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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
161/176

156:窮鼠は猫を食い破り

 その手の中にあるものは、まさしくオーリが探していた首飾りだった。

 骨張って細い、けれど繊細な動きをする暗殺者の頑丈な指が、子供が珍しい玩具を見つけた時のような仕草で、首飾りの紐をつまみ上げている。


「成程、正解か」


 にやにや笑うギルファが、指先に紐を引っ掛けて、ひゅん、と回してみせた。

 よく見れば紐は一部焼け焦げて千切れた跡があり、それを結んで輪を作り直したらしいことが窺える。


「ここじゃなくて、前の部屋で落としてたのか……!」

「当たりー」


 この部屋に転移する前、オーリはギルファの攻撃魔術を食らっている。当たったのは足にだけだと思っていたが、どうやら首飾りを掠めていたらしい。

 幸いなのは、オーリの姿を隠していた幻術が転移の瞬間まで解けなかったことだが、今こうしてギルファが目の前にいる以上、その幸運も無駄になってしまった。


 焦燥に汗をかきながら、オーリは全速力で対策を組み立てる。

 ギルファは暗殺者ゆえに、迂闊に他者と顔を合わせることも、協力し合うこともできない。つまり今、ギルファの動向を把握している使用人や警備はおらず、オーリはギルファ一人を何とかすれば良い。

 黒石を確保し、ギルファを撒いて逃げること。それらを異常を察知して誰かが来る前に完遂させなければ、館中の人間に追われることになる。


 ギルファの威圧に押されたように、じり、と更にオーリは後退する。ギルファが長い足で更に一歩を詰め、くるくると指先で首飾りを回してみせる。


「これも魔術具なんだよな? 姿を消したり、顔を変えたりできるってことは、幻術特化か? おいおい、お前といいもう一人のガキといい、こんな貴重品、あれやこれやとどこで手に入れてんだよ?」

「すみません、仕入れルートは企業秘密なんですよー。ウチにも守秘義務があるもんで、そういうことは窓口通してもらわないと」

「まあそう言わずに、何度も密なコミュニケーションとった仲じゃねーか。おにーさんと内緒話しようぜ? 大丈夫大丈夫、ここだけの話だから!」

「そうですねー、熱く鋭く触れ合った刺激的なコミュニケーションでしたねー。殺意が含まれてなければもっと素敵なアバンチュールだったんだけど!」


 軽口を叩き合いながらも、弧を描くようにじりじり後ずさる足は止めない。それに合わせてギルファも前進し、今や随分と二人の距離は縮まっていた。


 超接近戦型のオーリは遠距離攻撃の手段に乏しく、またギルファとの実力差が分かっているからこそ迂闊に仕掛けられない。

 それをギルファも察していて、遊ぶような言動でオーリの軽口に合わせ、しかし隙だけは決して見せない。


「そういや前に仄めかしてたなぁ、後ろ盾がいるらしいこと」


 ゆっくりと、ゆっくりと、滲むように距離が詰まる。

 オーリの全身を影が覆う。

 目を見開いて息を荒げる少女を見下ろし、至近距離で佇むギルファは不気味な影法師のように笑った。


「なあ、聞かせてくれよ。そいつ、今回の侵入にも噛んでるのか――?」


 赤い瞳を輝かせ、ず、とギルファの纏う空気が深淵を帯びる。口裂け女もかくやとばかりに吊り上がった唇が、ぬるりと舌を覗かせた。


「――私たちの後ろ盾なら――」


 ――じゃれる時間は終わりだと。

 青年の手が、オーリに伸びる。


 己の頭を握り潰してしまいそうな手のひらと。

 笑っていても微塵の情もない眼差しと。


 ――震えそうになる喉を叱りつけ、それらを見上げてオーリは笑った。


「――――今、あなたの後ろにいますよ」



 ――銀閃。



 ギルファがそれを躱せたのは、暗殺者として培ってきた条件反射の賜物だった。


 音もなく、気配もなく。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()、己の首を落とさんと迫っていた、()()()()()()()()()()を、首を捻って回避する。


「――――――ッ!」


 背後に流したギルファの視線が捉えたのは、一人の男。

 大地に落ちる夕焼け色の髪、濃いブラウンの目、大柄でがっちり筋肉質な体躯を簡素な鎧に包んだ、壮年の――


「――ロ……!!」


 動揺に満ちた怒声と同時に、ギルファの膝ががくんと落ちた。

 床ギリギリまで姿勢を落としたオーリの回し蹴りが足首を刈ったのだと悟った次の瞬間、倒立の体勢で伸び上がるような少女の蹴りが飛んでくる。

 ほぼ同時に、背後の男――ローランドが大剣で追撃。ギルファは咄嗟に鎖鎌を引き出し、両者の攻撃を受け止めた。


 ――と、思ったその時、二つの攻撃が鎖鎌を()()()()()


