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いつか見る果て  作者: 笠倉とあ
シェパ・春告祭編
157/176

152:謎は深まるばかりです

「――へぶシブッ!」


 勢いよく宙空に放り出され、体勢を立て直す間もなく叩き付けられたオーリは悲鳴を上げた。

 ごろごろ二、三回転がって、視界に空が見えることに気付いて慌てて手足を踏ん張った。


 どうやらここは館の屋根の上らしい。緩やかに傾斜がついているから、油断すれば何十メートルミルと高さのあるそこから放り出されてしまうだろう。

 幸いなのは、ガルシエ家の敷地からは出ていないことか。丁度母屋の頂上なので、ここより高い位置に窓はなく、見咎められる心配もない。


『すみません、オーリさん』


 ぱさ、と羽音がして、隣に水色の小鳥が降り立った。

 ギルファに捕捉されたと感じた瞬間、部屋から逃れるために空間転移を使ったのだろう。起き上がったオーリの足元、細い両脚でてんてんと跳ね寄った小鳥が、小さな頭を申し訳なさそうに傾げてみせた。


『扉の外に転移するだけのつもりだったんですが、失敗してここに放り出されてしまったみたいです。気分が悪くなったりはしていませんか?』

「ん、大丈夫。私こそごめんね、物音立てちゃった」

『随分と散らかっていましたから、仕方がありませんよ。僕もあの言葉には驚きましたし』


 返る台詞は穏やかだ。声色からも少し機嫌が良さそうに思えるのは、あの時ガルシエ爵が言った言葉が原因だろう、とオーリは思う。


 ――父オルドゥルが、オーリの婚約を再考している。


 それ自体はありがたいが、春告祭が始まる頃に婚約の決定を受け、それからまだ幾日も経っていないとなれば、いくらなんでも気が変わるのが早すぎるのではないだろうか。

 同じことを考えたらしく、クチバシが不思議そうに目を瞬かせた。


『でも、奇妙ですね。貴族のことはよく知りませんが、婚約相手をほいほい乗り換えれば信用を失うなんて、誰にだって分かります。ガルシエ爵とのことはまだ口約束の段階で、公式発表まではしていなかったんですか?』

「うぅん……分かんない。私は社交界デビュー(デビュタント)もまだだし、公のことは父上様に任せて一切ノータッチだから。

 ああ、でも、貴族の正式な婚約となれば王の許可が要る……これはタイミング的に、まだ得てないと思うな。王都の大合議が近いし、そこで許可を得るついでに公式発表をする予定だった、って可能性はあるかも」


 いずれにせよ、当事者であるオーリ本人に何も言ってこないということは、本当にまだ「考えているだけ」の段階なのだろう。

 しかし、一度決定した婚約を破棄すること自体、相手方に余程の瑕疵がないと難しいはずだ。遥か格上のブランジュード家とて、非があるとみなされれば社交界で非難を受ける。


「……じゃあ、再考の理由は何だろう?

 ガルシエ爵以上に条件のいい相手が見つかった……ちょっとタイミングが良すぎるから、これはないか。

 ガルシエ爵が恐れていたように、父上様が何らかの理由でガルシエ爵を切り捨てようとしている……のかな?」

『それだと、明らかに今回の件に関わりがあるでしょうね。サラさんを暗殺してまで行おうとしている何かが、オーリさんのお父上の利に反することだと判明した、とか』


 今回、ガルシエ爵はかなり大胆に動いている。それが後ろ盾であるブランジュード家を当てにしてのことなら、見放されることは即ち破滅を意味するだろう。

 ブランジュードを――オーリの父を恐れるガルシエは、後ろ盾を期待できるだけの利益を確実に支払っていたはず。それを切り捨てても構わないほどの不利益を被る目算があるのか――或いは、ガルシエを切り捨てた方が、より大きな利益を得られる目が出てきたか。


 オーリは心の中で、更に判断材料を追加する。婚約破棄の原因がガルシエ爵だけではなく、オーリ自身にある可能性。

 春告祭の間に、オーリと父との間にあったことと言えば――


(……ルシア様の住んでる『塔』のこと、かな)


 今年の元旦に見つけて一人登った、ブランジュード邸の奇妙な塔。

 父は、ブランジュード一族の中に、最初の一度を越えてあの塔の階段を視認できた人間はオーリ以外にいないと言っていた。あの言葉には存外大きな意味があったのかも知れない。


「……物凄く気になるけど、父上様に聞きに行くわけにもいかないし、今考えても仕方がないか。それより、問題はギルファギリムだよ。あの男の『雇い主』がガルシエ爵だったとは思わなかった」

