだろう。

 金属筒を弄るのは何が起きるか分からなくて怖いし、他の手掛かりを探すことにしよう。

 そう決めてオーリは踵を返し、


 ブシュー!


「ぉあっだあぁぁぁっついィィィィィィあ!!」


 パカッと蓋の開いたパイプから、前触れなく顔面に蒸気を食らってのたうち回った。


 丁度まさしくオーリの顔の高さにある排気口だった。悪意があるとしか思えない位置取りだ。熱さと不意打ちのショックでダメージ二倍なので、多少転げ回るのは自然な反応だとちょっと待てこれマジで痛い畜生私の可愛い顔が!


 奇声と呪詛を上げながら、オーリはしばらく全自動埃撒き散らし機になった。

 ガッツンガッツンとパイプにぶつかりながら心の赴くままに転げ回る彼女の姿は、控えめに言ってかなり見苦しいが、気分としては無防備な顔面に飛行石の閃光と滅びの呪文を食らった感覚なので許して欲しい。


 やがてようやく痛みも収まってきて、オーリは疼痛と屈辱にギリギリギリギリと歯軋りを奏でつつ動きを止めた。

 顔が滅茶苦茶ヒリヒリする。頰に手を当てると熱を持っていたから、軽い火傷くらいは負ったかも知れない。


 とりあえずそこら辺の機材を片っ端から金属バットで殴って回りたい衝動に駆られつつ、のろのろと身を起こし、感覚異常がないか確認する。

 視力、聴力、嗅覚、問題なし。発声、問題なし。

 鏡がないのが悔やまれるが、ラトニに合流した時に火傷の確認と治癒を頼むしかないだろう。


(良かった、せめて目撃者がいなくて……。もし見られていたら、ぶん殴って記憶を飛ばすことを検討するとこだった……)


 物騒なことを考えながら、よろよろと身を起こす。

 途端、また「ブシュー」と音が聞こえて、オーリはびくっと飛び上がった。



 その腕が、なんだか「カチッ」と音を立てた。



「………………………………」


 オーリの顔が全ての感情を消し去った。

 がご、がごん、という新たな、そして不吉な音が、室内に響きはじめる。


 約十秒間の硬直の後、オーリは未だ停止したままだった己の右腕に視線を向ける。

 右肩から二の腕、肘を辿った先で、中途半端に伸ばした手が、何かのスイッチらしきものを押し込んでいた。


「…………………………………………」


 そのスイッチらしきものは、あの得体の知れない金属筒の裏側、立って歩く大人の視線では見つからないであろう位置にひっそりと取り付けられていた。

 転げ回るうちに金属筒の裏側へ回ってしまったんだなあ、と、現実逃避ぎみにオーリは思った。


 ガゴン、ガゴン、という音はどんどん大きくなる。

 その音は、傍らの金属筒から発されていた。

 ブシュー、という排気音が、連動してどんどん増えていく。

 ガラス管の中の液体が急激に泡立ち始め、ボコボコと音を立てて沸き返った。


(……逃げよかな)


 一瞬、虚ろな目でそう思ったが、時すでに遅く。


 一際大きな音を立てて、金属筒が震えた。


 大量の空気が抜ける音。直後、猛烈な冷気がオーリに襲いかかった。


「っ!?」


 ぎょっとしてその場から飛びのき、ガラス管の後ろに隠れる。

 雪達磨型の金属筒が、機械音を上げて上昇していく。一瞬で鳥肌が立つほどの冷気は、その中から溢れ出したようだった。


 ――取り残された台座の上に、何かが乗っていた。


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