 鎖で搦め捕ろうとした少女のしなやかな足は、逆に鎖へと巻き付いて、それを基点に全身を持ち上げ、ギルファの肩を踏み越えて、その背後へと跳躍する。

 一方、赤毛の男の大剣は、ギルファの握る鎌の刃に激突し――そのまま何の手応えも与えることなく、霧のように通り抜けたのだ。


 大剣を振り下ろした体勢もそのままに、すぅ、と音もなく、赤毛の男が消失する。

 目を見開いたギルファの背後、たん、と軽い着地音。


 暗殺者と少女が、刹那、肩越しに視線を交わし――少女の小さな手に握られているのは、艶やかに光る黒い石。


 ギルファの唇が歪な笑みに吊り上がる。ぎし、と奥歯が軋んだ。


「――やりやがるっ!!」


 ギルファが手の中に残った首飾りの残骸――引きちぎれた紐を投げ捨てる。

 投擲した鎖鎌を、オーリは黒石を口に咥えて四つん這いになり、猫のようにすばしっこく跳んで回避した。壁にかかった絵画の額縁にしがみついたかと思うと、それを蹴り落とす勢いで反対側の壁――タペストリーを剥がれた扉の前に着地した。


 オーリの目的にギルファが気付いた瞬間、轟音を立てて大きな絵画が落下する。

 額縁が激しく震動し――そこから何かが零れ落ちた。


 金色の、鍵。



 ――――ゴガンッ!!



 落下した鍵が床に触れることすら待たず。


 床に落ちていた絵画ごと、絵画のかかっていた壁に接する床が()()()()()


 覗き込んでも底が見えないほどの深さだ。絵画も鍵も呑み込んで、真っ黒な穴が姿を現す。

 更に続いて破壊音。最初の大穴を起点にして、見えない何かが走り回っているかのように、見る見るうちに床の崩壊が広がりはじめた。


 不運なことにギルファの位置は、出入り口のドアに程近い地点。オーリのいる場所とは二秒も経たずに、崩落によって分断された。


 崩壊の音は部屋中に押し寄せる。床の崩落が凄まじい早さで自分のもとまで迫っていることを確認したオーリは、取り戻した黒石を扉に押し当てた。

 ここからは賭けだ。一瞬で勝敗が分かる賭け。

 記憶の底から引っ張り出した言葉を叫ぶ。この扉に刻まれた紋様。かつて異相世界(エノルメ)の遺跡で偶然見つけ出した鍵言葉(コマンドワード)、それは確か――


「――導け(ドゥケレ)!」


 紋様が輝く。果たして、体当たりするように開いた扉は向こう側に薄い闇を湛え、オーリをすんなりと受け入れた。


 賭けに勝利したオーリは、転げるように扉の中へと飛び込んだ。

 その爪先を掠め、最後の床が落ちてゆく。まるで見えない線が引かれているように、扉を潜ったこちら側の床はびくともしないままオーリを支え続けていた。


「……ひぃ……」


 己の足元に口を開ける、巨大な井戸の如き真っ暗な闇に、オーリは半ば腰を抜かしてへたり込んだ。

 怯えたように息を荒げる彼女は、闇の底から何も出てこないことを確認しながら、そろそろと立ち上がろうとして――


 ビリリッ!!


 視界を掠めて背後に突き刺さった黄色い閃光に、強張った肩を跳ねさせた。


 反射的に短い悲鳴を洩らした彼女の顔から、何かがはらりと解け落ちる。

 落ちたそれは黒い色をしていて、焼け千切れたような焦げ跡が――



「――――――――っっっ!!!!」



 深い深い穴の反対側、こちらを見据えるギルファと目が合った。


 晒された素顔を真っ青に染めて、オーリは扉を叩きつけるように閉じた。




※※※




 完全に床のなくなった部屋の中、ぽつりと取り残されたギルファギリムは、閉ざされた扉から目を逸らせずに、呆然と動きを停止していた。


 そのままぼんやりしていれば、壁と天井のほか何一つ残っていなかった部屋の中に、再び動きが見え始める。

 先程の崩壊が逆再生されているかのように、底へと落ちていったはずの瓦礫が虚空に現れ、次々と繋ぎ合わされて、正常な床を形作っていった。


 まるで50年もそこから動いていませんよ、というようなどっしりとした床が完全に部屋を覆い尽くした後は、こちらもやはり何処へかと落下したはずの絵画や本棚、花瓶などが、幻のように姿を現し、元の位置へと収まる。

 最後に、閉ざされた扉をぱさりとタペストリーが覆い隠して、それで部屋は沈黙した。


 ――室内が完全に最初の様相を取り戻したことを確認したギルファは、蜘蛛のように張り付いていた天井からストンと降り立った。


 大型犬の尻尾が揺れているような髪をがしがしと掻いて、少女の消えた扉を見つめ、「マジかよ……」と苦笑う。


 これほどまでに、次の対応に迷ったことはない。

 少女がどんな魔法を使ったのかは分からないが、どの道自分ではあの扉は開けないし、少女を追うことはできないだろう。


「どうしたもんかなー……」


 先程から感知している、雇い主が例の部屋で自分を呼ばわる気配。

 いつも何かに苛立っているような面倒臭い雇い主だが、無視するわけにもいかないだろう。


 溜息一つを最後に落とし。

 ギルファは身を翻し、静かにその場から姿を消した。


 ――侵入者の存在にピリピリしているであろう雇い主に、「何も見つからなかった」と報告するために。


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