『いえ、可能性としてはあったでしょう。サラさんを排除する理由があり、「黒いローリエ」に関わり、シェパに住む上級貴族。尤も、些かの違和感はありますが』

「うん、何だか、ギルファとガルシエ爵の方針が食い違ってるように見える。ガルシエ爵は最初からサラさんを殺す気満々みたいなのに、ギルファのやる気がなさすぎるもん」


 雇い主があれだけ執拗にサラの命を求めているのなら、ギルファに手を抜く理由がない。

 しかし実際にはサラは何度もギルファの手を潜り抜けている――毎回都合良く助っ人が居合わせたにしろ、あれほどの実力者につけ狙われて、あんなに軽傷で済むわけがない。


「……わざとサラさんが生き延びられるようにしている、って、あると思う?」

『二君に仕えている、ということですか?』

「ギルファ個人がサラさんに思い入れがあるっていうんじゃなければ、そうかも」


 もう一人の『主人』の立ち位置は、少なくとも、サラが生きていることで何らかの利益を得る人物だ。

 けれどそこから先の絞り込みは、現時点では難しい。

『浮島』を抱え込む王国フヴィシュナ、サラの祖国である新ルシャリ公国、ルシャリを欲するザレフ帝国、ザレフに対立するロズティーグ王国。そのいずれもが『浮島』とサラの――次期ルシャリ公王の進退に関して思惑を抱え、それぞれの国の中ですら敵味方を作って鎬を削っているのだから。


『気にはなりますが……仮にギルファが本当に二君に仕えていたとしても、相手を絞り込むことは難しく、ついでに言うなら絞り込んでも意味がありませんよ。ギルファを操り、ガルシエ爵を出し抜いてサラさんと「浮島」の争奪戦に加わっているような人間なら、僕らが容易く接触できる立場でないのは確かです』

「それもそっか……。ええと、あと怪しいのは、リーゼロッテ様がシェパに来た目的と、ガルシエ爵がどこかから予約まで受けて作ってるらしい『何か』なんだけど……」

『リーゼロッテ様、というのは……あなたから聞いたことがあるような……』

「あーほら、ファルムルカ公爵家のご令嬢だよ。王都で初めて会ってから、私のことをちょっと気にかけてくれてるんだよね。最近もよくお茶しに…………普通に来てくれてるんだと思ってたんだけどなぁ……」


 だんだん引きつった半笑いになりながら、オーリは泳ぐ視線で記憶を漁った。


 普通に遊びに来ているものと呑気に思い込んでいたが、思い返せば世間話の他にも、両親や家の動向についてはわりと色々聞かれていたような気がする。

 話運びに違和感を覚えさせず、何を喋ったかも曖昧にさせながらするすると情報を引っこ抜くその手腕、流石は魑魅魍魎跋扈する王都社交界の貴花である。


「しかも、裏にいるのはファルムルカ公爵(お父上)か、ファルムルカ子爵(兄上)か……どっちにしろ、サラさんを敵と定められちゃった時が怖いな……」

『……ファルムルカ公爵家……ああ、思い出しました。冒険者を装って街をうろつく、厄介な貴公子のことですよね。その人もこの件に関わっているかも知れない、と』

「シェパに来てるわけじゃなさそうだから、あんまり怖い声出さないでよ……。あー、本当にややこしくなってきた。頭がパンクしそう」


 こんなに面倒な状況下で、腹黒くて優秀な方々がぞろぞろしているなら、いっそ誰かがスッキリ綺麗に収めてくれることを期待して全てを丸投げし、オーリはラトニと春告祭で遊び呆けていたい。

 実の父がやばい案件に関わっているかも知れない以上、実際にそれをするわけにもいかないが。


 思考を切り替えるように、はふ、とクチバシが溜息をついた。術人形の癖に、術者の感情を反映して表情豊かである。


『オーリさん、とりあえず屋根から降りましょう。この館で有益な情報を得られるとすれば、ガルシエ爵が作っているという「何か」の件です。この状況であれほど切羽詰まっているのなら、間違いなく「浮島」絡みですよ』

「ん、了解。じゃあ壁伝いに降りるから、ラトニ、ナビお願いね」

『はい』


 オーリは黒石の首飾りを確認し、自分とクチバシの姿を隠す魔術が間違いなく発動していることを確かめる。クチバシがぱさりと羽ばたいて、開いている窓を探してくれた。

 二階、南寄りの小部屋。室内に人はいないらしい。その部屋の真上まで移動してから、オーリはよっこいせと屋根から足を下ろした。


 庇、窓枠、壁の出っ張り。足掛かりを探して地道に降りていくオーリの足元を飛びながら、クチバシが障害物の在処を伝えていく。


 再び館内に入ったら、そろそろ適当な場所で使用人に目撃されておいた方が良いだろうか。

 あまり人目につかないと、妙な所に迷い込んでいやしないかと探されかねない。ついでに使用人から情報収集ができればありがたいのだが。


 目的の小部屋に辿り着き、大きく開いた窓に右足をかける。ついた足のすぐ傍にクチバシが着地した。

 窓枠の上に手をかけたオーリが、慎重に左足も下ろそうとして、


『――ヂッ!?』

「っ!!?」


 鋭い鳴き声を上げたクチバシが跳ねるように飛び立つ。その翼を僅かに掠め、不可視の何かが勢いよくオーリの右足首を鷲掴んでいた。


 縄の類いではない。がっしりした大人の手のひらの感触だ。軋むほどに足首を握り締めた誰かの手は、窓にぶら下がったまま中途半端な体勢で身動きの取れないオーリを引きずり下ろした。


 ガン、と窓枠に肩を打つ。床に叩きつけられたオーリの耳に、威嚇じみたクチバシの鳴き声が聞こえた。ばしゅ、と鋭く空気を裂く音と共に、オーリの足首が解放される。


「――んー、あれ。さっきの鳴き声、なんか聞き覚えがあるような……?」


 とん、と窓辺に誰かが着地する音がして、緊張感のない声がした。

 バタン、と乱暴に窓が閉じられる。

 クチバシがオーリの元に飛んできて、羽を逆立てて不可視の敵を警戒する。オーリは姿勢を低くして立ち上がり、飛び出す準備を整えた獣のように窓の方を睨みつけた。


 じわり、と窓辺の空気が歪んだ。

 だるそうに頭を掻きながら、陽炎のように姿を現したのは、太い尻尾のような髪を靡かせた暗殺者――ギルファギリム。


(――姿を隠して潜んでたのか!)


 胸元の黒石を握り締めながら、オーリは歯軋りした。

 この部屋の窓が開いていたのも罠だったようだ。恐らく、侵入に都合が良さそうな場所をいくつか見繕い、網を張っていたのだろう。


 部屋の扉はオーリの後方。しかしそこにも鍵がかかっているだろうし、ギルファが逃亡を座視するとも思えない。


 ギルファが己の手のひらを見下ろす。感触を思い出すように何度か握り締め、ぬるりと赤い目を細めた。


「いるのは人間一人と、鳥一羽。今掴んだのは足、だよな? にしちゃあ、えらく細かった――余程の骸骨でなけりゃあガキだ。加えて魔術が使えるとなると、該当者は二人」


 にんまりと、ギルファの唇が吊り上がる。

 見えないはずのオーリとクチバシのいる位置へと顔を向け、細くもしなやかな手を伸ばす。


「サラについてたガキ二人のうちどっちかだ。無愛想な小僧か、やたらすばしっこい小娘か。俺の目を掻い潜り、解除もできない姿隠しにも興味があるが……」


 ぞっ、とオーリの背筋に寒気が走る。物も言わずにギルファの射線上から飛び退いた。


「――まあ、捕まえてから聞けばいいな」


 ――ごぉんっ!!


 閃光。飛び切り重い鈍器のような音がして、クローゼットが一つ消し炭になった。


 ――いやいやいやいや捕獲目的の攻撃じゃないでしょこれー!!


 声を出していいなら力一杯ツッコんでいただろうが、それをすると正体が割れる。貴族の館に侵入者となれば警備隊が動く事態なので、状況証拠を通り越して確信を与えるわけにはいかなかった。


 天井まで舞い上がったクチバシが、部屋の四方から水の槍を生み出し、ギルファ目がけて突き出そうとする。

 ギルファの手の一振りで槍が崩れ、消失。その間にオーリはドアに突っ走るが、やはり鍵が開かない。


 最早なりふり構ってはいられなかった。下着が見えるほどスカートを跳ね上げ、オーリはドアに全力の蹴り。砲撃音かと聞き紛う重低音が鳴り響いたが、ドアはびくともしない――魔術で守られてるのか!


「おいおい、どんな武器持ってんだよ……まさか素手とか言わねぇよな?」


 呆れた顔でギルファがドアへと歩み寄ってくる。黒石の幻影は破れないのか、こちらの姿が見えていないのは本当らしいが、逃げ回ることもできない狭い部屋の中では意味がない。

 ばぢんっ、と音がしてオーリの膝が折れる。床を這う黄色い光が、びりびりとした痺れと共にオーリの足首に絡みついていた。


 クチバシの悲鳴が聞こえ、はっと視線を向ける。こちらは蜘蛛の巣に囚われたように、光る網で天井に張り付けられていた。

 翼がしっかり絡め取られて、逃れることはできないようだ。もがくクチバシはラトニが魔術を解けば消失するが、そうなるとオーリが置き去りになる。


 目と鼻の先にギルファが立つ。勝ち誇るでもなく義務的に伸びてくる手が、オーリの顔に影を作った。


 ――視界が眩む。

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